2話 死に行く町で(2)
「坂井先生、おはようございます!」
「カザネ、おはよう」
いつものように坂井先生が診察鞄を持って助手席に乗り込む。坂井先生が乗り込んだのを確認してから、助手席の扉を閉め、運転席に座る私は、ハンドルを握ってアクセルを踏んだ。
私たちが向かうのは、管轄上は同じ町の中に点々と散らばって住むお年寄りのもとだ。このような場所では、昨日訪れた柳瀬さんのところのように、きちんと整備された道路はもうほとんど残っていない。そのため、車に備え付けられている自動運転機能では、『道』と判断できずに、途中で停止してしまう。
無線通信網から隔離されたこれらの地域では、都会では当たり前のことでもできないことが多く――この地域だけまるで、この町ができた2000年代初頭のようだ。
そういうこともあって、車は私自身が運転しているのだけれど、私が運転する場合は、別にハンドルを手で握る必要はなく、車のCPUに直接命令を送ればいい。だけど、ここでは人と同じようにしなければ、『これだから、ロボットは』と人に怒られてしまう。私はこの10年で、できるだけロボットとばれないように振る舞うようになった。
ネットワークにつなげば、ヒューマノイドの仲間から毎日、『人であればこのような場合にどう振る舞うか』に関して、私でも処理できないくらいのデータがアップロードされている。何日も一緒に過ごせば気づかれることもあるが、数時間程度では私がヒューマノイドであることはまずバレないようになった。
目的の家の前に着いたので、車を止める。この家の患者さんは89歳の女性で、61歳の娘さんと一緒に暮らしている。
今年で御年67歳になる坂井先生は、助手席からすっと降り、すたすたと歩いてインターホンを押した。しばらくして、61歳の娘さんが玄関の扉を開けてくれるが、どう見ても坂井先生の方が背筋が伸びていて、若々しい。
「入るよ」
坂井先生はそう一言だけ声を掛けて、慣れた様子で患者さんが寝ている部屋に向かった。私も娘さんに会釈をして、坂井先生のあとに続く。
患者さんの部屋に入り、備え付けられている機械とアクセスをして、前回の診療からのデータをすべて受け取る。そのデータを整理して、患者さんを診療している坂井先生に報告をした。
悪くはなっていない。でも良くはならない。
「カザネ。前回と同じで良い」
「わかりました」
前回と同じ処方をしてから、私たちは次に待つ患者のところに向かうために立ち上がった。
「来週で、やっと私も引退だ」
診療所に戻って、坂井先生は昼食にラーメンを食べながら突然そんなことを言った。隅の方に座って有線接続によりネットからデータを受信していた私は、驚いて坂井先生の顔を見る。
「先生。来週私がやっと一人前になるだけで、先生には居てもらわないと困ります」
「もう私より、お前の診断の方が正しいじゃないか」
坂井先生が言うように、医療関係のデータ解析技術の改良が進んだ最近では、正答率と言った点では私の方が上なのは確かだ。
「患者さんは人なので、私ではどうにもならない点はたくさんあります。それに、診療に回るのが突然私だけになれば、患者さんは困惑します」
10年間坂井先生について回ってわかったが、患者さんであるお年寄りの多くは、病気を直したくて診察を受けているのではない――人は、誰かに、構ってもらいたいのだ。
その誰かが、『ロボット』というだけで、満たされない気分になる人は多い。
「人が足りないのに、どいつもわがままなんだよ。カザネの何がいけないんだ。私だって、いい加減ゆっくりと休みたいんだ……」
坂井先生がいつものように文句を言った。
坂井先生は、私がヒューマノイドかどうかをあまり気にされない。『よく働くものを、使う。それの何が悪いんだ』といつも言っている。
人の中には、いろいろな種類の人がいるのを、私はこの町で学んだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「じゃあ、カザネ。今日はさっさと帰りな」
「ありがとうございます」
本日、私はやっと医者になれた。坂井先生は一言「おめでとう」と言ってくれただけだけれど、坂井先生なりに喜んで、私を気づかってくれているのはわかる。
急いで車を運転して、予約していたケーキを受け取り、家に帰った。
「ただいま」
「お帰り!」
玄関の扉を開けると、良い匂いがする。そして、詩織がリビングから出て、玄関まで歩いてきた。その様子を見て、かばんの中から一枚の紙を取り出して、自分のシリアル番号が書かれた紙を誇らしげに掲げて見せる。
「これです!」
「やっとお医者さんになれたんだね。カザネ、おめでとう!」
詩織は紙をのぞき込みながら、目の前でパチパチと拍手をしてくれた。笑顔の詩織をしばらく見つめてから、買ってきたケーキを渡す。
「これ、詩織の好きなケーキです」
「なんで今日、カザネが買ってきてるの?」
詩織は呆れた顔をしてそんなことを言ったけれど、嬉しそうに受け取ってくれた。
「今日は、カザネに作らせるのが嫌だったから、自分でご飯作ったんだ。そのあとに食べるね」
詩織はそう言いながら、ケーキを持ってリビングに戻った。
手を洗ってからリビングに入ると、詩織は自動調理器の前に立って、皿に料理を盛っているところだった。詩織のために、お箸とお茶を用意しようとすると、「今日は座っていて」と怒られてしまった。詩織が働いているのを横目に見ながら、席に座って待つ。
詩織が用意したいつもより品数の少ない夕食を前に、詩織が席に着いた。そして、詩織はごそごそと横に置いてある紙袋の中から何かを取り出して、テーブルの上に置いた。
「はいこれ。私から」
「詩織、ありがとうございます!」
テーブルの上に置かれた、四角い箱を詩織から受け取る。
「開けてもいいですか?」
「いいよ」
詩織はそう元気よく言ってから、「でも、それ手作りだからさ……」と呟いて私から視線をそらすように横を向いた。箱を開けると、中から出てきたのは――ブレスレットだ。
「詩織、かわいいです。ありがとうございます!」
「いつも何もアクセサリ着けていないけど、カザネは見た目的には26歳くらいなんだから、何か着けててもいいかなと思って。仕事中はだめかもしれないけど、行き帰りぐらいは……それに、それちゃんと雑誌見て作ったから!」
詩織が、照れくさそうにそんなことを言う様子を、私は真正面の席から録画していた。
詩織は自分が作った夕食を食べたあと、いそいそと冷蔵庫からケーキの箱を取り出して、箱を開けた。
中から現れたのは、詩織が私のために作ってくれたブレスレットと同じように、色とりどりの宝石があしらわれているフルーツタルトだ。
私たちヒューマノイドは電気で動く。でも、いつかヒューマノイドも人と同じように、食事でエネルギーを補給できるようになるだろうか。
そんな日が早く来て欲しいと考えながら、ヒューマノイドの設計開発の仕事に就いている仲間に、今日も私は要望メールを送りつけた。