夢を語るは小鳥か魔鳥か将又竜か
試行錯誤して産み出したアイスキャンディーの製法へのガルディア司教長とアメリア侍女長の反応を見て、ファルシアスは満足していた。
正確に言えば二人が体に纏っている薄く色付いた膜のようなモノの揺れを見てだが。全く変わらない表情とは異なり、ファルシアスが突拍子もない事をする度に波打つそれは、まるで驚いているようである。
まだ、今の自分になってから直接出会えた人間が司教長と侍女長の二人だけなため、ソレがなんなのかの確証はないが、精神的にも深く繋がりがありそうな事から、魔力や生命力といったモノのではないかとファルシアスは考察している。
ちょっとしたドッキリが成功して内心ほくほくのファルシアスとは対称的に、司教長と侍女長の胸中は穏やかとは言えないものがあった。何故なら物を浮かして潰し、凍結するといった一連の投影は、少なくとも風と水の二つの適性が必要であり、火元のない塔の最上階でお茶をいれるには、火の適性が必要であるからだ。用意された花々と果実の出所を考えると大地の適性持ちの疑いも出てくる。
神子が複数の属性に適性を持つ事は珍しくはない。しかし、通常は強く適性のある一属性の他に弱い適性を一つ加えた二属性持ち程度であり。三属性持ちは稀と言える。
それを、規模は小さいものの瞬間凍結という水の中級祝詞の上に匹敵するであろう投影をやってのけられた上、強さはわからねど風・火の属性も併せ持つ三属性持ち確定である。さらに場合によってはかなり強い大地の適性を持っている可能性が出てきた。冷や汗ものである。
見た目にはわからぬ呆然自失から抜け出したガルディア司教長は自身を落ち着かせながら、これだけは確認しなければと尋ねた。
「この花々と果実はどのように手にされた?」
「あら。どこかから盗ってきたとお思いになられてしまいました?大丈夫ですわ。種から育てましたの。わたくし、植物が好きで、色々な種を細々と集めてましたの。折角だから投影で育てて一室を植物園にしましたの。」
「…いや、疑ったわけではない。部屋は後で見せて頂こう。」
コロコロと笑いながら冗談のように言うファルシアスを見て、ガルディア司教長は切実に思った。盗ってきたほうがマシだったと。
本人の暴露により大地の適性も加えた四属性持ちである事が判明した訳である。頭は痛いが、植物の育成ならば大地の下級祝詞程度であるのだから、危惧していた事と比べればまだ大丈夫だ。
危惧していた事。それは無から生命を産み出した場合である。何もない所から植物を産み出すのは、大地の特級祝詞に匹敵する。そんなものを投影で引き起こしたとなれば、やれ神代の再来だだの、騒ぎ所の話では済まなくなる。
司教長は人知れずそっと胸を撫で下ろす。もちろん鉄面皮を保ったまま。
因みに一連の衝撃で侍女長の頭は現実逃避をすでに決め込み、持ち前の無表情でそれとわからぬよう黙々と茶菓子を口にしていた。
そんな侍女長を恨めしく横目で見つつ司教長はついに今回の用件に触れた。
「さて、一服頂戴したところで、今回の子細について聞かせて頂いてもよろしいか?」
蓄積された精神疲労の割には、まだ問題の案件は始まってもいないのだった。
「簡単に申し上げますと。投影実験中の事故ですわ。」
「…事故ですか。」
「ええ。わたくし空を飛ぼうとしてましたの。」
「「………。」」
それはそれは晴れやかに答えるファルシアス。背後の窓から降り注ぐ光に髪は反射し、窓の外の澄みわたる青空と相まって、見るものを魅いらせる情景を作り出していた。残念な台詞がなければ。
「…貴女は人間です。」
沈痛な沈黙の中、ポツリと溢されるガルディア司教長の毒も心なしかいつもより切れが悪い。
「勿論ですわ。小鳥でもなければ魔鳥でもなく。ましてや竜でもありません。」
真面目に返されるから尚悪い。
「怪我はないようだと聞いておりましたが、頭を打たれましたかな。記憶違いをされているのでは?」
司教長は、次いでに性格も変わってないかと言いかけたのを呑み込む。性格といい、投影といい、大分前に見かけて以来違いすぎていて、どこから突っ込むべきか悩まされる。取り敢えず一通り話を聞く事を優先させた。
「あらまあ。わたくし起きたあとに何処にも怪我はないようでしたので、気を失ってはいましたが投影は成功したものとばかり思っていましたわ。アメリア侍女長様、わたくし何処か怪我しておりまして?この教会には此処から落ちて負うような大怪我を治せる神官様や魔導師様はいらっしゃったかしら。」
突然名指しされたアメリア侍女長は、急速に思考を戻し、淀みなく答えた。
「いえ。どこにもお怪我はされていらっしゃいませんでした。」
流石は海千山千の侍女長である。因みに答え終えたあとの侍女長は、しれっとして紅玉のように光輝くラプスの実のゼリー擬きに戻っていった。こちらもファルシアス自慢の一品である。
そもそも、サファティガル城の天辺にある此処から落ちれば普通ならば即死。かろうじて生きていたとしても、光の上級祝詞を施行できる神子がいなければ助からないであろう。
胸中ではそろそろ諦めの境地に達してきたガルディア司教長は一応食い下がる。
「失敗すればただでは済まない事がお分かりなようで。せめて事を起こす前に誰かに相談するべきでは?」
「普通はそうでしょうが、わたくしには相談できるような親しい人もいませんし。何より此処には空を飛べる人はいらっしゃいませんでしょう?」
言外に、誰に相談しろと。と、反論しにくい毒をさらっと吐いたファルシアスはにこやかに続ける。
「わたくし、達観致しましたの。うじうじしてても仕様がないですから、やれることを増やそうと思いましたの。それであれこれやっていたら、何だか空も飛べる気がして…」
言葉を切り空を見上げる。何処までも広がる青空を見るその姿は、籠の中から自由な空を恋い焦がれる小鳥を思わせ、司教長と侍女長の中にある罪悪感を刺激させたが、
「落ちてしまいましたが素質はあると思うのです、わたくし。」
続けられた全く反省のない言葉により台無しにされた。
司教長は一通り聞いたことを目を閉じて反芻する。正直に言えば、ファルシアスから見聞きした事はどれもこれも突飛すぎて理解の範疇を超えている。実は中身を魔神に取り替えられたと言われたら、思わず納得しそうな程にだ。
いつも冷徹無比で的確に案件をこなす司教長をここまで惑い悩ますのは凄い事だと言えるであろう。
ただし、司教長とて馬鹿ではない。むしろ素晴らしい頭脳を持っている。わからない事は一度悩む事を放棄して、今すべき事をせんとファルシアスに尋ねた。
「貴女はこれからどうなさりたいか?」
「どう。とは?」
「今の貴女の実力を見せれば、教会は手のひらを返して貴女を扱うでしょう。」
ファルシアスはガルディア司教長の言葉をしばらく吟味し、答える。
「正直に申し上げますと、わたくしにも見返したい気持ちがありますわ。けれど、散々嫌みを仰って来られた人達に手のひらを返されましても、にこやかに許せる自信はありませんわ。特に、アルギア副主教様方には、散々嫌われておりましたし。」
魔蛙に似た嫌みな顔を思いだし、一瞬素に戻って顔をしかめかけるのを自制したファルシアスは続けた。心の中で、
(わたくしは神子。わたくしは神子。キャラ造りは最後まで完璧に!)
と、端からみれば大分ふざけた呪文を呟きながら。
「どうせでしたら、こっそり神子としてのお務めを完璧にこなせるようになってから、一気に見返して差し上げたいですわ。」
しっかりと意思を伝えるように目をあわせれば、ガルディア司教長は頷いた。
「では、対外的には今までと同じように扱わせて頂く。下手に待遇を改善させれば、副主教に感づかれかねませんので。副主教派の人間は何処にも潜んでるかわかりませんから。」
司教長が答えるや否やファルシアスは思案げに尋ねた。
「副主教派の方はそんなに何処にでも潜んでいらっしゃるのですの?」
「どうかなさったか?」
「実は塔の各階と部屋の外に二名ずつ。人のような気配がしてましたの。人にしては気配が微弱で、てっきり生き霊か何かかと思ってましたわ。もしや密偵か何かの此方を探ってらっしゃる方なのでしょうか。悪意がなさそうなので放っておいたのですが。」
申し訳なさそうに答えるファルシアスに司教長と侍女は驚かされた。
実はファルシアスが感知したのは、塔内に配置されたガルディア司教長が采配した警護の者達だったからだ。
この十年の間で、ファルシアスは警護に気づいた素振りなどは全く見せていなかったというのに、正確な人数を言い当てたのだ。しかも、塔が五階建てであることからも、かなりの探知能力を持つ事が伺い知れる。
実際には力を認識する能力の向上で、人が纏う膜のような気配を感知する事ができるようになった事。さらに、町田 結であった時の異種格闘技混同道場なるものを開いていた祖父と父が主催の無茶振りサバイバルを何度も参加させられたという二十一世紀日本女性ではまずあり得ない筈の経験により、気配に敏感になっている事。この二つが偶然合わさり、とんでもない探知能力に進化したのだ。
「その者達は貴女の警護の者達です。密偵ではありませんので安心なさい。もしも心配なら防音壁を張られるといい。風の属性に適性があれば投影でも張れるでしょう。」
ガルディア司教長の言葉に従い、強くイメージする。外からの振動は通すが、内側の振動は閉じ込める風の膜を。
部屋の中心から空気が振動していき、部屋の壁にぶつかった所から空気の厚い膜が形成される。
「数々のご助言、誠に感謝致します。」
頭をさげるファルシアスの真っ直ぐな感謝を受け取り、ガルディア司教長は思わず溢した。
「表立っては無理だが。陰ながら貴女への助力を約束しよう。」
アメリア侍女長もそれに頷く。
司教長と侍女長へ目礼しながらファルシアスは願い出た。
「では、一つだけ至急手配をお願いしたいことがありますの。」
「何だね。」
「辞書を一冊ご用意頂きたく。」
「辞書を?」
怪訝そうに聞き返す司教長に、ファルシアスは頷き答えた。
「私文字を読めませんので。」
本日一番の痛恨の一撃。
冷徹無比の司教長は思わず頭を押さえた。相も変わらず表情には出ぬ鉄面皮であったが。