神子のお茶会
神子ファルシアスの自室はサファティガル城の最上部にある。
サファティガル城の大まかな造りは三階建てになる本棟に、回廊で繋がる左右の分棟、さらに本棟から伸びる三棟の尖塔からなる。
三棟の尖塔のうち、城の中心にそびえ立ち、他よりも高さのある塔の最上階に彼女の自室は位置する。
城の最上部にあるだけあり、そこから眺める景色は圧巻である。城を囲う湖の煌めき、初夏の陽気を感じさせる青々とした木々の新緑、城から続く旧城下町の賑わい。そして、対をなすようにそびえ立つ白亜の王城シャングリディエガ。そこには思わず見入ってしまうような景色が広がっている。
しかし、今この時、ファルシアスは誰もが羨む絶景を背にし、ただ一点を見つめていた。来るべき訪問者が最初に姿を見せる、大階段から繋がる自室の扉を。
話は少し変わるが、ファルシアスが、来客者が大階段を登る気配を感じてから、すでに四半刻(30分)ほど経過していた。
と言うのも、ファルシアスがいるこの尖塔は、外から見ると本棟の上に重ねて建っているように見えるが、実際には本棟を突き抜けて地上から天辺まで一直線に建っている。その上、入口は一階部にあるただ一つのみである。
つまり、ファルシアスの部屋へ至るには、一度一階部にある入口まで行き、そこから本棟換算でおよそ5階分ほど登らなければならないのだ。塔外周をめぐる螺旋階段を。故に登りきるには早いもので四半刻、遅いものでは半刻(1時間)以上かかるのだ。因みにアルギア副主教は滅多な事ではここまでやって来ない。
侍女長と司教長が階段を登りきる間、ファルシアスは自身の能力がどのように変化しているかを試していた。
その結果、喜ばしいことに神力の制御力が格段に上がっていた事がわかった。
神力の使い方は主に二種類の方法がある。
一つは、古代神聖語と呼ばれる、神々がまだ地上にいたとされる神話の時代の言語を使う方法がある。古代神聖語は既に失われた言語であり、教会や国家、長く続く家々に語り継がれて残る祝詞のみが知られている。
ファルシアスは教典の暗唱すら出来ない(実際には一般的な文字の読み書きすら出来ないが、認知されていない)という理由で、古代神聖語の祝詞の習得は初めから諦められていた。
駄目もとで泉を生み出す祝詞と大河を操る祝詞を覚えさせられたが、どちらも上級祝詞であるのに下手すると下級祝詞以下の効力という残念な結果だったため、周りの嘲笑を買って終わったのだ。
実際は神力を上手く操れなかっただけで、初めて触れた言語だというのに、一文字一文字から全体に渡っての形、音、意味をすんなり理解し、覚える事が出来ていた。さすがは神子と言えようが、残念ながらそれに気づいて他の祝詞をファルシアスに教えようという者はいなかった。
さて、もう一つの方法は投影と呼ばれる方法で、そのものずばりイメージである。起こしたい事象を頭に強く思い描き、神力を籠める事で奇跡を起こすのだ。古代神聖語という媒介を介さない分、威力は弱いが汎用性がとても高い。また、相性のよい属性に関する奇跡なら、下級祝詞以上の結果を生み出す事も出来る。
どちらの方法に関しても、神力の制御はとても重要であり、ファルシアスはこれに失敗していたと言える。なぜなら、彼女は自分自身の中や周りに神力が有ることは何となく感じていたが、有るとわかるだけで、実際にどのように力を取り出し使うのかは、よくわからなかったからである。
今のファルシアスの目には様々色の神力の光が写っている。また、自身の内側からこんこんと溢れてくる力もはっきりと感じている。確たる認識のもとで、そこへ意識を向ければ、神力が合わせて動くのを実感できた。
室内なので二つの祝詞を試すことはできなかったが、色々な投影を試行錯誤して時間を有意義に使っていたのだ。
(度肝を抜くこと間違いなし!)
期待以上に上等な手札を得て、ファルシアスはほくそ笑む。今だ現れぬ来客者達の反応を思い浮かべたその笑みは、まさにニヤリとした悪い笑みであった。
「失礼致します。ガルディア司教長をお連れしました。」
ノックと共に侍女長のよく通る硬質な声が響き渡る。
「どうぞ。お入りになって。」
扉向こうから答える声の凛とした明瞭さに、侍女長と司教長は内心で驚いた。いつもならば、今にも消えそうなか細い声が聞こえてくるはずだからだ。
声に従い入室すれば、更に驚かされる事となる。室内には花々が咲き誇り、窓を背にゆったりと席についたファルシアスの前には三人前のお茶が用意されていた。つい半刻ちょっと前までこの部屋にいた侍女長の驚きは一際大きい。
「ご足労頂き申し訳ありません。大したおもてなしもできませんが、どうぞお掛けになって。」
思わず立ち尽くしてしまった二名へと、ファルシアスが席を薦める。
「では、お言葉に甘えて。」
すぐに答えて正面の席に座したガルディア司教長とは対称に、侍女長は起立して控えたままであった。
「お掛けになって、アメリア侍女長様。規律正しい侍女長様の事ですから。立場などをお考えになられていらっしゃるのでしょう。けれど、今回はわたくしがどじを踏んだせいで、ご迷惑をお掛けしました。そのお詫びのつもりで用意致しましたの。ガルディア司教長様も同席程度でお怒りになりませんよね。」
小首を掲げて司教長へ問いかける。前世はともかくファルシアスは美少女なのだから、気持ち悪くなどないはずだ。
「無論だ。掛けたまえ。」
「………畏まりました。失礼致します。」
ぶりっ子が効いたかどうかは、相変わらずの鉄面皮の為わからないが、とりあえず両者を席につかすことには成功した。
「早速だが今回の子細をお聞きしたい。」
「ええ、もちろん存じております。しかし、せっかく用意したお茶とお菓子の食べ頃が過ぎてしまいますわ。大階段を登ったばかりでお疲れでしょうし、どうぞ先に召し上がって下さい。」
(腕によりをかけた投影での力作たち!!ご賞味あれ!!)
胸中で高らかに宣言しながらメルトの花茶を口に含む。ほの甘くすっきりした味わいだ。
「この丸い菓子は何でございますか?」
侍女長の問いかけの先はオレンジ色の飴玉大の粒。ルコンの実(柑橘)のアイスキャンディーである。
「ルコンの実を潰して果汁を絞り、丸く凍らせるだけですのよ。」
「わずか半刻の間に出来ると?」
怪訝に聞き返した司教長の疑問にファルシアスは笑顔で答える。
「ええ。このように。」
発した言葉を引き金にしたように、ルコンの実が宙を浮く。ルコンの実は浮いた状態で潰され果汁が滴るが、見えない容器に注がれるように空中に溜まる。そして溜まった果汁が飴玉大の形に分かれるや否や、ジュッ!!!!!と音を立てて一瞬で凍ってしまった。
「ね。簡単でしょう?」
カランカランと音を立てて氷菓子が器に落ちていくのを目にしながら、司教長と侍女長は言葉を無くした。
神子のお茶会は始まったばかり。