第56話 熾火の夜に
その後、夕食会は滞りなく進んだ。ロルブルーミアの過去の話などなかったように、和やかな雰囲気で全ては終わったのだ。
ロルブルーミアもきちんと笑顔を浮かべて、如才なく受け答えをしていた。
会の終わりが告げられて挨拶を交わす時も、王宮から馬車に揺られて離宮に戻る時も、使用人たちの手によって盛装から着替える時も、普段通りの顔をすることはできた。
しかし、使用人たちが下がってリファイアードと部屋に二人になると、一転して表情を変える。
こわばった顔は、きちんと伝えなければならないという決意のあらわれでもあった。
「――夕食会でのことは、申し訳ありませんでした。上手く反応できず取り乱してしまったこともそうですし、もっと情報管理を徹底すべきでしたわ」
誘拐事件自体の隠蔽工作はしていない。全てを隠すことが困難だとわかっていたからだし、もともとロルブルーミアについての情報はあまり表に出ないようになっていた。
だから、それまで通りにしていれば問題ないだろう、という判断もあった。
しかし、本来であればもう少し情報管理の段階を上げるべきだったのだろう。それを怠ったのは、リッシュグリーデンドでありロルブルーミアの落ち度とも言える。
「――それに、詳細についても事前にお話ししておくべきでした」
痛みをこらえるような表情で、ロルブルーミアは言う。
誘拐事件のことは、リファイアードも知らされている。ただ、どこまで詳細を知っているのかは確認したことがなかった。
共にさらわれた母親がその時に亡くなったことは説明されていたようだったけれど、ロルブルーミアをかばったことまでは知らないかもしれない。
だとしたら、夕食会で唐突に暴露される形となり、動揺を誘った可能性がある、と思ったのだ。事前に対応しておくべきだった、とロルブルーミアは謝罪を向ける。
すると、リファイアードが慌てた調子で口を開いた。
「おおまかな話は父上から聞いています。それに……こちらでも情報は集めたので、シャンヴレット殿下が知っていることは当然こちらも知っています」
いささか申し訳なさそうな様子は、勝手にロルブルーミアのことを調べたからだろうか。
そんなことは当然だと思っているから、気にはしないのに、とロルブルーミアは思う。婚約者の身上調査は、王族として当然の行為でしかない。
リファイアードは、強いまなざしを向けて言葉を並べる。
「それに、夕食会の件なら俺の方こそあなたに謝らなくてはいけない。シャンヴレット殿下の発言は予想できるものでした。結婚に反対していることを隠しもしないし、強行策を訴える筆頭派ですから。それなのに、事前に手を打てなかった。あまつさえ、暴言を許したうえ、止めるまで時間がかかってしまった」
シャンヴレットは魔族嫌いで結婚にも強く反対している。歓迎を示すはずがないことはわかっていたし、嫌悪を見せる可能性はあった。
さすがに国王の前であからさまなことはしないはずだと思っていたとしても、何らかの対策を取っていてもよかったはずだ。
しかし、それも後手に回って何もできていない。結果として、夕食会での発言だ。
あくまでも「国民の不安」を口にして、明確な罵詈雑言や呪詛の言葉を掛けたわけではない。
綱渡りのように言葉を選ぶシャンヴレットに、一体どう言い返すべきか。迷っている内によどみなく吐き出されていく言葉は、ロルブルーミアを確かに傷つけただろう。
それは結局のところ、リファイアードの準備不足に起因していると言える。それがリファイアードの結論らしい。
「申し訳ありません」
ロルブルーミアは自身の不手際のように言ったけれど、これは自分の問題であると、リファイアードは謝罪を口にした。
本心からの言葉であることを理解したロルブルーミアは、目を丸くしてから慌てて首を振る。
「リファイアードさまのせいではないでしょう。あなたが謝る必要はないわ。わたくしの考えが足りなかったから……」
「ロルブルーミア姫のせいでもないはずです。あなたは被害者であって、責任があるわけではない。俺が気づくべきでした」
「そんなことはないわ。元を正せば、わたくしが発端ですもの」
「ですが、オーレオンの王子の動向なら、俺の方が勝手はわかっています。対処すべきは俺でしょう」
お互い頑なに譲らず、しばらく自分のせいであると言い張る。「俺のせいです」「わたくしのせいだわ」という言葉は次第に熱を帯びて言い合いの様相を呈していった。
ただ、それが頂点に達する前に、互いにふと我に返る。この応酬に意味はあるのか、と気づいたからだ。
確かに各自の非はあるだろう。しかし、根本原因はもっと別にあるのだ。責任を奪い合ったところで、何の意味があるか。見当違いの方向に突っ走るだなんて、滑稽な極まりないだろう。
気づいてしまえば、これ以上言い合っても仕方がなかった。しばらくの間沈黙が流れる。
ただ、気まずさは長く続かなかった。ふっと空気がゆるみ、大きく息を吐き出したリファイアードが、ぽつりと言った。
「そもそも、一番悪いのは加害者であって、次点がわざわざそれを口に出す方です」
根本的に何も事件が起きなければ。わざわざそれを持ち出さなければ。
こんな風にどちらの責任か、なんて言い出す必要はなかったのだ。もっともな指摘である。
だから、ロルブルーミアは「そうね」とうなずく。
「何事もなければ、わたくしたちは自分の対処について思い悩む必要はなかったわね」
「そうです。俺たちは二人とも悪くはないのでは? 全てはシャンヴレット殿下の責任ですよ」
やけに力強い言葉に、ロルブルーミアは思わず笑った。
シャンヴレットは魔族を毛嫌いしていると有名だし、盗み聞きした教会でのやり取りからもリファイアードに敵意を持っているのは間違いない。
恐らく、今まで何度も辛辣な態度を取られてきたのだろう。内心の鬱憤が形になったものだと理解できる。
それに、ロルブルーミアとて異論はない。今回の件に関しては、はシャンヴレットのせいと言って差し支えないだろう。
これが二人の共通見解であることはまたとない幸運と言える。しかし、それを手放しで喜んでいられる状況でもない。
「ただ、あの殿下が簡単に考えをあらためるとは思えませんわね。国王陛下の前でもあの態度ですもの。今後も何かと意見を申し立ててくるでしょう」
国王陛下の前でおとなしくなるどころか、自身の意見を堂々と表明していたのだ。もはや何も怖いことはないと言わんばかりだし、とうてい改善が見込めるとも思えない。
これからもことあるごとに、魔族を理由にふさわしくはないと言い立てることは、簡単に予想できた。
大きくうなずいたリファイアードは「だからこそ」と言う。力強く、決意を秘めた瞳で。
「必ず結婚式を成功させなくてはいけませんね」
リッシュグリーデントが魔族の国であることも、リファイアードが魔族であることも、純然たる事実でしかない。
それを覆すことが不可能ならば、新しい意味付けを行うのだ。魔族だとしても、オーレオンの承認を得たのだという事実を付け加えればいい。
そのための場が結婚式であり、滞りなく式を終えることが強力な後ろ楯となる。国と神からの承認を得れば、魔族だろうと何だろうと、全ては思し召しだ。文句を言うことはできない。
こうなれば、さすがにシャンヴレットも何もできないはずだ。
もちろん、シャンヴレットだけではない。
この結婚に反対する人間を全て黙らせる効果があることは明白だ。だから、結婚式を無事に終わらせることが何よりも重大な使命だった。
「そのためにも、明日の舞踏会は勝負所ですわね。試金石には充分ですもの。貴族の皆さまもいらっしゃいますし、問題なく全てをやり遂げてみせますわ。幸い躍りは一種のみですし、リファイアードさまも問題はないと聞いていますもの」
明日の七星舞踏会は、オーレオン国内でも特に重要な顔ぶれが集まる場所なのだ。
単なる社交の場以上の意味を持っており、そこで完璧な対応を行うことができれば、結婚式にも大きな弾みになる。
反対に、もしも何らかの問題が発生すれば、結婚式への不安が呼び起こされるだろう。やはり、この結婚は災いを招くのだと国の重鎮たちに思わせてしまう可能性が高いのだ。
だからこそ、明日の舞踏会は何事もなく滞りなく、無事に終わらせることが重要だった。
舞踏会はいくつもの演目が予定されているものの、ロルブルーミアとリファイアードが参加するのは、最後のワルツだけだった。
主要な演目は、第一王子・第一王女夫妻などの王族のワルツや、重要貴族の子息・息女の初舞台であり、あくまでもロルブルーミアとリファイアードは招待客としての位置づけである。
ただ、舞踏会の最後を飾ることを期待されていることはわかっているので、無様なワルツを見せるわけにいかない。
もっとも、ロルブルーミアは一通りの踊りは全て習得済みである。リファイアードも、基本的な踊りは当然習っているし、幸い運動神経は抜群によい。問題なく一通り踊れることは、事前に確認済みである。
だから、特に問題ないはずだ、とロルブルーミアは思っている。
「舞踏会をきちんと終えて、結婚式を成功させれば、誰にも何も言われないはずですわ」
力強い言葉に、リファイアードは何かを考えこむような表情を浮かべた。ロルブルーミアは首をかしげる。
舞踏会と結婚式の成功の重要性はリファイアード自身もよく知っているはずなのに、何を考えることがあるのか、と思ったからだ。
リファイアードはしばし沈黙を流してから、いくらかの逡巡を浮かべて口を開いた。「そのことなのですが」と切り出したものの、すぐに途切れる。
部屋の窓を、コツコツ叩く音がしたからだ。
反射的に視線を向けると、窓の外で何かが動いている。
一体何が――とロルブルーミアは警戒を抱いたものの、リファイアードは違った。影の正体をすぐに察したのだろう。
歩み寄って窓を開くと、一羽のムギツバメが部屋に飛び込んでくる。足には筒を装着しており、伝令鳥であるとすぐに察する。
ムギツバメは夜目も効くことから、夜間でも熱心に仕事を果たしているらしい。
リファイアードは手慣れた仕草でムギツバメの喉を撫でてから、筒から手紙を取り出してさっと目を通す。
読み進めていく内に、一瞬表情がこわばったことをロルブルーミアは見逃さない。すぐに平然とした顔に戻ったけれど、何かの予兆を感じさせる表情だった。
リファイアードが今回王宮を訪れたのは、王命の一環とも言える舞踏会への参加のためだ。
軍部にも伝えてあるし、王命が最優先なのだからよっぽどのことがなければ連絡は来ないはずだろう。
しかし、昼間も伝令鳥はやって来ている。恐らく何かが起きている、と考える方が妥当だった。
「――申し訳ありません。すぐに戻るので、少し出てきます」
意を決した顔をしてそう言うと、リファイアードは足早に部屋を出ていく。




