第63話 星列
与えられた個室は、三階の端だった。
中央の個室は国王と王妃のためのもので、その隣は第一王子や第二王子など、継承権上位の王族ほど中央に近い位置に個室が与えられている。
リファイアードの継承順位から考えれば、そもそも今夜ここにいることが場違いなのだ。それでも参加している手前、妥協案とも言えるのが三階の端という立地なのだろう。ほとんど目立たない場所であり、今の二人には幸運と言えた。
個室の壁紙は刺繍が一面に施され、床には毛足の長い絨毯が敷かれている。
豪奢なソファと手の込んだ細工を施された机が置かれ、大広間に面した側は大きく開けていて、天鵞絨のカーテンで縁取られていた。
個室の出入りは、白樫の重厚な両開きの扉だ。扉の向こうは広い廊下につながっており、ところどころに給仕が控えている。
侍従を通して食べ物や飲み物を手配することもできるし、侍従を伴っておらずとも机に置かれた呼び鈴を鳴らせばすぐにでも給仕が参じてくる、とリファイアードは説明する。
二階は給仕人が控えているわけではなく、飲食がしたい場合は廊下からつながるサロンへ赴く必要があるという。
サロンには専用の給仕人がおり、適宜給仕を行うのだ。個室にまで運んでくるのは、あくまで王族専用ということなのだろう。
この場合の慣例として、何も頼まないわけにはいかないのだという。
ただ、酒はふんだんに用意されているものの、今ここで酔うわけにはいかない。そうなると、選択肢はほとんどなかった。
五色の糸から着想を得たという、五色の果実水の一つをそれぞれ頼む。すぐに黄金色の杯が運ばれてきたので、ささやかに乾杯をしてからソファに腰を落ち着けた。
「――次の入場が始まるみたいだわ」
優雅に腰掛けるロルブルーミアは、笑みをたたえてつぶやく。
はたから見れば、ただ自然とほほ笑んでいるようにしか見えず、言葉を発したこともわからないだろう。
完璧な笑顔を浮かべるなんてことは、今までの積み重ねの結果自然とできるようになっていた。
「王族の次ですから、貴族の中でも要職についている面々ですね。その後は公爵家の有力者たち、最後に聖職者です」
ロルブルーミアと同じように、完璧な笑みを浮かべてリファイアードは答える。
笑顔は王族にとって必ず身につけなければならない技能だ。感情と笑みはとっくに切り離されていて、ただの肉体運動の一環で自然な笑みを浮かべられるように訓練されている。それは二人とも同じだった。
何の意志もない、ただおだやかな笑みを浮かべて貴族たちの入場を見守る。
ただ、公爵家の有力者たちが入ってきたところで、リファイアードがふっと表情を変えた。思いついた、といった顔でロルブルーミアへ問いかける。
「今ちょうど真下を通ったあの男性がどなたかはわかりますか」
「サオーサ公爵閣下ですわ。領地ソア・ポットはチョウザメが特産品です」
二人の真下を通っていったのは、恰幅のいい紳士だ。
年齢は五十代、深みのある茶色い髪をきれいになでつけている。濃灰色のコートには魚の刺繍が施され、ゆったりとした足取りで歩いていった。
リファイアードが示した相手をすぐに察したロルブルーミアは迷うことなく答える。
リファイアードは数秒だけ沈黙を流してから、今度は「あちらのご婦人は?」と、赤みのある紫色のドレスを着た女性を示した。
透き通るように白い肌をしており、豊かな金髪は美しくまとめられている。華やかな雰囲気が目を引く女性だった。
「ピドオ公爵妃殿下は、化粧品の新開発に名高い方ですわね。果樹から着想を得た新商品が評判です」
よどみなく答えると、リファイアードが面白そうに笑った。今までの完璧な笑みではなく、純粋に心からあふれたものが形になったものだ。
ロルブルーミアも、いたずらっぽい表情を浮かべて問いかけた。リファイアードがどんな意図で質問をしたのかはわかっていた。
「――試験は及第点かしら?」
「試験のつもりではなかったのですが。ただ、動きを伝えてもらうわけですし、ある程度はわかっていた方がいいだろう、と思ったまでです。わからない顔があれば伝えようと思ったのですが、要らない世話でしたね」
そう言って肩をすくめるのは、ロルブルーミアにはこの場に残って大広間の動きを伝えてもらうという役目があるからだ。
その際、対象となる貴族の名前がわからなくては上手く情報伝達もできない。知らない顔があれば教えようと思っての問いかけであったことは察していた。
だからロルブルーミアは、目に入る貴族の名前と領地、それから特産品について口にする。
公爵家の入場が終わり、聖職者たちが入ってくるまでそれは続いたので、リファイアードはしきりに感心してつぶやく。
「俺は数年かけて、ようやく顔と名前を一致させたのですが……。まさかこんなに短期間で全てを把握しているとは」
「せいせい百人程度ですもの。これくらいなら、問題ありませんわ」
謙遜ではなく純然たる事実としてそう言うと、リファイアードは「それが難しいんですよ」と重々しく答える。
リファイアードにとっては、貴族たちの顔と名前を一致させるのは至難の業だったのだろう。
時間をかけてようやく把握できるようになったからこそ、ロルブルーミアがすでに全員把握している、ということに舌を巻いているのだ。彼女が口にした名前は全て正しかったからこそ。
「ふふ、エマジアにいろいろと教えてもらいましたし、貴族名鑑もありますもの。取り寄せておおむね読み込んではいましたから、あまり難しくはないんですのよ」
オーレオンへ嫁ぐことが決まってから、ロルブルーミアは必要な知識を蓄えた。その内の一環である。
もともと、魔王の城を訪れる臣下や貴族の顔を覚えることが得意だったので、あまり苦ではなかった。
さらに、オーレオンへやって来てからもエマジアがあれこれと情報を入手してくれたことも大きかったのだ。
街の噂に出てくる貴族の話、流通する品物の領地など、実際の生活に根差した情報のおかげで、すぐに覚えることができた。
「俺はどうにも、人の顔は大体同じに見えるんですよね……。剣の動きならすぐ覚えられるんですけど」
冗談めかした答えに、ロルブルーミアはくすりと笑う。「わたくしには、そちらの方が不思議ですわ」というのは純然たる本心だった。
「まあでも、さすがに今は全員覚えてますよ。特に今は、どの派閥に所属しているかを把握しなければいけませんから」
わずかに視線を鋭くして、リファイアードはつぶやく。
もちろん、表立って衝突するようなことはしない。表面的にはおだやかに、どんないさかいもないような顔をしながら、相手を蹴落とそうとするのが貴族たちである。
誰が味方で敵なのか、把握しなくてはならないのだ。顔と名前が覚えられない、などと言っている場合ではない。ロルブルーミアはこくりとうなずいた。
「サオーサ公爵殿下は結婚反対派、ピドオ公爵妃殿下は中立派ですわね」
確認するように言うと、リファイアードは目を瞬かせた。
それから、「一晩で覚えたんですか」と目を丸くして言うので、「剣の動きよりは難しくありませんもの」と返す。
昨晩、持ち掛けられた計画に了承を返したあと、リファイアードは結婚推進派・反対派・中立派の貴族たちについて、おおむね説明を行っていた。ロルブルーミアは情報を整理して記憶し直し、あらかたの派閥は覚えていた。
「ただ、完璧に覚えたかというと少しばかり心もとないのですけれど。もちろん、各派閥の主要な顔ぶれは理解していますわ。ただ、流動的な方もいらっしゃるので、その辺りが不確かですの」
有力貴族ながら、明確な派閥に属していない顔ぶれを思い浮かべながら言うと、リファイアードは「それくらいでかまいませんよ」と答えてから「そろそろですね」とつぶやいた。
席を立って、ちらり、と視線を向けるのは大広間ではなかった。豪華で広い個室に悠然と座っている国王を見ている。
全員の入場が終わったので、そろそろ開会の挨拶があるのだろう。ロルブルーミアも同じように席を立った。
リファイアードは真っ直ぐ国王を見つめながら、ぽつりとつぶやく。
「派閥と言っても、利害関係によってつながっている貴族も多い。特に末端は、裏切り者や寝返りなんてしょっちゅうで、一枚岩ではないんですよ」
推進派と反対派とはいえど、信念に従っている貴族ばかりではない。今後の展望や領地の関係などで、どちら側につくか決めているだけの人間も多いのだ。
だから、途中で寝返る者や裏切る者も多いため、明確に派閥を分けることは難しいのだ。
全てを把握できないのも当然だ、と言うリファイアードの声は冷ややかだった。軽蔑さえ浮かべたまなざしで、吐き捨てるように続けた。
「簡単に裏切ることができる信念なんて、どんな価値があるのか。裏切るくらいなら死ぬだけだ」
あまりに強い言葉だった。声だけにもかかわらず、触れたら切れるような、火傷してしまいそうな。
狂暴ささえ感じる苛烈な言葉は、リファイアードの限りない本心だ。
聞く者を怯ませるような響きをしているけれど、ロルブルーミアはただ静かにうなずく。
「ええ、そうですわ。命を懸けても守りたいからこその信念でしょう?」
一番大事なもの。決して裏切れないもの。
言葉にしなくても、二人とも心に誓った信念がある。そのためになら、何だって差し出せる。命すら懸けてみせる。裏切るくらいなら、死を選ぶと決めている。
その先にあるのがお互いでないことは、二人ともわかっている。
同じものを大事にしているわけでもないし、相手を一番に思うことはない。その事実を誰より強く理解しているのがお互いだからこそ、これから共犯者にだってなれるのだ。




