第51話 一天の曇
教皇に持たせるために使う包装を用意するよう指示を出してから、ロルブルーミアは庭へ向かう。
離宮の裏手に広がった庭の一角だ。ちょうど離宮を半周しなくてはならない。
特に色つや、形のいい金光草は花壇のどの辺りだったかしら、教皇さまが気に入ってくださったのなら嬉しいけれど、とびきりよいものを摘まなくては。
目まぐるしく考えながら建物沿いを小走りに歩く。裏庭が見えてきて、離宮の影から庭へ飛び出そうとした時だ。
「リッシュグリーデンドの皇女がここに来るなんて――あなたも、大丈夫なの? 馬車に乗せたのでしょう? 恐ろしい呪詛をかけられるに違いないわ」
悲鳴のような声が聞こえて、ロルブルーミアはぴたりと足を止める。庭へ出る一歩手前で、どうにか踏みとどまることができた。
聞こえてきた声。言葉。その意味。決して快いものではないし、むしろ正反対のものたち。ロルブルーミアは数秒逡巡したのち、建物の影からそっと顔を出す。
「魔除けの札は持っているから、恐らく大丈夫だとは思う。でも、あまり長く接していると、どんな目に遭うかはわからないし、座席もしばらく使えない。何と言っても魔族の皇女だ」
「ええ、そうでしょう。恐ろしい化け物に違いないわ。――あんな皇女が、いくら末席とは言えオーレオンに入るなんて!」
話をしているのは、使用人の女性と御者の男性である。
どちらも顔に見覚えはあった。身支度を整えてくれた家事使用人と、宝物庫までの馬車を扱っていた御者だった。
もともと、離宮を訪れた時点で使用人たちに歓迎されていないことはわかっていた。恐れや忌避感を直接口に出さずとも、こわばった顔が受け入れていないことを如実に語っていたのだ。
どうにかこらえていたものたちが、直接ロルブルーミアたちと接したことで、嫌悪が高まり声になったのかもしれない。
ロルブルーミアの足は固まったように動かない。
一体どうしたらいいのか。何食わぬ顔で出ていくべきか、それとも――と戸惑っている間に、憂いと恐れを宿した声で、使用人の女性は言う。御者も重々しくうなずいた。
二人は暗い顔で、じっとりとした熱気のこもった言葉を交わしあう。
「魔族の皇女との結婚なんて、どんな恐ろしいことが起きるかわからないからな」
「元帥がお倒れになったのも災いの前兆よ。結婚なんてしようものなら、きっと国が荒れしまうわ」
「ああ、そうだ。魔族の国の皇女なんてな……人間だと言っているが、あの国で生まれ育ったなら化け物だろう」
「当然よ。むしろ、人の身で魔族の国で生き長らえたなんて……。きっと呪詛をかける力を持っているからよ」
「そうだな。きっとその力を持って、国に災いを招くつもりだ」
「だから、あんな皇女を迎えてはだめなのよ。汚らわしい魔族の皇女なんて」
ひそひそとささやきあうようでいて、声はやけに大きく響いた。
歓迎されていないことはわかっていたし、魔族の娘として恐れられているのも当然だろう。だから決して意外ではなかった。
ロルブルーミアは動くことも耳をふさぐこともせず、事実として自分に向けられる言葉を聞いている。
「庭に出るだけでなく、台所にまで入ってくるのよ。毒を入れられたかもしれないわ。人間のくせに魔族の娘としてやって来て――なんておぞましいのかしら」
「見た目は本当に人間のままだったのが、よけいに不気味でな。きっとあれは、こちらを油断させるためだろう。そうでなければ、魔族の娘など名乗るものか」
「どうせ魔族の世界に身も心も染まっているのよ。本当に汚らわしい!」
唾棄する響きで言って、使用人の女性が身を震わせる。顔を歪めて、嫌悪をあらわにして恐ろしい悪鬼のような表情だった。
ロルブルーミアはそれを見つめながら、ぎゅっと唇を結んだ。
人の身でありながら魔族の娘であることを、二人は嫌悪する。信じられないと非難する。
だけれど、これは決して譲れないロルブルーミアの矜持だった。
血がつながらないことはただの事実で、ロルブルーミアに魔族の要素は一つもない。それでも、魔族の国の皇女であり魔族の娘と名乗るのだ。
だってそれは、血のつながらない家族と自分を結びつけるものだ。決して手放せないし、嘘でも首を振りたくはない。魔族の娘として、胸を張っているのだ。
二人の恐れは理解している。長い間の遺恨があり、多くの命が失われておびただしいほどの血が流れたのだ。忌避感は簡単に消えないし、嫌悪も憎悪も残っているだろう。
だからこそ、自分はここにいるのだとロルブルーミアは理解している。
二つの国の懸け橋となり、リッシュグリーデンドへの偏見を軽くしていく。魔族は怖くないのだと、昔とは違うのだと伝えていくことが、未来への新しい一歩を作っていくことが己の役目だと、ロルブルーミアは肝に銘じている。
だから、彼らや彼女らの物言いも受け止めなくては、と思っている。たとえそれがどれだけ理不尽でも、何一つ根拠はなくても。
「舞踏会までは王宮に滞在するそうだからな。なるべく顔を合わせないようにした方がいい。どんな呪いをかけられるかわからないからな」
「そうね。家族にも心配されているのよ。万が一、顔を合わせてしまうんじゃないかと……」
「ああ、本当に……よけいな心配をするはめになったな」
「本当よ。もしも結婚となれば、これからもたびたび王宮を訪れるのでしょう? そんなことになったらいやだわ。結婚なんてなくなればいいのに」
「まったくだ。歓迎しているのは、ごく一部だろう。ほとんど反対しているぞ」
ぼそぼそと言い合って、使用人はもちろん家族もこの結婚を歓迎していない、という事実を告げる。
ロルブルーミアとリファイアードの活動と新聞の報道によって、少しずつ結婚への肯定的な意見が増えているとは聞いている。
しかし、長い遺恨を覆す難しさはロルブルーミアとて理解している。
長い歴史の中で、魔族と人間はずっとお互いを敵としてきたのだ。
認めてくれる人も増えたかもしれない。少しだけでも見方は変わったかもしれない。
しかし、一般的な国民の大半は恐らく、目の前の彼らのような気持ちを抱いている。
王宮を訪れた時からわかっていた。まとわりつく視線は、言葉にならない感情は、どうしたって消えることはない。
リファイアードもロルブルーミアも、場違いな存在でしかなかった。ずっとずっとわかっていたのだ。この結婚は祝福なんてされていないのだ。
「確か、昔もいたでしょう。他国から嫁いできたのは国を混乱させるためだったなんていう――サジェドア王女だったかしら」
「――ああ、処刑されたという王女だな」
「そうよ。万が一結婚したとしても、そうしてしまえばいいのよ。リッシュグリーデンドの皇女なんて、八つ裂きにしてしまえばいいわ」
憎々しげに放たれた言葉に、御者は数秒沈黙を流した。しかし、すぐに口を開いて答えた。
「確かにそうだ。人質にして利用したら、処刑してしまうのが一番だろう」
さも当然といった素振りで、何の疑問も一つもなく口にされた言葉だった。実際二人にとっては、何もおかしなことではないだろう。
リッシュグリーデンドから嫁いできた魔族の皇女なんて、死んだ方がいい。それは絶対の事実だった。
ロルブルーミアが何をしたのか、どんな人間なのかはたいした意味がない。
リッシュグリーデンドからやって来た、魔族の娘。
ただそれだけで、死を願うには充分理由なのだ。いずれこの国に害を為す敵として、死ぬことを望まれている。
ここは敵地なのだと、あらためて思い知る。忘れていたわけではないものの、否応なく現実を突きつけられる。
何も知らない誰かに死を願われることが、堪えないわけではない。
それでも、ロルブルーミアは屈するわけにはいかない。たとえ心から、死んでほしいと思われていたとしたって、大事なもののためなら立っていられる。
――たとえ敵でしかないとしても、わたくしは膝を折るわけにはいかないんですもの。
はっきりとした決意を固めて、大きく深呼吸した。乱れてしまった心を落ち着かせて、整えようとしたのだ。
しかし、それは叶わない。背後から突然声が響いて、ロルブルーミアはびくりと肩を震わせる。




