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赤い糸を夢見た  作者: 咲間十重
第6章 夜に踊る

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第72話 薔薇色を描く


 無事に一曲踊り終わったあとは、盛大な拍手が送られた。

 お披露目という意味合いがあることは、誰もが理解している。だからこれは予定調和の拍手なのだろう。

 わかっていても、降り注ぐ拍手は祝福の響きをしているような気がした。


 その後、二人は静かに大広間から退出し、控室代わりの小部屋へ戻った。会場では、招待客が全員参加する舞踏会が始まっているだろう。

 王子や王女も、この時は大広間へ下りて踊りに加わることも多い。ただ、全員というわけではなかったし、つい先ほどワルツを披露した二人は、流れとして休憩を取る手はずになっていた。


「痛みはありませんか。もしもひどくなるようでしたら、すぐに言ってください。医者を手配します」


 部屋の中央に置かれた、白を基調とした豪奢なソファ。繊細な彫刻と高級感のある布地は、華やかな雰囲気を漂わせている。腰を落ち着けると、開口一番リファイアードが言った。


「問題はなさそうに見えましたが、万が一ということもありますからね」

「大丈夫ですわ。多少脇腹が痛みますけれど、これくらいなら問題ありませんもの」

「それならいいんですが、無理はしないでください。閉会後の挨拶だって、延期することも可能です。幸い、先ほどハーヴェスト公爵閣下やフロローゼラ公爵閣下には会えましたし」


 本来であれば閉会後に挨拶へ向かうところだったのだけれど、全体舞踏会へ参加する四大貴族の一部と偶然すれ違ったのだ。

 あちらから声を掛けられて、二人のワルツを大いに褒めていた。ロルブルーミアはくすりと笑った。


「これくらいの痛み、延期するほどではありませんわ。それに、あらためて宝物庫にも連れて行ってくださるのでしょう?」


 挨拶はつつがなく行うつもりだったし、痛みのせいで延期されたくないものは、もう一つあった。

 反対派の手から守ったロルブルーミアの宝冠。宝物庫で傷がついていないかどうか、入念に確認しているはずだ。舞踏会が終わってから、少しだけその様子を見ることができるという。


 事前に意匠はある程度知らされているものの、実際に目にしたことはない。結婚式の前にちゃんと自分の目で見ておきたかったから、痛みがあると延期されてしまっては困るのだ。


「どんな宝冠なのか見てみたいんですもの。リファイアードさまの宝冠もあるのでしょう? 楽しみにしているんですのよ。痛みも些細なものですから、計画通りで問題ありませんわ」


 挨拶も宝物庫への訪問も何も変える必要はない、ときっぱりロルブルーミアは言う。リファイアードは何かを言いたげな空気を流してから、大きく息を吐いた。


「わかりました。それでしたらひとまずはこのまま予定通りとしますが、少しでも異変があれば言ってください。我慢は禁物です。小さくても違和感があったら、必ず言うこと。すぐに医者を呼びますし、安静にさせます」


 リファイアードは真剣な表情でそう言って、さらに「わかりましたか、いいですね」と念押しするので。ロルブルーミアはころころ笑い声を立てて「リファイアードさまは心配性ね」と返す。

 リファイアードは肩をすくめて、「それはそうでしょう」と答える。


「あなたが無茶をやらかす人間だということは、今晩よくわかりましたので。本当に――まさかロルブルーミア姫が出てくるなんて思わなかったですし、剣の前に飛び出すなんて完全に予想外でしたよ」


 心から、といった響きで言うリファイアードは、宝物庫の庭での出来事を思い出しているのだろう。「二度と危ないことはしないでください」と重々しく言うけれど。ロルブルーミアはにっこり笑って答えた。


「どうかしら。リファイアードさまを一人にする方が心配ですもの。わたくし、あなたを守ると決めているんですのよ」


 リファイアードの心配も気遣いも充分わかっている。「危ないことはしない」とうなずけばいいのかもしれない。そうすれば、リファイアードは安心するだろう。

 それでも、ロルブルーミアの答えは一つだ。だってそうするのだと、そうしたいのだと、思う自分を知っている。


 ロルブルーミアの言葉に、リファイアードは黙った。ロルブルーミアはその顔を真っ直ぐ見つめる。

 きっと大丈夫。他の誰でもないリファイアードさまなら、きっと答えてくれるわ、と思いながら。


 すると、リファイアードはふっと唇をゆるめた。困ったようでいて、いたずらを仕掛けるようにも見える。戸惑いと喜びがないまぜになったような、そんな笑みで答える。


「そうでした。――きっと、あなたがいれば百人力です」


 どこかくすぐったそうに、照れくさそうに。告げられた言葉に、ロルブルーミアはうなずく。そうよ、その通りよ、と思っていた。


 誰もがロルブルーミアを大切にして守ってくれた。嬉しかったし幸せだったのも本当だ。だけれど、ロルブルーミアは自分の願いを、心から思うことを知っている。


 ――本当は、わたくしだってずっと戦いたかった。戦うために走りたかったのよ。


 だからこそ、リファイアードの答えが力強くて、嬉しかった。

 だってこれは、ロルブルーミアがリファイアードを守ることへの肯定だ。あなたのために戦いたいという意志への賛同だ。

 ロルブルーミアは戦う人だと言ってくれたリファイアードなら、きっと答えてくれる。そう思った通りだった。

 守られているだけではなく、共に戦うのだという決意をリファイアードは決して蔑ろにしない。


 思わず笑みをこぼすと、リファイアードも唇にやわやわと笑みを浮かべている。照れくさそうな表情は、守ると言われることに慣れていないからかもしれない。

 だからこその戸惑いも確かにあるだろう。しかし、決して拒絶や嫌悪があるわけではない。ぎこちなさの奥には、やわらかな光の気配がしていた。


 お互いに思っていることが手に取るようにわかる。ワルツを踊っていた時のように、気持ちがぴたりと重なることを感じて、二人は顔を見合わせてささやかな笑い声を立てる。


「ああ、そうだ。宝物庫に忍び込んだ反対派は全員捕まえましたし、関係者の身柄も拘束しましたので。さすがに、ルカイド公爵閣下やシャンヴレット殿下までは難しいですが――少なくとも、大々的に動くことは難しくなるでしょう」


 いくつか会話を交わしていると、思い出した、といった調子でリファイアードが口を開いた。

 今晩の一件は、早急に決着がついているらしい。舞踏会には参加しない推進派が手早く処置を行ったのだろう。

 推進派貴族から伝えられた情報を、ロルブルーミアへ教えてくれたようだ。


「――もっとも、これで全てが解決したわけではないですからね。反対派の数は多いですし、一時的に影を潜めたところで、まだまだ反対の声は根強いはずです。きっとこれからも、大なり小なり事件は起きるでしょう」


 淡々とした調子で告げるのは、ともすれば不吉な話だ。今回の一件が落ち着いたところで、まだこの先には何があるかわからない、という予告なのだから。

 しかし、リファイアードははっきり告げた。ごまかしたり隠したりすることを選ばなかった。真っ直ぐロルブルーミアを見つめて、これから先の困難を伝えたのだ。

 その理由を、ロルブルーミアは察している。


 静かなまなざしの奥には、赤い炎が宿っている。その熱で、リファイアードは言うのだ。形にはならない声で、確かな響きを忍ばせて。――ロルブルーミア姫は戦う人でしょう?


 あなたは一緒に戦う人だと。ただ守られるだけではなく、大事なもののために戦う決意をしているのだと、リファイアードは思っている。

 だからこそ、ロルブルーミアに全てを伝えたのだ。怯まず立ち向かって、困難に共に戦う人だからこそ。


 そう思われているという事実が、ロルブルーミアは嬉しい。

 わたくしはリファイアードさまの前なら戦う人でいい。守られるだけじゃなくて、戦っていい。そういう自分でいいんだわ。

 噛み締めながら、ロルブルーミアは答えた。


「ええ。何もかもが一足飛びに良くはならないでしょう。困難もきっと数多くあるに違いありませんもの。だからこそ、二人で乗り越えていくんだわ」


 大事なもののために戦うことなら、二人ともよく知っていた。

 今日までの日々で、大事なもののために力を尽くしてきたことも、何もかもを差し出してきたことも充分に知っている。

 最優先はお互いではないけれど、一番大事なもののために戦う決意は同じだ。見ている方向は変わらない。だからこそ、一緒に戦える。


「そうして、わたくしたちが懸け橋になりましょう」


 二つの国の関係は、決して良好なわけではない。同盟を結んで、王子と皇女の結婚が執り行われるとはいえ、遺恨はまだ根強い。国民感情なら身を染みて理解しているのだ。

 だからこそ、自分たちの役目はよくわかっていた。

 二つの国の友好の証として、恨みや憎悪ではなく、慈しみや愛情の象徴として。他の誰でもない自分たちが最初の一歩になるのだ。


「そうですね。二国間の関係を友好的なものにしていくのが、俺たちの役目ですから」


 そのための結婚だ。利害関係の一致が理由だとしても、二つの国の遺恨を消し去るのが難しいとしても。

 それでも、確かな友好の象徴としてこれから二人は生きていく。それこそがお互いの国の利益に叶うことであり、二人にとっての幸福につながっているのだと信じる。


「――その意味でも、やはり今晩のことはきちんと俺が責任を取る必要がありますね。そうしないと、リッシュグリーデンドに顔向けができない。ロルブルーミア姫を危険な目に遭わせたことは違いありませんから」

「あら。わたくしが勝手に飛び出しただけですわ」

「とはいえ、俺の伝達不備がそもそもの原因でしょう。俺がちゃんと言っていれば、あなたは外まで出てこなかったはずです」


 きっぱりと告げられて、ロルブルーミアはしばし沈黙を流す。

 確かにリファイアードの言うことは正しい。反対派が推進派の計画を逆手に取るつもりだと思ったから、ロルブルーミアは伝えなくてはならないと宮殿を抜け出してきたのだ。

 事前に、それすら織り込み済みだと聞いていればそんなことはしなかっただろう。


 だから、リファイアードのせいなのだと言うことはできるのだと理解していた。ただ、責めたいわけではなかったし、気にしないでいいと心から思っているのだけれど。

 リファイアードのことなので、簡単にうなずかないことはわかっていた。ロルブルーミアは数秒考えて、口を開いた。


「――それでしたら、わたくしのお願いを聞いてくださる?」


 悪いと思って責任を取るべきだ、とリファイアードは言う。そんなことはしなくていいと言ってもうなずかないことはわかっていた。

 それなら、ロルブルーミアの望んだ方向にしてしまった方がいい、と判断した。責任の取り方として、相手の要求を聞くというのは妥当な手段だろう。

 案の定、リファイアードは「なんでしょうか」と言うので。


「わたくし、リファイアードさまと出掛けたいところがありますの。思い出の丘――マリーフィルが満開の丘に行ってみたいわ。フルトを持っていって、わたくしの作った花冠をかぶってもらうのはどうかしら」


 結婚式を無事に終えれば、ロルブルーミアは晴れてオーレオンの国民となる。いずれ多忙も落ち着いて、自由な時間も取れるだろう。そうなったら、オーレオンの国内をあちこち出掛けてみたいと思っていた。

 ロルブルーミアは、首都ベルルージュ以外を知らないのだ。中でも、まず行ってみたい場所は――と考えた時に、思い浮かんだのはリファイアードの思い出が詰まった場所だ。

 リファイアードの領地である、のどかな田舎町アルシェ。街外れに広がる丘で父親と過ごした時間は、リファイアードにとってかけがえのないものだ。


 来月の結婚式が終わったら。春になったら。満開の花が咲いたら。全てが可憐な赤い花で埋まった丘に出掛けて、思い出の通りフルトを食べるのだ。

 作り方なら知っているし、きっと今度は一人で焼けるだろう。そうして、花冠を作ってリファイアードの頭に乗せてみたかった。


 嘘偽りのない心からの願いだ。ただ、リファイアードは大きく目を瞬かせているし、予想外の言葉だったに違いない。

 じっとロルブルーミアを見つめたあと、ゆっくり尋ねた。


「そんなことでいいんですか? この場合、もっと無理難題を言うべきかと思いますが――」

「わたくしが言っているんですからいいでしょう? それに、そんなことではありませんわ。わたくしは、これがいいんですもの」


 きっぱりと力強く、有無を言わさない調子で言った。

 リファイアードのことなので、こんな反応をすることはわかっていた。だからこそ、しっかり言わなくてはいけないわね、とロルブルーミアは言葉を続ける。


「リファイアードさまが見てきたものや、好きなものが知りたいんですもの。そこに少し、わたくしの好きなものを一緒にしてくれたら嬉しいわ」


 大事なもの、好きなもの。それを知っていくことで、きっと少しずつリファイアードの心に近づいていく。

 そこにロルブルーミアの好きなものを一緒にしてくれたら。好きなものと好きなものが寄り添うなら、きっともっとすてきで幸せな時間が訪れるのではないか、とロルブルーミアは思っている。


 リファイアードはロルブルーミアの言葉を、じっくり考えこんでいるようだった。沈黙が流れる。

 ただ、難しい顔はしていなかった。これがロルブルーミアの純粋な本心であることも、責任を取るべきだ、という気持ちを受け止めた上で口にされたやさしい提案であることも、心を丸ごと広げて抱きしめようとしているのだということも、わからないはずがない。


 理解したリファイアードは、観念したように笑った。こんな風に「お願い」をされては、どのみち断るなんて選択肢はなかったのだろう。

 呆れたように、くすぐったそうに、ふわふわとしたやわらかなものを抱きしめるような表情で答える。


「わかりました。満開の日に、お弁当でも持って出掛けましょうか」

「あら、それはすてきな提案ね。わたくし、リファイアードさまのお弁当を作って差し上げますわ」

「それなら俺も、ロルブルーミア姫に作りますよ」

「ちゃんと塩気のあるものも入れてくださる?」

「善処しましょう」


 軽やかに、弾んだ調子で言葉を交わす。きらきらとしたまなざしで、まばゆく光る表情で。声にはならずとも、一緒に出掛ける日が楽しみだ、と二人とも同じことを思っているとわかっていた。


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