第66話 ささめく夜に
事態が収束すれば、リファイアードから連絡があるはずだった。それまでは、反対派の動きを注視するとしても、取り立ててやるべきことはないのだ。
ロルブルーミアは大広間へ視線を向ける。楽団の演奏はそれまでの軽快なものから、優雅ながら情感的なものへと変化していた。夜の質感を含んだ音色に、手を取り合った男性と女性が流れるように踊り出す。
ルカイド公爵は笑みを浮かべてうなずいており、新しい踊りを楽しんでいるようだ。周囲の貴族たちも同様で、時折歓談しながら踊りへ目を向けている。
先ほど、若手貴族たちが場を離れたばかりということもあり、しばらくは目立った動きをしないのではないか、と思っていると個室の外から声が掛かった。
廊下に立っている給仕で、曰くロルブルーミアに来客だという。一体誰がといぶかしんでいると、告げられた名前はロレッタ・メアデル。聖女だった。
挨拶がしたいという言葉に、ロルブルーミアは立ち上がる。このまま個室へ迎え入れては、リファイアードの不在を知られてしまう。
ちらり、と大広間へ視線を向けた。しばらく踊りは続くだろうし、ルカイド公爵も目立った動きはしないはずだ。すぐに行動を決めたロルブルーミアは「わかりました」と答えて、個室を出た。
「お久しぶりです、ルミアさま!」
明るい笑顔で言ったロレッタは、乳白色の光沢あるドレスに身を包んでいた。
胸元には一つ星をかたどった装飾があり、さらに全体に細やかな刺繍がほどこされ、袖は長く首元まで襟が覆っている。
真珠の首飾りをしているものの、全体的には決して華美ではない。それでいて、一点ずつが高級品であることがわかり、清楚と気高さを兼ね備えた出で立ちだった。
供の類は連れておらず、一人で訪れたようだった。聖女としては軽率とも言えるけれど、今のロルブルーミアにはありがたい。
お久しぶりですわ、と笑顔を浮かべたロルブルーミアは個室ではなく外で話をしたい、とうながす。
場合によっては怪しまれる場面ではあるけれど、ロレッタは屈託がない。「女の子同士の話ですね!」と楽しそうだ。
とはいえ、廊下で立ち話をするわけにもいかない。
少し考えたあと、二階のサロンへ向かうことにした。こちらは主に、公爵の中でも選ばれた人間のみ利用を許されたサロンが集まっている。
広々とした一室から、部屋をカーテンで区切って個室として使えるようにしたサロンなど、形態は様々だ。
三階と違って至る所に給仕が立つのではなく、サロン内で専用の給仕人が働いているはずだった。
磨き抜かれた広い廊下を進み、きらびやかな階段を下る。
二階はサロンがあることもあり、人の行き来が多いのだろう。三階と違ってにぎやかな雰囲気が漂っていた。
隣を歩くロレッタは、二階のサロンはそれぞれ様々な年代ごとの装飾が施されているらしい、と楽しそうに言う。ロルブルーミアは「そうなんですのね」と相槌を打ってから、個室のサロンへ向かうことを提案した。
ロレッタは嬉々として「それならこっちですよ!」とロルブルーミアを案内する。どんなサロンがどこにあるのかを熟知しているのだろう。
連れてこられたのは、二階の奥まった位置にあるサロンだった。
金色の装飾が施された、重厚な黒樫の扉を開く。室内には控えめな明かりが灯されて、それぞれの部屋を照らしているようだ。
どっしりした赤い天鵞絨で区切られた個室からは、さざなみのような声が漏れ聞こえる。中は案外広いようで、個室はいくつもあるらしい。
案内人の先導で、毛足の長い絨毯を歩く。
ここでは身分についてとやかく言うことはないのか、貴族ではないロレッタや王族に連なるロルブルーミアに対しても、案内人の態度は変わらない。物腰やわらかく丁寧に、二人を先導した。
利用者は思った以上に多いようで、ロルブルーミアたちの前にも案内されて歩く貴族の姿があった。
反射的に貴族名鑑と照らし合わせるロルブルーミアは、すぐに情報を引き出す。
樺茶色の髪をした、面長の四十代男性。濃い眉に一重の目、しわのある口元。最近流行の長いコートには、庭園の刺繍が施されている。結婚推進派のアロマンズ公爵だ。
それとなく様子をうかがっていると、突き当りにある部屋の内、左側のカーテンへと案内されていった。
それを確認したロルブルーミアは、案内人へ突き当りの右の部屋の右側を希望する。聞かれて困る話をするつもりはないものの、念のため推進派の隣がいいだろうという判断だった。
幸い利用者はいなかったようで、案内人は何も言わず右の部屋へ二人を案内する。重厚な赤い天鵞絨のカーテンの奥には、こぢんまりとしながらも豪華な空間が広がっていた。
黒檀で作られたソファは、背もたれやひじ掛けには細かい彫刻が施され、座面は立体的な花柄織物が華やかだ。
同じく黒檀の机は小さいながらも重厚感があり、上には真鍮の燭台が乗っている。ゆらゆらとした明かりは、緻密な織り込みの絨毯や赤い天鵞絨のカーテンを、やわらかく照らしていた。
室内装飾やカーテンで部屋を区切るという様子から見て、ルトリエル国王の治世において発展した様式だろうとロルブルーミアは推測する。
百年ほど前の文化であり、華やかながら落ち着いた様式が特徴である。ロレッタの言っていた通り、各サロンには対応した文化があるのだろう。
「リファイアード殿下とは、最近どうですか?」
サロンでは飲み物を頼むが慣例である。それぞれ、白と赤の果実水を頼んで口をつけたあと、待ちに待った、という風情でロレッタが楽しそうに切り出した。
ロルブルーミアは目をまたたかせる。
「殿下のいないところでお話ししたい、というのはそういうことかなと思いまして」
にこにこ笑顔を浮かべるロレッタに対して、ロルブルーミアはなるほど、と思っていた。
リファイアードの不在を知られないよう個室を出たことを、ロレッタはリファイアードに聞かれたくない話があると思ったのだ。筋の通った推測ではある。
「国のための結婚だって言ってましたけど、お嫌いということもなさそうでしたし――。ずっと一緒に過ごしていたから、もしかして、何かこう、進展があったのかなと」
興味津々といった態度で、目をきらきらと輝かせている。ロレッタはおしゃべりが好きだし、恋愛の話題も好んでいるのだろう。
期待に満ちたまなざしに、どんな答えを返そうかとロルブルーミアは考える。
リファイアードのことを思い浮かべる。
最初に顔を合わせた時は、ただ警戒していた。どんな恐ろしい相手なのかと思ったし、気を許してはいけないと思っていた。
部屋に閉じ込め、ロルブルーミアの存在を無視する、冷酷で無慈悲な王子。それがリファイアードだった。
しかし、少しずつ人となりを知っていったのだ。
奥底に隠された慈しみや、やさしさ。部下たちから語られる姿、幼い兄妹へ向けるやわらかなまなざし。
言葉が足りず伝わらないだけで、隠されたものは確かにあった。話を聞いてくれた。
一緒にお茶の時間を過ごした。家族への愛情。同じように大事なものを知っている。誰より近しい場所にいた。大事なもののためなら何だってできると、同じように思っている。
好きか嫌いかと言われれば、迷わず好きと言える。だって、ロルブルーミアはリファイアードのことを知りたかった。
シャンヴレットに存在を否定され、たった一人で誰にも頼らず、誰も助けられず生きてたことを知って、力になりたいと思った。
共に過ごす時間が心地よくて、ささやかな会話が何でもない瞬間が、何か特別なことのように思えた。
婚約者としてではなく、リッシュグリーデンドの皇女としてではなく、ただロルブルーミアという人間を見ていてくれる。
記憶を取り出すたび、ロルブルーミアの心臓は新しい鼓動を刻んでいくように思えた。脈打つ音が高く響き、巡る血潮が熱くなるような。そんな気持ちになるのは、きっと、とロルブルーミアは思う。
――あなたはいつだって、戦うことを選べる人だ。
思い浮かぶ声、表情、言葉。胸が高鳴り、体が熱を帯びていく。
初めてだったのだ。何度だってリファイアードは、知らないものをロルブルーミアに与えた。
同じものを見て、同じ立場で生きている初めての相手。そして何よりも、ロルブルーミアは戦う人だと言った。
大事に大事に守られてきた、か弱い皇女ではなく。大事なもののために戦えるのだと、傷も痛みも乗り越えて戦うことを選ぶのがロルブルーミアなのだと、真っ直ぐ告げた。
今まで誰も、そんなことは言わなかった。全てはロルブルーミアのためで、やさしい気持ちからだとわかっている。だから、不満に思っているわけではない。それでも、ロルブルーミアは理解している。
あなただけは、共に戦おうと言ってくれるでしょう?
大事に守って何もかもから遠ざけるのではなく、共に戦おうとする。それがリファイアードだ。
ロルブルーミアの心の内にあった望みを掬い取った。前に出てかばうのではなく、隣で戦おうと手を差し出した。
そんな風にロルブルーミアを見てくれたのは、リファイアードが初めてだった。
その瞬間を思い出すと、胸の奥に新しい火が灯るのだ。体中全てが新しくなって、血潮が熱い。頬が紅潮して、何だってできるような気持ちにさえなってくる。
「――特に変わりはありませんわ」
長い沈黙のあと、ようやくロルブルーミアはそれだけ答えた。
もちろん、変わりがないなんてことはないのだ。ロレッタと教会で話すようになった段階では、少しずつ違う顔を知っていって、話をしようとしていたもののそれだけだった。しかし、今のロルブルーミアにとっては違う。
同じものを見て同じ立場で生きてきて、共に戦おうと手を差し出した。そんな相手は初めてだったのだから。
ただ、それを素直に口にするのも何だか気恥ずかしくて、何も変わりはない、なんて答えたけれど。そう告げるロルブルーミアはいつものようなおだやかな笑みを浮かべてはいなかったし、頬は薔薇色に染まっている。
その様子に気づかないロレッタではなかった。
にっこり笑みを深めると、それは楽しそうな弾んだ声で「やっぱり王子さまは違いますよね~。王子さまは乙女の憧れですし」なんて言うので。ロルブルーミアは思わず答えた。
「一般的な王子さま像とはだいぶ違うと思いますけれど」
読み物の類で描かれる王子さま、というものがどんな存在であるかは知っている。
非の打ち所がなく完璧で、いつでも温厚。清廉潔白な人柄で紳士的な振る舞いが自然とできるし、上品で洗練されている。
しかし、リファイアードはあまり当てはまらないとロルブルーミアは思った。
ロレッタは意外そうな顔で「そうですか?」と尋ねるので、ロルブルーミアはうなずく。
「ええ。剣の腕は確かでしょうし、決して粗野ではないとは思いますけれど……。愛想がいいとは決して言えませんし、何よりも言葉が足りないにもほどがありますもの。きちんと言ってくれれば防げた事態なんて、いくつもありますわ。全てが自己完結しがちで、意思疎通はあまり得意ではないんですのよ。どちらかといえば実力行使に出がちですし、何かあれば考えるより先に飛び出していくと思いますもの」
今までのことを思い浮かべなら答えると、ロレッタは数秒黙ってから嬉しそうに答えた。
「ルミアさまと殿下が仲良くなってよかったです!」




