茶会終わりて思う事
つい先程まで行っていた、ガルディア司教長とアメリア侍女長との会合を思い出して、ファルシアスは深い安堵の息を吐いた。
ファルシアスにはこの教会の中に親しい人間はいない。常に嫌みや嘲笑をかけて来る人間か、こちらに無関心な態度で業務をこなす人間の二種類しかいないのだ。
ただ、ファルシアスは後者の人間は苦手ではあるが、嫌いではなかった。
教会内でファルシアスの事を粗雑に扱ったり悪く言ったりしても、表立って咎められる事はない。つまりファルシアスの事が嫌いならば、遠慮をする必要などないのだ。それなのに無関心で止めるという事は、そこまで嫌われている訳ではないのではないかと考えていた。
アメリア侍女長は典型的なそのタイプだと思っていた。いつも淡々と業務を進め、無駄なことを一切しないのだ。此方を害する事を含めて。
ガルディア司教長には滅多に出会わない。出会う際には強烈な毒舌を頂くが、司教長は大抵の人間に対してかなりの毒舌家である。また、言われる事もよくよく考えれば最もな事ばかりで、恐縮はするが嫌みに感じなかったのだ。
今回用意した言い訳は、はっきり言って突飛過ぎるとファルシアス自身でも思っていた。
しかし、突拍子もない理由だからこそ、それを現実に実行できそうな実力を見せれば、あり得ないと思いつつも、容易に否定も出来なくなる。
また、下手をすると気が触れたと一蹴されかねない理由を話すことで、相手の反応を見極める事を目的にしていた。相手の反応で楽しむだけの為では決してないのだ。
(勿論たっぷり楽しませてもらったけど。)
司教長と侍女長のことは、個人的には嫌いでないが、いつも無表情で余計な事は一切言わないため、腹の底で実際には何を考えているかなどファルシアスにはわからないからこその見極めだ。
最も二人が部屋に入って来てすぐに、少なくとも敵ではないと判断していたのだが。
目に見えぬモノを目視する事ができるようになったファルシアスの目に写った二人の纏う膜は、とても澄んだ色をしていた。悪い感じがしないどころか、好ましいとさえ思ったのである。
実際ファルシアスの突拍子もない言い訳を聞いても、二人は侮蔑を含んだ言葉や視線をファルシアスに向ける事はなかった。それどころか、真剣に考えてくれていたとさえ思えた。
(それにしても。)
ファルシアスは司教長と侍女長の纏った膜を思い出して、笑みを溢した。
(あの膜の動き!)
表情は全く変わらないのに、まるで驚いて、悩んで、諦めて、とでも表すように彼らの膜は揺れ続けていたのだ。
(教会の内情に詳しい二人の助力を得れた事は大きい。)
完全な味方とはまだ言えなくとも、ある程度信頼できそうな人間の目処をつけられた事で一安心した。
取りあえずの一仕事を終え、ぼおっと外を見る。窓から吹き込んできた風を感じて思い出すのは、落ち行く中で視た情景と世界と一体になるような感覚。
(今の私なら自由に飛べるかな。)
胸に焼き付いた大空への憧憬は、取り繕われた夢を嘘と笑うには、強いものがあった。
ファルシアスの自室から入り口に渡るまで、長い大階段を含む塔内は、実の所一番盗聴されにくく、会話をするのに安全な場所と言えた。
と言うのも、ファルシアスの警護を名目に配置している護衛達は全てガルディア司教長の配下の者であり、隠密のプロでもあるからだ。彼らは常に塔内の人の出入りに気を配り、独自の伝達手段で情報を共用し、侵入者から来訪者まで、全て監視し場合によっては排除もしている。
そもそも、ガルディア司教長がファルシアスの警護をここまで充実させる事ができたのには理由がある。
まず一つは、世界的に見ても神子の数が少ないことである。
修行によって、世界に満ちる神力を体内に一定量取り込み、祝詞を行使できるようになる者はそこそこ存在する。それらの者は神官と呼ばれ、中には上級祝詞を施行できるようになる者も稀に存在する。
神子と神官の最大の違い。それは、神子が神々の神力を直接受け取っているという点につきる。
神子は常に神々から直接神力を注がれている。受け止めた神力は、自身を仲介させる事によって、世界に負担がないように神力を調整し、馴染ませてから放出しているのだ。例えるならば、整水器のような存在である。
この一連の流れは無意識に行われて、神子自身に自分が何かを行っている自覚はない。自覚はなくとも常に神力は溢れ続けているため、周囲に多大な恩恵を与える。
故に国々はこぞって神子とその候補者の発見に力を入れ、隙あらば横取りせんと狙っているのだ。
ファルシアスの事を散々虚仮にしているアルギア副主教ではあるが、例え他の能力が低くとも、その身から溢れ続けている神力の有用性はわかっていた。他国にくれてやる気もなかった為、ある程度の警護をつける事には反論などなかった。
もう一つの理由は、ズバリ副主教が警護の全容を把握していないからという事である。
警護にあたる者を隠密にする事で、一見護衛が全くいないように見え、他国や他教会の油断を誘い、警護しやすくなると説明すれば、アルギア副主教は特に深く考えずに許可を下した。
また、通常神子につく護衛は、王室並みの人数であたるものである。一見して護衛がつかないというのは、ファルシアスに価値がないと示しているようなもので、いい嫌がらせになるともほくそ笑んでいた。
実際には表だって目に見えないだけで、副主教が報告された倍以上の人員が動員され、忍びこんだ密偵どころか、塔に入った教会関係者も常に監視しされているのだか、元々ファルシアスへの警護に関心のない副主教は、未だに気づいていない。
神子の部屋から辞して大階段を降る途中で、ガルディア司教長はアメリア侍女長に尋ねた。
「久しく見てはいなかったが、神子はあのような方ではなかったと思うが。」
「私が知る限りではあのように変わられてはおりませんでした。侍女達からも、特に変わった報告を受けてはおりません。」
「一体何が起きているやら。」
神子の急変についての手がかりを得られぬまま思案する。やはり落ちた時に何かあったと考えるのが妥当であろう。
「取り敢えずは様子見だ。何か変わった事があれば報告を頼む。」
「かしこまりました。」
再び黙って歩みを進める。神子の動向に気を配り、何をせんとするか見極めなければならない。
急にやって来た思いがけない案件に溜め息をつきたい気分にもなるが、先程の神子の前向きな様子を思い出すと、胸のつかえが取れるような、どこかほっとした気分にもなる。
(悪い感じの変化ではなさそうなのは救いだ。)
常におどおどして俯いていた印象しかなかった神子が、こちらの目をしっかりと見て明瞭に話していた。
(あのような目をしていたのだな。)
深い意思を称える、青緑の瞳の輝きを思い出す。進める歩みが心なしか軽くなったような気がした。