第59話 灯火を掲げよ
案の定「いえ、それは問題ないのですが……」と、首を振る。
ただ、その顔には明らかに思案の表情が浮かんでいて、ロルブルーミアは目を瞬かせる。何か考え込むような事態があったのではないか、と思ったのだ。
「――もしかして、わたくしが至らぬゆえ、何かご迷惑をおかけしたのでは……」
先ほどの伝令鳥が何を伝えたのか、ロルブルーミアにはわからない。軍部からの呼び出しなのだろうとは思っていたけれど、確証はないのだ。
それに、もしも軍部の――リファイアードの任務に関わることであったなら、こんな風に顔に出すことはないのではないか、と思った。恐らくただ淡々と自分のすべき仕事に邁進するだろう。
しかし、それをせず考え込んでいるのは、何かロルブルーミアにまつわることで呼びつけられたのではないか、と考えた。
王宮へ訪れて以降の行動に関しては、基本的に大きな瑕疵はないと思っている。
しかし、夕食会での出来事はまた別だ。もしかしたら、ロルブルーミアを抜きにして呼び出されて、あれこれ叱責されたのではないか、という可能性が頭をよぎったのだ。
ロルブルーミアが被害者であることは間違いない。
警戒を怠ったことだとか、危機感が足りなかっただとか、落ち度と言えることはあるかもしれない。しかしそれは、決定的な失敗になるようなものではない。
リファイアードが言っていた通り、そもそも犯人が行動を起こさなければ何事もなく済んだのだ。誘拐事件を企てた犯人に罪があるだけで、ロルブルーミアは何一つ悪くはない。
ただ、事実としてそうだったとしても、王族の中では簡単に行かないことはわかっていた。
オーレオン国王が諾としたとしても、神聖なる王家に迎えられる人間としてふさわしくないと声が上がることも予想はできるのだ。
純然たる事実として、誘拐され暴力を受けて、精神的にもボロボロになった。傷一つない、健やかな女性とはどうしたって違っている。
過去に傷を持っているということは覆せない事実なのだ。
「――死と暴力の過去があることは事実です。婚約者がそんな人間だなんて、リファイアードさまにとってはきっと汚点になってしまいますもの」
だから何か迷惑になってしまったのではないか。自己卑下ではなく、ただ純粋な気持ちでそう言った。
するとリファイアードが大きく目を見張った。その意味を、ロルブルーミアは注意深く観察しようとする。
ゆらりと瞳に宿るもの。同情ではなかった。悲しみでもなかった。強くきざす光の意味を読み取ろうとしていると、リファイアードが口を開いた。
「過去を乗り越えて今ここにいることは、誇ることであって、後ろめたく思うことではないでしょう」
強い声は、どこか怒っているようにさえ聞こえる響きをしていた。リファイアードはにらみつけるようなまなざしを向けて、さらに続ける。
「もちろん喜ばしい過去ではない。悲惨で忌まわしい記憶で、なかった方がいいに決まっている。それでも、今ここにあなたはいる。屈することなく、折れることなく、堂々と立っている」
苦しい過去があり、記憶があったとして。あまりにも辛く惨い現実に、二度と立ち直れない可能性だってあった。
何もかもが恐ろしいまま、世界の全てを拒絶して呪いをかける選択肢だってあった。全てを捨てて、自分の命を投げ出す答えだってあった。
しかし、どれもロルブルーミアは選ばなかった。
幸運や環境が味方をした結果だったとしても、ロルブルーミアはもがいてあがいて戦うことを選んだ。
屈するのではなく、跳ね返すことを。倒れ伏しても、立ち上がることを。過去から抜け出して、未来へ向かうことを。選ばなければ、今ここにロルブルーミアはいないのだ。
国のために、大事な家族のために、リッシュグリーデンドという安寧の地から、オーレオンへ嫁ぐことを決めたのは、ロルブルーミアが己の信念に従って、望んだものを手に入れようと決意したからだ。
「それは、あなたが過去に負けずにいたことの証で、ロルブルーミア姫が勝ち取った結果でしょう。胸を張るべきです」
力強い言葉に、ロルブルーミアは何を言えばいいかわらなかった。そんな風に言われるなんて、微塵も思っていなかったのだ。
自身の過去に起こったことは、どうしたて後ろ暗いもので、ぬぐい切れない汚点だと思っていた。だから、知られてしまえば嫌悪感を抱かれるのが当然だという認識しかなかった。
利害関係の一致で天秤にかけた結果、それでも構わないと判断しただけで。
しかし、リファイアードは言うのだ。
過去が辛くて苦しいもので、確かな傷になっていたとしても。それを乗り越えて今ここに立っていることに意味があるのだと。今ここにいることは勝利の証なのだと。
告げられる言葉に、ロルブルーミアの心臓が大きく脈打つ。体の奥が熱くなるような気がした。
そんな風に言われるなんて、ひとかけらだって思っていなかったのだ。辛い過去に悲しい顔をするのではなく、勝利の証だから胸を張れなんて。
言いようのない気持ちが湧き上がってきて、ロルブルーミアはリファイアードをじっと見つめた。何かを言いたかった。しかし、上手く言葉にならなかったのだ。
ただ、その視線をどういう意味に受け取ったのか。リファイアードは少し照れたような表情を浮かべて、ぽつりとつぶやく。
「もっともこれは俺の勝手な戯れ言ですし――ロルブルーミア姫がそうしていられるのは、家族がいたからということも承知しています。だから、遠くにいる家族と連絡を取りたいという気持ちは自然だと思います」
一瞬何の話かと思ったものの、音話機のことだと気づく。ロルブルーミアはずっと首飾りを持っていたし、リファイアードは恐らくその存在を気にしていたのだろう。
適切な言葉を掛けようと、あれこれ考えていたのかもしれない。その結果が今の言葉なのだろとロルブルーミアは思う。
場合によっては確かに、秘密裏に連絡を取り続けていたことは褒められたものではない。問題としておおごとになる可能性もある。
だからこそ、気持ちはわかるし気にしていないと言いたいのだ。
万が一国家機密でも漏らしていたら別だろうけれど、ロルブルーミアは機密を知る立場ではない、ということもあるのかもしれないけれど。後ろめたく思う必要もない、詫びることもしなくていいと告げるのだ。
リファイアードならきっとそう言うだろう、とロルブルーミアは素直に思えた。
今まで過ごしてきた時間が確かに教えてくれる。家族を何より大事にして、大切なもののためなら何を差し出しても構わないと思っているのだ。
同じ気持ちを知っている。同じものを見ていることは、リファイアードだってよく知っている。だから、家族へ連絡を取りたいと思う気持ちを汲んで、こんな風に言ってくれる。
そしてそれは、ロルブルーミアという人間を理解して、共に過ごした時間があるからだ。
もっと前のリファイアードであれば、こんな答えは出さなかっただろう。ロルブルーミアの人となりを知ったからこそ。大切なものを大切にしたいという気持ちを汲んでくれたからこそ。
リファイアードにとって無機質な、婚約者という役割だけでなく。ロルブルーミアという人間そのものを理解しているからこその言葉だ。
その事実に、じんわりとしたものが胸に宿るのを感じていると、リファイアードが口を開く。
「――それにしても、遠く離れていても会話ができるというのは不思議です。その道具による効果だとは思うのですが。魔力を発動しているわけではないですよね。オーレオンに魔力はほとんどありませんから」
しげしげと、ロルブルーミアが持つ首飾りへ視線を向けて言う。興味深そうなまなざしに、ロルブルーミアは口を開く。
「ええ。わたくしには魔力がありませんから、わたくしの力ではありませんわ。ただ、リッシュグリーデンドの魔力が込められていて、それを機械と融合させていますの」
何だか肩の力が抜けて、ロルブルーミアはそう答える。
対になる魔石が呼応することで、離れた場所にいてもお互いの声を聞くことができるし、今手に持っている首飾りは魔王城の大鏡につながっている。
簡単に説明すると、リファイアードは感心したそぶりでうなずく。
「ここから魔王城までは、相当な距離があります。黒い山脈に隔てられているというのに……それすらものともせずに会話ができるとは。家族限定でしか通じないんでしょうか。それとも、誰でも構わない? ああ、でも大鏡が必要となると、場所を選んでしまうな」
興味津々といった様子で首飾りを見つめて、あれこれと疑問を口にする。
一体どうなっているのか、と真剣な様子で考察しており、その表情は探求者のそれだった。
「これがあれば、伝令鳥を飛ばさなくて済むな」やら「その場の様子がすぐにわかるのは大きい」など、ぶつぶつつぶやいている。
「この中心にある魔石が肝要だと思いますが――そういえば、ロルブルーミア姫がいつもつけている耳飾りも同じもののように見えますね」
はっとした表情で言って、常に耳元で揺れている耳飾りへ視線を向ける。
お守り代わりに肌身離さず身に着けているからだろうか。常にリファイアードの視界に入っているということで、無意識に記憶していたのかもしれない。
もしかして、といった表情で尋ねられた言葉。いいえ、と首を振ることはできるし、そうしてもよかったのだけれど。
ロルブルーミアは数秒考えてから、そっと口を開く。
「――ええ、そうですわ。これも同じ鉱石を使っています」
「ということは、その耳飾りも同じ機能が?」
「こちらは耳飾りと手鏡の対になっておりますの。持ち運びが容易で重宝していますわ」
宝石箱に入れて今回も持参した手鏡を思い浮かべて、そう言う。
何も口にしなくても、ごまかしてもいいとわかっていた。だけれど、ロルブルーミアはそうしなかった。
嘘やごまかしはきっと要らないのだ。家族と言葉を交わすことの意味を、今ここにロルブルーミアがいることの意味を知っているリファイアードなら。
「なるほど。確かに、大鏡では場所が固定されてしまいますからね。手鏡であれば持ち運びができるのは大きい。ただ、性能に変化はないのか気になりますが」
恐れや忌避の感情は一つもなかった。
リッシュグリーデンドの技術をいぶかしむのではなく、ただ興味を持って口にされる言葉に、ロルブルーミアの唇は自然と弧を描く。
一体どんな仕組みなのか、手鏡という小ささでも問題なくやり取りはできるのか、声はどんな風に聞こえるのか。好奇心を忍ばせた真剣な表情で耳飾りや首飾りへ視線を向けて、リファイアードはつぶやく。
その様子に先ほど感じたじんわりとしたものが、胸から体の隅々まで広がっていくようだ。
別に機密事項というわけではないし、リッシュグリーデンドでは国中に音話機を普及させることを目標にしている。だから、知られたところで構わなかった。
オーレオンでは技術力が不足しているので、いくら現物を手にしたところで真似することは不可能だとわかっていることも大きい。
それに何より、今までのリファイアードの言葉や態度を知っているから。
「少し試してみますか?」
自然と声が唇からこぼれた。リファイアードは一瞬黙ったあと、「いいんですか」と言うので、こくりとうなずく。




