第83話 赤く染まる願い
※この話には暴力的・残酷な描写が含まれます。苦手な方はご注意ください。
「お父さま、わたくしを見て。お願い。わたくし、幸せですわ。国のための結婚だとしても、わたくしは幸せなんですのよ。無理をしているのでも、嘘を吐いているのでもありません。共に歩いていきたい人を見つけたんですのよ」
大きな手に自分の手を重ねて、必死で言った。
アドルムドラッツァールの赤い瞳には、かろうじてまだ光が宿る。しかし、ロルブルーミアの言葉に答える声はない。
ロルブルーミアはアドルムドラッツァールの手を両手で握りしめて、懸命に言い募る。
「お父さま、わたくしちゃんと幸せだわ。犠牲になんてなっていませんのよ。リファイアードさまと一緒なら、きっとこの先何があっても平気だわ。わたくし、幸せよ。ちゃんと幸せなの」
国のために、生贄のように差し出されたと言ってもいい。王族として迎え入れられた時から、こうなることは承知の上だ。
何より、父親の国を守るという意志を叶えられるなら、道具で充分だった。だから何一つ恨みもなく、納得して嫁いできた。
しかし、少しずつ相手のことを知っていたロルブルーミアは、心から言えた。
こんなにも心の全てが寄り添う相手を今まで知らなかった。大事なものがあった。そのためなら何だってできた。
同じように思っている相手だ。一番大事なものがお互いでなくても、それでもいいとうなずくだろう。大事なもののために戦うことを肯定した。大切に守られるだけではなく、戦うことが当たり前だとうなずいた。
今までの誰とも違っていた。
お互いの大事なものを、譲れないものを、守りたいものを知りながら、共に歩いてくれる。大事なもののために戦うことを知って、きっと一緒に戦ってくれる。
幸せだと、間違いなく言えた。父親に向かって、何一つ嘘偽りなく幸せだと言えたのだ。
美しいドレスに身を包んで、リファイアードと父親の顔合わせをして、心の底から「幸せよ」と告げるはずだった。
しかし、全ての願いはもろくも崩れ去る。
ドレスは血にまみれて赤黒く染まっている。リファイアードは膝をついて今にも崩れ落ちそうだ。アドルムドラッツァールは胸に大きな穴を開けて、呼びかけにもほとんど反応しない。
ロルブルーミアはアドルムドラッツァールの手を握って「お父さま、お願いわたくしを見て」と必死で呼びかける。
その姿を遠巻きに見ていたオーレオンの参列者は、怯えと混乱のまま口を開く。
最前列で倒れ伏す魔族たち。床に横たわる魔王の巨躯は胸から血を流す。その前に座り込むのは、純白のドレスを身に着けた花嫁だ。
「――おぞましい」
「なんて気味が悪い」
誰かが言葉を吐き出すと、連鎖的に声が広がっていく。
神聖な場所に魔族がいることも、その姿が血に濡れていることも嫌悪感を催すには充分だった。
さらに、純潔であるはずの花嫁が魔王にすがりついて赤黒く染まっていることも、忌まわしさに拍車をかけた。
「血まみれの花嫁なんて不吉な」
「神聖な教会が呪われるに違いない」
「魔族を招き入れるからだ」
吐き捨てられる言葉は次第に大きくなり、ざわめきは一つの形になっていく。
それまで溜まっていたものがついに噴き出すように。膨れ上がって破滅する瞬間を待つように。魔族への嫌悪が教会中に渦巻いていく。
突き刺さるような視線や、嫌悪の声がロルブルーミアたちに向けられる。
しかし、当のロルブルーミアは必死でアドルムドラッツァールへ呼びかけているところで、気づいてはいなかった。
嫌悪や悪意を感じ取ったのは、荒い呼吸で膝をついていたリファイアードだ。
苦しそうに顔を歪めて、どうにか意識を奮い立たせる様子でゆらりと立ち上がる。大きく息を吸い、声を張り上げる。
「婚礼を壊したのは、リッシュグリーデンドではない。我が国の凶行だ。リッシュグリーデンドは被害者だ」
ざわめく貴族たちへ、きっぱり告げる。
大きな声を出したことで負担がかかったのか。ぐらり、と体がかしぐものの、足に力を入れて持ちこたえる。息を切らしながら、リファイアードは国王へ視線を向けた。
泰然自若としていて、いつだって動じない。オーレオン国王として揺るぎなく立っている。今もそんな顔をしているように見えた。
しかし、どこか普段と様子は違っている。焦燥のような、戸惑いのようなものが見え隠れしていることに、リファイアードは気づいているのかいないのか。
眉を寄せて、苦しそうに息を吐き出しながら訴えた。
「国賓としてリッシュグリーデンドの方々を招いたのは、他ならぬオーレオン国王です。それは間違いないでしょう。オーレオンとリッシュグリーデンドは同盟を結んだはずです」
だからこそ、貴族たちの物言いうなずくことはできない。嫌悪も隠さず、悪し様に罵ることなどあってはならないのだ。
リファイアードの言葉は、至ってまともな発言である。国王が何か答えを返そうと口を開く。しかし、それより早く声が飛び込む。
「間違いを認めるのも賢君の証です。己の定めた答えに固執することこそ、まさに愚の骨頂! 父上、よくお考えください」
国王の前に歩み寄ったシャンヴレットが、力強く言って両手を広げた。今目の前で広がる現状を示して、畳みかけるように言葉吐き出す。
「ご覧ください。ここにいるのは、瀕死の魔王とその重臣たちです。今ここで、彼らを始末してしまえば、あとは国へ攻め込むだけ。魔王や重臣を欠いたリッシュグリーデンドなど、我が国の精鋭をもってすれば制圧することなどたやすい。今こそリッシュグリーデンドを攻め落とす時」
熱っぽく告げたシャンヴレットは、一度言葉を切る。リファイアードは鋭い視線をシャンヴレットへ投げつける。射殺すようなまなざしだ。
しかし、シャンヴレットはものともせず言葉を続けた。大事な言葉を、とっておきの台詞を口にするように。
「魔族との同盟など、何の意味もありません。これ以上関わる意味もない。今こそ決断の時だ」
力強い言葉へ呼応するように、周囲の貴族からも賛成の声が上がる。「魔族を殺せ」「追い出せ」「リッシュグリーデンドを滅ぼせ」という言葉が響き、シャンヴレットは大きくうなずいた。
「外にいる国民たちも、同じ思いです。魔族など、我らには不要。この結婚は、王国の汚点になる。しかし、今なら引き返せるのです。むしろ、今ならばこれまでの復讐を果たせる。奴らに思い知らせてやりましょう。にっくき魔族たちを、今ここで討つのです」
シャンヴレットの言葉に、参列していた貴族たちが「そうだ」「魔族に殺された息子の恨み」「あいつらがいなければ、我が故郷は滅びなかった」「復讐だ」「討ち果たすべき」「魔族を殺せ」と口々に同調する。
今まで抑えつけていただけで、リッシュグリーデンドへの恨みなら誰もが持っている。長い間、争いを繰り広げてきた。国王の号令のもとで、それを表に出すことは許されなかった。しかし、もうそんなものは意味がなかった。
ずっと抑えつけられていた鬱憤が、不満が、恐れが、リッシュグリーデンドや魔族への嫌悪やおぞましさが、爆発するように噴き出していく。
リファイアードが口を開いて、声を発しようとした。しかし、今どんな言葉をかけるべきなのか、思いつかなかった。
魔族の血が入っているリファイアードにとって、この場所は著しい負荷がかかる。人間の血のおかげで意識は保っているものの、いつもの通りに動くことが難しいのだ。
それゆえに、上手く思考も働いていない。体に力も入らず、何も思うようにならなかった。
「それに、聡明なる父上であれば、現状もご理解されているはずです。万が一このことが外に漏れたなら、一体どうなるのか。オーレオンを守るために、最も必要なことが何であるかくらい――賢明な父上がご理解していないはずがありません」
喧騒のような貴族たちの声を背景に、笑みを浮かべたシャンヴレットがささやいた。国王がじっと見つめ返すと、シャンヴレットはますます笑みを深めて続ける。
「ええ、そうです。そうですとも。誰一人、国に帰してはなりません。教皇が剣をふるったなどと、触れ回る者がいてはなりません。そうです。誰も国に帰ってはならない」
弓型に目を細めたシャンヴレットの言葉。その意味。具体的な内容ではない。しかし、伝えたいことは充分わかる。荒い息を吐き出すリファイアードさえ、シャンヴレットの意図は理解できた。




