20話「歓迎」
「ほんと、わざとじゃないんですよ」
「……」
馬車を無言で走らせるレイネに、俺は申し訳ない気持ちを必死に伝えていた。
まさか水浴びをしていたとは。
棒立ちで凝視し続けたのがいけなかった。
彼女は機嫌を損ね、口を聞いてくれない。
「こ、この通りです。どうかお慈悲を、さっきみた光景は忘れますから!」
「……」
レイネがちらりと、こっちを横目に見てきた。
その圧で俺の肩はビクついてしまう。
こわい。
「無言はその、そろそろ許していただけるとありがたいんですが……」
「……はぁ」
レイネはため息をつく。
不服そうに眉をひそめ、手綱をニギニギさせていた。
「事前に言っていなかった私も悪いわ。だから、今回だけは不問にしてあげる」
寛大なお言葉。
俺は心から感謝して、ホッと力が抜けた。
「まったく、アメハルは配慮が足りないのよ。
帝国に着く前に汚れを落としているんだろうなとか、おもわなかったの?」
「気持ちはわかる。でもそこは、少しくらい我慢してもらって……」
「文句があるの?」
「あるわけないじゃないですか、姉貴の清潔意識パネェっす」
レイネさんの睨みつけが刺さる。
即答することでこの話題から逃げ道を作った。
「それよりもさ、帝国まであとどれくらいだ?」
「もう着いてるわ」
「え、そうなの?」
レイネはさも当然かのように言った。
着いている?
すると、もう帝国の中ってことか?
「帝国の領地はとても広いわ。ここは南東に位置する森で、『餓狼の森』と呼ばれてるらしいの」
「へぇ、博識だな」
まだ帝国のての字も見えていないが、よほど持て余した土地をお持ちのようだ。
「ところで餓狼って?」
「……見たほうが早いみたい」
馬車が急停止した。
レイネが指差して、俺の目線を誘導する。
一本道の奥、その真ん中。
そこには、武装した人形の狼がいた。
たくましい二本の後ろ足で立ち、俺たちの道を阻んでいたのだ。
「ワオオォォオオン――ッ!」
狼が吠えた。
口を狭め、天高く遠吠えを決めた。
「おいおいなんだ!?」
「ブロンズウルフ! 通称『餓狼』の魔物よ!」
レイネは腰の双短剣を引き抜き、馬車を降りた。
俺も彼女に習って馬車から飛び降りる。
もう一度前を見ると、あの狼が消えていた。
この、無数に近づいてくる足音は……!?
「すでに囲まれてる。アメハル、戦うわよ」
この森のざわつきは餓狼たちのものか。
臨戦するしかないらしい。
では、今こそ彼女にお披露目しよう。
「……ご覧あれ。〈偽装〉、剣」
さっき拾った枝を構える。
枝は黒い霧に包まれ、再びアルタの剣になった。
「それは――」
「なんとかこれで頑張るさ、曇雨晴の初陣だ」
見栄を張った意気込みを吐く。
レイネはそれに静かに頷いた。
俺たちは互いに背中合わせで、馬の正面へとゆっくり歩いていく。
周囲は暗い木々と草むらで囲まれている。
この一本道以外は、すべて死角だ。
襲われるなら絶好の位置。
近くの草むらが大きく揺れた。
くるならこい。
返り討ちだ、カウンターで斬り飛ばす。
そう覚悟を決めて、音の方へ目をやると、
「アメハルッ!」
レイネが声を張り上げた。
その時にはもう手遅れだった。
想像していた方角の真反対。
餓狼が俺めがけて飛び出してきている。
ひん剥いた白目。
大きく開かれた口と、無数の牙。
自らの腹を満たす欲。
対応できない。
剣を持ったところで意味がなかった。
いや、それ以前の問題だ。
脳の信号に、体が間に合ってくれない。
やばい。
死ぬ。
「――〈火葬方陣〉」
声が聞こえた。
餓狼の頭上。
なにかが降ってきて、餓狼の頭を貫いた。
「なっ……!?」
俺は思わず腰を抜かしてしまう。
これは……真っ赤な剣?
俺を襲う寸前だったこの餓狼は、血を流し、一瞬にして絶命していた。
「相変わらず、目障りな畜生どもだ」
馬車の後ろからだ。
誰かがこっちに歩いてくる。
レイネは警戒した。
地面に倒れた俺は、その乱入者の姿を見上げる。
明るいホワイトブロンドの少女だった。
ボブヘアで、赤茶色の瞳。
身に纏っているのは……黒い制服?
「はあ、これだからこの森は嫌いなんだ。本番前の練習にもなりやしない」
容姿とかけ離れた言葉遣いだ。
彼女はスタスタと歩いてくる。
呆気に取られた俺たちを無視して、通り過ぎた。
「5、6……7匹。こんなもんか」
獣の唸り声が、四方八方から上がる。
すばやく動き回る餓狼の群れだ。
木から木へと飛び移る者、地を駆け回る者。
彼女が特定した数の餓狼。
そのすべてが、一斉に少女へ飛びかかった。
「燃えろ――〈火葬方陣〉」
パチンと指を鳴らした。
すると、彼女の周りに凄まじい炎が立ち上る。
炎は鋭い剣の形になり、餓狼たちに向けて射出された。
まさに串刺し。
餓狼の牙は目標に届くはなかった。
宙でその体を射抜かれ、堕ちる。
たった1人の少女の手によって、群れは壊滅した。
獣たちの死体の中心。
彼女は特に動くことなく、勝利を収めた。
「……あの服の紋章は、もしかして帝国軍?」
レイネはなにか思い至ったらしい。
帝国軍。俺たちが向かっている国の公務員か?
確かに彼女の格好は軍服みたいだ。
それに、彼女が唱えた合言葉のようなもの。
あれは……俺と同じ契術?
「失礼。旅のお方」
呆けていると、向こうから話しかけられた。
話し方が一定じゃない人だ。
さっきまでとは違う。
彼女は丁寧で落ち着いた対応をとってくる。
「私はフラメア。あなたの言う通り帝国兵です」
フラメアと名乗った少女。
俺は立ち上がって、レイネの側に近寄った。
2人で帝国兵の彼女と向き合う。
「えっと……た――」
「礼には及びません、兵士として当然のことをしたまで」
まだ何も言っていないが。
助けてくれてありがとうと口にしようとしたら、被せる形で遮られた。
フラメアはゴホンと咳払いをする。
「私はただ通りすがっただけです。私にではなく、ご自身の幸運に感謝するといいでしょう」
俺たちに喋らせる暇を与えないようだった。
彼女は身を翻して、道の奥へ歩いていく。
「カルヴェルム帝国へようこそ。
あなたたちが善にしろ悪にしろ、帝国は心より歓迎します。それでは」
フラメアは去った。
惨状を残し、悠然とした足取りで。
暴風だ。
風のように去る、その1段階上。
それを体現したかのようだった。
「なんなんだよ、一体……」
「記憶に残る登場だったわね……」
唖然としてしまったが、彼女のおかげで助かった。
もう一度会う機会があるのなら、今度こそちゃんとお礼を言わなければいけないな。
「とりあえず、いきましょうか。この子にも悪いし」
レイネは馬車を引いていた馬を撫でる。
ヒンと鼻を鳴らす馬。
この状況でよくじっとしてくれたものだ。
茶色のたくましい馬。
お前が普通の馬でいてくれることが、心の拠り所だよ。
帝国に着いたら、にんじんでも買ってやろう。
俺たちは再び馬車に乗る。
フラメアを追いかけるように、帝国へ向かった。




