第58話 願う声②
「でも、今はお兄さまやお姉さまが魔力供給してるから、そろそろ安定すると思うよ。だから、本当にルミアは気にしなくていいんだ」
明るい声をして、軽い調子で続く言葉。
これがルーゼットリンクの気遣いであることくらい、ロルブルーミアは理解している。もっと重要なことがあっても、きっとルーゼットリンクは何も言わないだろうことも。
それでも、聞きたいことがあった。最近は、ルーゼットリンクやウィリローロルデの特効薬のおかげか容態は落ち着いていたはずだ。それなのに、著しい減退が起きた。
「――お父さまは、どうしてお倒れになったの?」
「ルミアのせいじゃないよ。気にしないでいい」
固い声で尋ねると、ルーゼットリンクはすぐに反応した。その答えに、ロルブルーミアは悟る。お父さまが倒れた理由は、わたくしに関係しているのだ、と。
だってそうでなければ「ルミアのせいじゃない」なんて言う必要はない。ごまかすにしたって、ロルブルーミアの名前を出さずにいればいいのに、とっさにそうできなかった。
減退の理由は突き止められていない。だから、魔力減退が不規則に起こる可能性は充分考えられる。ただ、恐らくそれだけではないのだ。
想定外の魔力減退が起きたとして、すぐに昏倒するとは限らない。しかし、実際に倒れたというなら。それにロルブルーミアが関わっているというなら。
確証はない。それでも、頭に浮かぶ仮説があった。
魔力の減退は、国全体に大きく影響する。魔力を込めた魔道具も、当然いつものようには使えないだろう。たとえば、ロルブルーミアに持たせた音話機など最たるものだ。
しかし、首飾りと大鏡はつながっているから、直接大鏡に魔力を流すことで音話機の魔力を安定させることができる。
だからアドルムドラッツァールは無理をして、自身の魔力を振り絞った。結果として倒れたのでないか。音話機が使えなくなることを懸念して、魔力を供給しようと考えてもおかしくはない。
(お守りだと思って、身に着けていなさい。いつでもそばにいる。たとえ遠く離れていても、近くで見守っている)
音話機である首飾りと耳飾りを渡した時に言われたこと。近くにいると、どんな時も呼びかければ答えるのだと、言ってくれたのだ。
それを守ろうとして、ロルブルーミアを一人にしないため、つながる手段を守ろうとするくらい、当たり前のようにしてくれることをロルブルーミアは疑わない。
だからきっと、お父さまは無理をした。わたくしのために、力を振りを絞って昏倒した。確証はなくても、きっとそうなのだと、ただ理解してしまった。
「――ルミアは何も知らなくていいんだ。知らなくたって平気だよ。お父さまも僕たちも、ルミアが笑っていてくれるのが一番嬉しい。だから、ただ幸せでいてほしいんだ」
ルーゼットリンクが懇願するように言った。
恐らく、ロルブルーミアが気づいたことにも気づいていて、それでもどうか知らないままでいてほしいと願っている。
ロルブルーミアには何一つ憂いなく過ごしていてほしい。不安も恐怖も知らないまま、ただ笑っていてほしい。
そう思っていることを、ロルブルーミアは理解している。ずっと前から、ずっと昔から、そうやって願っていてくれたのだから。
「お父さまも大丈夫だよ。ルミアの花嫁姿を楽しみにしているって、ずっと言ってるんだ。今もそうだよ。ルミアの結婚式に参加するために無茶はしないって、約束させたからね。だから平気。平気なんだよ」
すがるような響きさえしていて、ロルブルーミアは何も言えなくなる。これ以上、ルーゼットリンクに父親の容態を尋ねることは、兄の気持ちを無視することだとわかってしまったからだ。
ロルブルーミアは大きく息を吐き出すと、「ええ、そうですわ」とうなずく。
「お父さまには、とびきりのわたくしを見せてさしあげます」
何一つ嘘ではなかった。ロルブルーミアはきっと、今までで一番可憐な装いで結婚式を迎える。
最高級の品質と伝統に彩られた、もっともロルブルーミアを魅力的に見せる装いだ。誰もがため息をこぼすような、思わず見とれてしまうような、そんな自分で結婚式に臨むつもりなのだから。
自信を持って父親の前に現れて、光り輝くように「幸せですわ」と告げるつもりだった。
だから心配しなくていいのだと、ここでちゃんと幸せになれるのだと、国のために娘を犠牲にしたのだと思わなくていいのだと、自分の存在の全てで告げるつもりだった。
しかし今告げるのは、ルーゼットリンクを安心させるために必要だと思ったからだ。
今兄が恐れているのは、ロルブルーミアの胸が不安で満たされてしまうことだ。アドルムドラッツァールをはじめとして兄や姉たちであれば、きっとそう思う。
心配させたくない。不安に思ってほしくない。幸せでいてほしい。それはロルブルーミアから家族に向ける願いと同じものに他ならない。
その切実さを理解しているロルブルーミアは、これ以上何も言えないのだ。
「うん、そうだよ。とびきりかわいいルミアでいて。悲しいことも、怖いことも何も知らなくていいんだ」
ほっとした様子でルーゼットリンクが言った。心からのやさしさと、降るような愛情を込めて続ける。
「僕たちのかわいいお姫さま。怖いことは何もないよ。離れていたって、僕たちがずっと守っていてあげるから。悲しい思いも苦しい気持ちも、痛いことも何一つ知らないままでいて」
大切に、大切に守られてきたのだと知っている。
魔王城で暮らした日々は、家族がいつだってロルブルーミアを守っていてくれた。手のひらで大切に包むように、末の姫を、非力な人間の子供を、悪意によって蹂躙された幼い子供を、大事にしてくれていた。
その気持ちは、たとえ遠く離れていたって変わらない。
「危険なことなんてしなくていいんだ。ただ、安心して毎日を過ごしてほしい。悲しいことも辛いことも、全部知らないままでいてほしい。いつだって、みんなで守ってあげるから、ルミアはただ幸せでいて」
祈りのような言葉は、決意の響きをしていた。ロルブルーミアが姫として迎え入れられた時から、家族はずっと決めていたのだ。
幼い子供を、末の姫を、かよわくて非力な強くて愛らしい人間を、この先ずっと守っていくのだと。
かわいいルミア、と何度も言われてきた。降るように愛をそそがれて、大切に慈しまれてきた。
もう二度と恐ろしい目に遭わないように、悲しみも痛みも苦しみも全てを遠ざけて、ただ守っていこうとしてくれた。幸せだけしか知らないように、陽だまりの下で笑っていられるように。
「お願いだよ。僕たちの――かわいいルミア」
全ての愛を詰め込んで、呼ばれた名前だと知っている。たとえどれだけ離れていたって、国と国が違っていたって、何一つ変わらない気持ちで守ろうとしてくれる。
その事実に、胸がつまるような思いで「ええ、わかっていますわ」とロルブルーミアはうなずく。その時だった。
「誰かいらしたのですか」
背後から聞こえてきた声に、びくりと振り向く。リファイアードが部屋へ戻ってきていた。
普段なら、もっと周囲に気を張っていただろう。
しかし、父親が倒れたという事実に動揺していたし、兄とのやり取りに集中していた。さらに、一身に向けられる愛情をあらためて受け取った。
様々に襲い来る感情に翻弄されて、周囲へ気を配ることがおろそかになっていたのだ。部屋にリファイアードが入ってきたことに気づかないくらい。
「よかった。ルミアなら、そう言ってくれると思ってたんだ。ああ、お父さまのことも本当に心配しないで。ルミアの結婚式には、必ず元気に参列するから――」
とっさに反応できずに固まっている間に、ルーゼットリンクのほっとしたような声が流れる。
リファイアードがいぶかしげな表情を浮かべるのも当然だろう。この部屋には誰もいないのに、明らかにロルブルーミアのものではない声が聞こえてくるのだから。
「ルーゼお兄さま、すみません、少しこちらが立て込んできましたの」
我に返ったロルブルーミアは、慌ててそう言った。通話を終わらせる旨を告げると、ルーゼットリンクは「ああ、そうだったんだね。ごめんね」と素直にうなずいた。
それからすぐに通話は終了して、二重円の中心にあった天空石からは、今まで放たれていた光がすうっと消える。物言わぬただの宝石になったのだ。
「リファイアードさま、お戻りになられたのですね。ご用事はお済みでしょうか」
「ええ、おかげさまで」
ひとまず、何食わぬ顔で声を掛けると、リファイアードは緩やかに答えて室内へ踏み入ってくる。
ロルブルーミアはその様子を見つめながら、頭を回転させる。
音話機の存在自体は機密事項ではないから、リファイアードに知られることは構わない。ただ、積極的に見せびらかすようなものでないことも確かだ。
ごまかすべきか、何をしていたのか話すべきか。リファイアードが音話機だと気づいていないなら、ひとまず流すべきではないか。
リッシュグリーデンド語で話していたから、内容はわからないはずだ。そう思ったのだけれど。
ロルブルーミアの隣に並んだリファイアードは、何食わぬ顔で口を開く。
「リッシュグリーデンドとのご家族との会話のようでしたが。第三王子のルーゼットリンク殿下でしょうか。結婚式の話をされていたようですね」
さらりと告げられて、ロルブルーミアの体は固まる。どうしてわかったのか、と思ったのだ。ただ、答えはすぐに頭に浮かぶ。
「――リッシュグリーデンド語がおわかりになるの?」
「日常会話程度です。話すのはまだ不得手ですし……ただ、聞くだけなら問題はないかと。ご家族とやり取りしていることはわかりましたよ」
ロルブルーミアとて、オーレオン語を習得しているのだ。リファイアードがリッシュグリーデンド語を理解していもおかしなことはない。むしろ、考えてみれば当然の結論とも言えるかもしれない。
ただ、こうなると音話機の存在をごまかすことはぐっと難しくなる。ロルブルーミアは深呼吸をしてから口を開いた。
「ええ、少しやり取りをしておりました。リファイアードさまの許可なく、勝手な行動を行った非礼をお詫びいたします」
ここはもう、認めてしまった方がいいと判断してそう言う。
家族とのやり取り自体は犯罪ではないのだから、こうなったら変に隠すよりいいだろう、と思ったのだ。
以前ならばいざ知らず、今のリファイアードなら全てを切って捨てることもないはずだ。ただ、王宮内での行動としてはいささか軽率だった面も否めないので、非礼を詫びた。
するとリファイアードはロルブルーミアの言葉に、大きく目を瞬かせる。それから、慌てたように答えた。
「いえ、特に咎めているわけではありません」
「ですが、勝手な行動であることは事実ですもの。思慮が足りませんでしたわ。それに、お戻りになったことも気づかず、申し訳ありません。きちんとお出迎えすべきでしたのに」
ひとまず、話題を別方向へ持っていこうと思ってそう付け加える。
本来であれば、すぐに気づいてリファイアードを出迎えるべきだったのも事実だ。リファイアードが気にしないことはわかっていたけれど。




