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羽の先を記念として貰ったけれど、何に使えばいいのやら。とりあえずアロイアの部屋に飾っておこう。
いつかシオリスが使っていたナイフのように反り返った骨。こんな先の部分でも、確かにドラレークの力を感じる。
「その窓のところに飾ろうよ。ほら、これ使って」
「いいの?」
「うん。いつか強い魔獣を倒せたらってばあやに貰ったんだけど、今まで機会がなくって」
「そういうことなら」
アロイアがそう言って出してくれたのは、叉状に先の分かれた二つの棒の並ぶ、大きければ日本刀でも飾れそうなものだった。
ありがたく使わせてもらい、その上に骨を置く。それを窓のふちへ。
「えっと、それでね」
アロイアがそのまま次の話題へ。なんだか言い辛そうに見えるのは気のせいか。
どうやら、変身して一緒に空を飛ぼうという事みたいだった。普段の朗らかな感じとは若干違うトーンでなにかと思ったけれど、飛行の練習ということだろう。
そういうことなら大歓迎である。
部屋をでて、空を見上げる。そろそろ赤みがかっていた。
他の二人は来ていない。二人は二人で何かしているのだろう。
「それじゃ、いこっか」
まるでコンビニに行くかのような手軽さで、ぱっと変身した。勿論ここにコンビニはないのだけど。
二度目の事に若干緊張しつつ、心を落ち着けて勇も変身する。こちらの世界に結構いたせいで、もうすっかり慣れない感触になってしまった布地。懐かしさすら覚える。
ちゃんと変身できたことで、ああ夢じゃなかったんだと思う。周りでは不思議なことばかり起こっているけれど、自分が不思議なことを顕現させているというのは、やっぱり不思議なことだった。
執事服姿の少年と、魔法少女が空で並ぶ。
「やっぱりどこか皆と違うね。なんだかしゅっとしてて、リクのに似てるかな? でもこんなふうに足を全部覆ったりはしてないよね」
危機敵状況でもないので、アロイアがじっくりと勇の変身した姿を眺める。言っているのはズボンのことだろう。
「僕としてはスカートじゃなくて心底ほっとしたよ。そういうひらひらしたのは、女の子の特権だからね」
「そうなの? 前も言ってたけど、男と女ってそんなに違うの?」
「う、うーん。違うといえば違うけれど」
またなんだか会話が怪しい方向へいってしまったので、言葉を濁す。詳しく聞かれると困る。
「? ま、いいや。それよりほら」
箒に乗り、空から手を差し伸べてくる。勇もふわりと地面にさよならをした。
そのまま上空へ。
翼はやかましく羽ばたいたりしない。魔法で飛んでいるのだから、当然といえば当然だ。
「えへ。その調子」
「待ってよ。アロイア」
アロイアについていくように、空を遊泳する。改めて自分の力で飛んでみると、なんというか永遠に空中にいたくなる。
空中に家を建てて生活したくなる。それだけ胸が満たされた。
遠くまで見渡せる景色も、近づいた雲や太陽も、無くなった大地の感触も、澄んだような空気も、何もかもが勇を刺激する。
空ってこんなに気持ちのいいものだったのか。
だから人は空を見上げるのかもしれない。
わかっているから。
「あの竜がいなくなったから、いつもより高く遠くまで飛べるよー。これもユウのおかげ」
「高く――」
アロイアが飛ぶ。高く飛ぶ。さすがに大気を突き抜けたりはしないだろうけど、行くところまで行っちゃいそうだ。
雲を突き抜けたところで、一度止まる。眼下には雲の海。魔法でなく機械でここに来ようと思ったらなんという機体が必要だろう。
「はは」
「あはは」
二人で理由もなく笑う。いや理由はあるのだろう。ただそれが、言語の枠を超えているだけ。
普段飛び慣れているアロイアでさえそうなのだから、勇がそうなるのも無理は無い。
ひとしきり笑いあったあと、ふいに疑問を浮かべた。
「それにしても、どうしてドラレークは急に村を襲ったんだろうね」
今まで空で大胆だったり無謀だったり勝手だったりする行動をしなければ、ドラレークは襲って来なかったんだろう。そう言ってた気がする。
「ううん。今までこんなことなかったんだよね?」
「もしあったら無事じゃないよー」
軽く笑いながら言うが、ちょっと重い話だ。しかし考えても、ドラレークのことなど勇にわかるはずもなかった。
しかし、一つ気になることがある。
「そういえば、ジュウガミが神妙な面持ちで何か拾ってたけど、あれがなにかあるのかな?」
ドラレークの火球をもろに浴びたのか、丸焼けになっていた謎の物体。
それを拾う時のジュウガミは普通の様子ではなかったはずだ。
「え? そうなの? ばあやはなんでも知ってるから。もしそうなら何か重大なことなのかもね」
アロイアのジュウガミによせる信頼はかなりのもののようだった。さすがに何でもは知らないことは、これまでの生活からわかるけれど、確かにジュウガミはそういう雰囲気を纏っている。
色々な事を知っていそうだ。長老として、村長として。
さらに追いかけっこのようなことも始めた。
「こっちだよー」
上下左右四方八方加速に急停止。
アロイアはあらゆる巧みな動きで勇を翻弄する。速度は勇のほうがあるはずなのに、どうしてだか捕まえられない。
その激しい動きによって、ひらりひらりとはためく布にも原因があるのかもしれない。
主に勇の免疫的に。
それでもなんとか追い掛け回しているうちに、箒の尻尾の部分をつかむことができた。
枯れ木のような竹のような、魔獣の体毛のようなそんな感触。
「えへへ。つかまっちゃった。じゃーつぎは、ユウの番ね」
「え?」
「ほらほら、逃げた逃げた」
追うものから追われるものへ。空をまたいだ鬼ごっこは鬼ごっこらしく、交代制だ。
先ほどの戦闘やいまのやりとりで多少馴れてきたけど、それでもまだぎこちない飛行である。地上での鬼ごっこと違い、なんだか脳の回転速度を求められているような。
ぎゅい、とか。くんっ、とか。びゅおっなんて効果音が聞こえてきそうな追っかけっこ。
しかしやがて、勇が鬼だった時もはやく羽を掴まれてしまった。
「つーかまえたっ。ったい」
「えっ?」
ついに捕まってしまったと思った矢先、アロイアが指を抑え何やら痛そうにしている。
「ど、どうしたの?」
「指切っちゃったみたい。ちょっとだけどね。えへへ」
ちらりと見せる指は、確かに切れていて血が滲んでいる。原因ははっきりしている。
勇の羽だ。
「ご、ごめん。これがそんな切れるなんて知らなくて」
自分のことなのに全く気づいていなかった。この羽もどうやら剣と同じく危険なものらしい。
「うん。わかってるよ。まだわからないことだらけだもんね。少しずつ、理解していこ」
魔法のこと。
「うん……」
「これくらいすぐ治るから大丈夫だよ。ねっ」
その笑顔はそれだけで、許されたような気分になる。
そしてそのまま、夕日が沈むまで勇達は空を満喫したのだった。
邪魔するものはいない。
それからとある日。まさかあの日があんなことになるなんて、夢にも思わなかった。
かつてのように真面目な顔のジュウガミに、四人は呼び出された。もう勇は立派な魔法使いの一員だ。気後れすることもない。
「先日、なぜドラレークがこの村までわざわざ来たのか、ずっと考えておってのう。その日拾った物が実に興味深かった」
「なあに?」
「これじゃ」
アロイアが首をかしげ、ジュウガミが部屋の奥からそれを持ってきた。まさしくあの日見たあれだ。
バスケットボールほどの大きさ、全体的に丸っこくそれでもゆるキャラ系マスコットのように耳や手足がついている。しかし生き物という感じはまったくしない。むしろおもちゃのようだ。
表面が焦げているのでわかりづらいが、よくみれば不思議な文字が書いてある。
さらにいえば表面にうっすらと何かが流れているような、そよ風が視覚化されたような、奇妙な感覚。
「どうやら魔法偶像のようじゃ。鉱物や木を削り文字を書き写し、さらに魔力を込め意のままに操る」
そんなものもあるのか、とジュウガミの説明に聞き入る。
「空の竜がここまで来たという点と、この無残な焦げようを見るに、この魔法偶像がドラレークを挑発し連れてきたとみてよさそうじゃの」
空を好き勝手に飛び回り竜の琴線に触れ、さらに村まで飛んできたということなのか。
誰がやったのか知らないが、はた迷惑な話である。いや、それ以上か。
「でもよー、そんなもん作れる奴がこの村にいるのか?」
リクリが受け取り、しげしげと眺める。
確かにまだ勇はこの村に来て短いけれど、それでもこんなものは見たことがない。作れたら生活に色々と利用できそうなものだ。
「おらんのう。儂も削り方や文字の事は知っとるが、肝心の魔力がの」
ふとジュウガミは魔法を使えるのだろうか、と思った。使えるとしたら、当然変身するわけで……。
若干危ない方向へ移った思考を慌てて戻す。
まあ、使えたとしても魔法は一人ひとり違うようだから、魔法偶像とやらが作れるとは限らないか。
「シオリスは作れるよ。簡単だもん」
大人しいそんな声が一つ響く。
「……簡単な嘘」
「ほおー。そーかそーか」
そしてリクリにしばかれている。なんというかもう一連の流れだった。
「んー。それにしてもこの子の顔、ちょっとかわいいね。一体どこからきたんですかー?」
リクリからアロイアへ魔法偶像が移る。それを顔の前に掲げて、話しかけるように言った。当然それは何も答えない。
「確かにどこから来たんだろう。この村以外に人っているのかな」
「いるかいないかでいえば、わからんというのが正直なところじゃが。しかし、その魔法偶像の魔力を辿ることができれば、それを操っていた者にはたどり着けるだろう」
ということらしかった。一応勇も魔法偶像を受け取り触ってみるが、特に新しい発見はない。思ったより軽かったことくらいだ。
操っている者。何者だろう。そしてどんなところに住んでいるのか。村なのか町なのか。
この村の外の人間。
勇のことについて、何か知っているかもしれないと少しだけ期待する。
――あとはジュウガミの調査にまかせよう。
勇らは現在、村を離れ空を飛んでいる。
目的地は、魔力の発信源だ。ジュウガミがはっきりと言っていたとおり、すぐにその場所は判明した。
なるべくドラレーク戦の消費を回復してから、それでも相手に移動される前に、すぐに出立した。
それにもうひとつ、
「ユウの事、何かわかるといいね」
「うん。正直ここでの生活は楽しいけれど、それでもね」
「やっぱ寂しーか。はは。なんならぼくも一緒に夜寝てやるぜ」
「そ、そういうことじゃないよ」
口では否定しても、本心は自分ではよくわからない。本当にこの世界は楽しいし面白いけれど、それでも元の世界に戻りたいのか。ここに初めて来た頃は戻りたいと強く願っていたけれど、今はどうなのか。
もうひとつの点について勇は急いで出発しようと言ったけれど、気持ちのもやもやは解消されていない。
住めば都。非日常は日常に。アロイア――。
なるべく考えないようにして、前を向く。いまだ森林地帯が広がっている。
「しかしユウの羽モサモサだなー」
二度目の邂逅だからか、じっくりとリクリが見てきた。
「それに服が黒い。シオリスも黒いしお揃いだな。どことなく羽の作りも似ているし」
「真似しないでほしいの」
「ええっ。いや真似なんてしていないけれど」
「なんちゃって」
「……」
しかし確かにシオリスと似てなくもないような。機械の羽だって、鳥の羽があったからこそそういう形が生まれたんだろうし。天使の羽も同じか。
「でも羽じゃなくて、そういう靴とか箒っていうのも何だか良いよね。アクセントがあって」
「そうか? まーぼくは満足だけど、見た目の事気にしてもしょうがないぜ。自分で選べたわけでも、変更できるわけでもないんだからさ」
「私はもう馴染んじゃって。この箒なしで飛べたとしても何だか不安になっちゃうかも」
箒でとぶ魔法少女、羽根つき靴で駈ける魔法少女、ゴーと音を立てる機械的な羽の魔法少女。
改めて見ても、見てるだけで楽しい。
「シオリスはもう平気? というかあの後なんともない?」
ドラレークに技を盗まれた後だ。吸収だとしたら、シオリスは魔法を失っていてもおかしくない。
「大丈夫よ。ほら」
そう言ったかと思うと、いきなりロケットランチャーを地面にむけてぶっぱなした。
しゅるると煙をあげつつ、妙な軌道で木々につっこむ。そして爆発。音と振動のせいで、鳥達が飛び去っていった。
恐ろしいことをするものである。自然破壊と言う概念はまだないか。
「ちょ、ちょっと、無闇に撃っちゃ駄目でしょ」
「ご、ごめんなさい」
「鳥さんたち飛んでいっちゃったねー」
そんなやりとりをしつつ、やがて森林地帯を抜け岩肌が見え始めた。
目的地は近い。
地点を見定め、地面に降り立つ。洞窟が目前に広がっていて、飛びながら入るのは気が引けた。
中に入ってみると、なんだか自然にある洞窟というより小奇麗で、所々松明のようなものもある。
明らかに人の手が入っていた。
「なんだここ。見るからにあやしーじゃねえか」
「誰かいそうだね」
ぞろぞろと四人で中を探索していく。しかしすぐに人が見つかった。ワンピースのような布の服を纏っている。小学生くらいで、黒く長い髪の女の子だ。
突然の来客に警戒している様子。
「ねえ君。ここに住んでるの? 他には――」
ちょっと尋ねようとしてみたところ、すぐに女の子は身を翻し走り去ってしまった。
「ちょっとまって」
すぐに追いかける。それぞれの足音を洞窟内に響かせながら、やがて女の子は角を曲がった。勇達もそちらへ向かったところで、角から別の人間が姿を表わす。
「あらあら。どうしたのキュロンちゃん」
黒いローブに身を包んだ怪しげな女性だ。見る限り二十代だろうか。アロイア達より大人といった雰囲気。それを頼るようにして、キュロンと呼ばれた女の子も姿を表わす。なんだか親密そうである。
しかしこの女性、一体こんなところで何をしているのか。他に人はいないのか。
「あら? まあまあまあ、あなた達は――。そう、そうなのね。しまったわ。あの子戻ってこないと思ったら、捕まっちゃってたのね。それでここが――」
何やら一人で納得している。白衣ではないけれど、科学者とかそんなイメージを彷彿とさせた。
「おいあんた、ここで暮らしてんのか? なんだってこんな辺鄙な場所で。ぼくらみたいに村で暮らせばいいのに」
「そうだよ。もし良かったら、ばあやに相談するよ」
リクリがそう投げかける。勇を受け入れたことといい、寛容な村である。それで救われているのだけど。
「んふふ。相変わらず甘いのねえ。そんな事より自己紹介がまだじゃない。自己紹介はとっても大事だわ。私はキシュトンよ。そしてこちらがキュロンちゃん」
それに合わせてキュロンはぺこりと頭を下げる。
さらにキシュトンは黒いローブをなぎ払うように脱ぎ捨てた。
黒く長い髪。背丈と年齢相応のメリハリの有る身体。黒い水着を下地に装飾を重ねたような服装。既に変身しているのか、それともこれでも自前の服なのか。
気がつけばキュロンの格好も変わっている。キシュトンと雰囲気は似ているが、こちらは白を基調としたもの。やはり変身か。
――相変わらず? アロイア達のことを知っているのだろうか。そう勇が考えているうちに、し忘れていたことを恥じるように皆は名前を告げた。最後に、
「僕は勇。素筆勇だ」
「ユウ。やっぱり貴方がイレギュラーなのね。欲しい。欲しいわ」
軽く自己紹介したとたん、キシュトンは獲物を見るような物欲しそうな目をする。
「え、え?」
「ユウ、欲しいって」
「いやそんなこと言われても……」
いつもと変わらないトーンでシオリスに言われるが、はいそうですかと身を渡せるわけもない。
「そうよね。何もわからずについてきてだなんて不躾よね」
そう、反省したのかどうかはわからないけれどそう呟いて、そして言い放った。長年の夢を語るように。
「私の、いえ私達の目的はっ、別の世界へ行くことよ。こんな恐ろしい魔獣達の住むこんな世界じゃなく、きっとあるかもしれないもっと平和な世界へ。そのためにキュロンちゃんと二人、研究を続けてきた!」
ばっと手を広げ、空を仰ぐ。洞窟なので当然岩しか見えないけれど、確かにキシュトンは広大な何かを見ていた。
……別の世界。
(それは僕の? それともさらに別の? 平和な?)
突飛な宣言に頭を殴られたように、勇の思考が鈍る。相変わらずキュロンはキシュトンにすがりついていて、じっと勇達を見ていた。
「何いってんだ? 別の世界? そりゃあユウは変な事知ってるし、突然現れた変な奴だけど、だからって」
「へ、変な」
横からさらにリクリの槍が精神に刺さった。しかしこれは仕方ないことだろう。
「そう。ユウ。貴方はどこからやってきたのかしら。そういえば最近、実験に失敗しちゃったのよね。もしかしたらそのせいで、イレギュラーが生まれたんじゃないかと思っているんだけれど」
「まさか、そのせいで?」
そう言ったのはアロイアだった。なんだか緊張しているような、怒っているような、とにかく普段のほんわかした雰囲気ではない。
「そう! だからユウがいればもっと実験は捗るわ。大人しく私達と共に来なさい」
途端、ずずんと洞窟全体が揺れた。
「な、何?」
そんなシオリスの呟きも、地鳴りのような音にかき消される。
「私が欲しいのはユウだけ。この世界に満足するような者達はいらないわ。ところで、どうして魔獣が闊歩する中、二人だけでこんな所に住めているか少しは疑問に思ったかしら」
揺れる中、キシュトンの声が高らかに響く。
皆がそれに注目する中、その名を呼んだ。最終兵器のように。
「おいで、キマルガ!」
その名が喉を通り全員の耳に入った途端、洞窟の屋根が崩れた。
「危ないっ」
「皆、そこから外に!」
洞窟内だからと地面を歩いていられない。すぐに勇達は飛び、天井に開いていた穴から外へ脱出した。洞窟の入口へ着地する前に見た風景。そこに異形が紛れ込んでいた。
空中にいても相手の目線と同じくらい。それだけ全体が大きい。イソギンチャクのようなヤマタノオロチのような、とにかく胴体からうねうねとしていて全体的に気味が悪い。
蛇の頭のようなものが一つ見えるが、すぐにまわりの触手で隠れてしまう。
「な、なんだありゃ」
「きもちわるい……」
リクリやシオリスと勇も同じ意見である。
「はっはっは。どうかしら。これぞ私達のオリジナル魔獣。ボディガード。下僕! 逃げたければ逃げてもいいのよ。ただしユウは置いて行きなさい」
魔法でも使っているんじゃないかというように、キシュトンのそんな声が遠くから響いた。見れば魔獣の胴体に二人共乗っかっている。下僕というのは本当のようだ。
どんな行動にでてくるかわからないけれど、あんなのが暴れたらかつて戦った魔獣達以上に危険そうだ。
「僕は……突然色々起きて混乱しているけど、今はただ、アロイア達やあの村を守りたい。よくしてくれた皆のためにも」
例え身を委ねることになっても、それで奴らが村に危害を加えないとも限らない。だからまず戦う。何もない空間から剣を生み出し、構えた。
「私はちょっと怒ってるんだよ。野望だか研究だかしらないけれど、そんなことでユウを巻き込んで。あの日、ユウがどれだけ苦しんでたか、思い知らせてあげるんだから」
アロイアがキマルガを見据える。初めてアロイアと会った日、ずっと一緒にいただけあって、伝わってしまっていたようだ。
それで怒っていたのかと納得するとともに、優しいアロイアらしいと安心もする。
「ぼくは強い奴と戦えればそれでいいぜ」
ガツンと、両の拳を合わせる。
「シオは本当は帰りたい。でもユウが戦うなら……」
「え? 僕?」
「……う、うそ」
結局それぞれがそれぞれ思いを口にして、キマルガに目を向ける。シオリスはよくわからなかったけれど、いつか解る日が来るだろう。
四人で息を合わせるように一斉に飛びかかった。アロイアが魔法弾を撃ち、リクリが空に罠の陣を張り触手を止め、シオリスが今まで見たこともないガトリングのようなものを二丁使い、弾を放出していた。
どうみても少女の力では扱えそうにないシロモノだったが、実際目の前で撃ち続けているのだから大丈夫なんだろう。相変わらず表情は大人しいものだった。
さらにリクリが胴に拳を叩きこむ。これほどの巨体が、数メートルずれた気がした。
さらに勇も負けじと剣を振るう。これだけの総合的な破壊力、ぶちぶちと触手がちぎれていくが、見たところあまり減っていない。
「ちょっとは怖がるとかしなさいよ。でもそんなんじゃ足りないわ。うちのキマルガちゃんは普通の魔獣じゃないんだから」
よくよく観察してみれば、最初にちぎれた部分がいつの間にか元に戻っていた。
「そ、そんな」
「おいユウ!」
リクリに声に我に返ってみれば、上下左右全てが触手で囲まれていた。まるでハエたたきのように弾き飛ばされてしまう。
「うぐっ」
経験が少ないのもあり、もろに直撃をうけてしまう。さらにいえば、あんな速度で回復するなんて反則だ、と思う。ゲーム的に見ても裏ボスとかいうよりこれじゃあバグだ――と薄くそう考えているうちに、地面に激突した。
(ッッ)
あの蠢く触手に叩かれた瞬間よりさらに強い痛みが全身をめぐる。口の中に鉄のような味が広がり、精神的にも負荷をかけてくる。
「あ……」
全身が痺れるような感覚に戸惑いつつ身体を確かめてみれば、獣の服に変わっていた。剣も厚手のジャケットも羽も消えている。
「なん、で」
長時間の変身、不慣れな魔力、それによって力尽きていることなど勇には解らない。
また遠くなってしまった空を見あげれば、三人は懸命に戦っていた。複雑な動きをする相手のせいで余裕はないようだ。説明してくれる相手がいないのは心細かったが、かといってこちらに気をとられてさらなる被害をうけるのはまずい。
魔石が動く直前のあの最悪の時のことを思い出しながら、戦いを見続けた。ぎり、と指に力が入ってしまう。
しかし、最悪の時はこれから来るのだった。
「わあ。ユウが動けなくなったのね。だったらあとは回収するだけだわ。キマルガ。もう、いいわよ」
こんな地面近くでもキシュトンの声ははっきりと聞こえた。なんだろうと一瞬思ったが、そういえばあの頭が動いていなかった事に気づく。
まさかあれも。
それに対応するように三人もさらに力を使う。魔法は無限に使えるわけではない。勝負にでたのかもしれない。
シオリスはドラレークのように肩に多段ミサイルを搭載し、発射する。
リクリは触手を掴み、さらに縛るようにして締め上げている。あれなら回復されることもないだろう。
アロイアはかつてそうしたように、空中で力を溜めていた。空をキャンバスに陣が展開されていく。円形が複数、幾何学的に、かつ複雑そうな文字が並ぶ。
(一体、僕は何をしているんだろう)
皆頑張っているのに、呑気に地面にへばりついたりして。
対する蛇の頭も何やら口元を光らせていた。ドラレークのように火球でも吐き出すつもりなのか。光が強くなるだけで、なかなかそれ以上の行動に出ない。
勇はなんとかふらつきながらも立ち上がるが、上空で上がったエネルギーと閃光と、それにともなう余波によってあっさりと足以外が地面に引き戻されてしまう。
ただアロイアがビームを撃ちだしただけではこうはならない。キマルガもまた同じように、いやそれ以上のエネルギーを放出したのだ。
そして光が収まってみれば。
(え……)
アロイアが消えていた。確かにあそこにいたはずなのに、影も形もない。
風切り音を上げ、赤く短い杖が勇の側に突き刺さる。確かにアロイアが持っていたものだ。
「ア、ロイ、ア?」
放心気味の勇にしゅるしゅると音を立て近づくモノ。その触手は地を這い、勇を絡めとった。
「ぐあっ」
見ればリクリは叩き落され、シオリスは勇のように触手に捕まっている。二人もまた虚をつかれたのか。当然だろう。目の前からアロイアが消失したのだから。
じわじわと本体近くへ連れて行かれる中、自問する。
何故力がでないのか。ジュウガミが言っていた男特有の魔力とはこんなものだったのか。
アロイアは本当に……。頼めば他の二人や村は助けてもらえるのか。
「大人しくしてなさいよね。今後暴れたら今のをあなた達の村にやっちゃうから。赤い子はいい見せしめになったかしらん」
自分にとって彼女はその程度の存在だったのか。
このまま連れて行かれ大人しくしていれば、元の世界へ帰れるんじゃないのか。
それに対する自答は。
(――巫山戯るな)
である。
相手がバグ級。上等だ。勇だってイレギュラーである。例えゲームの中だとしても、システムに縛られるいわれはない。
力がでないなら出るように燃やせばいい。心を身体を細胞を命を。
萎えそうになっている身体を奮い起こす。想いを一つにして研ぎ澄ます。
今までの人生で、こんなに自分の心が猛りいきり立ち荒れ奮えたことなどない。
「くっそおおおおお」
バヂンッと脳内で何かが弾けた。そして数回だけ見た光。光だけれど、勇にはハッキリとそれが何を示すのか理解できる。
「きゃっ。な、何かしら」
まな板の上のタコ足のようにまとわりつく物をぶつ切りにして、ようやく勇は魔法使いとして再臨した。輝く白い羽を備えた、無明の黒い燕尾服。
本当にようやく、である。最初からふがいなく地に落ちていなければ、アロイアを助けられたかもしれないのに。
しかし今、心を下げる訳にはいかない。敵は目の前にいる。
「何よ。そんな怖い顔して。ほら、私たちはただ向こうへ行きたいだけなんだから。そんな怒らないでほしいかしら。ね? そうすれば貴方も」
最後まで聞かず、大地を蹴る。数瞬で敵と目線の高さを合わせると、勇の羽が広がっていった。
目の前の敵を倒す。それだけを胸に掲げる。
広がった羽から、無数の羽が一つ一つわかれて降り注ぐ。それは刃物のような切れ味を誇っていて、触手の一本一本に襲いかかった。
大量にあった触手が綺麗に裂けたりちぎれたり細切れになったりしている。すっかり触手は削げ落ちて、体毛を刈り取られた羊のようになっている。
そんな吹雪のように羽を注ぎ込む勇を、拘束のとけたシオリスと空に戻ってきたリクリはじっと見つめる。
初めて行った攻撃は十分な成果を上げるが、まだ終らない。
まだ蛇頭が残っている。しかもアロイアを屠ったように口に光を溜めていて、先ほどから予想するに。
「うおおおおおおお」
思わず声が出る。目の前に迫り来る光のうねり。直撃すればどうなるかは目に見えている。それを勇は。
――一刀両断した。
高濃度のビームのようなものも、蛇頭も、その根本というか胴体も、そして先ほどまで勇と抱き合っていた大地もまるごとである。
さすがに大地全てが二つに分かれたわけではないが、そんな事は気にせず、さらに突進する。
狙いはキシュトン。
剣を構え、斬るというより刺すように、ただがむしゃらな突進。その刃先が顔に到達しかけたところで、
「お母さんっ」
そんな声が横から耳に入り、確かな手応えを感じたが気がつけば、剣は顔すれすれの所、キマルガの身体に刺さっていた。
「あは。キマルガ、い、イっちゃった」
「お母さあん」
ぽてぽてとキュロンが近づき、キシュトンに寄りかかる。さらにシオリスとリクリも集まってきた。なんだか力抜けし、剣から手を離す。
剣は形を消すが、代わりに頬を何かがつたう。
「ユウ。終わったの」
「シオリス、リクリ。アロイアが……」
「あー、そのことなんだけど……、村に行けばなんとかなると思うぜ。丁度今夜は」
リクリが涙を流している勇に若干言いづらそうに伝えた。なんというか、温度差があるような。
「ほ、ほんと? 嘘じゃないよね?」
「いやぼくはシオじゃないから嘘はつかねーけど。確か杖が残ってるはずだし」
「む。シオだってこんな時に嘘はつかないの」
ぷくっとふくれるシオリスは普段より豊かな表情といえた。
なんとかなる? アロイアが助かる?
「はは、はは」
ほっとしたような、胸のなかの黒い何かが落ちたような。
そんな感傷にふける勇を放っておいて、リクリはキシュトンに語りかけた。
「おい、おめえらまだ何か企んでんじゃないだろうな。あーん?」
「い、いえいえ。私達戦う力はさっぱりで、昔、丹精込めて作り上げたキマルガちゃんがいなくなっちゃったら、どうやって生きていこうかと思っているくらいだわ。ね、キュロンちゃん」
「私はお母さんがいればなんでもいいかな」
ということみたいだった。キュロンはまだ見た目通り小さいので仕方ないといえば仕方ない。
「それじゃあまあ、帰るか。ぼくらの村にさ」
皆同じように、空を見上げる。そろそろ太陽の代わりに、丸い月が顔を出し始めていた。
「お前飛ぶの下手だなー。ほら、ちゃんとついて来いよ」
「しょうがないでしょ。本当に研究以外はからっきしなんだから」
リクリに手を引かれるようにして、キシュトンも飛んでいる。やはりちゃんと魔法少女らしく、おぼつかないながらも飛べている。少女というより魔女か。
キュロンはさらに能力が低いようで、仕方なくシオリスがお姫様抱っこの形で運んでいる。二人共村へ一緒に行くことになったのだ。
勇は落とさないように気をつけつつ、アロイアの杖を握り締める。
「ちゃんと持っとけよ。それがないとまずいからさ」
「う、うん」
もう一度聞いたりはしなかった。冷静になって考えてみれば、ゲームのプレイヤーキャラが死んだりしたら。
(あれ? でもどうなんだろう)
「まあ、ちょっとだけ問題があって、初めてのユウはびっくりするかもな。でもその時になっても落ち着いてくれよ。あいつはあいつだからさ」
「ん?」
リクリは続けて妙な事をいう。そんな風に言われては、逆に心配になってしまう。キシュトンやシオリスも何やら理解している様子で頷いていた。
四つの軌跡はそのまま、村へと伸びていった。
もう何度目かになる帰還。しかし今回は色々とありすぎた。
ジュウガミや村人に暖かく迎えられるが、いつも通りという訳にはいかない。
相談しなければならないことがあるのだ。その辺りの説明を、勇より冷静でより詳しいリクリがした。
「そう、か。アロイアがのう。うむ。ついてくるのじゃ」
そう言ってジュウガミは色々と村人に準備させた。具体的には女神像を野外に運んだり、祭壇のようなものを組み立てたり、松明を設置したり。
キシュトン達も勇と同じくそれを眺めている。話はアロイアの件の後にするのだろう。
ベッドのような台があり、アロイアの杖が横たえられている。
その後ろにはお葬式のように厳かな物が生み出されていて、あちこちに花が飾られ、さらに女神像が全てを見渡すようにして立つ。
(……大丈夫かなあ)
無論あちらの世界とは違うと解っていても、この状況を見ればそう思うのも無理は無いだろう。
皆が真剣な表情でそれを見つめる中、ジュウガミが前に出て口を開く。
「この儀式をするのは何年ぶりかのう。――うむ。しっかりと満月は出ておるな。では、始めるぞ」
そういえば、いつだったかジュウガミが言っていた。満月の夜に月のエネルギーを、だったか。あの時はよくわからなかったけれど、どうやらこの事のようだ。
両手でしっかりと普段ついている杖を持ち、掲げる。そのままピタリと動きが止む。
目には見えないけれど、集中し何かをしているのかもしれない。
ゆらゆらと松明が揺れる中、少しの静寂……。
ふいに、何の合図もなく唐突に、空から光が降り注いだ。勿論今は夜。
光源は満月のようだった。きらきらと星が何重にも重なって落ちてきたような、形としてはスポットライトのようだけれど、そんな無機質なものではないような。
段々とそれは強烈になっていき、たまらず目を閉じ腕で庇う。いくらなんでも満月がこんな光を放つなんて、と思ったけれど、思い起こせばプレイヤーキャラが復活する光に似ているような。
やがて光が収束し、しぱしぱした目もしだいに元の機能を取り戻していく。
「ばあやー」
目よりも先に、そんな声でハッとした。真綿のようにふわりとしていて優しげな、それでも聞き覚えていたものよりやや高い。
視界の中心に、小さい赤い色。
見た目五歳くらいの、赤毛の子供がベッドのような台の上、アロイアの杖があった場所に現れていた。杖は代わりになったとでも言うかのように消えている。
「成功じゃ」
ジュウガミがそう呟き、子供を優しく抱きかかえ台から下ろす。たまらず側に駆け寄り、近くで二人に目を向ける。
「アロイア、なの? まるで生まれ変わったみたいだけど」
「ああ。そうじゃ。儂らはこうして生きながらえておる。命を繋ぎ、粛々と。残念ながら殆どの者はこの時記憶が消えてしまう」
アロイアを見ると、何度もみた朗らかな笑みを浮かべた。思わず抱きしめる。抵抗したり逃げ出したりしないが、不思議そうな表情で勇を見ている。
「どうしてないているの?」
小さい手が濡れた頬に触れる。二人はしばらくそうしていた。周りにいた村人達も、生まれ変わったアロイアに駆け寄りたかったのかもしれない。
しかし空気を読んでか離れていく。
アロイアの子供らしい高い体温が、勇を温めていった。
それからジュウガミの家に行き、キシュトン達の話へ移行した。いつもの顔見知りメンバーで話を聞く。アロイアは村人たちから引く手あまたといった感じで、今はいない。
「つまりお主達が村の遠くで暮らしていた詳しい理由はわからないと」
「ええ。私たちは時期が来るごとに、お互いを生まれ変わらせていたのだけど、どうして最初の私達が村を飛び出して研究を始めたのかまでは。まあ、今の生活に満足していそうな空気に耐えられなくなったのかしら。それとも研究の邪魔をされたくなかったとか」
キシュトンとキュロン、先ほど見た通りの事を二人でし続けていたのか。それはなんというか、寂しい話だった。いくら野望のためとはいえ。
「今の私達はそこまで孤独を愛してないわ。キマルガちゃんも消えてしまったことだし。勿論研究は止めるつもりはないけれど。いいんでしょう? 二人共この村にいて」
「勿論じゃ。もともと同じ村の人間ではないか。離れて暮らす理由などどこにもない。その研究というのも、人に迷惑をかけぬのなら協力しよう」
そのジュウガミの言葉を聞いて、ふいに両親が頭に浮かんだ。元々仲がいいとは言えなかったし、いくらこちらの世界が刺激的とはいえ、それでも意識の外にあったくらいだ。
「はっは。また村の人数が増えたな。そろそろ新しい家作るか? 今何処の場所が空いてたっけ」
「シオの近く空いてるよ」
そういえば前にお話を読ませて貰った時、そんな感じだったような。
「ユウ、そこに住む?」
「え? えーと」
今勇はアロイアの家に住んでいる。アロイアがああなっては、ジュウガミか別の人と住むのかもしれない。もし引き取られるのなら、勇はあの家に一人。それなら新しい家でも、どちらでも同じ事だ。
「ユウよ。儂らとしては構わんのだが、いや寧ろ村にいてほしいのじゃが、お主はどうしたい?」
「え? どうって」
これから先の事を考えていたら、ジュウガミが唐突に聞いてきた。
落ち着いて質問の内容を反芻する。それじゃあまるで――。
「儂の考え違いでなければ、キシュトンもわかっているだろう。ユウは元の世界へ戻れるということを」
元の世界?
「え、ええ。そうね。ユウだけなら、ユウの身体に刻まれている世界のログを辿らせればいいだけだから。でも私としては残って研究に協力してほしいのだけど」
唐突にそう言われて、胸にズシンとくるものがあった。
「それで黙っておったのか」
(元の世界へ帰れる。魔獣に囲まれて、アロイアやシオリスやリクリがいて、空気は澄んでいて、お肉は美味しくて、こんな世界から)
「べ、別に隠そうとしてたわけじゃないわ。今まさに言おうとしてたところよ。勘違いしないでほしいかしら」
(何の変哲もなくて、毎日学校に通って、手元の機械で魔獣を倒した気になれて、工場で作られた食べ物を食べる事も多くて、家族がいるあの世界へ……)
「おいユウ。大丈夫か? ぶっ倒れそうだぞ」
眼の焦点がぶれていたであろう勇に、心配そうにリクリが声をかける。
「だいじょう、ぶ」
口ではそう言いつつも、手で頭を抑えてしまう。
「ユウのしたいようにすればよい。戻るのも、とどまるのも、お主の自由じゃ」
ジュウガミは思い悩んでいそうな勇に優しくそう伝えるが、勇の心は決まっていた。
異物は異物。もとより住む世界が違う。一生ここで生きていくなんて、そんなことは出来ないだろう。
だったら、これ以上情が移る前に帰ったほうがいいはずだ。
幸いといっていいのか、アロイアは記憶を失っているようだし。一番大事な人との別れは、なんとか済みそうだ。今までの人生、大事な人との別れなんて経験したこともない。
どんな顔をすればいいのかわからない。
「僕は……、帰るよ」
そう言った途端、ボタンを押し込んだように空気が変わった気がした。ジュウガミは目を閉じ動かない。キシュトンは嘆息している。
「帰るって……」
「嘘……」
二人が呟く。しっかりと、間違わないように答えた。
「嘘じゃない。僕は元の世界へ戻る」
「なんでだよ。ユウだって魔法使えるようになって、楽しそうにしてたじゃねえか。もしかしてアロイアの事気にしてんのか?」
確かに、イレギュラーとはいえ勇がこの世界に来なければ、アロイアはああならずに済んだかもしれない。なまじ村の外へと世界を広げてしまったばかりに。
「違うよ。そりゃあ変身したら胸が高まるけれど、恐ろしい魔獣がいたり、痛い思いしたり、村には何も無かったり、もう、嫌なんだ」
「……。はん。だったら、勝手にしろ」
そう吐くように言って、リクリは出て行った。特徴的な獣の耳がピクリと動いたようにみえたのは、怒りのせいか。
「ユウ、まだお話出来てないよ」
「ごめん、シオリス。でもシオリスならきっと素晴らしいお話が作れる。あの時読んで、それに今までのシオリスを見てきて、本当にそう思うんだ」
「……」
じっと勇を見つめている。これは嘘じゃない、だなんて付け加えるのは野暮だろう。
そして勇達は外へ出た。ジュウガミの家で帰還を行なっては、エネルギーの余波で物が倒れるという配慮だ。村は静かで、もう皆家に戻ったのかもしれない。月明かりのおかげで、怖い感じはない。
「じゃあ、いくわよ。もういいのね?」
「うん。ジュウガミ、今までありがとう。突然現れた僕を何も言わずに住まわせてくれて」
本当は村の全員に別れの挨拶をするべきなのかもしれない。けれど、時間をかけすぎると決心が鈍りそうだった。
「来る者拒まず、じゃ。向こうの世界でも達者で暮らせよ」
陰りのない笑みで別れの言葉をつげる。その時、向こうの方からアロイアがやってきた。
まだ寝ていなかったようだ。ジュウガミに会いに来たのだろうか。
勇とアロイアは顔を合わせる。じっと見つめたあと、
「えっと、お名前なあに?」
そう尋ねてきた。なんだか初めて会った頃の事を思い出す。
「……僕は素筆勇っていうんだ。君は?」
「スフデユウ? 私はアロイアっていうの」
「勇でいいよ」
それを聞くと、アロイアは忘れないようにかユウ、と呟いた。勇はキシュトンに向き直り、もう一度頷く。彼女は意を汲み取り、手を前に出し目を閉じ、念じるようにした。勇の周りに光が生まれ、周りの人の服が余波にあおられなびく。
――これで、おしまいか。
きっと気がつけば元の世界へ戻っているんだろう。走馬灯ではないけれど、色々なことがあったと思いを巡らせる。
最後にもう一度アロイアに目をやる。相手もこちらを見ていた。内ハネよりの赤い髪、幼くなり丸みの増した頬、口紅をつけているわけでもないのに、赤い唇。
その表情は状況を理解しているわけもないのに、どうしてか憂いているような、悲しそうな顔だった。
しかし光が強まるとともに、笑みに変わる。勇の心をほぐす優しいもの。
「またね、ユウ」
そして目の前が白く染まる。
エピローグ。
気がつけば、目の前には小さい端末が置いてあった。
そして周りは自分の部屋。見慣れたベッドや机や本棚。読み慣れた漫画のタイトルを見ると、余計現実味を感じた。
戻ってきたのである。服もいつの間にか、元着ていた学生服に戻っていた。変身、と念じてみても光は出ないし、何も起こらない。
夢、かと一瞬思ったが、すぐに否定する。
あんな濃密な夢なんてあるわけがない。
つまりこのちっぽけな端末の中に入っていたのだろう。あれだけの広大な大陸。果てしない空。確かに皆生きていた村人達。そして、赤い――。
ぽたり、と端末が濡れる。
「わっ」
画面が少し濡れただけなので、とっさにすそで拭う。スピーカーにでも落ちていたら壊れてしまうかもしれない。
濡れないように端末を目の前に掲げて、眺める。画面は暗く、電源は入っていないようだ。そのため、光の反射で自分の顔が見えた。
ひどく破顔している。
自分の泣き顔を見るのははじめてだった。こんなに涙がでるものなのか。
「はは……」
さらにどうしてか笑えてきたりもした。自分の顔になのか、戻ってこれた安堵によるものなのか。
しばらく、ただの端末を前にそうしていた。
心に整理をつけるため。アロイア達の事を思い返し、忘れないようにするため。
当然ゆっくりと時間がたつにつれ、落ち着いてくる。
「よし」
端末を置き、手にぐっと力を込め、立ち上がる。
現実に戻ってきたのだ。これから続く現実に、対応し、立ち向かわなければいけない。
「ただいま」
誰にともなく自分に向けて、ケリをつけるために言い切った。
さしあたって現実世界がどうなっているのかを確かめるために、ドアに向かう。
時間はどれくらいたっているのか。何か変化は起きたのか。それとも。
ドアノブに手をかけた時、とん、と胸をうたれたような感覚がはしった。咄嗟に振り返る。
すると端末から、ありがとう、と言われた気がした。
誰が、何のためにそう言ったのかは考えない。ただただ、なんと答えるかを考えた。
どういたしまして、問題ないです、僕はなにも、いえいえ。
それよりも、これがいい。
「こちらこそ」




