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赤い糸を夢見た  作者: 咲間十重
第7章 今日の佳き日に

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第87話 運命に答える


 わかっていても、ロルブルーミアの結論は一つだった。


「わたくしは、わたくしのこれまでを心から誇りに思っています。わたくしは、魔族の王たる魔王の娘。この誇りは誰にも奪わせはしない」


 真っ直ぐリファイアードを見つめて、凛として告げる。


 これは馬鹿な選択で、とうてい賢いとは言えない答えだ。わかっていても、ロルブルーミアの心すでに決まっていた。


 リファイアードが自分のために言ってくれたことも、家族ならきっと何を捨てても生きろと言うことも。充分すぎるほどわかっていても、それでも、決して捨てられないものがあった。


 ロルブルーミアは、今まで歩いてきた自分の道のりを一つだって後悔していない。

 辛いことや苦しいことは数多くあった。決して裕福な暮らしではなかったし、魔王城へ迎え入れられてからも、何もかもが薔薇色だったわけではない。

 さらに、母親を亡くしたあの夜の記憶は、いつまで経ってもロルブルーミア捕らえている。何もかもが順風満帆では決してなかった。


 それでも、ロルブルーミアは今まで生きてきた道のりを、歩いてきた全てを、出会った何もかもを抱きしめて大事にしたかった。

 だから、名前を捨てることは絶対に選ばないと決めてしまった。


 どうしようもなく大事なものなら知っている。

 世界そのものだった。魔族の娘として、魔王の娘として生きたことは、ロルブルーミアにとっての揺るぎない誇りで、生きていく意味だった。

 名前を捨てるとは、魔王の娘である自分を否定するのと同義語だ。だから、そんなことはしたくなかった。たとえどれだけ馬鹿な選択だとしても、大事なものを捨てなくてはならないなら、決して選ばない。


 何よりも一番大切にしたいものなんて、とっくの昔に決まっている。

 世界そのものだった。生きている意味だった。ここに存在する理由だった。それを捨てなくてはならないなら、答えなんて一つだけだった。


「わたくしは、ロルブルーミア・ヴィエム・リッシュグリーデンド。リッシュグリーデンドの第九皇女として、全ての責を受けましょう」


 魔王の娘として、ロルブルーミアは胸を張ってリファイアードに答える。


 それは、オーレオンの人間としての保護を拒否することを意味する。

 受け取ったリファイアードは、いっそう強い動揺を浮かべた。しかし、真っ直ぐ向けられる視線に、凛とした言葉に、理解するしかなかった。思い出した、といった方が近いのかもしれない。


 リファイアードはずっと知っていた。ロルブルーミアの大事なもの、愛するもの。世界で一番大事にしたいもの、絶対に捨てられないもの。

 今まで歩いてきた道のりを、魔王の娘として生きてきたことを、否定する選択なんて選ぶはずがなかったのだ。だってそれをなくしたら、自分が自分でなくなってしまうのに。


「――すみません」


 同じものを知っている相手だ。だから、誰よりもその気持ちがわかるはずだったのに。見当違いのことを言ってしまった、とリファイアードは申し訳なさそうにつぶやいた。

 ロルブルーミアは「いいえ」と首を振る。


「リファイアードさまのことですもの。わたくしのことを考えてくれたのは、わかっていますわ」


 ふわりと笑みを浮かべて、ロルブルーミアは答えた。

 血だらけの姿で、剣を向けられた状況で浮かべるには、似つかわしくはないほどやわらかく、透き通った微笑だった。

 それを見つめるリファイアードに向けて、ロルブルーミアははやさしく言った。


「もういいんですのよ。わたくしは、リファイアードさまの重荷になりたくないんですの」


 リファイアードの提案が嬉しかった、とロルブルーミアは言う。自分のためを思って、リファイアードが信念を曲げてまで、ロルブルーミアを助けようとしてくれた。その事実が本当に嬉しかったのだと言って感謝を伝えてから、言葉を継ぐ。


「わかっているでしょう? たとえどんな理由をつけたとしても、わたくしを助けることは、国王陛下の命に背くことだと」


 必死で抜け道を考えて提示した選択肢。しかし、それは言葉遊びの一種にすぎない。

 国王陛下の命令は、リファイアードの婚約者として嫁いできた皇女の処刑であり、今ここにいるロルブルーミアを殺すことだ。リファイアードの妻だから皇女ではない、なんて屁理屈でしかない。

 魔王の娘として生きてきた人間の皇女を、ロルブルーミアの命を奪うことが下された命令だ。


 だから、リファイアードがロルブルーミアを守ることは、命を助けることは、国王陛下の命令に背くことに他ならない。

 万が一上手く理屈をつけて、ロルブルーミアを生き長らえさせることができたとしても。ロルブルーミアが生きている限り、リファイアードは国王の命令に背いた事実を、日々思い知らされ続けるしかない。


「――ねえ、リファイアードさまはそれに耐えられますか」


 やさしくロルブルーミアは問いかける。

 今まで一度だって、リファイアードは国王陛下の言葉をたがえたことはない。全ての願いを叶えて、命令を果たしてきた。国王の言葉に背くことは裏切りでしかなかった。


 だから今、ロルブルーミアの命を助けることは。国王陛下の命令に背くことは。たとえどんな理由をつけたところで、裏切りに他ならなかった。


「わたくしは、リファイアードさまの重荷になりたくないんですの」


 リファイアードが必死で奔走すれば、もしかしたらロルブルーミアを助けることはできるかもしれない。

 しかし、その瞬間からリファイアードは裏切り者になるのだ。

 他の誰もそう言わなくても、他でもないリファイアードがリファイアードであるからこそ、誰より強く理解してしまう。


 いつかきっと、その事実はリファイアードの重荷になるだろう。

 生きているロルブルーミアを前にするたび、国王陛下の命に背いたことを思い知る。世界の全てのはずだった。生きている意味を、今ここにいる理由を、自分自身が否定した事実を突きつけられる。


 果たしてそれに、リファイアードが耐えられるのか、とロルブルーミアは言うのだ。


 未来のことは誰にもわからない。しかし、ロルブルーミアはほとんど正しく予想していた。同じものを知っているからこそ、わかっていた。

 いつかきっと、ロルブルーミアの存在が重荷になる。決して裏切れない存在を知っていた。それなのに裏切ってしまったら、自分は自分でいられない。


 ロルブルーミアを助けた未来で、リファイアードは苦しんでのたうちまわって、ぼろぼろに悩んで心をすり切らしてしまうだろう。

 自分で自分であることの意味を失って、自分自身を責め立てて、己の存在を否定するだろう。


 尊敬するべき人間への背反に、世界そのものだった人への裏切りに、全てを捧げるはずだった相手への不義に、身を焼かれるように苦しんで、血反吐を吐く思いをするだろう。


 リファイアードにとっての国王――父親の存在の大きさを知っているからこそ。ロルブルーミアはほとんど確信している。

 だからこそ、決してその道を選びたくなかった。

 自分のせいでリファイアードを傷つけたくなかった。だってロルブルーミアは、リファイアードを守りたいのだ。その気持ちを、揺るぎなく知っているのだ。

 守りたいと願った自分が、いつかリファイアードの傷になるのなら、すべきことはもう決まってしまった。


「ねえ、リファイアードさま。わたくしはわたくしの信念を貫きます。だから、リファイアードさまも好きにしていいんですよ」


 ゆらゆら揺れるまなざしでロルブルーミアを見つめるリファイアードへ、そっと声を掛ける。


 家族の顔が浮かんだ。父親の言葉がよみがえる。きっとこれは自分勝手な結論だとわかっていた。

 リリゼやエマジア、アルファレケスだって、同じことを言う。考え直せと、もっと別の答えを出すようにと、やさしいからこそ告げるだろう。自分の命を守る選択をしろと、大事に思うから言ってくれるとわかっていた。

 だけれど、もう、ロルブルーミアは決めてしまった。「好きなように生きろ」という父親の言葉を握りしめて、ロルブルーミアは決意している。

 国のための結論ではなく、誰かのための答えではなく。ただ、自分自身の心に従ったたった一つの決意だ。


 凛としたまなざしで、やさしい笑みを浮かべたロルブルーミアを、リファイアードは見つめ返す。

 心からの言葉であると、もう決して覆らない決意であると、そのまなざしからリファイアードは理解するしかない。


 ロルブルーミアはもう決めてしまったのだと。自分の信念を、なすべきことを思い定めた。

 だからそれなら、とリファイアードは自分に問うしかない。それなら、俺は。俺の信念、なすべきこと、したいことは。


 しかし、考え込むような猶予はなかった。しびれを切らしたのか、周囲からは怒号のような声が上がる。

 国王の命令はリファイアードに下された。それを待つために黙っていたものの、一向に動く気配がないからだろう。


「血まみれ皇女を捕らえろ!」

「リッシュグリーデンドの皇女を処刑しろ!」

「殺せ!」

「リッシュグリーデンドは敵だ!」


 貴族たちが吠え立て、衛兵が距離を詰める。王族たちは剣を構え直し、ロルブルーミアへ向ける瞬間を待っている。リファイアードが動かなければ、代わりに彼らが襲いかかってくるに違いない。

 敵意と悪意が膨れ上がっていくことを、二人は肌で感じ取っていた。


 怒号が響いて、神聖なはずの教会と純白の花嫁は血に濡れている。魔族は倒れ、魔王は絶命している。同盟は破棄され、二人は今や敵対国の皇女と王子だった。


 ついこの前までの出来事が、遠くなっていく。まるで全てが夢だったようだ。

 舞踏会の日、二人語り合った。二国間の懸け橋になろうと、これからの未来を思い描いた。

 きらきらと、何もかもがまばゆく場所で二人ワルツを踊った。手を取り合って、心と体をぴたりと寄り添わせて。お互いの気持ちを余すところなく受け取って、軽やかに踊った。

 執務室を訪れて、二人でお茶の時間を楽しんだ。ささやかで、何でもない日々さえも宝物のようにしていける。どんな言葉もなく、ただ確信していた。


 そんな日々は、もう全てが遠かった。何もかもは終わりを迎えて、これから訪れる結末はたった一つだけ。進むべき道は、辿り着く終着点はもう決まってしまった。


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