31話「日は落ち、影の剣へ」
「あ、起きた」
目を開けると、ディオナが顔を覗かせていた。
俺は……仰向けで寝かせられている?
頭の後ろに心地よい感触が――
「うわっ!?」
「膝枕はご所望じゃなかった?」
俺は飛び上がるように上半身を起こした。
ひ、膝枕されていたらしい。
というか、模擬戦をしていたはずで……、
「もう夕方だよ。僕の足もすっかり痺れちゃってさ」
いたずらな笑みを浮かべるディオナ。
何も、されてないよな?
姿はルシアンのままだ。
偽装は気絶しても、魔力が尽きない限り解かれないらしい。
……もう夕方?
「やっと目覚めましたか。問題ないようでしたら、早くお帰りください」
道場服の青年が、こっちに近づいて言った。
空を見ると、そろそろ日がが落ちそうな時間だった。
俺、こんな時間まで気絶してたのか?
「師範は先にお帰りになりました。
『つい熱が入ってしまい、申し訳なかった。学園には心から謝罪しよう』、とのことです」
ガイゼフはおろか、クラスメイトたちもいない。
学園には謝罪って……俺に謝罪はなしかよ。
「帰ろっか。僕も君も、残りの授業飛んじゃったわけだし」
「あ」
これで1日終わり!?
ほとんどなにもしてないぞ……。
ま、またやってしまった。
レイネになんて言われるか――
「いたっ……ボコボコにやられたし、最悪だよ」
全身は傷だらけ。おまけにちょっと頭も痛い。
こんな状態だが、俺とディオナは剣術道場を後にした。
おぼつかない足で、階段を下りていく。
「はあ……」
「いいパンチだったけどね。あんまり怯まなかったね」
結果は散々だった。
でもまあ、いい。
あの時の爽快感でお釣りがくるってものだ。
「というか、なんで膝枕? あんな長時間……一緒に帰らなかったのか?」
「うん。道場の医務室は貸せないって言われて。
寝れる場所が、僕の膝くらいしかなかったんだよ」
どこまでも差別が行き届いてるんだな。
この異世界は中世よりで、弱肉強食が顕著だ。
不出来な者への対応も、すこぶる悪いらしい。
「気持ちよく眠れてたね。そんなによかった? 僕の膝」
「……さあ」
普通に、申し訳なさが勝ったよ。
医務室くらい貸してくれたっていいだろ。
ディオナだけが俺を気遣って――
「この際聞くけどさ……ディオナってなんなの?」
俺は単刀直入に切り込んだ。
昨日初めて顔を合わし、俺の正体を見た彼女。
おもしろいから、俺のことを黙認すると言ったんだ。
その真意がまるで見えない。
「俺はルシアンじゃない、不審者だ。通報しようとかおもわないのか?」
これはかなり際どい質問だ。
ルシアンと仲がいいわけではなく、数回話した程度。
不審者を発見次第、すみやかに拘束する判断力。
そして不審者を解放したとおもったら、妙に優しくなって笑いかけてくる始末だ。
「俺がディオナの立場だったら、ありえないというか……」
膝枕なんて……するわけないだろ。
魔神や眷属という連中がいる以上、俺にはレイネ以外のすべての人間が疑わしい。
またアルタみたいに、殺されかけるかもしれないんだ。
それに、協力させろってなんだよ。
俺の目的もはぐらかしたままなのに。
この子は、明らかにおかしい。
「何者でもないよ。ただの女の子だよ」
ディオナはなんでもないように答えた。
笑みを絶やさず、階段の歩みも止まらない。
「君の素顔が、すごく疲れてたように見えたから」
ますます意味がわからない。
疲れていた? だからなんだ。
俺はおもわず足を止めてしまった。
「取り押さえたあと、可哀想かなっておもったんだ。理由は世界の救済だし、見逃してもいいかなって」
「……にしては割と全力だったけどな」
腕の骨折れるくらい痛かった。
関節部分をさすってみせると、彼女はまた笑った。
「はは、ごめんごめん。ともかくね、僕は君に敵対しないよ。世界のためにすべきことをして」
ディオナは俺の方を振り返ながら、最後の階段をぴょんと下りた。
「困ったら呼んでくれてもいいよ? 僕けっこう強いからさ」
「誰かに言いふらさなきゃそれでいい。……それがありがたい」
簡潔なお願いだ。
俺も最後の階段を静かに下りた。
この際、彼女を巻き込まないまま帝国を去りたい。
ディオナの言葉の真偽は関係なく。
余計な介入をされる前に、問題を解決する。
なら、急がなきゃいけない。
一刻も早く眷属を見つけないと……!
「おっと、そういえばこの後、用事があるんだった」
「そうなのか?」
「うん、悪いけど僕はここまで。じゃあまた明日ね!」
ディオナはそう告げ、俺が帰るべき道の真反対へと駆けていってしまった。
「ああ……また明日……」
夕日が輝き、熱が体に灯る。
そうしているうちに、彼女の姿は見えなくなった。
ディオナといいレイネといい、もっとおしとやかな子はいないものか。
……帰るか。
俺は来た道を戻るだけだ、東に向かうだけ。
帝国の夜はかなり暗いから、早くいこう。
――――
「くっら〜……こんなに遠かったっけな……」
辺りは影に覆われ、肌寒い風が吹いている。
俺はひとり道を歩いていた。
来た道を戻るというだけで、こんなに距離が長く感じるとは。
人気もないので普通にこわい。
点々とある街頭の明かりだけが頼りだった。
アスタフィアとは、同じようで異なる静かさだな。
「知らない場所で独りはつらいよ〜、レイネさ〜ん……」
現状の味方はレイネだけ。
アイツ、昨日は大丈夫だったのか?
今夜も剣士斬りを張り込みするのだろうか。
暗闇を意識しちゃダメだ。
他のことを考えよう。
意識せずとも、進む足は速くなる。
「ん?」
違和感がした。
急いでいた俺の足は止まった。
理由はわからないが、その場で停止した。
音はしない。
足音、気配、におい、それらは感じないが、
いる。
さっきまで暗闇だけがあったはずの夜道。
そこにひとり、立っていた。
突然現れた。
瞬きひとつしている間に、現れたみたいに。
突拍子もなく、ただひっそりと。
白い仮面だ。
口が裂けるまで笑った顔が、ぬるりと現れた。
手には、一振りの剣。
ぽた。
剣先から、血が糸を引くように落ちた。
ぽた。
その音でようやく俺は、正気になった。
ぽた。
いつからいたんだ?
どこから来たんだ?
心臓がうるさい。
周りの音がないからはっきり聞こえる。
仮面は動かない。
距離にして、あと数歩だ。
一歩も動いていないのに、近い。
目を離せない。
仮面の目が、俺を覗いている。
「――みつけた」
その掠れた声に、背筋が凍りついた。




