第76話 道行
王宮からエルカリオ教会までは、専用の儀礼馬車が用意されている。教会での戴冠の後に行われる婚礼行列と違って、屋根のある客車である。
最後に個人的な話ができる場面はここなのだと、二人とも理解していた。馬車を降りれば、あとは王子と皇女としての顔をしていなくてはならない。
「さすがに、シャンヴレット殿下まで蟄居というわけにはいきませんでした。証拠をそろえるには、少々時間が足りず――この状況での不在は何があったのかと疑念や不信を持たれるから、というのもあるとは思いますが」
馬車で向かい合ったリファイアードが、淡々とした調子で言う。ロルブルーミアは「そうでしょうね」とうなずいた。
反対派の動向を、リファイアードは逐一ロルブルーミアに報告していた。
先日の宝物庫襲撃事件では、反対派の実行部隊を捕縛した。ルカイド公爵は当然関わりを否定したものの、推進派による証拠固めが効力を発揮した。
すぐに家が潰されることはなかったものの、蟄居を命じられている現状だ。反対派の勢いが急激に落ちていることは確かだろう。
とはいえ、ルカイド公爵も完全に没落したわけではない。領地や資産は未だ手の内だし、巻き返しを狙っていることは想像に難くない。影響力がまだあることは間違いない。
さらに、第三王子シャンヴレットの関わりまで突き止めることは難しかった。
物証や証言は入念に握りつぶしてきたのだろう。限りなく疑いは濃厚でも、決定的な証拠はなく糾弾することはできなかったのだ。さすがに、疑念だけで欠席の判断を下すことはできない。
結果として、今日の結婚式にも当然シャンヴレットも参列している。祝福の気持ちなどかけらもないことは明白だ。
他の王子や王女とて、賛成しているわけでないことは充分わかっている。あくまでオーレオン国王の意向に従っているだけで、歓迎はしていない。本質的な味方ではないのだ。
「何かを仕掛けてくることはないと思いたいですが――婚礼行列もあります。集まった方々も、諸手で歓迎してくれるわけではないでしょう」
「ええ、わかっています。ちゃんと、可憐でか弱い悪意なんて微塵も感じさせない皇女の顔をしていますわ」
「これは頼もしい」
にこりと笑って答えれば、リファイアードは唇を引き上げて答える。じゃれ合いのような会話だけれど、二人ともまなざしは真剣だ。
婚礼行列は、沿道に国民が集まるはずだ。常ならば祝福の歓声を上げる場面だけれど、ことはそう簡単にいかない。
積極的な慈善活動への参加や新聞の宣伝によって、恐ろしい魔族の皇女という印象は、多少やわらいでいるはずだ。リファイアードも同様で、血濡れの王子の意外な一面が世間には伝わっている。
それでも、まだ浸透するにはとうてい時間が足りない。
少しずつ見方が変わっていったとしても、不安を取り除くには、二か国の遺恨は根深い。二人はまだ、魔族に連なる恐ろしい存在だ。
だから、どんな攻撃性も感じさせてはいけない。おぞましさも恐怖も、匂わせてはいけない。
「それに、お父さまたちも先に到着していますもの。姿を見せないわけにはいかないでしょうから、わたくしの役割は重要だわ」
ぽつり、とロルブルーミアの唇から言葉がこぼれ落ちる。
ロルブルーミアやリファイアードが準備をしている間に、リッシュグリーデンドの一団はすでにオーレオン王国へ到着している手はずだ。
結婚式の前に、友好の証として会談が行われる。王族関係者はもとより、主要貴族や教会関係者と顔を合わせている。
敵対国ではなく同盟国なのだと周りに強く印象付けるためであり、魔王とオーレオン国王が並び立つ姿は鮮烈な印象を残す。新聞社は、こぞって絵にして速報を出したはずだ。
国民がどんな気持ちでそれを受け取るのかは、想像に難くない。
巌のような角を生やした、白骨化した竜の頭部。血のように赤い瞳はらんらんと光る。見上げるような体躯からは巨大な蝙蝠の羽。
見るからに人間と異なる魔王の姿に恐れおののくだろう。だからこそ、花嫁であるロルブルーミアは、愛らしい姫君でなくてはならない。牙も爪も持っていない、小さく可憐な皇女だと思わせる必要がある。
「そうですね。俺もそのように振る舞いましょう。残虐な姿など微塵も感じさせず、血濡れの王子ではなく、勇敢なる王子として」
求められる役割なら、リファイアードとて理解していた。
簡単に全ての疑念も不信もぬぐえはしない。恐れや反発も憎悪もすぐには消え去らない。
だからこそ、おだやかな笑顔で害のない表情で、人々の前に立たなくてはならない。
隙を見せず、反発心を招く行為の芽を摘んで、慎重に。取り巻く現状は、変わらず敵だらけと言っていいのだから。
反対派の勢いが衰えたとはいえ、完全に消滅したわけではない。身を潜めて反撃の時を待っている貴族たちもいるだろう。
国民の多くが魔族への不安や嫌悪を募らせていることもわかっている。少しやわらいできたとしても、いざ実際に魔王たちが国へやってきたともなれば、憎悪はあらためて膨れ上がるかもしれない。
この結婚が、ほとんど誰からも祝福されていない現実を、二人はよく知っていた。
オーレオン国王とリッシュグリーデンド皇帝だけが、積極的に推し進めた婚姻である。それとて、あくまで必要だとわかっているからで、望んだ結果ではないだろう。
シャド聖教王国の脅威。魔王アドルムドラッツァールの魔力減退。国の未来を考えた末に出した答えであり、必要がなければ選びもしなかった。国力が充分で、対外的な問題が些細なものであったなら、この結婚は存在しなかった。
国のための道具であり、国の利益のためだけに結ばれる関係。最初からわかっていたし、納得してこの結婚にうなずいたのだ。
二人は向かい合ったまま、そっと視線を交わし合う。
自分たちに求められる役割を知っている。どんな気持ちで、何を考えているのか。言葉は要らない。どんなことを思っているのは、手に取るようにわかった。
道具同士で構わなかった。父親の望みを叶えられるなら。世界の全てと同じ、大事な相手の役に立てるなら、それでよかったのだ。
だから、きっと誰が相手だとしても、こうして馬車に乗って笑みを浮かべていただろう。この結末は変わらない。
しかし、予想外の出来事があったのだ。
同じものを知っている。同じ感情を抱いている。守りたいものはたった一つで、それはお互いではなかった。それがたった一つの、思いがけない最大の幸運だ。
燃えるような大恋愛ではないし、劇的な恋愛物語があったわけではない。政略結婚であり、単なる道具で手駒のはずだった。
しかし、共に戦えるのだと知っている。守りたいものを確かに持って、同じ目的に向かっているからこそ。
誰より近くで、共に戦うことを選んでいくのだ。同じ気持ちを抱いていることを二人は疑わない。
「――そろそろ到着しますね」
ふっと息を吐いたリファイアードが、窓の向こうに視線を投げてつぶやいた。馬車はもうすぐ、エルカリオ教会の正門前に到着する。ロルブルーミアは真剣な表情で、こくりとうなずく。
いよいよ結婚式という大舞台が始まるのだ。頭の中では、今日の流れをもう一度おさらいする。
正門前に到着したあとは、教会の庭を通り外の大階段を上り、教会へ入場する。すでに着席している参列者に迎えられる形だ。
教会は伝統的な作りだと聞いている。
参列者の間を通る、真っ直ぐ伸びる長い通路を進み、最奥で待つ教皇の前に二人で並ぶ。教皇による開式の言葉のあとは聖歌が始まり、聖書をもとにした教皇による祝福が続く。
さらに、二人に対して神からの問いかけに答える形で、宣誓が行われる。
その後はいよいよ宝冠授与だ。ロルブルーミアのために作られた宝冠が運ばれてきて、教皇の手によって頭上に戴けば、結婚が成立する。晴れてオーレオン王国の一員となるのだ。
教皇があらためて結婚の成立を宣言し、祝福の聖歌が歌われる。それが終われば教会を退場し、専用の馬車に乗り婚礼行列が進む手はずになっている。
その後は王宮にて大々的な祝宴が開催される運びである。
何度も繰り返して、記憶に刻み込んだ流れだ。全ては頭に入っているから、心配することは何もなかった。今まで、何度だってどんな場面も乗り越えてきた。
何よりも、隣には共に戦う人がいる。たとえ敵だらけの場所でも、二人で歩き出すと決めたのだ。
胸の内の誓いを確かめて、ロルブルーミアはリファイアードへ視線を向ける。リファイアードが力強くうなずくのと同時に、馬車はゆっくり速度を落としていく。




