あの人にそういうのは通用しませんよ
「ねぇ!レクス様を私に譲ってくれません?」
え?他人の婚約者を愛称で呼んだ?
麗らかな陽光が窓から差し込む学園の廊下。授業に使う資料を教師に頼まれて運んでいた私の元へ、突然一人の女生徒が現れた。
彼女は確か、男爵家のナターリア・ブランドルだったか。
表情豊かで可愛らしくて、思わず話しかけてしまいたくなると、同級の令息たちが夢中になっていた覚えがある。
それにしてもいきなり「ねぇ」って…。
私の記憶が正しければ彼女とはこれが初対面だったと思うのだけれど。
「ええと。譲る、とは…?」
困惑した末、私──クロエ・セルヴェールの口から出てきたものはそんな素朴な疑問だった。
本来であれば「男爵令嬢がそのような態度で伯爵令嬢の私に声を掛けるなど!」くらいは言うべきなのかもしれないが、あまりに突然で他に何も出てこなかったのである。
一方ピンクゴールドの珍しい髪色をしたナターリアさんはそんな私の返答がお気に召さなかったのか、可愛らしい顔に不機嫌さを滲ませてぷうと頰を膨らませてみせた。
「んもぅ!伯爵令嬢なのに察しが悪いんですね?私のために身を引いてくださいって言ってるんです」
「だから…。それは何故、と聞いているのだけれど……」
当たり前のことのように言われ、何故かこちらが間違っているのかと不安になってしまう。
もう一度言うけれど、私たち初対面よね?
「私って、可愛いじゃないですか」
「そう、ね…?」
「だから婚約話もいっぱい来ちゃって。みんな素敵な人ばかりだったけど、でもやっぱり婚約者は自分で決めたいっていうか。そうしたらお父様が自分で探して来なさいって言ってくれたんです」
……それ見放されていない?
というか、ここ最近やたらと学園で起きていた婚約破棄騒動に彼女の名前がよく挙がっていたのはそういうことだったのね。
婚約者のいない男子生徒の中から婚約者候補を探せば良かったものを、恐らくナターリアさんの眼中には見目の麗しさと爵位の高さしかなかったのだろう。
私以外のご令嬢にも「私のために譲ってくれない?」などと言って煽ったのではなかろうか。
結果、他家の婚約を駄目にした。
まったく傍迷惑にも程がある…まあ、それでまんまと彼女に目移りした令息たちも令息たちなのだけれど。
「やっと理想の人を見つけたんです!だから、ね?私に譲って?レクス様も私の方が可愛いって言ってくれると思うし」
(すごい自信ね…)
確かに、その自信に説得力を感じてしまうほどには彼女は可愛い。
今、私に向けるその姿でさえ表情や視線の向け方、首の傾げ方に愛らしさが溢れている。
令息たちの目にはさぞや魅力的に映ることだろう。
だが───…
「…残念だけれど。彼にそういうのは通用しないと思うわよ?」
私の婚約者──辺境伯の息子であるレクスフォード・ラナン様はあなたには決して靡かない。
そう受け取ってしまったのか、ナターリアさんは先ほどの頬を膨らませる仕草とは打って変わって「はあ?」と低い声を発し顔を顰めてみせた。
私も言ってから「あ…」と思ったが、今さら口を閉じたところで遅い。
いけない、そういうつもりで言ったわけではないのに。
「ふぅん…クロエ様ってとっても自分に自信があるんですね?やっぱり伯爵令嬢だからプライドも高いんですか?」
「いえ、そういう話ではなくて」
「じゃあ早く私に譲ってくださいよ。可愛くて魅力的な私の方がレクス様に相応しいって認めてくれますよね?」
だから、譲る譲らない以前に彼に期待するのは無理だと言いたかったのだが。
もしかして彼女はレクス様のことを遠目でしか見たことがないのだろうか。
言葉を交わしたわけではなく、あの凛々しくも美しい顔を見て、辺境伯の息子で剣の腕もあると知って、ただそれだけで彼が欲しい──と。
だとすれば、安易に譲って欲しいと求めるのもわからないでもない。
そんなことを考えていれば「譲ってくれないんだ」と責めるような、しかしどこか嘲笑うような口調でナターリアさんは言った。
「知ってます?今までの彼らみんな、なんで婚約者じゃなくて私を選んだのか」
「……さあ、聞かせて欲しいわ」
「んふ。こうするんです」
そう言うと彼女はいきなり自分から廊下に尻もちをついた。
「きゃあ!!」
ナターリアさんは舞台女優もかくやというような悲鳴を上げると、続けてはらはらと大粒の涙を頰に流し始めた。
その様はいたいけで、儚げで、直前の彼女の態度を知っている私でさえ思わず駆け寄りたくなるほどの庇護欲を覚える。
しかしそんな感情も一瞬のこと。
悲鳴がどこかで聞こえたのだろう、廊下の向こうからバタバタと一人の男子生徒が駆け寄って来た。
制服のタイの色からしてひとつ先輩のようだ。彼は私と、廊下に座り込んだナターリアさんを交互に見てから、廊下に膝をついて心配そうな声で彼女の方に話しかけた。
「どうしたんだ?」
「い、いえ…。何でも、…っ何でもないんです、ごめんなさい…っ」
ナターリアさんが言葉を詰まらせながら小さく首を振る。
先輩である彼は状況を説明して欲しいのか、膝をついたまま私の方に視線を向けた。
その視線はどことなく冷たい。
「そこの君。これは一体……」
「ほ、本当に何でもないんです!私が悪かったんです…ひっく、ぐす…」
「ああ、落ち着いて。そんなに泣いて可哀想に。立てるかい?」
しくしくと泣く彼女の背を支える先輩はまるで姫を守る騎士のようだった。
私も私で何とか説明をしようとしたが、ナターリアさんがそれを遮るように「私がいけないんです!私がクロエ様の気に障るようなことをしてしまったから…っ」と言って泣くものだから、結局会話にすらならなかった。
そしてそんな様子を見て彼は私の方に非があると感じたらしい。
流石に「君が何かしたんだろう!」と糾弾されたりはしなかったが、私を見つめるその目には随分と刺々しさが増していた。
「彼女は俺が保健室に連れて行こう。失礼する」
「え、ええ…」
令息にしなだれかかりながら、ナターリアさんが私に向かってにやりと笑った。
なるほど、こうやってその場に居合わせた令息たちの令嬢への印象を操作していくのね…。
彼女のような愛らしい令嬢が泣いていたら、周りの人間は当然「どうしたんだろう」と心配をする。それも廊下に尻もちをついていたり、怯えた様子でいたのならば尚のこと。
今回も自分より爵位の上の令嬢から婚約者を奪えると、ナターリアさんは確信して内心で大笑いしていることだろう。
普通は、彼女のような『か弱い女性の涙』に男性は弱いものだから。
「…まあ。彼に普通の人と同じ感性があれば、だけどね……」
そう呟いて、私は一人になった廊下で静かにため息を吐いた。
◇
それからのナターリアさんはというと。何というか、とても行動力に溢れていた。
私がいかに彼女を害しているかせっせと噂を流しては、実際に虐められているかのような状態を自作自演する。
レクス様にも会いに行ったりしていたようだけれど、何度教室に行っても会うことができなかったからか諦めて噂流しに精を出していた。
時には私がいるところに突撃してわざと傷を作ったりして、レクス様のためにそこまで身体を張るとは…と思わず感心してしまったほどだ。
とは言え、そろそろ本気で大怪我をするのではないかと心配になってきたりもしている。
こちらから彼女に接触するとこれ幸いと騒ぎ出してしまうので、本音を言えば今後も静観していたい。しかしその結果、勝手に大怪我をされてもそれはそれで困るというもので───…
「クロエ」
どうしたものかと中庭のベンチで頭を悩ませていた私の耳に、ふと心地のいい低音が届く。
久しぶりに聞くその声に顔を上げれば、やはりそこには思い描いた通りの彼がいた。
「レクス様」
無造作に短く切った漆黒の髪。凛々しさを強調させるやや太い眉に、スッと通った鼻筋と形のいい唇。鋭く輝く紅い瞳には妙な色気と美しさがある。
そのどれもが辺境の地で荒々しく生きる彼にはよく似合っていて…そう、端的に言ってしまえば。
(お顔の造りが宜しいのよね)
「どうした?」
この顔だけを見たならば、譲って欲しいと強請ったナターリアさんの気持ちもわかる。
そんなことを思いながら口には出さず、私はにこりと笑みを返した。
「いえ、お戻りになっていたのね」
「予定より三日は早く片が付いたからな」
「それは良かったわ」
レクス様はお父上であるラナン辺境伯に呼び出され、十日ほど学園を休む形で領地に戻っていた。
と言うのも、凶暴化した魔獣から辺境の砦を護るための防衛戦に彼も一兵士として参加するからである。
ちょうど私がナターリアさんに「レクス様を譲ってくれません?」と言われていた時には領地に戻っていたタイミングだったから、彼女はレクス様に会いたくても会えなかったというわけだ。
「怪我はなかったかしら?」
「ああ。久しぶりに親父と暴れていい運動になった」
いい運動って…相変わらずね。
慣れた戦場であっても常に死の危険はあると言うのに、彼はいつもこうなのだ。
これが私を安心させるための冗談であればいいが、本気でそう思っているのだから私は苦笑いするしかない。
と、レクス様との久しぶりの会話を楽しんでいれば。
すっかり聞き馴染んだ大声がどこからともなく私たちの間に割り込んできた。
「レクス様ぁ!」
「ん?」
声のした方に目を向ければ、こちらに向かって近付いてくるピンクゴールドの髪が見える。
ナターリアさんは校舎へと続く渡り廊下から物凄い勢いで私たちのいるベンチまでやって来ると、そのままレクス様に体当たりするかの如く倒れ込んだ。
「…ッ、レクス様!」
私は咄嗟にレクス様の名前を呼んだ。
足元の小石に躓いたナターリアさんが、うっかりを装ってレクス様に抱きつこうとしているのだと気付いてしまったからだ。
それと同時に数日前の廊下での出来事が脳裏に過ぎった。
涙を流すナターリアさんの可憐な姿。
そんな彼女を心配し、寄り添う先輩。
何を言おうとしても『か弱い女性の涙』には勝てなかった私。
あの時の記憶が、今の光景に重なる。
まるで舞台のワンシーンを見ているかのようにゆっくりと時が流れていく。
ほんの一瞬だった筈なのにナターリアさんの勝ち誇った顔が鮮明に見える。
レクス様がナターリアさんの方へ手を差し出すのがわかる。
駄目──そう思うのに動き出した彼らは止まらなくて。
(お願い、やめて…!)
そう心で叫んでも、私の祈りは届かなかった。
───ガシッ、と。
レクス様が倒れ込んできたナターリアさんの顔面を無骨な手で躊躇なく鷲掴んだ。
それを見て私は「ああ…」と顔を覆う。
か弱い令嬢にそんなことをしては駄目ですからね!?とレクス様に釘を刺したつもりだったが一歩遅かった。
中庭にはちらほらと生徒の姿が見えるのだが、ナターリアさんが大声でレクス様の名を叫びながら駆け込んできたこともあってか周囲の注目が凄い。
そして当のナターリアさんはギチギチと中々の握力でレクス様に顔面を掴まれたまま。あまりのことに状況を理解できていないのか、頭上に疑問符を飛ばして固まっていた。
それはそうよね。
普通に生きていたら男の人からこんな仕打ちをされることなんてないもの。
「クロエの知り合いか?」
「ええ、まあ……知り合いと言えば知り合いね」
私がそう言ったからか、レクス様の掌の圧が和らぐ。
ナターリアさんから手を離すと彼は自身の制服でゴシゴシと汚れを落とすように掌を拭った。
…そういうのは彼女に失礼だから一旦やめましょうか。
「…っ酷いですクロエ様!」
レクス様の掌から解放されたナターリアさんは暫く呆けていたようだったが、自分の目的を思い出したらしい。ハッとなってそう叫ぶとその場に崩れ落ちた。
ワッと顔を覆い泣く彼女に「え、私のせい?」と一瞬思ったが……確かに、考えようによっては私のせいであるとも言える。
何せ顔面を鷲掴むという恥をかかせたのは私の婚約者だ。
あれは私がもう少し早くナターリアさんの意図に気付き、レクス様に常識ある『女性への手の差し伸べ方』を教えてあげるべきだった。
「やっぱりクロエ様は私が気に入らないんですね…!だからずっとあんな酷いことを…、ぐすっ」
「そうなのか?」
「いえ、私は…」
「ああっごめんなさい!決してクロエ様を不快にさせるつもりはなかったのに…!私のせい、ですよね…っ」
どうしよう、また始まってしまった。
こうなるとまともに会話ができないのでとりあえずナターリアさん主演の舞台が終わるのを待つしかない。
彼女も彼女でレクス様に会えたまたとない機会だと思ったのか、迫真の泣き演技でこれまでの血の滲む自作自演──もとい、私が行ったらしい数々の虐めの内容を語り出した。
「聞いてくださいレクス様…。私の何がいけなかったのか、クロエ様はいつも私を目障りだと言っていて…。廊下をすれ違う時に睨みつけられたこともありましたし、わざとぶつかられたこともありました…!教科書を隠されたり制服の裾を破られたことも一度や二度じゃありません…。この間なんて、私が花壇に水やりをしていたらクロエ様が上から花瓶を放り投げてきて……。今日、私を階段から突き落としたのもクロエ様だったんですよね…?酷いです…私はただクロエ様と仲良くなりたかっただけだったのに…。でもきっと…グスッ、私のこういうところが…クロエ様には鬱陶しかったんですよね…。ぅ、ひっく……っごめんなさい、私がクロエ様に不快な思いをさせてしまうような人間だったばっかりに…ぐすッ…」
すごい。この長台詞を噛まずに、それも感情を乗せながら訴えるなんて。
しかもちらりと制服のスカートを引っ張って、膝に擦りむき傷をこさえているのだとアピールすることも忘れない。
ナターリアさんは饒舌に語る間も器用に涙を流し周囲を味方につけていた。
少し離れたところで様子を窺っていた生徒たちからも「可哀想に…」という声が聞こえているから、同情を買うことに見事成功していると言っていい。
彼女自身も手応えを感じているのか、悲しげに目を伏せながらも口元が薄らと笑みを浮かべそうになっていた。
こうして悲しげにしていればやがて「怖かったな」と声を掛けてくれる。
肩を抱いて慰めてくれる。
同情は庇護欲になり、そして愛情に変わっていくのだ。
いつだってそう。だから今回も。
そう、彼女は確信していた。
…が、何故かナターリアさんの一人舞台が終わってもその場には彼女のすんすんという鼻を啜る音しか聞こえない。
「えっと…」
「何だ?」
顔を上げたナターリアさんが困惑気味にレクス様を見つめた。
不思議そうに首を傾げているレクス様は恐らくナターリアさんの視線の意味にも、何なら何故彼女が泣いているのかさえもわかっていない。
「だから、その…私、怖くて…」
「教師に相談すればいいんじゃないか?相談先を間違えていると思うんだが」
「え?い、いえ先生方にご相談するほどでは…」
「なら赤の他人の俺にする話でもないぞ」
「それは…その、えっと…」
思っても見なかったレクス様の反応にナターリアさんがうろうろと視線を彷徨わせる。
…そう、彼に感情的な泣き脅しは通用しない。
彼が冷酷な人であったり女性嫌いというのならこの厳しい態度にも納得がいっただろう。
だが、悲しいかな彼の場合は───…
(デリカシーが、ないだけなのよね…)
私は婚約者なのでもうすっかり慣れてしまったが、彼はこの美しくも凛々しい完璧な顔立ちでありながら乙女心…というか他者を慮る能力に欠けている。
空気を読んでいないとも言うが、それが敢えてではなく無意識なのだからタチが悪い。
「…ッ、私クロエ様を不快にしてしまったみたいなので!不安で!だから婚約者であるレクス様に相談をしたくて!!」
先ほどまですっかり困惑していたナターリアさんだったが、どうやらレクス様が自分を慰めないのは私のせいだと思うことにしたらしい。
涙こそ溢れさせてはいるが、髪を振り乱し必死に訴える様は今までと違いあまり可憐に見えなかった。
「不快にしたという原因がわかっているなら、その部分を早急に改めてクロエに謝罪した方がいいな」
「は!?しゃ、謝罪?なんで私が!?」
「クロエを不快にした自覚があるんだろ?」
「で、でも私クロエ様に階段から突き落とされたんです!死ぬかもしれなかったんですよ!?怖かったんです、だから!」
今度はあなたが私を慰める番でしょ!?と言いたげなナターリアさんに、レクス様がぱちりと瞬く。
「そうなのか」
「そ、そうなのか…?」
…わかる、わかるわ。
それがどうかしたのか?と言いたげにきょとんとした顔で頷かれるとこちらがおかしいのかと錯覚するわよね。
私も経験があるもの。まあ、私の場合はもっと違う状況だったけれど…。
「クロエがそうしたということは、クロエにとって敵だったということだろ?だったら屠られても仕方がない」
「は…な、何のはなし…?ていうか仕方ないってなに…」
(本当にね……)
きっとナターリアさんは、自称とはいえ被害者である自分が「仕方ない」で済まされるとは思いもしなかっただろう。
レクス様は辺境の地で幼い頃から魔獣と対峙してきた。そのせいか物事の基準というか、考え方が野生的なのだ。
先ほどの涙ながらのナターリアさんの訴えを聞いたレクス様は、どうやら私がした彼女への虐めを『魔獣に対する敵意』と同等と捉えたらしい。
というか私は別に彼女を階段から突き落としたりや花瓶を投げ落としたりなんてしないのだけれど…もしやレクス様は私が本気で彼女を屠ろうとしていたのだと思っている?
「い、意味わかんない…だってほら、私はこうしてクロエ様のせいで怪我をして…」
「怪我だったのか?それ」
「怪我でしょ!ちょっと何なの!?いいから早く私を心配して慰めなさいよ!」
「そうか。大丈夫だ、その程度の傷で人間が死ぬことはないから安心しろ」
これでレクス様は至って真面目に慰めてるのだから驚きである。
まあ確かに、彼女の怪我は自分でわざと転倒したりした際に作った肘や膝の擦り剥きだから、どんなに頑張っても死にはしないことは事実なのだけれども。
そういうことじゃないのよ…とナターリアさんに同情してしまう。
「もういいか?折角の休み時間が勿体無いからそろそろ解放して欲しいんだが」
「ひ、ひどいわ…!」
いや本当に、これは酷い。
ナターリアさんは怒りと羞恥でぶるぶる震えながら顔を真っ赤にさせると、堪らず中庭から駆け出して行った。
ドタドタという淑女らしからぬ彼女の足音が消えると共に、その場がしん…と静まり返る。
「…お、おいレクス。追いかけなくていいのか?泣いてたぞ、可哀想に…」
「え?」
近くで様子を窺っていたらしい、レクス様の同級がそろそろと窺うように問いかけてくる。
「何で今まで話したこともない、名前すら知らない女を俺が追いかけなくちゃならないんだ?」
「それは…まあ、そうなんだけど…」
言い方よ。
分かってはいたけれど。
やはりこの人に悲劇のお姫様を助けてくれる王子様の役割を期待しては駄目なのだ。
「でもあんなに可愛い子が泣いてるんだからせめて慰めて…」
「? 可愛い?」
「いや、だから…」
「ああ、そうか。そうだな」
そう言うとレクス様は何故か私の方に振り向いて、男らしくも綺麗に笑った。
「クロエは可愛いよな」
今しがた一人の令嬢の顔面を鷲掴み、渾身の乙女の涙をガン無視し、頓珍漢な慰め方をして追い返したとは思えない見惚れるほどの笑顔で「そうだよな?」と言いたげに私の方を見る。
なぜ、そこで私に同意を求める。こっちに聞かないでちょうだい。
レクス様にはデリカシーがない。
乙女心や他者の機微に疎ければ、空気もあまり読んでいない。
考え方は野生的で常人には伝わり辛いし、割と根性とか気合いで解決させようとする。
そのくせ妙に真面目で、素直で、純粋で。
本当に、タチの悪い婚約者だ。
そう内心で頭を抱えた私の頬が赤く見えてしまったのは、きっと頭上から降り注ぐ強い日差しのせいだろう。
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