第52話 冴ゆる太陽
「あれは、離宮付の家事使用人と御者だね。イルースとオサオンだったかな」
悠然とした声を聞き間違えるはずもない。振り向くと、案の定オーレオン国王が立っていた。
待たせすぎてしまったからだろうか、と謝罪を口にしかけると、察した国王が首を振る。
「いや、少しロルブルーミア王女に話したいことがあっただけだよ。エトレには知られないようにね。ただ、結果としてこんな話を聞くことになってしまったけれど……あの二人はよくないな。処分が必要だね」
至って自然な調子で、オーレオン国王は言った。あまりにもさらりと告げられて、聞き流しそうになるくらい、どんな感情のかけらもなかった。
ロルブルーミアは数秒後、言葉の意味に気づいてはっとした視線を向ける。国王は淡々と続けた。
「他国から嫁いできた皇女に対して、処刑を願うことの重大さがわかっていないみたいだ。王宮で働く者として、これでは困るんだよ。だから、相応の処分が必要だろうね」
国王はやれやれ、といった調子で息を吐き出した。「二人ともよく働いてくれて能力も高いし、重宝してたんだけどなぁ」とつぶやく。
国王は、離宮付の使用人のこともしっかり把握していた。
家事使用人として働くイルースは、一切の家事を取り仕切ることに長けている。特に、衣服に関しての技能が飛び抜けており、裁縫技術はもとより流行の装いにも精通している。
御者であるオサオンは馬の扱いに秀でており、どんな馬でも乗りこなす。御者としての腕前も確かで、どんな悪路でも快適に馬車を走らせることができるのだ。
さらに、二人とも下積み時代から王宮として働いており、長年の経験を蓄えている。
国王は二人の能力も献身も、充分理解していた。どれほど王宮の力になったのかも、長い間果たしてきた貢献も、しかと把握したうえで言うのだ。
「もったいないけれど、仕方ない。まったく……家庭内でのことなら、私もとやかく言わないというのに。王宮内でこれではね。処分するしかないな」
処分、と国王は言う。果たしてどういう意味なのか、どこまでの内容を指しているのかロルブルーミアには判断がつかない。
しかし、国王が口にするのなら、決して軽い内容ではないはずだ。
ただの雑談でそこまで、と思う気持ちもゼロではなかった。
ただ、確かに、王宮内で働く者が他国の皇女の処刑を望むなど、言語道断の行為だ。
ロルブルーミアはその気持ちは理解できる、と受け止めていたけれど、場合によっては外交問題に発展してもおかしくはないのだ。処分を行うという判断は決して異常なことではない。
だから、ただその言葉を聞いているしかできない。おだやかな笑顔で、何一つ苛烈さを見せることのない国王を、見つめていた。
その視線に気づいたからだろうか。オーレオン国王はゆったりとした口調で言った。
「ああ、すまないね。ロルブルーミア王女にこんな言葉を聞かせるつもりはなかったんだけれど、結果として私の指示のせいになってしまったかな」
「いえ、そんなことは思っておりません」
慌てたように首を振るのは、まったくの本心だ。
事実として、国王のせいではないのだから当然の答えである。処分という言葉が重くて、どう反応したらいいか困惑しているだけだ。
国王はロルブルーミアの戸惑いに気づいているのかいないのか。にこりと笑うと、「それならよかった」と言ってから、さらに続けた。
「金光草を土産にもらいたいのは本当だけれど、ロルブルーミア王女に摘んでもらったものがほしくてね。わざわざ足労を掛けたのも事実だから、悪いとは思っているんだよ」
「滅相もございません。さしたる労力ではありませんもの」
心から答えると、国王は一瞬だけ黙った。
それから、ゆっくり浮かべられた笑み。先ほどまでのおだやかさとは、少し違う。
落ち着いて丁寧なほほえみの奥底に、どこか悲哀が漂うな。そんな表情で国王は言う。
「――ロルブルーミア王女と顔を合わせれば、きっと元気になる。だから、あなたに連なるものを土産として持たせたくてね」
静かな声で告げるのは、教皇の話だった。
曰く、最近の教皇は心身共に大きな負担がかかっている。対立する貴族たちは教皇を自陣に引き入れたいと、日夜丁寧ながらも勧誘に余念がない。
何より、親友の元帥の調子が思わしくないのだ。長く患っていたものの回復の兆しはなく、意識が混濁することが増えている。残された時間はそう多くないだろう。
ただでさえ、教皇として国中の信徒をまとめて、リオールド教の神の言葉を受け取る者として重大な責務を抱えているのだ。
そこに、著しい精神的負荷が追加されていけば、心身の調子を崩してもおかしくはない。だからこそ、国王は教皇をここに連れてきた。
「あなたは、エトレの一人娘に似ている。姿形ではなく、雰囲気というのかな。ミュデットも小柄で色白で――澄んだ青い瞳をしていたから」
教会でロレッタから聞いた話がよみがえる。
教皇の一人娘。刺繡と裁縫が得意で、行儀作法も完璧な、おとなしくてかわいらしい女性。
自身の手による婚礼衣装で結婚式を挙げることを夢見ていた。教皇にとっては亡き娘ではなく、今もまだ心の中で生き続けている人。
「強引だったとは思うけれど、エトレにとっては娘に少しでも会えたような気持ちになれるだろう。だから、ロルブルーミア王女に会わせたかったんだ。説明の時間がなくて結局今になってしまったけれど」
目を細めて、わずかに眉を下げて告げる。
それはどんな威厳もなく、ただ慈しみにあふれていた。たとえば、教会の薬草園でリファイアードのことを口にしていた時のような。
オーレオン国王は、大国を率いる偉大な王である。しかし、決して冷酷ではないのだ。
だって、リファイアードのことを確かに大事にしていた。リファイアードのことを思って行動するロルブルーミアの存在が嬉しいと言っていた。
同じ気持ちで、国王は動いたのだ。
きっと教皇は、国王にとって大切な存在なのだろう。だから、わざわざ離宮を訪れた。
料理人にお茶を用意させるのではだめだったのだ。他の誰でもないロルブルーミアの手によるものが必要だった。
呼びつけるのでは仕事になってしまうし、そうではなく、ただ私的な時間として教皇とロルブルーミアの邂逅を用意したかった。
だからこその行動なのだと、ロルブルーミアは理解した。
今はもういない、教皇の一人娘。世界のどこを探しても存在しない、しかし今も胸の中で息づいている。
代わりにはならないとわかっていても、面影のある存在に触れることで、少しでも教皇の力になることを願っての行動だったのだ。
慈しみを、慕わしさを確かに持っている人なのだとロルブルーミアは思う。
心がないわけでも、冷酷なわけでもない。こんな風に大事な存在を知っている。
「本当なら、鈴蘭があればよかったんだけど、今は季節ではないからね。残念だよ。だからせめて、あなたの摘んだ金光草を土産として持たせようかと思ったんだ」
きっぱり言って、視線を庭の方へ向ける。
はっとしてそちらに意識を引き戻すと、すでに人影はなかった。他の仕事が入ったのか、あまり長居をしてはいられないと思ったのか。
国王との会話に気を取られて、周りをよく見ていなかった。
「ああ、あの二人は仕事を思い出したみたいだね。まあ、あとで処分を言い渡さないといけないけど――その辺りは、侍従長から離宮長に話が行くでしょう。それじゃ、金光草を摘んでもらえるかな。どうせなら花壇の様子を私も見てみたいんだ」
にこやかな笑顔で言って足を踏み出す。
確かな慈しみと愛情を持ちながら、同じ口で処分を告げる。相反することはなく、全ては国王の中では一貫した行為なのだ。
オーレオン国王とはこういう人なのだわ、とロルブルーミアは思う。
使用人一人ずつを把握して仕事ぶりを理解しながら、処分もためらわない。大事なもののために心を傾けて、できることはないかと行動する。
冷酷無比なのではなく、ただ冷静な判断ができる。愛情と慈しみを持ちながら、国のために最適な答えを理解して行動する。それこそがオーレオン国王だ。
「花壇ではリファイアードとも話をしていると聞いているし――リファイアードの話もできたら嬉しいよ」
花壇へ向かいながら、楽しそうに告げられた言葉。取るべき行動は一つだ。
ロルブルーミアは笑顔を浮かべてうなずき、後に続いた。




