ピアノ漬けの日々、始まる
初回レッスンは門下生同士の顔合わせで終わったけど、次週からは通常のレッスンが始まった。何の曲を持っていけばいいのか分からなくて、とりあえず大学受験で弾いた曲を用意することにした。ショパンの練習曲作品10ー4嬰ハ短調、バッハの平均律プレリュードとフーガ第16番ト短調、ベートーヴェンのピアノソナタ『悲愴』の第三楽章。二台並んだグランドピアノの右側に座って、暗譜でひと通り弾いた。どの曲も、これなら無難に合格圏に持っていけると判断して、岸久保先生と入念に選んできた曲だった。ショパンのエチュードはどれも難しい曲ばかりだけど、この10ー4は私が苦手な技巧の要素、重音や分散和音の連続が入っていない。練習を始めてからどうしようもない難所にぶち当たると仕上がりも危うくなってしまうので、曲選びにはいつも慎重に取り組んでいた。
バッハの平均律も、この十六番ト短調は曲想がつかみやすい。引き締まった曲調とダレないテンポが弾いていて心地よい。曲調がピンと来ないと演奏がダレてしまって全然魅力的に弾けないから、これも曲選びがポイントだった。
ベートーヴェンの『悲愴』第三楽章は、大好きで得意な曲目だった。速めのテンポでコントロールしやすい。ダレたり焦ったりしないで緊張感を保った演奏にできる。テンポが速い、スピード感のある曲は技巧的に難しい要素もあるけど、緩慢になりにくいという意味では楽だった。ゆっくりした曲を魅力的に弾くのは難しい。たぶん自分が飽きてしまうから、それが演奏に出てしまうんだと思う。
私は演奏にあまり入れ込まないようにして、ちょっとだけ心の距離をおいて弾く。そのほうが演奏の全体を引き締めて弾ける。テンポをコントロールしながら自分の演奏に酔ってしまわないように、集中し過ぎないように。曲の全体をイメージして俯瞰しながら弾く。そうしないとすぐ酔っぱらったような演奏になってしまって、聴き手からは興醒めの演奏になってしまうからだった。
ショパンの練習曲は、技巧不足を細かい配慮でカバーするように。バッハの平均律は、感情移入し過ぎてテンポが狂ってしまわないように。ベートーヴェンの『悲愴』の第三楽章は、前のめりにならないで高潔に豊かに響かせられるように。
左側のグランドピアノの椅子に座って聞いていた今本先生は「うん」と頷いた。そしてひと息ついて、喋り始めた。
「これは試験で弾いたんだよな? じゃあ、エチュードと平均律のこれはもういいでしょう。ベートーヴェンは全楽章、揃えましょう」
そう来たか。既に仕上げたことのある曲を待ってきてもダメだよ、ってことだな。
毎週の今本先生のレッスンは、できるだけ門下生同士で集まってお互いに聴き合うことになった。三人で集まれるように、空き時間の都合を合わせている。みんなのレッスンの曜日は揃わなかったけど、他の予定が入らなければ聴講し合える日程に決まった。時間を作って、他の門下生のレッスンを聴きに行くことになる。
自分が弾く曲の楽譜は大学構内の売店で購入して、先輩が弾く曲は、ほとんどの楽譜が所蔵されている構内の図書館で、前もって借りておく。図書館の蔵書をコンピュータで検索するOPACにも慣れていかなきゃいけない。
崎山先輩が初回のレッスンに持参したのは、リスト作曲の三つの演奏会用練習曲の『軽やかさ』と、ガブリエル・フォーレ作曲のバラード嬰ヘ長調。リストの『軽やかさ』を崎山先輩が弾き始めると、華やかだけどほんのり切ない曲調が細かく流麗な音の粒にのせられて、心がふわっと浮かんでさらわれてしまいそうだった。
フォーレのバラードは一音始まっただけで溶けるような色気が音からこぼれ出て、ふんわり柔らかい音色と複雑な和音の響きがレッスン室を満たした。ドラマティックに盛り上がる箇所も、崎山先輩は細やかに、一つ一つの音がにじむことなく弾き切った。接近して聴く生演奏という、独特の魅力もあるんだと思う。グランドピアノの真後ろの長机に座って聴く演奏の艶やかさ、心をダイレクトに揺さぶられる繊細さと迫力は格別だった。
初回のレッスンであれ、キチッと曲を仕上げてこなくちゃいけないんだ。崎山先輩の美しい演奏に包み込まれてうっとりしたけれど、緊張で胸が苦しくなってきた。どれだけ練習すればいいんだ? サークル活動とか絶対無理。毎日練習漬けになるな、間違いない。
渡瀬先輩が初回のレッスンに持参してきたのは、モーツァルトの幻想曲ハ短調K.475と、ラフマニノフの前奏曲作品23ー5ト短調と、ショパンの練習曲の作品25ー6、嬰ト短調。この3曲だった。モーツァルトの幻想曲は、モーツァルトにしては珍しく、暗い迫力で重々しい曲。ラフマニノフの前奏曲はドキドキするほど暗い情熱を掻き立ててきて、拍動が胸に迫ってくる曲。ショパンの練習曲25ー6は重音の連続が技巧的に難しい、ショパンのなかでも最高難度にあたる曲。
渡瀬先輩の音色は、澄みわたるように美しかった。
叩きつけるような音は一切なかった。どれだけ強い音量でも、常に透き通るようで濁りがない。
宝石に例えてみると、サファイアが散りばめられた中に時折ダイヤモンドが入り混じるような、そんな輝きと、深い青色をたたえたような静けさがあった。
モーツァルトの幻想曲は、弾き出しの一音から厳粛だった。重々しい響きから始まって、清らかな世界がふと垣間見えてきて。訴えかけるようにたたみかける箇所も抑制がきいていて、突き刺してくるというより、包み込まれるようだった。
ラフマニノフの前奏曲は、情熱を厳しく律する厳格な拍動が胸に突き刺さってくるようだった。テンポが全く狂わない。中間部の寂しげなメロディーと艶かしい伴奏は、渡瀬先輩が弾くとどこか清廉で、透き通るような瑞々しさがあった。
ショパンの練習曲は、和音のメロディーが縦横無尽に鍵盤を駆け巡って艶めかしく、流麗だった。右手だけで和音を高速でメロディーとして弾くこの最高難度の曲を、ポリーニやアシュケナージみたいな巨匠ピアニストじゃなくて、目の前で身近な人が弾いてるのを見ることになるなんて、私の想像を超えていた。高速で鍵盤を動き回る和音が、ずれていないことにまず驚いてしまう。心のどこかで、この曲を弾くなんて人間のやることじゃない、別世界に住む天才、ピアニストだけが弾ける曲だと思い込んでいた。その時、その思い込みに気付かされた。豊かに広やかに響きわたる渡瀬先輩のピアノはレッスン室を包み込むようで、音色が透き通っているからなのか、大音量のフォルテであっても静けさを感じさせた。
その時、渡瀬先輩のピアノをこのままずっと聴いていたいと思った。
その日、今本先生はモーツァルトの幻想曲をメインで渡瀬先輩に教えた。
「この曲はもっと、劇的に弾いていいと思うんだよ」
今本先生は二台並んだ左側のグランドピアノに座り、弾きながら教えていくスタイルをとった。
どれほどフォルテを響かせても静けさが漂っていた渡瀬先輩の演奏とは違い、今本先生の演奏は情熱的でドラマティックで、劇的で、突き刺してくるようだった。語るより弾くのが早いと思っているのか、モーツァルトを劇的に弾ける可能性を提示するように、今本先生は弾いて見せる。
「モーツァルトは歌劇が背景にあるんだから、この曲はもっと劇的に、情熱的に弾いていいんですよ」
今本先生の音色は変幻自在にうねり、フォルテに激情を感じた。静謐さを醸し出す至極のピアニッシモは、ふと天国に迷い込んでしまったかのような音だった。
静かな音に宿る世界観をまるで競っているかに見える。今本先生の弾いてみせたモーツァルトには確かに、詩がいきづいているような広がりがあった。そこに無限の安らぎが用意されているような、そういう世界観だった。
レッスン室から全員で出ると、今本先生は軽く礼して、さっさと歩き去ってしまった。先輩たちと私は、次の予定の講義がある教室へと移動する。崎山先輩は出てすぐ反対方向だった。軽く会釈してわかれる。廊下を歩きながら、隣を歩く渡瀬先輩に話しかけてみた。
「渡瀬先輩の音、すっごく綺麗じゃないですか?」
「そう? 水沢さんの音も柔らかくてふわっとしてるし、広がりがあっていいんじゃない?」
「いやいや、渡瀬先輩の音には芯があるじゃないですか?」
「そうだね……指だよね、やっぱし鍛えるしかないよね……あ、僕はこっちだから」
廊下を歩き切って、階段の昇り降りのところで行き先がわかれた。私は階段を降りて、渡瀬先輩は昇り方向だった。
「じゃ、またね」
渡瀬先輩はこちらに目を向け軽く会釈して、階段を駆け上がっていった。
次からのレッスンには、何の曲を持っていこうかな。今本先生に言われた通り、ベートーヴェンのソナタの『悲愴』の一楽章と二楽章は用意するとして。それだけじゃ足りなさそうだから、何かもう一曲、探して選ぼう。
実家からアパートに持ってきている、色々なCDの背表紙を眺めてみる。リスト作曲の『ダンテを読んで』を聴いていた、ミハイル・プレトニョフ演奏のCDが目に留まった。ずっと前から、いつか弾きたいと憧れていた曲。繰り返し、覚えてしまうほど聴き込んだものだった。作曲家のリストが、詩人ダンテの代表作『神曲』を読んで感銘を受けたことから着想したと言われる、一曲弾くだけで二十分ほどかかる長大なピアノ曲。天国と地獄を象徴するような対比が劇的で、悲しみを心の奥底から掘り起こされるようで、高校生の時に出会って、聴くたびに涙が止まらなかった。
今本先生は弾きたい曲を弾かせてくれるはずだ。沢山の曲を弾かなきゃいけない決まりはあるけれど、曲選びは完全に自由な気がする。それはまだ早い、とは言われなさそうな雰囲気を感じていた。こういう勘には自信がある。好きな曲を弾いてみたい。憧れていた曲を、聴いて感動していつか弾きたいと願い続けていた曲を、今こそ弾いてみようと思った。
私が弾くピアノを聴いて、誰かが私のことを好きになってくれたり……いつかは、そんなこともあるだろうか? この先に、そういう幸せが訪れることもあるだろうか。時々、ボーッと考え込んでしまう。ピアノに向かって練習中、集中が途切れると決まって「やる意味」に気持ちが向いてしまう。ピアノを弾いた先にどんな幸せがあるだろうか? などと、無為に考え始めてしまう。
『ダンテを読んで』を弾きこなせるようになるのは、正直かなりきつそうではある。初めて今本先生に見せる時は途中まで弾ければいいと思うけど、それにしてもすごい技巧レベルだし、曲の長さも尋常じゃない。分かってはいるけれど、大好きな憧れの曲だって弾けるようになるまでは苦行だ。指が曲の動きを覚えて、考えなくても自然と曲に沿って動いてくれるようになるまでは。
分厚い和音を鳴らすと、グランドピアノがぐわんと響く。この音量は、実家で練習するのはとても無理だった。防音アパートに住めたお陰で気兼ねなく弾けるんだ、と思った。ベートーヴェンの『悲愴』の一楽章も、開始の力強い和音を遠慮なく、重厚に響かせることができた。もし実家で弾いていたら既に、絶対ここで階下から怒鳴り込まれると思う。出だしは重厚なGrave(重々しく、荘重に)で始まり、煌めく高音が混じってくる悲愴の一楽章は弾けるようになるほど楽しくなってくる。二楽章も、有名なメロディーを支える和音が心に沁み入ってきて、弾きながら浸らないように意識するポイントを探しながらさらった。
『悲愴』は余裕がある。『ダンテを読んで』はかなり大変そうだけど、何とか弾けるようになってみたい。一学期の術科試験の曲目は、まぁ、もうちょっと後でいいかな……
休日は家のことを少しやって、後はピアノをひたすら練習することにした。生活費は仕送りに加えて、第二種の奨学金も月三万円で申し込んでおいたから、まぁアルバイトはしなくても大丈夫だろう。今はとにかくピアノだ。
練習で頭が疲れてボーッとしてくると、沢山の楽曲を同時に練習するのはやっぱり、つらくてしんどいんじゃないか? という不安がおそってきた。毎日、沢山の時間をピアノの練習に費やして、その割に術科試験の結果にはつながりにくい。報われない気分になってしまうだろうな……でも、ピアノ音楽に独特の魅力が宿っているのは間違いない、と自分を励ますように考えてみる。ピアノを自由自在に弾きこなす人の、弾いている姿は神々しいほど美しい。清らかな音色で聴衆を包み込む、クリスティアン・ツィマーマンのリサイタルを聴きに行ったことを思い出す。ショパンを流麗に気高く演奏する姿は、気品に満ちていた。
もしくは、悪魔的な魅力に引き摺り込まれる。狂気が匂い立つ演奏で心を深く刺し、聴衆を熱狂させるアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリのように。ミケランジェリの弾くラヴェルのCDの圧倒的な迫力には固唾を飲んで聴き入り、覚えるほど聴き込んだものだった。
ピアノを弾き続けていれば、いつかそういう美しい人たちみたいに、なれるんだろうか? 誰かが私に心の底から惚れ込んでくれるような。私がピアニストに惚れ込んでいるこういう気持ちが、私に対しても誰かが向けてくれるような。……そんなことがあるだろうか? もしそうなら、ピアノを続ける先には幸せがあると思っていても良いような気がした。名だたるピアニストたちを目標のように考えて恥じることのなかった、あの頃の私は自分の実力を分かっていなかったと思う。
「次、リストの『ダンテを読んで』を弾いてみようかと思うんですが……」
「うん、いいんじゃない?」
二回目のレッスンには、ベートーヴェンの『悲愴』全楽章を持参した。練習を進めているリストの『ダンテを読んで』は、一応前もって今本先生に相談しておこうと思った。ダンテはすごく難しい曲だからもしかしたら反対されるかもしれないし……と独断で持っていくのが不安だったのに、あっさり了解されて拍子抜けしてしまった。
それから悲愴の全楽章を通して弾いた。一楽章の重厚な出だしは弾けば弾くほど好きになってきて、豊かな響きを味わいながら弾くことができた。テンポが速くなってからの勢いも、曲との相性が心地よくて楽しい。二楽章の親密に語りかけるような、心に沁み入るメロディーはついつい感情移入し過ぎてしまうから、テンポが狂わないように自制して弾いた。強弱も気分で流さないように、できるだけ楽譜通りにきっちり守った。三楽章も一応、通しということでそのまま続けて弾いた。前回のレッスンよりは少しリラックスして弾けた。自制するばかりではなく、伴奏を豊かに響かせたり、並行して対話するように同時に動く複数メロディーを感じ取りながら、弾くことができた。
今本先生は二台並んだ左側のグランドピアノで、私が弾く『悲愴』に耳を傾けていた。
「冒頭のGrave、好きなのは分かるけど、ちょっと自由すぎますね」
今本先生は曲を少しずつ区切りながら、悲愴の開始部分を弾いて見せてくれた。
「subito p(すぐに弱く)で、コントラストをつけてピアノ(弱い音)にするのはベートーヴェンの特徴的な表現ですから、はっきりと示しましょう」
「そこに至るクレッシェンドも、スビトピアノの直前まで、ちゃんと盛り上げていって……強弱のコントラストは劇的につけましょう」
「オーケストラをイメージするといいですね。このメロディーはフルートみたいな……」
つい自分流に弾きたくなってしまう、感情移入したくなる好きな曲に取り組めて嬉しかった。レッスンが終わってもまだ少しドキドキしている。緊張感が興奮を経由して疲労に変わったような、独特の疲れと、高揚感の後味が心地よかった。ともすれば好き勝手になりがちな私の演奏を作曲家の表現技法を踏まえて整えていくレッスンには、納得がいったし安心感もあった。今本先生から受けるレッスンは何とか軌道に乗りそうだな、と思った。