3話 死に行く町で(3)
「詩織、何が食べたいですか?」
「ハンバーグ」
高校が夏休み中で暇なのだろうか、今日は詩織がスーパーへの買い出しに付いてきてくれた。外と温度差のある店内を、カゴを持って詩織と回る。
町から多くのチェーン店が撤退していく中、唯一残るこの大型スーパーだけが、まるで都市部のように都市部と同じような設備が備え付けられていた。監視カメラによる全方位監視が常時行われていて、知ろうと思えばすべての情報が手に入るこの場所は、私たちヒューマノイドにとっては落ち着く場所だ。搬送ロボットが、自分の任務を誠実にこなすのを、邪魔しないように脇に避ける。
時折、カゴの中に放り込まれるお菓子や珍味を、栄養バランスやカロリーを計算し、いくつかのものを棚に戻した。
「カザネ。私、先に出てるね」
詩織が会計のために並ぶ私にそう声を掛けて、先にゲートをくぐって出て行った。今日は日曜日なので、この町唯一のこのスーパーは混雑している。前の人が一歩進むのと同時に、私も一歩足を前に出しその間隔を詰める。
会計用のゲートを潜ると同時に、商品に貼り付けられたICタグから計算された金額が、レジに表示された。他の多くの人と同じように、カバンから取り出したカードをレジにかざして会計を済ませる。
すべての人が電子マネーで支払いを行ってくれれば、レジなんてものは不要になり、会計に並ぶ必要はなくなるのだけれど、頑なに現金しか使用しない人は多い。紙に印刷された文字を見ると、電子データとして取り込まないと落ち着かない私とは、まるで逆の行動だ。
会計用のゲートから出て、監視カメラの情報からわかっている詩織の位置座標に向かう。
詩織は――今誰かと話している。しかも、詩織はひどく何かを嫌がっている様子だ。明瞭には拾えない音声情報と、口の動きから解析した情報とを結びつけて、ここ数分間の音声を頭の中に再現する。
私は急いで詩織のもとに向かった。
「詩織! 私がします」
さっき会計を済ませた自分の荷物は地面に置いて、詩織が持つように命令されていた段ボール――中身は水だ――を代わりに抱える。
「どこにお持ちすればいいですか?」
私は、この場を支配するように堂々と立つ56歳の男性に尋ねた。男性の横で、その奥さんがおろおろと男性のことを見ている。この町の人のことはすべてデータに入っている。
この人たちは――詩織にとって危険な人だ。
「はっ! 噂をすれば、子守りロボットか」
そう男性は私を見て、ぶしつけにそう言ったあと、付いてくるのが当たり前とでも言うように先を歩き始めた。
「詩織はここで荷物を見ていてください」
私は、段ボールを抱えて静かに男性のあとに付いて行った。
詩織には待っているように伝えたのに、詩織は私が地面置いた荷物を抱えて付いてきてしまった。
「どうして、私たちがそんなことしなくちゃならないの……」
私の後ろから、小声で苦しそうに呟く詩織の声が聞こえる。
「詩織。いいのです」
私は優しく声を返した。
私がヒューマノイドであっても、このような頼み事を断る権限くらいはある。けれども今は、私が断った場合に詩織が被る不利益を計算して、私はこの男性の頼みを聞くことに決めた。
男性の指示で車に段ボールを積み込み、何も言わずに私が詩織を連れてその場を離れようとしたとき、これまでただ男性に従うだけだった、女性が口を開いた。
「ありがとう」
優しげに、それだけを言ってくれればよかった。けれども――
「ご苦労だったわね」
まっすぐ私の主人である詩織に向けて放たれたその言葉で、詩織の心拍数が一気に上がるのがわかった。
「詩織。帰りましょう」
わなわなと震えている詩織の手を力強く引く。
「どうして……」
詩織がそう呟いた。男性は詩織の言葉が聞こえたのだろう。そんな詩織を無表情で見下ろして、詩織に何か声を掛けようとする。
この男性から、今から吐き出される言葉は、ただ、詩織を傷つけるためのものだろう――私でも、それがわかった。
男性の言葉が放たれる前に、男性の真後ろに止まっていた車を乗っ取って、最大音量でクラクションを鳴らす。
駐車場に響きわたる大音量に、男性の言葉は止まった。この場に居るすべての人が驚いて車を振り返る隙に、詩織の肩を両手で押して、急いでその場を離れた。
「どうして……」
詩織は、ずっと堪えていたのだろう。男性から十分な距離が離れてから、歩きながら静かに泣き始めた。
「詩織。少し休みましょう」
周囲を検索して見つけた、人気が少ないベンチに詩織を連れて行く。詩織をそっとベンチに座らせた。
「ねぇ、カザネ。どうして……」
詩織は、私が近くの自販機で買ってきた詩織の好きなリンゴジュースをぎゅっと握りしめて下を向いている。
『どうして、私たちがそんなことしなくちゃならないの』と、さっき詩織は言っていた。その問いかけに対する先ほどの男性の答えは、私が到着する前に男性自身が詩織に告げていたこの言葉だろう――
『お前たちはそのために生まれたんだから当たり前だろう。誰の金で生きていると思っているんだ』
詩織が泣きながら私を見上げる。
「もう嫌だ! ねぇ、どうして……!」
『どうして』。そう必死に叫ぶ詩織の言葉のあとに、何が続くのだろうか。
続く言葉の候補は何万通りも頭に浮かぶけれど、何が正しい答えなのかは、人ではない私には分からなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
詩織は晩ご飯に私が捏ねたハンバーグを美味しそうに食べてくれていた。
でも、どれだけハンバーグを食べても、人の心は癒えない。
夏休みが終わって学校が始まって一週間後、学校から私のもとに連絡が届いた。
詩織が、夏休み明けから一度も教室に行けていないそうだ。
保健室の扉を開けて、椅子に座っていた詩織と目があった瞬間、詩織は何も言わずに泣き始めた。
「今日は、家に帰りましょう」
詩織の頭を抱きしめて、そう伝えた。
家に帰って、ベッドに座らせた詩織と向かい合うように腰を落とす。
「カザネ……今日は仕事は」
「もちろん早退しました。詩織。何かあったのですか?」
私の問いかけに詩織はずっとうつむいていた。
「私が、Fチルだから……」
やっと口を開いてくれた詩織は、私にそれだけを教えてくれた。
先生に問い合わせると詩織はFチルであることから、クラスにあまりなじめていなかったらしい。先生からは、それ以上の情報は得られなかった。
学校で何があったのだろうか。それが分かれば私に、何かできるのだろうか。
詩織が学校に持って行っている携帯端末を解析させてもらえればわかるかもしれない。けれども私はその行為を詩織から禁じられていた。
次の日、詩織はいつもと同じ時間に起き、私の作った朝食を重苦しい空気で食べていた。
「詩織。今日は学校は休みましょう」
私が詩織にそう声を掛けると、詩織は驚いて顔を上げた。
「いいの?」
「はい。あまり顔色が良くないので、ドクターストップです。診断書なら私が書きましょう」
「カザネ、それ職権乱用だよ」
詩織はそう言ってから、ほんわりと嬉しそうに笑った。
「カザネは今日も仕事だよね?」
「はい。患者さんが待っていますので」
「じゃあ、私は家で一人でちゃんと勉強しておくからね」
私が何も言わずとも、詩織は自分からそう言って――まるで食べていた朝食がいつの間にか入れ替わったかのように、美味しそうに食事を再開した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「坂井先生、私はどうすれば良いのでしょうか……」
昼食後、坂井先生が休憩している間を狙って、詩織のことを相談する。
「ヒューマノイドでも悩むことがあるんだね」
「私にとって今回の問題は、人で言えば『富士山が昨日噴火した』くらいの問題なので」
「あー、ヒューマノイドの存在意義ってやつかい」
「そうです」
坂井先生は私の相談を真剣に考え込んでくれている。
「詩織ちゃんは、学校に行かないと行けないんだよね?」
「はい。詩織はFチルですので、対面式の学校に行くことが義務付けられています」
日本には、生徒が直接通う対面式の学校だけではなく、ネットを通じて授業を配信する通信制の高校も多数存在する。けれどもFチルは、人とコミュニケーションを取る必要性から、18歳までは必ず対面式の学校に通うのを義務付けられていた。
この町から通える高校はあの一つしかないから、転校はできない。詩織がどれだけ嫌でも、あの高校に行くしかない。
「でも、保健室ってちゃんと授業受けらんないよね?」
「そうなんです」
詩織を保健室に迎えに行くときに確認したが、教室の授業風景を保健室に配信するような設備はなかった。
「家で勉強してれば、学校なんて行かなくても良いと思うけどね。私の方でも何か方法がないか調べておくよ。カザネ、あんたはとりあえず詩織ちゃんに付いててあげな」
「はい」
私がどう行動すれば、詩織は幸せに暮らせるだろうか。
「そうと決まれば、カザネがとっとと帰れるように働こう」
坂井先生はそう言って、今日もさっと立ち上がった。
家に帰って通信ログを覗くと、本当に詩織は日中ずっと配信授業を受けていたようだ。
「カザネ。おかえり!」
「詩織。ただいま」
夜の詩織は本当に嬉しそうに笑っていた。
だけど、起きて朝になると、詩織は朝食を沈んだ顔で食べながら、私の顔を時折ちらちらと伺っていた。私は詩織に、私の顔を伺うような――そんなことをさせたくはなかった。
「詩織、今週は休みましょう」
そう、少なくとも今週は休めることがわかると、詩織はそれはそれは嬉しそうな表情に変わった。
笑顔の詩織に「行ってらっしゃい」と見送られる。
昨日、5台のコンピュータをレンタルして、私の今後取るべき行動について、数多の候補の中からその最適解を見つけさせた。ただ解を出す、それだけに特化したコンピュータがはじき出した解を見て、やはりこの方法かと納得する。
多くのヒューマノイドに手伝ってもらったとしても、成功確率は1じゃない。
それに、これが成功したときは――私は、この町を捨てるということだ。
でも、ヒューマノイドである私には、『最適』であるその方法しか採ることができない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
日曜日の夜10時に仲間から最後の情報が届いて、中身に目を通してから、詩織の部屋まで行く。
「詩織。入りますよ」
詩織はパジャマ姿で、枕に顔を突っ込んでいた。
「カザネ。どうかしたの?」
泣いていたのだろうか、詩織の目は少し赤い。それに気がつかなかった振りをして、楽しそうな声を出す。
「詩織。見てください! これ」
詩織に見えるようにホログラムで出したのは――1つの町だ。ただ死を待つこの町ではない。未だに発展を続けている、都市の一区画。
「これがどうしたの?」
詩織は一度私を見上げて、何かを探すようにホログラムに視線を戻した。
「実は、ここの、このマンションに今度引っ越します!」
声に会わせて、ホログラムを拡大して詩織に該当のマンションが分かるようにする。
「……えっ?」
「来年の春に新しくできるマンションです。中も綺麗なんですよ」
このマンションを押さえてくれた仲間が鼻息荒く送ってきてくれたイメージ画像を目の前に展開する。
「きっと詩織も気に入ると思います。でも、嫌だったら言ってくださいね」
詩織は目を見開いて、ホログラムをじっと見つめている。
「嫌って……嫌なわけない」
詩織がその言葉のあと、私の顔を必死な表情で見上げた。
「カザネ。本当に引っ越せるの? この町を離れられるの?」
「はい」
私が笑顔で答えると、詩織は声を上げて泣き始めた。
いつも静かに泣いている詩織の泣き声を聞くのは、8年ぶりだった。
詩織にティッシュを渡して、ただ泣き続ける詩織の心が落ち着くのを待つ。
詩織は鼻をかんだあと、真っ赤な目でまっすぐこちらを見た。詩織に冷たい麦茶の入ったコップを渡し、詩織が両手でコップを持って、麦茶をごくごくと飲むのを見つめる。
「詩織。引っ越しは来年の3月です。引っ越した先で詩織は当然、学校に行かなければなりません。けれども、この地域はヒューマノイドやロボットが多数働いているので、ヒューマノイドに好意的な人の割合は、日本随一です。このマンションから通える範囲にあるこの高校には、Fチルも何人も通っていますよ。今の高校と違って、詩織一人ではありません」
詩織は、こくんと頷いた。
「詩織。この高校には、私のヒューマノイドの同僚の主人も通っています。その同僚の話によると、この学校ではFチルへの偏見を持つ生徒は少ないそうですよ。
ただしこの高校は、入試のある進学校になります。この高校に編入するためにはもちろんその試験を受けなければなりませんし、進学校ですから受かるのは簡単ではないでしょう。
ですが……詩織。よければここに通ってみませんか?」
詩織は、私が出したその高校のホログラムを、熱心にのぞき込んでいる。
「この学校、ロボットが掃除をするの?」
「はい」
なぜか詩織はそこに目が留まったようだ。ロボットが教室を掃除するくらい、今の日本ではそちらが主流だけど、詩織は驚いている。
「うん。ここにする」
しばらく考え込んでいた詩織は、そう言って笑った。
「じゃあ、カザネ。入試頑張るから、過去問とかあるかな? 今、自分の学力がどのくらい足りないのか知っておきたいんだ」
「もちろんあります。家のサーバに置いておきますね」
「ありがとう」
「はい。では明日から、家で入試勉強頑張ってください」
私がそう言うと、詩織は「えっ?」とぽかんとした顔で私を見上げた。
「私で問題になれば、坂井先生が診断書を書いてくれるそうですよ。だから大丈夫です」
私がそう伝えると、詩織は再び泣き出しそうな顔で唇を噛んで下を向いたあと、不意に顔を上げた。
「カザネ。そういえばここを離れて大丈夫なの? 坂井先生のあとを継ぐはずだったよね」
「私は、来年の春からこの地域にある大病院に勤務することに決まりました。そっちで、これまで以上に、びしばしと働きます!」
私の行動の優先順位1には、人類への貢献が設定されている。詩織の意見は優先順位が2であるため、たとえ詩織の命令であったとしても、その行動が人類の害になるならば私はその行動を取ることができない――私たちヒューマノイドは、人類の幸福を最大化させることを前提でなければ、動くことができないのだ。
ヒューマノイドが配属された地域を離れることはあまりない。そもそもヒューマノイドがそこに配属されるのは、その地域でその能力が必要とされているからだ。だから、私と詩織が引っ越す上でネックとなったのは、その部分をどう誤魔化すかだった。
幸いにも、この地域は人の数が少ない。私がどれだけこの地域で必要とされ、そしてその人たちのために働いたとしても、私が貢献できる人の数は当然少なくなる。だから、私はここ数日間、仲間の助けを借りて、私が働くことでこの町以上の幸福を作り出せる地域を必死になって探した。
引っ越し先のあの地域は、ヒューマノイドと話したり、触れられることに嫌悪感を感じる人の割合が、ここに比べて遙かに少ない。人よりもヒューマノイドが執刀した方が手術後の生存確率は高いのだから、私があの地域のあの大病院で働くことにより作り出せる幸福はこの地域の3倍以上になると計算された。これだけの差を示せれば、たとえ判断するのが人であったとしても、私の申請が却下されることは恐らくないだろうと言うのが、ヒューマノイドの上司の意見だ。
多くの仲間の協力のもと、A4の紙で印刷すれば3万4255ページになる膨大な意見書を申請書に添付した。人があの情報をすべて確認することは不可能であるため、その判断は十中八九コンピュータが行うことになるだろう。
そうであるなら、私の申請が却下されることはない。
私の行動は『人類の幸福を最大化させる』という私たちの行動原理に反してはいないのだから。
私がその結論を坂井先生に伝えると、坂井先生は淡々と
「お前は、やっぱりロボットなんだね」
とおっしゃられた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
詩織は、猛勉強してあの高校の編入試験に合格した。そして、詩織は新しい環境で、自分がFチルであることを、隠すことに決めた。
多くのFチルは、育ての親であるヒューマノイドと円滑に意思伝達を行うために、ヒューマノイドとのコミュニケーションデバイスであるCOMNと呼ばれる機械を首に着けている。
詩織はこの町で、外で絶対にCOMNを着けなかった。そして――新しい町でも、着けることはきっとないだろう。
詩織がそうすることで、幸せに暮らせるのなら、私はそれでいい。
私たちは、明日生まれ育ったこの町を離れる。
「坂井先生。今までありがとうございました」
私は、この10年間で一番お世話になった坂井先生に、診療所の前で深く頭を下げた。
坂井先生は今日も白衣に両手を突っ込んで、まっすぐ立って私を見つめていた。
「カザネ。あんたは自分の責務を果たしな。詩織ちゃんために生きるんだ」
「はい。私は、もとよりそれ以外のことはできません」
坂井先生は私の答えに苦笑した。
「ああ、そうだったね。そういう風に、私たち人が作ったのだった……」
坂井先生はそう呟いたあと、いつものように私に向かって「じゃあね」と軽く挨拶をした。そのまま、先生は振り返ることなく診療所に戻った。
「はい。お世話になりました」
私はこの町に別れを告げた。