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フォーレ『主題と変奏』の情緒と渡瀬先輩

 渡瀬先輩は武満徹作曲の『雨の樹素描』の仕上げに加えて、ガブリエル・フォーレ作曲の『主題と変奏』を今本先生のレッスンに持参し始めた。

 ラヴェルとかフォーレとか弾きたくなるよね、と話していた渡瀬先輩を思い出した。偶然、学内のファミリーマートで会ってお喋りしたあの時が懐かしい。あれからまだ半年なのに。

 渡瀬先輩がフォーレを弾き始めたのは、もしかしたら、崎山先輩が弾くフォーレのバラードに影響を受けたのかもしれないと思ったりもする。ラヴェルを弾きたいと言っていたのは、『夜のガスパール』を弾きこなした浅野先輩の影響かもしれないし。

 渡瀬先輩が弾くフォーレの『主題と変奏』を聴くと、曲のイメージが渡瀬先輩にぴったりなことに驚いた。深い青色を体現したような渡瀬先輩の音色に『主題と変奏』はよく合っていて、音の狭間からこぼれ出てくるような哀しみが渡瀬先輩の横顔に似ている気がした。

 渡瀬先輩の表情は、真顔の時でも憂いを帯びて見えた。いつも静かな哀しみを湛えているような趣があった。フォーレの『主題と変奏』を聴いていて心に沁み入ってくる、切なくて静かな暗い情熱を思わせる独特の情緒は、渡瀬先輩の表情に宿る憂いに似ていると思った。

 渡瀬先輩の横顔に目をやると、視線がどこか遠くに向けられているように思える時がある。その目を見ると、自信や希望や夢というよりは哀しみが伝わってくるような気がしてならなかった。いつも通りの淡々とした渡瀬先輩の横顔をちらりと見て、そんなふうに感じてしまう。

 渡瀬先輩が武満徹作曲『雨の樹素描』を弾くために準備している、児珠那智先生を招聘する現代音楽の演奏会は十一月の下旬に予定されている。

 学部四年次の崎山先輩はグラナドスの『演奏会用アレグロ』を弾きながら、フォーレのバラードもずっと弾き続けていた。卒業の年にあたる崎山先輩は、卒業演奏でフォーレのバラードを弾くことに決め、余裕を持って準備していた。

 国橋音大音楽学部のピアノ科では、卒業課題として論文を書くことはなく、代わりに卒業演奏が課せられる。卒論ではなくて卒演そつえんがある。

 レッスンで崎山先輩が今本先生と話しているのを聞いて知ったのは、崎山先輩は就職活動はせず、卒業後は地元の金沢へ帰郷してピアノの先生になるということだった。崎山先輩の夢は、ピアノの先生になることらしい。崎山先輩はきっちりと堅実に、将来を見据えて進路を考えていたんだと思う。

 私は一年後期の術科試験の曲を決め、練習を始めた。課題曲はJ.S.バッハで、パルティータ・フランス組曲・イギリス組曲のなかから一曲選ぶというものだった。あまり負担が重くなさそうな、パルティータ第一番を選んだ。そこまで好きじゃないバッハの試験で無理しなくてもいいかな、と思った。


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