第14話 「備えなければ、心も折れる」
静かなアパートの天井。
硫黄島の熱気も、硫黄の匂いもない。
――戻ってきた。
栗林晴翔はゆっくりと身体を起こし、机に向かった。
硫黄島では地下壕工事が進み、補給もほぼ完了した。
だが、まだ決定的に足りないものがある。
心の準備だ。
史実では、米軍は上陸前に三日三晩、
艦砲射撃と空爆で島を“地形ごと削り取る”ような攻撃を行った。
兵士たちの心は、その時点で大きく削られた。
――あれを知らずに迎えるのは危険だ。
――だが、未来を知っているとは言えない。
晴翔は深く息を吸った。
「……“軍令部で聞いた”と言えばいい」
晴翔は大学図書館へ向かった。
地質学の専門書を開き、硫黄島の地熱分布を再確認する。
【重要な地質情報】
・地熱は“点”ではなく“帯”で変動する
・地下空洞は壕間連絡路に利用可能
・火山灰層は掘りやすいが湿気がこもる
・硬い岩盤は安全だが掘削に時間がかかる
晴翔はノートに書き込んだ。
「……湿気対策が急務だな」
地下壕の最大の敵は湿気だ。
湿気は火薬を殺し、兵士の体力を奪い、病気を広げる。
晴翔は資料を読みながら、対策をまとめた。
【湿気対策】
・壕内に“乾燥壕”を設け、通気を確保
・木製の高床で寝床を作り、地熱を避ける
・布を張って結露を吸わせ、定期的に乾燥させる
・壕の壁に“水抜き穴”を設置
・火薬庫は二重の木箱に入れ、底を浮かせる
昭和十九年でも十分に実行可能な工夫だ。
次に晴翔は、夜間戦闘の資料を読み漁った。
【夜間奇襲の要点】
・月齢を利用し、暗い夜を選ぶ
・小規模部隊で静かに接近
・敵の補給線を狙う
・撃ったらすぐ撤退
・壕間連絡路で素早く帰還
晴翔は地図を思い浮かべながら呟いた。
「……夜間奇襲は、兵の心を保つためにも必要だ」
史実でも、栗林忠道は夜間の小規模奇襲を重視した。
だが、晴翔はそれをさらに体系化しようとしていた。
帰宅後、晴翔は補給リストを再確認した。
【最終補給チェック】
・銃火器:九九式小銃、三八式、軽機、重機、迫撃砲
・弾薬:小銃弾300万発、機関銃弾120万発、迫撃砲弾3000発
・食糧:乾パン、干し野菜、味噌、梅干し、缶詰
・医療:消毒液、包帯、塩、乾燥布
・工事資材:木材、鉄材、縄、滑車、布
・管理:在庫管理表、班ごとの担当割り
――これで、八月までの持久戦が可能になる。
だが、それを口に出すことはない。
翌日、晴翔は再び自衛隊広報センターへ向かった。
展示されている火炎放射器、機関銃、迫撃砲を見ながら質問を重ねる。
「地下壕戦で最も危険なのは何ですか?」
「艦砲射撃は、どれほどの威力があるのですか?」
「兵士の士気は、どんな時に折れますか?」
係員は丁寧に答えてくれた。
「艦砲射撃は、地形そのものを変えるほどの威力があります。
心の準備がないと、兵は恐怖で動けなくなります」
晴翔は静かに頷いた。
――これだ。
――これを伝えなければならない。
晴翔はアパートに戻り、机に突っ伏すようにして考えた。
「……史実の爆撃を、そのまま伝えるわけにはいかない。
だが、“軍令部で聞いた”と言えば自然だ」
栗林忠道は陸軍省・軍令部と太いパイプがある。
その立場を利用すれば、未来の情報を“軍の機密”として伝えられる。
晴翔は深く息を吸った。
「兵たちに、心の準備をさせる。
あの爆撃を知らずに迎えるのは危険すぎる」
視界が揺れる。
眠気が襲う。
――まただ。
意識が沈む。
硫黄の匂いが近づく。
次に目を開けたとき、そこは摺鉢山の麓だった。
藤田副官が立っていた。
「閣下。兵たちを集めております。
“軍令部からの伝達”があるとのことで」
晴翔は静かに頷いた。
「……伝える時が来たか」
兵たちの心を守るための、最初の示達が始まる。




