第55話 盛焔
言葉が耳に入った瞬間、ロルブルーミアの顔がこわばる。瞳が大きく揺れる。
何を言われても平然としているつもりだった。動揺なんて悟らせてはいけない。そう思っていたのに。
「ロルブルーミア皇女の過去は、死と暴力にまみれている。みなさまはご存じでしょうか。皇女は、幼い頃に魔王城から連れ去られたことがあるのです。下等な魔族に捕まり、自由を奪われて、蹂躙された過去を持つ相手を迎え入れてよいのでしょうか」
真剣な響きで訴える声に、ロルブルーミアは反論しようとした。
誘拐事件の話は、もちろん事前に伝えている。全てを隠蔽することはできないから、いずれ耳に入ることは予想できたからだ。
ただ、それは恐らくオーレオン国王や王妃、当事者であるリファイアードまでだ。恐らく他の子供たちには知らされていないはずだ。
だから、同席している王子や王女たちは顔に出さないものの、わずかにいぶかしむような空気が漂っているのだ。
何かを言わなくては、と思うのに。まったく予想もしていなかったあの廃墟の夜が、突然忍び寄ってきたようで、ロルブルーミアの唇はこわばったまま上手く動かない。
いつものように笑みを浮かべて、何でもない顔をしていなくてはいけないのに。唐突に訪れるあの夜が、いつもの顔を奪っていく。
家族のおかげで乗り越えて、日常生活を取り戻した。しかし、きっかけ一つで簡単にあの夜に戻ってしまう。
何の前触れもなく話題に出されたことで、無防備な心は真正面から受け取ってしまった。
思い出したくないのに。遠い記憶にしておきたいのに。あの夜が、大切な人を失った夜が、否応なくよみがえる。
「さらに、皇女は母君を犠牲にして自分だけが生き延びているのです。共に連れ去られたにもかかわらず、助かったのは皇女だけ。母君は帰らぬ人となったのに、皇女だけが生き残っているのは、母君を犠牲にした証でしょう」
断定的に告げられる言葉に、ロルブルーミアの喉がひくり、と動いた。違うのだと言いたかった。だけれど言えなかった。だってそれは、決して間違いではない。
廃墟の光景がよみがえる。腐りかけた木の床、水の匂いが混じるかび臭さ、動き回るドブネズミ。拘束されて、声を奪われた母親。魔族たちに取り囲まれて、短剣を向けられる。
怖かった。助けを求めてできることは一つだった。「おかあさま」と名前を呼んだ。それしか知らないみたいに、母親を呼んだ。
だから、おかあさまは、わたくしのせいで。
隙をついて飛び出し、ロルブルーミアをかばって短剣の間に体を滑り込ませた。鋭い刃は簡単に体を貫き、心臓まで届いたのだ。
「母君は無残な姿で発見されましたが、皇女は五体満足で助け出されたそうです。母親の命を代償に生き長らえたのが、ロルブルーミア皇女の姿なのです。たった一人だけ、自分だけが助かった。そんな人間は、果たして王家にふさわしいのでしょうか」
ぐるりと周囲へ視線を向けるシャンヴレットは、切々と訴える。
魔族にとらえられ、蹂躙された皇女など。母親を犠牲にして自分一人だけ助かった皇女など。オーレオンの一族として迎え入れる品格があるのか、と問いかける言葉を、ロルブルーミアはどこか遠くで聞いていた。
反論しなければならない。オーレオン国王は全てを知って、それでもこの婚姻を決めたのだ。騙し討ちにしたわけではない。
だから、異議を唱えられる謂れはないと、胸を張って主張すればいいとわかっていたのに。
よみがえる光景は、あまりにもあざやかだった。ここはあの廃墟でもなく、きらびやかな王宮の一室だ。
しかし、何の心構えもない無防備な状態で、突然投げ込まれた言葉はあまりに強い威力で、ロルブルーミアの心を薙ぎ払った。
母親が自分をかばって命を落としたことは、紛れもない事実だ。
それしか知らないように「おかあさま」と呼んだせいで、心臓を一突きにされて絶命した。それは、決して変わらない過去だ。
抱きしめてくれた体、まばたきをしない瞳。
よみがえる記憶に、ロルブルーミアは小さく体を震わせる。顔からはすっかり血の気が引いて、瞳はゆらゆら揺れている。
あの夜が忍び寄る。ここにはまばゆく光る明かりもあるのに、じわじわと視界が暗闇に染まっていく気がした。
上手く呼吸ができない。思い出す。何もかもが失われた。命が流れ出ていく。何もかもが暗闇に塗りつぶされる。
「国民がこれを知ったら一体どう思うでしょうか。母親を犠牲にすることも厭わない皇女など、王家には決してふさわしくはないと、国民は言うでしょう。こんな、死にまみれた皇女など!」
身動きが取れない中、短剣が鈍く光る。
怖かった。全部悪い夢だと思いたかった。現実じゃない。目を開けたら、きっとおかあさまが笑ってくれる。そう思いたかったのに。
母親はもう二度と笑ってくれない。抱きしめてくれた体からは、次第に温もりが遠ざかる。まばたきをしない瞳からは光が失われていく。
よみがえる記憶は否応なく襲い掛かって、ロルブルーミアを責め立てる。
自分のせいで死んでしまった。大好きだった。母親を犠牲にして助かった。
これはきっと罰だ。大好きな人の命を奪った。死にまみれた皇女。悪意と暴力を負っている。罪人と同じだ。
だから、ただ受け入れなくてはならない。非難の声も糾弾も、全ては己自身の咎なのだから――。
何もかもが暗闇に塗りつぶされるような気持ちでいた時だ。
不意に、隣で気配が動く。強い声が響いた。
「お言葉ですが、シャンヴレット殿下。ふさわしくないのは、殿下の話題の選び方では? 今この場で、口にすべき話題にしては不適当かと存じます」
冷たい声で言い放ったリファイアードが、椅子から立ち上がっていた。
ぎこちなく視線を上げると、鋭いまなざしを浮かべるリファイアードの横顔が目に入る。
「この席が設けられた意味を、ご理解なさっていないようですね。この会は、ロルブルーミア皇女との顔合わせの意味を持っている。貶めるためではなく、歓迎の場であることくらい自明でしょう。それとも、殿下には難しい話ですか」
落ち着いた態度を取っているものの、明らかに挑発の響きを宿していた。シャンヴレットは数秒黙ってから、力強い声で答えた。
「もちろん、わかっていますよ。ただ、これはそれ以前の問題だという話です。もちろんふさわしい相手であれば歓迎しました。ですが、品格に問題がある相手なら、諸手を挙げて賛成するわけにはいかない。ただそれだけです」
そこまで言って、シャンヴレットは一度言葉を切る。それから、笑みを浮かべて続けた。強い目をして、おだやかさの中に苛烈な炎を宿して。
「もっとも、お二人がお似合いであることは否定しません。そうでしょう。涼しい顔をしてここに座っていますが――どちらも他人の命を奪ってここにいる。紛うことなく、死の匂いをさせている二人なのですから!」
せせら笑うような言葉を聞くのと同時に、リファイアードが腰に差した剣の柄に手を掛けた。そのまま引き抜こうとしたところで、凛とした声が響く。
「さて、いつになったらデザートを食べられるのかな?」
決して大きな声ではなかったし、張り上げているわけではない。いたって普通の会話のような響きだ。しかし、国王の声はよく通った。
「おのおの言いたいことがあるのはよくわかっている。お前たちの話を聞くいい機会だと、好きにさせてはいたが――このままだと、永遠にデザートが出てきそうにない。お前たちは、あとどれくらい続けるつもりだ?」
にこやかな笑顔を浮かべていた。しかし、瞳の奥に宿る光は冷たい。苛立ちや怒号を形にはしていなくても、まとう雰囲気が雄弁に伝えている。
身内向けの夕食会であり、実際途中までは子供たちの胸の内を聞くいい機会だと思っていたのだろう。だから、取り立てて止めるようなこともせず、そのままにしていた。
ただ、落ち着くどころか加熱していく様子に、とうとう口をはさんだのだ。ついに我慢の限界が来たのだ、ということを察して子供たちの顔色が変わる。
「シャンヴレット。国民の不安に寄り添うのは正しい。ただ、この場で口にすべき話題かどうかは、よく考えるように。正しさだけが全てではない。それに、この場は親交を深めることが目的であり、お前の意見を表明する場ではない。言いたいことはあとで話に来なさい」
淡々と言葉を掛けられて、シャンヴレットは居住まいを正す。不服そうな表情を浮かべるものの、最終的に押し殺したような声で「わかりました」と答える。
国王はうなずくと、視線を動かす。
「リファイアード。婚約者のために意見するのはいい。だが、あくまで剣は軍人としての身分を象徴するためのものであり、ここで剣を抜くことは禁じられているのを忘れたか。もっと落ち着いて行動するように。それと、食事が終わらない内に立ち上がるのは礼儀違反だ」
冷ややかに告げられて、リファイアードは「申し訳ありません」と頭を下げてから、着席し直した。国王はその様子に、深々とため息を吐いた。
「――まったくにぎやかな食卓だ。十も二十も若返ったような心地だよ」
あくまでおだやかな雰囲気で、朗らかな口調だった。しかし、目はまるで笑っていないし、言いたいことは伝わってきた。
王族として、充分な責務を果たせる年齢の王子や王女が集まっているのだ。本来なら、こんな口論めいたものが繰り広げられるはずがなかった。
当人同士はもちろん、国王が止める前に周囲の人間が言葉を添えれば、途中で落ち着くことができたはずだ。
しかし、実際は国王が口を挟むまで言い合いは続いていた。それを指して、この場に集まった面々の未熟さを指摘している。
呆れや失望をはっきり表に出したわけではない。しかし、漂う雰囲気が何より雄弁に語っていた。
部屋にはぴりりとした空気が漂い、誰もが次の動きを牽制しあっているようだった。
しかし、そんな中でおだやかに口を開くものがあった。第一王子のアルベルサージュだった。
「父上にご迷惑をおかけしたこと、誠に不徳のいたすところ。今後は重々留意してまいりますので――ひとまず今夜は、幼き心持ちで甘味に舌鼓を打つのはいかがでしょうか」
おっとりとした雰囲気ながら、口にした言葉には幾重にも意味が張り巡らされていた。
まずは自身の非を認めたうえで、国王がデザートへ言及していたことから、料理を先に進ませる道筋をつける。さらにそれは、未熟さを指摘するための「若返ったような心地」という国王の言葉を受けたものだ。
言外に込められた、幼稚な行いへの皮肉から、幼い子供が甘いものを好むことを結びつけたのだろう。
形にならない意味を汲み取ることは、王族にとっての習いだ。誰もがすぐに隠された言葉を察したし、当然それは国王も例外ではない。
国王はアルベルサージュの言葉に数秒黙ってから、面白そうに笑った。第一王子が己の言葉を理解したうえで、当意即妙な答えを返したことに満足したといった雰囲気だ。
「確かに、今夜はそうしてみようか」と言って給仕に声を掛ければ、静かにデザートが運ばれてくる。




