第7話 「硫黄島へ」
昭和十九年六月下旬。
栗林晴翔――栗林忠道中将としての晴翔は、軍服の襟を正しながら、輸送船の甲板に立っていた。
史実では爆撃機で赴いたそうだが、あえて制海権をかろうじて保っている事を確認して裏付けたかった。
眼前には、黒い岩肌がむき出しの島が見える。
硫黄島。
海面から立ち上る白い蒸気。
火山性の硫黄臭。
緑がほとんどない荒涼とした大地。
――これが、史実で三万人以上が死闘を繰り広げた島。
晴翔は喉が乾くのを感じた。
藤田副官が横に立ち、敬礼する。
「閣下。まもなく上陸いたします」
晴翔は頷いた。
「……行こう。まずは、この島を“知る”ところからだ」
上陸用舟艇が砂浜に乗り上げると、兵士たちが一斉に敬礼した。
「栗林閣下、着任おめでとうございます!」
晴翔は軽く頷き、まず周囲を見渡した。
――暑い。
――湿気が異常だ。
――風が弱い。
地熱のせいで、地面に近いほど熱気がこもる。
兵士たちの顔はすでに汗で濡れていた。
「これでは……地下壕は地獄だな」
晴翔は小声で呟いた。
藤田少佐が頷く。
「はい。壕内は四十度を超えることもございます。
兵たちは常に脱水気味で……」
晴翔は拳を握った。
――だからこそ、水だ。
――換気だ。
――健康管理だ。
晴翔は参謀たちを連れて、島の主要地点を視察した。
飛行場跡の滑走路は修復が未完成で、砂と火山灰が舞い上がる。
工兵たちが汗だくで作業しているが、資材が足りない。
「木材が……足りません。
支保工も、壕の補強も……」
晴翔は即答した。
「すでに追加の木材を手配した。
数日中に船団が到着する」
工兵たちの顔に驚きが走った。
地下壕に入ると、むっとする熱気が襲ってきた。
湿度は高く、空気が重い。
「換気孔が一つしかないのか?」
工兵隊長が答える。
「はい。資材不足で……」
晴翔は首を振った。
「換気孔は二つ以上。
壕同士を連結し、空気の流れを作る。
火炎放射器対策にもなる」
工兵隊長は目を見開いた。
「そ、そんな発想は……!」
「やれ。
阿南大臣から全権を得ている。
反対する者がいれば、私の名を出せ」
工兵隊長は深く敬礼した。
そして何より肝心な水問題。
島には湧水がない。
雨水を貯めるタンクも不足している。
晴翔は地質学者の派遣を命じていたが、まだ到着していない。
「井戸を掘る場所を探す。
地熱が高いのは承知だが、方法はある」
参謀たちは驚愕した。
「井戸……ですか?
硫黄島で、井戸など……!」
晴翔は静かに言った。
「やるんだ。
水がなければ、戦えない」
視察の途中、若い兵士たちが晴翔に敬礼した。
「閣下! 硫黄島は、御国を守るために死守いたします!」
晴翔は彼らを見つめた。
――彼らは、史実ではほとんど生きて帰れなかった。
胸が締め付けられる。
だが、晴翔は静かに言った。
「死ぬために戦うのではない。
生きて、八月まで持ち堪えるために戦うのだ」
兵士たちは驚いた顔をした。
「……はっ!」
視察を終え、摺鉢山の麓に立った晴翔は、島全体を見渡した。
黒い岩。
火山灰。
湿気。
水不足。
換気不良。
資材不足。
――これが、史実で日本軍が敗れた理由だ。
だが、晴翔は拳を握った。
「……変えられる。
史実では間に合わなかったことも、今なら間に合う」
藤田副官が静かに言った。
「閣下。
この島をどうなさるおつもりですか?」
晴翔は摺鉢山を見上げ、答えた。
「八月まで持ち堪える島にする。
そのために、すべてを変える」
風が吹き、硫黄の匂いが漂った。
晴翔の戦いは、ここから本格的に始まる。




