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赤い糸を夢見た  作者: 咲間十重
第7章 今日の佳き日に

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第86話 最後の願い


 ロルブルーミアの前に、リファイアードは立ち尽くす。顔に張り付くのは明らかな混乱であり、恐慌を来たす寸前のようだった。

 今までロルブルーミアは、リファイアードのこんな顔を見たことはなかった。

 基本的には無愛想でも、作り笑いができるからということもある。だけれど、それだけではない。

 慈しむまなざしを浮かべているところ、陽だまりのように笑うところ。子供みたいな顔も苦しそうな顔も知っているけれど、こんな風にほとばしる悲鳴をどうにか抑えようとしている顔なんて、知らなかった。


 不思議な気持ちで見つめる間も、リファイアードは動かない。ただ、揺れるまなざしをロルブルーミアへ注ぐだけだ。

 動かない父親にすがって、倒れる魔族たちに呼びかけていたロルブルーミアに、周りの声は届かなかった。

 だから、何が起きているのか把握はしていない。しかし、リファイアードの様子から、尋常ならざることが起きているのは察していた。


 こんな風に、リファイアードが恐慌を来たすような。何もかもが絶望に覆われたような顔をするなんて、よほどのことだ。


 ぼんやりとその顔を見つめている間も、リファイアードは動かない。ただじっと立ち尽くして、ロルブルーミアへ視線を向けるだけだ。

 まるで物言わぬ人形になってしまったような、世界が止まってしまったような。そんな時間が流れる。


 しかし、周囲がそれを許すはずがない。剣を構えて、いつでも一歩踏み出す準備はできている。一触即発の状態で、動きのない時間は長く続かなかった。


「リファイアード殿下、国王陛下の命をたがえるつもりですか。婚約者を処刑できないなら、代わりに首をねてさしあげよう!」


 朗々とした声が響いて、リファイアードが体をこわばらせた。声の主はシャンヴレットで、意気揚々とした笑みを浮かべて、力強く告げる。

 その言葉に、ロルブルーミアは内心で息を吐く。何が起きたのかわからなかった。しかし、その言葉で全てを理解するには充分だった。


 恐らくオーレオンは、この状況を隠蔽することにしたのだと察する。

 全てをなかったことにするつもりなのか、事実を歪曲するのか。どちらなのかはわからない。ただ、どちらにせよリッシュグリーデンドが邪魔者であることは間違いない。

 よけいなことを口にする恐れがあるのだ。オーレオンに与するはずもない、リッシュグリーデンドに連なる存在は始末してしまわなければならない。


 魔王や魔族はすでに倒れて、残りはロルブルーミアただ一人。

 魔族の国の皇女さえ処分してしまえば、全ては闇に葬ることができる。最後の生き残りであるロルブルーミアを始末すれば、それで何もかもが丸く収まる。


 その命を受けたのがリファイアードだったのだと、ロルブルーミアは理解する。

 どうしてなのか。オーレオン国王は、息子の性格をよくわかっている。一度心を分かち合ったのなら。大切なのだと理解したのなら。己の全てを賭けて、何をなげうってでも守ろうとするだろう。

 だからこそ、リファイアードに命じることで再度忠誠を試したのだ。

 オーレオンたる国王陛下に従うのかと。婚約者として、一度近づいた相手を切り捨て、国王の命令を遂行するのかと。


 己への絶対的な忠誠を知っているからこそ、再度それを試すことで、強固な意志を揺るぎなくさせる目的だろう。

 婚約者ではなく、ただオーレオンのために生きるのだと、リファイアード自身に再度理解させる必要があると判断したのだ。


 だからこんなに、まるで今にも叫び出しそうな顔をしているんだわ、とロルブルーミアは思う。

 すっかり青ざめて、どんな余裕も感じられない。怒りすら存在せず、怯えに似たものを漂わせている。


「――……ロルブルーミア姫」


 かすれた声でつぶやいて、リファイアードはふらりと足を進めた。ロルブルーミアの目の前までやって来ると、そっとひざまずく。

 赤い瞳がゆらゆらと揺れていた。憎しみは一つもなかった。

 今や同盟は破棄されて、友好関係は解消された。リッシュグリーデンドはオーレオンの敵対国へ逆戻りしている。

 オーレオンの王子たるリファイアードにとって、もはやロルブルーミアは敵国の皇女だ。しかし、その瞳に敵意は一つもない。ただ、混乱して揺らめいている。


 本心からロルブルーミアを敵国の人間だと思っていないことは、今までの態度からも明白だ。

 しかし、頑として反対を口にすることができない。当然だ。リファイアードにとっての、国王陛下という存在の大きさならロルブルーミアとてよく知っている。


 世界そのものだった。

 死ぬはずだったリファイアードに居場所を与えて、降るように愛情をそそいだ。名前をつけて、何度も呼んだ。

 傍にいられる時間は短くとも、ありったけの気持ちを込めてリファイアードと過ごした。


 父親の望みを叶えるのが、リファイアードにとっての生きる理由だった。

 父親の命令なら、どんなことでも果たすのだ。どれだけ無謀と言われようとも、どれだけの無理難題だとしても、あらゆる全てを差し出して、父親の願いを実行してきた。


 それがリファイアードの生きる理由で、この場所に存在する意味だった。

 だから、リファイアードは国王陛下の――父親の命令に背くことなど、とうていできない。

 それはリファイアードそのものを否定することで、根幹から全てを覆す行為で、世界が壊れることに等しいのだから。


 リファイアードは、泣き出しそうな表情で口を開いた。かすれた声で名前を呼ぶと、ひしゃげた声で先を続けた。


「お願いです。どうか――どうか名前を捨ててください」


 懇願の響きで、あえぐようにリファイアードは言う。ゆらゆら揺れるまなざしで、ロルブルーミアを真っ直ぐ見つめて。


「父上は、リッシュグリーデンド皇女の処刑を命じた。だから、まだ宝冠は戴いていなくとも、俺の妻を名乗ってほしい。そうすれば、あなたをオーレオンの人間として保護できる」


 絞り出すように告げられた言葉は、リファイアードが必死で考えて出した答えだ。

 国王陛下の命令に背くことはできない。それでも、ロルブルーミアを手に掛けたくない。だからこそ、どうにか助かる道を見つけようとしている。


 あくまでも国王の命令は「リッシュグリーデンド皇女」の処刑だ。 オーレオンの王子であるリファイアードの妻となれば、リッシュグリーデンドの名前を捨てれば、ロルブルーミアはオーレオンの一員となる。

 そうすれば、国王が命じた「リッシュグリーデンドの皇女」は存在しない。処刑する必要はない。ロルブルーミアは、リッシュグリーデンドの人間ではなくオーレオンの人間なのだから。


 これはただの言葉遊びで、屁理屈でしかないことはわかっているだろう。しかし、万に一つの可能性に賭けるしかないとリファイアードは考えたのだ。ロルブルーミアを助けるために、処刑される未来を変えるために。


 リファイアードの言葉を受け取ったロルブルーミアの唇に、自然と笑みが浮かんだ。わたくしはまだ笑えるのね、と他人事のように思いながらも、胸に湧き上がる感情は確かだった。


 必死でロルブルーミアを助けようとしてくれるリファイアード。

 助かる道なんて、ほとんどないに等しくても、ロルブルーミアのことを考えて、どうにか道を見つけ出そうとしてくれる。

 助けたいと、心から思っているのだと疑いなく信じられた。リファイアードのやさしさなら、今まで過ごした時間が確かに告げている。


(ああ、なんてやさしい、わたくしの旦那さま)


 心から、ロルブルーミアは思った。やわらかな気持ちで、何の裏表もなく素直にそう思った。

 リファイアードの忠誠心ならよく知っている。オーレオン国王の命令を忠実に遂行することを、一つだって疑っていなかった。

 そんなリファイアードが、裏をかいくぐって別の選択肢を取ろうとしている。これはリファイアードの愛情で、確かなやさしさなのだとロルブルーミアは知っている。


 この提案にうなずけば、リファイアードはあくまでロルブルーミアは自分の妻なのだと言うだろう。リッシュグリーデンドの皇女ではなく、オーレオン王国王子の妻であると、必死に言い立てる。

 そうして、全身全霊でロルブルーミア守ろうとするに違いない。懐に入れた存在を、心を重ねた相手を、自分の全てで大事にしていくのだとよく知っている。


 だから、うなずけばいいとわかっていた。そうすれば、もしかしたらロルブルーミアは助かるかもしれない。

 リッシュグリーデンドの皇女は死んだとしても、オーレオン王国のリファイアードの妻として生きていく可能性が、わずかでも開ける。


 思い浮かんだのは、リッシュグリーデンドに残した家族の顔で、父親の言葉だった。

「かわいいルミア」と心から大切にしてくれた。宝物だと、抱きしめるような愛情でいつだって包んでくれた。そんな兄や姉なら、たとえどんな状況になろうとも生きることを選べと言うだろう。皇女の名前なんか捨てたっていい。ルミアが生きているなら、何だっていいと言う。


 父親の最後の言葉を、ロルブルーミアは思い浮かべる。

「好きなように生きろ」と言っていた。あれはきっと、リッシュグリーデンドだとかオーレオンだとか、そんなことに翻弄されることなく、あるがままに生きてほしいという願いだ。


 わかっていた。リファイアードの提案にうなずくこと以外に、助かる可能性は存在しない。

 家族も父親も、それでいいとうなずいてくれる。リッシュグリーデンドの皇女という名前を捨てれば、それでいい。辛くても苦しくても、生きていく道がわずかでも開けるなら、それを選べと言ってくれる。



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