第75話 綺羅をまとう
王宮の特別室には、すでに大勢の人間が待機していて、ロルブルーミアの装いを整えていく。
リファイアードも同様に支度が必要だ。別室へ向かったので、全てが終わって部屋へ迎えに来るまで顔を合わせることはない。
集まった使用人たちは、一切無駄のない動きで全てに取り掛かった。
体を清めたあとは専用の服に着替え、丁寧に髪をくしけずる。その後、結婚式のために髪を整える傍ら、熟練の動きで化粧をほどこしていく。
ロルブルーミアは何も言わず、ただ全てを受け入れる。皇女として、使用人たちの動きに身を委ねることは慣れていた。
今日の結婚式の重大性なら、この場にいる誰もが理解していた。国の中枢が集まる場所で、下手なものは見せられない。
魔族であることや敵対国の皇女であることに、思うことがないわけではない使用人もいたかもしれない。
しかし、誰もが職業人としての矜持を持って仕事に取り組んだ。
誰もが目を見張るような、最高品質の人形を作り上げるような気持ちで、ロルブルーミアの装いを整えたのだ。
全てが終わり、ロルブルーミアは部屋に用意された大きな鏡で自分の様子を確認する。
身を包むのは、オーレオン王家ご用達の店で仕立てたロルブルーミア専用の純白のドレスだ。
光沢のある絹織物で仕立てられており、光を織り込んだような輝きがある。
輿入れしてすぐに店を訪れて依頼を行っており、伝統的な仕立てに流行を取り入れたデザインである。
体にぴたりと合った上半身は、刺繡とレースのあしらわれた七分袖。首を覆うように襟が立っており、肌はあまり見えない。
首回りには繊細な刺繍が華やかに施され、首飾りを必要としない。
スカートは腰の部分の切り替えによって、大きく広がる。幾重にも重ねられた薄くやわらかい布は大輪の花のようで、可憐さを演出していた。
さらに、スカートには一刺しずつ、薔薇や百合などの花々が、細やかな刺繍で施されており、絢爛さに磨きをかける。
耳に光るのは、精巧な細工が施された銀細工の耳飾り。大粒の真珠が上品で、凛とした涼やかさがある。
艶やかな髪は丁寧に編み込まれ、一つに束ねて後頭部でまとめられている。そして、頭の上からこめかみや耳に沿うように、やわらかなベールを着けていた。
背中から腰に掛けて流れるベールは顔を覆うことはないため、花嫁の顔を引き立てる。
縁には霞草や鈴蘭の刺繍やレースの装飾が施されており、華やかさと荘厳さを感じさせた。
王族御用達の老舗仕立屋によるドレスである。オーレオンの伝統的な型を守りつつ、決して陳腐ではない。
さらに、格調高さを保ちながらも可憐さを際立たせており、ロルブルーミアの魅力を最大限に引き出しているはずだ。
(ドレスは何度も着ているけれど……婚礼用は初めてだもの。似合っているかどうか少し心配になってしまうわね)
心の中でそっとつぶやく。舞踏会へ赴くドレスであれば、何度も着用の経験はある。
しかし、婚礼用ドレスは初めてなのだ。普段とは勝手も違うだろう、と不安に思ってしまうのだ。
できる限りのことはしたものの、仕立ての依頼を行った際リファイアードはロルブルーミアに一切興味がなかった。冷たく「お好きに仕立ててください」と言い放たれただけだった。
だから、自分の思う限り最高の装いだと思っているけれど、少し神経質になっているのかもしれない。
そわそわしていると、扉を叩く音がした。リファイアードの用意が終わったのだという。
リファイアードがやって来たなら、準備は完了だ。そのまま、儀礼用馬車に乗り込み、結婚式会場であるエルカリオ教会へ向かうのだ。
ここからは、ロルブルーミアに付き添って歩くのは、リファイアードの役目になる。
いよいよ結婚式が始まるのだ。深呼吸をして返事をすると、リファイアードが入ってきた。
燃えるように赤い髪は丁寧に整えられて、普段とは少し雰囲気が違っていた。
すっきりまとまっていることもあり、黒い角はもとより、紅玉の瞳がいっそう印象的に映る。
身を包むのは、黒を基調とした儀礼用の軍服である。
張りのある厚手の生地は深みのある黒で、高級感があった。さらに、大尉の階級を示す正肩章、左腕部の所属部隊章、肩から胸にかけてつけられた飾緒は金色に彩られる。
襟元を飾る国の象徴である獅子と日輪の徽章も、同様に黄金色に輝いていた。さらに、胸に堂々と下げられる勲章は、リファイアードのこれまでの功績をたたえている。
袖口や裾には、金糸によって炎と星をかたどった豪華絢爛な刺繍がほどこされ、普段の装いとは一線を画す。
剣帯につるされたリファイアード愛用の剣も、今日のために磨き抜かれて落ち着いた輝きを放っていた。
黒の軍服は、引き締まった体によく似合っていた。くわえて、金の刺繍や徽章が黒の中で目を引いて、洗練された印象を与える。
今日のための特別な装いであることが、はっきりとわかる出で立ちだった。
まるで絵の中から抜け出てきたような、何もかもが洗練された姿だ。
圧倒されるような凛々しさと気高さと美しさ。果たしてどんな言葉を口にするべきかわからなくて、ロルブルーミアはしばし黙り込む。
まるで芸術品を前にしたような気持ちになって、ふさわしい言葉が思いつかなかったのだ。
もっとも、それはロルブルーミアだけではなかった。リファイアードも、ロルブルーミアへじっと視線を向けたままで動きを止めている。
しばらくの間沈黙が流れたところで、ロルブルーミアははっとした表情を浮かべる。
このまま黙りこくっているわけにはいかない、と気づいたのだ。大きく深呼吸をしてから、声を発した。
「とてもお似合いですわ。普段とは雰囲気が違っていて新鮮に感じますし――ふふ、とてもすてきだわ」
きっと仰々しい言葉は必要ないのだ、とそっと告げる。心から思ったことなら、きっと伝わるのだから。
すると、リファイアードも数度瞬きをしてから、ゆっくり口を開いた。
「ええ、ロルブルーミア姫もとてもきれいです」
はにかみながら、リファイアードが告げる。まぶしそうに目を細めて、とても大事な言葉を口にする素振りで。
心からの気持ちなのだと、ロルブルーミアは一つも疑わない。お世辞を言うような性格ではないし、今ここで嘘を吐く必要もない。
本当にきれいだと思っているのだ、と素直に思えた。だからだろうか。先ほどの心配が、溶けていくような心地がした。
思わず唇をほころばせると、リファイアードはさらに笑みを深くした。いたずらを仕掛けるような口調で言葉を重ねる。
「絵の中から抜け出てきたんじゃないか、と思いました。美術館に飾られていても、きっと納得してしまいますから」
「あら、わたくしも同じことを思っていたわ。リファイアードさまは、このまま飾っても様になるでしょうね」
同じことを考えていた、という事実を楽しげに伝えるとリファイアードが「なるほど」とうなずいた。軽やかな口調で、どこかくすぐったそうな響きをしている。
ささやかな符合が心地いいのだと声からでもわかって、ロルブルーミアの心も弾む。
ふわふわとやわらかいものを抱きしめるような気持ちでほほえみを浮かべると、リファイアードは呼応するようにやわらかな声で言った。
「……やはり、俺はつくづく運がいいなと再確認しました」
お互いを前にして、同じ気持ちを口にして、リファイアードはあらためて思ったのだろう。
国同士が決めた婚姻だ。どんな意志も存在する必要はなかった。お互いに、どんな相手だろうと役目を果たすつもりだった。
しかし、実際に出会って同じ時間を過ごして、お互いの心を知っていく。他の誰より近い場所で生きている。同じものを知っている。そんな相手なのだと、今の二人は理解していた。
リファイアードの言葉は、ロルブルーミアの気持ちをなぞっている。
政略結婚で結ばれる相手が、誰よりも深い理解者になるなんて。ただ、相手のことを大切にしたいと思えるようになるなんて。自身の大切なものを理解してくれるなんて。
そんな風に思えるなんて。思いもよらない幸運が積み重なった結果、今があるのだ。
「――それでは、そろそろ教会へ向かいましょうか」
居住まいを正したリファイアードが、真剣な表情で言った。結婚式はこれから始まるのだ。まずは教会に向かわなくてはならない。
リファイアードは恭しく手を差し出すので、ロルブルーミアは「ええ、そうね」とうなずいて手を重ねる。




