第68話 緋色の導き
堂々としていれば、案外見とがめられませんから。
リファイアードの言葉の正しさを思い知りながら、ロルブルーミアはギヤ・シオン宮殿の外回廊を進む。
思い浮かべているのは、裏手から会場を抜け出そうとしたところで、執事らしき人物に声を掛けれらた時のことだ。
参加者であることは身なりからわかる。供もつけず、一人で会場を出ていく姿が奇異に映るのは当然だろう。
ただ、ロルブルーミアは、「何か問題でも?」という態度で押し切った。堂々と胸を張って、何一つおかしくはないという顔をして。
さらにダメ押しとして、自分の行いを静止するほどの権限を持っているのか、と尋ねれば「失礼いたしました」と頭を下げた。権力を振りかざすような行為ではあるけれど、今は構っていられなかった。
外回廊は、等間隔に設置された魔灯石のおかげで、夜にもかかわらず充分明るい。しかし、見上げた空には雲が出ていて、月明りは差し込んでいなかった。
ロルブルーミアは、耳飾りを外して何度か呼び掛けるものの、やはり反応はない。受け手であるリファイアードがもしも暗がりに潜んでいるなら、充分な光量が得られない可能性はある。だから反応がないのかもしれない。
外の空気は冷やりとして、寒さを感じてもおかしくはない。しかし、緊張しているせいなのか心臓が暴れ回っているせいなのか、特に寒くはなかった。
むしろ、紅潮した頬を冷やすのにちょうどいいくらいだわ、とロルブルーミアは思う。
宝物庫は、ギヤ・シオン宮殿の北側に位置している。大広間の裏手は西側にあることから、回廊を四分の一ほど進む必要がある。
駆け出したい気持ちはあったものの、何かあったと思われることは避けたい。ほとんど大広間の警備に回っているのか、見回りの衛兵は少数だ。
とはいえ、すれ違わないわけではない。あくまでも悠然と、堂々としていなければ、怪しまれることは確実だ。自分を律しながら、ロルブルーミアは回廊をゆったり歩いた。
北側まで辿り着いたあとは、宝物庫へ続く分かれ道を進まなければならない。
ギヤ・シオン宮殿を囲む外回廊に比べれば小さいものの、立派な柱のある渡り廊下だ。石畳が敷き詰められ、柱には等間隔でランプが掲げられている。
ただ、魔灯石ではなく従来の照明を使っているのか、それとも雰囲気を出すためなのか。光は弱々しく、ぼんやりとした明かりは、夜を拭い去るにはとうてい足りなかった。
外回廊に比べて、ぐっと光量が減っており、道の先はうすぼんやりとした暗闇に包まれていた。
踏み出しかけた足が、思わず止まる。暗闇。何もない。得体の知れないものが潜むような。
こんな暗闇は、ロルブルーミアに廃墟の夜を思い出させる。
真っ直ぐ悪意が突き刺さるような、存在を否定して暴力で何もかもを蹂躙する。どこからか血の匂いが漂ってくるような気がした。
急激に体温が下がっていく気がした。取り巻く空気が、顔を撫でる空気が、むき出しの首や鎖骨に冷気がまとわりつくような。
あの夜が背後から忍び寄って、何もかもを飲み込んでいく。
どっどっと、心臓の音が頭に響く。体がこわばって、動けなくなりそうだった。わかっていたから、ロルブルーミアは大きく深呼吸した。
それから、両手のひらで自分の頬をばちん、と叩く。思いの外力を入れすぎて、ひりひりと痛みが伝わるけれどそれくらいがちょうどいい。
息を吐き出して、目前の暗闇を見据える。強いまなざしで、挑みかかるように、一歩踏み出した。
石畳を踏む固い響き。もう一歩。今までの明るさから離れて、弱々しい光の中に立った。
辺りは暗い。それでも真の暗闇ではない。何もかもが塗りつぶされてはいないし、それにたとえ全てが真っ暗に覆われたとしても。ここで立ち止まるわけにはいかない。
決意を宿したロルブルーミアは、ドレスを指で持ち上げる。大きく深呼吸をすると、こつこつと足を鳴らして石畳を駆ける。
見回りの衛兵はこの辺りまではやってこないはずだ。走っても見とがめられる恐れはない。
息を切らしながら宝物庫へ近づくと、声や物音が聞こえてくる。激しい声に、金属のぶつかるような音。やはり、すでに衝突は起きていた。
曲がり角で立ち止まったロルブルーミアは、柱の陰に隠れてそっと様子をうかがった。
無計画に飛び込んだところで、何もできないことはわかっていた。現状を把握して、推進派の人間に反対派の計画を伝えることが目的だ。もくろみ通りに動くことを阻止できればいい。
「魔族を迎え入れようとする逆賊めっ!」
荒々しい声が響くのと同時に、金属音が響く。剣げきのものだ。
宝物庫の前に広がる庭では、人影が入り乱れて争っていた。丁寧に刈り込まれた庭木や茂みのあちこちから音がしていた。
もみ合う人影は、剣の音を響かせながら移動する。甲高い音と怒号が飛び交い、渡り廊下のすぐ近くまでやってくる。数歩先で繰り広げられる光景を、柱の陰に隠れながら息をひそめて見つめる。
「どちらが逆賊だっ! 国王陛下の命に背いているのはお前たちだろうっ!」
「これは国を思ってこその行い! 我らの味方は、この王宮にごまんといるぞっ!」
そう言って剣を振り上げるのは、ルカイド公爵の派閥の一人――タキス公爵子息だった。相手は細身の青年で、グライルたちと同じ軍服を着ていた。
青年は、タキス公爵子息が振り上げた剣を自身の前で構えた剣で弾き返す。しかし、思いの外衝撃が強かったのだろう。反動へ従うように、重心がかしぐ。
態勢が崩れたところを見逃すタキス公爵子息ではなかった。「もらった!」と言って一歩踏み込むと、青年に向かって思い切り剣を振り下ろす。
鈍く光る刃が青年に襲いかかる。防具一つつけていない、生身の体だ。このままでは、あやまたず青年の体は剣によって切り裂かれる。
固まったまま、ロルブルーミアは目の前の光景を見つめるしかできない。吹き出す血潮を、青年が血の海に沈む光景を。
しかし、そうはならなかった。タキス公爵子息が振り下ろした剣が青年の体へ届く前に、赤い風が吹き抜ける。
青年の前に躍り出たリファイアードが、タキス公爵子息の剣を受け止めていた。
さらに次の瞬間、勢いよく剣を弾き返す。タキス公爵子息がよろめいて、後ろへ下がった隙にリファイアードは青年に何かをささやく。すると、青年はこくりとうなずいて宝物庫の方へ走っていった。
「宝物庫の門番だけに飽き足らず、衛兵まで抱き込んでいるのはさすがですね。おかげで、どれだけあなたたちを倒しても、問題にならなさそうでありがたい限りです」
慇懃無礼とも言える態度で、リファイアードは語り掛ける。どうやら、この辺りを見回る衛兵も反対派の手の者らしい。
もっとも、そうでなければこんな騒ぎを起こしているのに、誰も来ないはずがない。
「あいつらは何も考えていないからな。私たちの言うことを聞くのが使命なのだ。来るなと言われれば、近づくことはない」
剣を構え直したタキス公爵子息が、嘲るように言った。宝物庫の方からは、怒号や剣の音が飛び交っている。
ちらり、とそちらへ視線を向けたリファイアードはすぐに真正面へ視線を戻した。落ち着いた声で言う。
「宝冠を守らなくてはなりませんので、あなたの相手をしている暇はないんですよ」
「私を一体誰だと――」
カッと目を見開いたタキス公爵子息の言葉は、途中で途切れた。予備動作一つなく動いたリファイアードが、目にも止まらぬ速さで剣を抜いていた。
ほんの瞬き一つ分。それだけで充分だった。タキス公爵子息の右腕から血が噴き出し、手から剣が落ちる。
数秒のあと、痛みに悲鳴を上げ始めるもののリファイアードは冷淡だった。
「切り落としてはいませんよ。ただ、腱は切ってありますので、剣を握ることは不可能でしょう。まだ俺に挑みますか?」
感情一つなく言ったあと、真っ直ぐ剣を向けた。タキス公爵子息は燃え立つような眼を向けたものの、剣を持てないことは事実なのだろう。
左手でどうにか剣を拾い上げたあと、「魔族ふぜいめが!」と吐き捨てて、走り去っていった。
リファイアードは何も言わず、その背を見送る。ちょうど雲間が切れたのか、たたずむ姿を月が照らした。
艶やかな光沢を放つ、紺色の軍服。階級章や勲章は月の光が当たって、銀色に揺れる。
赤い髪はわずかの乱れもなく、黒い角は月の光を弾くようだ。手には剣を持っており、切っ先には血がついている。
決して快い光景ではないし、明らかな暴力の気配が充満している。暗闇。滴る血。あの夜を思い出すような光景だ。ロルブルーミアの心臓は鼓動を速めるし、めまいがするような気がした。
しかし、同時に胸に沸き上がるのは、恐怖とは少し違う感情のように思えた。
凛としてたたずむ姿。血のような赤い髪と瞳、夜のような黒い角。まっすぐ前を見つめるまなざし、見慣れた横顔。
剣をふるい、暴力を選んだ姿であることは間違いない。それでも、これは大事なものを守るために戦う姿だと知っていた。リファイアードはいつだって、己の誇りと信念を胸に最前線を戦った。
だからこれは、この姿は――決しておぞましさでも恐怖でもない。揺るぎない決意と信念が形になった姿だ。
打たれるような気持ちで思っている間も、リファイアードの姿を月が照らしていた。うすぼんやりとした明かりしかない中では、やけに光が強くてまぶしく見える。
その様子に、ロルブルーミアはもしかして、と思う。もしかして、今なら通話ができるかもしれない。周りには他に誰もいないし、きっと反応してくれる。
そう思って、耳飾りに触れかけるけれど。リファイアードは、ほんの目と鼻の先にいるのだ。駆け寄ったならすぐの距離なのだから、わざわざ耳飾りを使うよりも直接話した方が早いのではないか。
ロルブルーミアの登場に驚くかもしれないけれど、必要なことだけ伝えてすぐに立ち去ればいい。ほんの数歩先にリファイアードはいるのだから。
そう思って、足を踏み出しかけた時だ。リファイアードの冷たい声が響いた。
「宝冠を渡してもらいましょうか。それは、俺の花嫁のものです」




