第84話 終曲なりや
※この話には暴力的・残酷な描写が含まれます。苦手な方はご注意ください。
変えられない事実が一つある。
オーレオン王国の教皇が緋色の大剣によって、リッシュグリーデンド皇帝の胸を刺し貫いた。どんなごまかしもできない、絶対的な事実だ。
もしもこれが他の国に伝えられたなら、国際的な問題に発展することは間違いない。
オーレオンが、国同士の秩序を破壊する蛮行に及んだのだ。周辺の国家から糾弾され、これまでの古豪としての名誉は地に落ちる。他国から蔑みやそしりを受けるのはもちろん、国として孤立することも間違いないだろう。
どんな国も、危うい国家と手を組むことを選びはしない。国家同士の約束を守れないどころか、命さえ奪う。オーレオンの名前は、忌避の対象となり滅びを願われるものとなる。
それだけで済めばまだいい方だろう。孤立した国は、周辺国にとって格好の餌食となるかもしれない。
どんな国も助けてはくれないなら、じわじわと少しずつ蝕んでいけばいいのだ。たとえ今は巨大な国だとしても、ゆっくりと、オーレオンを倒していけばいい。
国際的な蛮行をオーレオンが犯したのなら、誰も助けず見捨ててもいい理由になる。今ここで起こったことは、オーレオンの未来に影を落とす重大な出来事だ。
だからこそ、シャンヴレットは言う。国王も他の貴族はもちろん、リファイアードさえ理解する。
オーレオンの蛮行を外に漏らしてはいけない。国外に伝えてはいけない。そのためにすべきことが何であるかなんて、ただ一つだ。
今ここにいるオーレオンの民ではない存在。国に帰り、被害者として名乗り出ることが許される者たち。行い全てを暴露し、喧伝する可能性が最も高い存在。
リッシュグリーデンドに連なる者たちを、全てここで葬ってしまえばいい。二度と国へ帰れないように。物言わぬ亡骸にして口をふさいでしまうのが最も確実で、最も手っ取り早い。
誰もがそう思っていることを、リファイアードはひしひし感じ取る。
元来権謀術数に長けているのが王族や貴族たちだ。馬鹿正直に始末するのではなく、リッシュグリーデンドにも非があるように持っていくよう画策するに違いない。そのためにも、相手の意志はない方がいい。だから、全てを葬るのが最善だ。
そう思っていることくらい、リファイアードもわかっている。同時に、そのための障害が何であるかも。
わかっているから、リファイアードはすがるように国王へ目を向けた。
決定的なことを言わせてはいけない。もう後戻りはできない。起こった事実は変えられない。それならばどうすればいいか。何をすればいいか。わかっているからこそ、口にすべきことは決まっている。
それでもどうか、と。祈るように、すがるように、どうか言わないでくれ、と願いながらリファイアードは口を開く。
何かを言わなくては。思うのに、上手く言葉が出てこない。その間に、シャンヴレットや貴族が、国王に向かって直訴する。
「ご決断を!」「国王陛下、どうか!」「賢君の証を我らに!」「国王陛下!」――畳みかけられる言葉に、国王は深く息を吐いた。
それを見つめるリファイアードは、だめだ、と思う。言わないでくれ、と願う。しかし、それはむなしく空回る。
「――リッシュグリーデンドとの同盟を破棄する」
重々しく告げた瞬間、教会の空気が変わる。
うっすらと漂っていた混乱や戸惑いが消えて、芯が通る。王の言葉を号令として、それぞれがすらりと剣を抜いた。
突如として飛び込んできた貴族たちはもちろん、遠巻きにしていた衛兵や参列者の貴族、王族までも全て。
自分のなすべきことはこれだと思い定めた顔で、帯刀していた全ての人間が剣を抜き、魔族たちに突きつけたのだ。
参列席の最前で倒れる魔族たちを、剣を持った人間が取り囲む。
ドレスを引き裂いて、アドルムドラッツァールの傷を止血しようとしていたロルブルーミアは、ぴくりと反応した。
血を流し続けるアドルムドラッツァールや意識を失った魔族たち。呼吸はかろうじてしていることは確認できたものの、意識を取り戻す様子はなかった。
アドルムドラッツァールは呼びかけに反応するものの、次第に間隔は長くなっていた。
ロルブルーミアは、全ての魔族を背中へかばう形で振り返った。
祭壇側にも貴族たちが剣を持ち、参列席の反対側には衛兵の姿。目前には、王族たちが剣を構えていた。
第三王子シャンヴレットはもちろん、第一王子アルベルサージュや第二王子フジェールウスなど、結婚式に参加している王子たちは迷いのない瞳で、ロルブルーミアへ剣を突きつけている。
「リッシュグリーデンドとの同盟は破棄された。王命に従い、敵を排除する」
淡々とした調子でアルベルサージュが告げて、呼応するように貴族が答えた。
「捕らえよ」「リッシュグリーデンドは敵だ」という声はいきり立ち、敵意に満ちている。
もともと歓迎はされていなかったのだ。
長い間の遺恨があり、魔族への忌避感は根強い。国王の意向に反対することはできないと、表向き迎え入れていただけだ。
抑えつけて、封じ込めていたから見えなかっただけだ。本当はずっと奥底で眠っていた。制御する理由があったから出てこなかった。
しかし、今はもうそんなことをする必要はなかった。
建前として機能していたはずの同盟は、国王の言葉で破棄された。
国王の意向は百八十度転換したと言っていい。結婚を進める理由はなくなった。リッシュグリーデンドと国交を結ぶ必要はない。
同盟が破棄されたなら、国王の意向が変わったのなら。もう抑えつける必要はない。
理解しているからこそ、誰もが剣を向けている。
同盟も国王の意向も消滅したなら、リッシュグリーデンドや魔族は敵でしかなかった。排除すべき対象だ。
剣を向けられたロルブルーミアは、周囲の様子も自分が置かれた状況も理解していた。
周りの全てが敵になったのだ。取り繕っていた仮面は意味がなくなり、本音がむき出しになっている。防波堤となるものは何一つない。ここは敵対国の真っただ中だ。
ロルブルーミアは、父親や魔族をかばいながら、どうにかしてここを脱出できないかと考える。しかし、それがどれだけ難しいことかはわかっている。
そもそも、教会には魔族の動きを押さえつける呪いが充満している。こんな状態では、魔族が自力で逃げ出すことは不可能だろう。
さらに、ロルブルーミアが一人で魔族全てを担ぎ出すことも不可能だ。
ロルブルーミアが小柄であることにくわえ、魔族は大柄で体格がいい。ましてアドルムドラッツァールの巨躯だ。とうていロルブルーミアが抱えることなどできないだろうし、周りに囲まれた状況だ。見とがめられずに、教会から逃げ出すことなど現実的ではない。ここから身動きなど取れないのだ。
「――ルミア、どうか、逃げてくれ……」
ロルブルーミアが考えを巡らせていると、細い声が落ちた。振り絞るようにアドルムドラッツァールが言ったのだ。
ロルブルーミアははっとした顔で、父親に顔を寄せる。かろうじて紡がれる息と声が、ロルブルーミアを呼ぶ。
「お前だけでも……ここから……」
「いいえ、だめですわ。お父さま」
ほとんど冷たくなった手を握って、ロルブルーミアは首を振る。
恐らくアドルムドラッツァールは、朦朧とした意識で同盟の破棄を理解したのだろう。そうなれば、ロルブルーミアは敵の渦中に放り込まれたものと変わらない。
だからこそ、ロルブルーミアだけでも逃げるよう言うのだ。
魔族に対する呪いが掛かっている場所でも、人間であるロルブルーミアなら影響は受けない。だからそれなら、一人だけでも、と願ったのだ。
「わたくし、みなさまと離れたくありませんもの」
無理に笑みを浮かべながら、ロルブルーミアは言う。
それに、厳然たる事実として理解していた。確かにロルブルーミアは魔族への呪いを受けない。しかし、剣に囲まれた状況を一人で突破できるはずがないのだ。
アドルムドラッツァールの目には、突きつけられた剣は見えていないのかもしれない。だから「逃げてくれ」と言ったのだろうか。
しかし、教会の真ん中で、オーレオンの人間たちに囲まれて、その隙をついて逃げるのは至難の業だろう。ロルブルーミアは、特殊な技能など持っていないのだ。周りが全員敵である時点で、ほぼ手の打ちようはない。
それに、たとえ逃げ出す隙があったとしても、ロルブルーミアはそれを選ばないだろう。倒れた父親や魔族を連れていけないし、今のロルブルーミアにとって一番大事なことは父親以外なかった。
胸を貫いた傷はふさがることなく、どくどくと血液を流し続ける。
辺りは血の海となり、ロルブルーミアのドレスは血を吸って赤黒く染まっている。ベールはもちろん、腕や胸元まで血が飛び、スカートは血によって濡れていた。
ロルブルーミアはアドルムドラッツァールの手を握る。
笑顔を張り付けているけれど、本当なら大きな声で泣きわめきたかった。どうにか止血しようとしているのに、一向に血は止まらない。
それどころか、じわじわと傷口は広がっているのだ。貫かれた穴は酸のように肌を焼いて、じりじりと穴は大きくなっていた。
緋色の大剣は、勇者の剣だ。伝説の聖剣という肩書を持っている。聖なる力を宿していてもおかしくはないし、だからこそ魔族にとって、単なる剣以上に殺傷能力が高いのは明らかだった。
これは普通の傷ではないのだ。聖なる力を秘めており、確実に魔族を仕留める効果がある。だから、傷口は時間が経ってもふさがらず、じわじわと広がっていく。




