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音大へ入学

 国橋くにはし音大のレッスン室で渡瀬わたらせ紘人ひろと先輩をひとめ見たその時から、既に予感はあった気がする。

(この人に認めてもらうためにピアノを頑張る四年間になる……絶対そうなる)

 そう思ったことを今でもよく覚えている。

 背が高くて、彫りが深い顔立ちで、ちょっとだけ浅黒くて、肩幅は広いけどすごく痩せていた渡瀬先輩。くだけた喋り方だけど、落ち着いて言い切る語尾は力強くて。そして、どこまでも深く澄み切ったピアノの世界を見せてくれたひとだった。

 渡瀬先輩は、博士後期課程から国橋音楽大学に入学してきた。私は学部の新入生で、渡瀬先輩は博士課程の新入生だった。

この人にピアノを聴いてもらえるんだ。それなら大学の四年間、何とかピアノを頑張れる……

 しんどいピアノを頑張れる理由が欲しくて、そればかり探していた。つまらない練習に毎日取り組む苦痛をどうやって緩和して、本番で演奏した後に襲ってくる底知れない虚しさをどうやってやり過ごすのか。虚しさを越える喜びが、ずっと欲しくてたまらなかった。

 私はその年、国橋音楽大学のピアノ専攻に入学した。音大を受験するなら普通、志望の音大で教鞭を執る先生から直接指導を受けて、準備しておかないといけない。その音大で教えている先生に教えをこうのが常識で、当たり前にやっておくべき受験対策だった。でも国橋音大の先生に縁がなかったから、全然国橋音大とは関係のない、地元の岸久保きしくぼ麻衣子まいこ先生の指導で受験を準備した。岸久保先生は実家の近所、神奈川県の逗子に住むピアニストで、私の母がボランティアで演奏会の企画を担当した時、縁ができた。イタリアのフィレンツェで巨匠ラザール・ベルマンに師事して学んだ岸久保麻衣子先生。一回につき二時間のレッスンは凝縮されていて、仕上がりの時期に指導されると見違えるように自分の演奏が良くなる。レッスンの代金は一回あたり一万五千円だった。普段は隔週で、受験が近づいたら毎週レッスンを受けた。

 合格が分かり、郵便で希望調査票が届いた。ピアノの実技を師事したい先生の名前を書くように記載されている、希望調査票だった。国橋音大の先生は全然、誰とも面識がない。誰の名前を書けばいいのか分からない。母が声をかけてきた。

「れいちゃん、それ、新聞で前に見た今本いまもと先生にしたら? ウィーンで教えていらした立派な先生よ」

「そんなすごい先生に、名前を書いただけで教えてもらえるのかなぁ」

「ダメもとで書いてみたらいいじゃない。希望が通ったらラッキーってことで」

 私は今本光映いまもとこうえい先生の名前を希望調査票に書いた。母によると、ウィーン国立音楽大学でピアノを教えてきた著名な先生だという。

 音大のピアノ専攻では、ピアノを師事する先生との個人的な相性が、学生生活を大きく変えてしまう。武蔵川むさしがわ音大附属高校を卒業したから、そのあたりの想像はだいたいついた。ピアノの担任は、ともすると高校の学級担任よりも日々に及ぼしてくる影響が大きかった。良くも悪くも影響力が大きい存在になる。武蔵川音大にそのままエスカレーターで進学しなかったのも、音大附属高校でついていたピアノ担任と全然相性が合わなかったことが大きい。ピアノ担任は、いわゆるクラスの担任の学級担任とは別の先生だった。ピアノ科でない生徒だったら、例えば声楽なら声楽担任になる。私が口を開くだけで不機嫌になり、質問や希望や相談を一切許さない先生だった。

黙って言うことを素直に聞き、喜んで指導を受け入れ、疑問など呈さず、先生の演奏を模倣してピアノを弾く……そんな姿勢をひたすら求めてきた高校のピアノ担任。

「ピアノは語るものじゃありません。聴いて、弾いて、実感することでだんだんと分かってくるものです」

 こう諭されたものだった。ピアノは実感することでだんだんと分かってくる……これはまぁ、確かにそうかもしれない。でも実際問題として、一対一の個別レッスンなのに生徒側だけが全く喋れないとなると、不安や疑問や抑え込まれた要望が渦巻いていくものだと思う。そして認められないのが質問だけではなくて、何の相談もできないのは本当につらいことだった。

「この曲を弾きたい」といった具体的な要望すらも嫌がる先生だった。自分が教えやすい、自分が弾いたことのある曲しか教えたくないようで、要望・相談・質問の絶対不可を徹底していた。何も自己主張しない、何を言われても「はい」と受け入れて模倣し練習してくる、楽曲の指定にも不満はなく弾きたい曲の要望もない、そういう素直な生徒が大好きなようだった。自己主張などしない、したいとも思っていなさそうな先輩や後輩たちに目をかけて指導していた。何かと口を開こうとする、質問や相談や要望を言おうとする私は、ピアノ担任の先生から嫌われていたんだと思う。五十代半ばくらいの、女性の先生だった。そのまま武蔵川音大に進学すると、ピアノ担任もおそらく変えられない。本来そういう相談をできるはずの副学長にかけあっても全然分かってくれなくて、「素晴らしい先生ですよ。いい先生です」なんて平然と言われたから、そうなるのは予想がついた。それが何より苦痛で嫌で、不安で仕方なかった。

 高校を卒業した後は浪人のていでしばらく休んでいた。附属高校だったけど、武蔵川音大にはどうしても進みたくなかった。高卒でもいいんじゃないか? とも思った。でも一年も休むとやっぱり大学には行こうかと考え、三年の空白をあけて国橋音大を受験していた。

 本当なら、大学ではいい先生に師事できるとありがたい。まぁでもとにかく、あの高校から逃れられただけでも本当に良かったと思う。あのピアノ担任は、嫌いという言葉では到底言い表せない。もう二度と会いたくない。

 春休みに大学近くのアパートを探して、実家から引っ越した。神奈川県逗子市の実家から東京都立川市の国橋音大まで、電車を乗り継いで二時間半はかかってしまう。自宅からの通学はちょっと厳しい。グランドピアノを置いたら部屋の半分が占領されてしまう、八畳一間のアパートに住むことにした。家賃は月六万六千円で、小さな冷蔵庫と洗濯機とエアコン、クローゼットとベッドも備え付けてある。最寄り駅から徒歩二十分、大学から徒歩十五分、オートロック付きの三階に住む。

 自転車には乗れないので、大学へ徒歩で通うことになる。部屋は狭いしキッチンは一口コンロだけど、防音がしっかりしていて、日当たりがよくて床も綺麗なフローリングで、部屋に清涼で爽やかな空気を感じて、ここに住みたいと思った。何より、夜の十時半までピアノの練習ができるとアパートの規則に定められている。それが本当に心強くて、心の底からありがたい。実家のマンションでは、私の弾くピアノのボリュームが大きすぎてうるさい、迷惑だと下の階に住む家族から苦情が入るようになっていた。実家でピアノを弾くのは、実際問題として無理な状況になっていた。

 自宅にグランドピアノがあっても、防音設備が整っていなければ正直あまり意味がない。近所に迷惑をかけてしまうからピアノを弾く暮らしが頓挫する可能性も大きい。元から防音が施されている高級タワーマンションや、庭が広くて近隣と離れた一戸建てに住めるならともかく、普通の分譲マンションだったら防音工事が必要だ。

 音大の受験科目にあるソルフェージュは、渋谷のタワーマンションに住む先生に習っていた。ソルフェージュでは音楽を聴いて楽譜に書き取ったり、楽譜を見てすぐに弾いたりと、音楽の基礎的な勉強を広範に学ぶ。音大や音高の受験では必須の科目になっている。

 ピアノを師事していた岸久保先生に紹介されて、逗子から渋谷まで電車に乗って隔週で通っていた。ソルフェージュの先生が住むタワーマンションでは、二十二階の素晴らしい眺望のリビングに、スタインウェイのグランドピアノが置いてあった。スタインウェイはピアノのなかでも最高峰にあたる世界三大ピアノブランドの一つにあたる。ベーゼンドルファー、ベヒシュタインと並んで世界三大ピアノと言われている。スタインウェイは一台が一千万円以上はする。

防音は必要ないのよ! 元々ここは防音されているのよ、とソルフェージュの先生は明るく言っていて、それはそれは驚いたし羨ましかった。タワーマンションの中に入ると、外の音がふっと消える。静けさに特別感がある。音も光も外界と遮断された内廊下にはクラシック音楽が穏やかに流れている。建物の全体に防音が施されているから、このような無音の高級感も醸し出されるんだと思った。

 グランドピアノを買ったら安いものでも百万円はするけれど、そこで防音という更なる出費をケチってはいけない。大事なことだと思う。誰も教えてはくれないけれど、自分で気付かないといけない。たぶん本当は常識なんだと思う。ピアノの営業マンはこちらの懐具合を鑑みて、そこまで言ったらこのお客は肝心のグランドピアノも買わなくなると思って、言わないことにしたんだろうか。そう判断したのかもしれない。ピアノだけ売ってしまおうと。

 私の親は大事なところをケチってしまった。お金の使い方にはどうしてもセンスの良し悪しが出てしまうものだと思う。ちゃんとした防音設備の工事は三百万円くらいかかるから、これから音大に四年連続で支払う年間二百万円の学費を考えると、その時点でなかなか踏み切れない親の気持ちも分からないでもない。何しろ、私が小学四年生の時にグランドピアノを買ってから、寮生活だった高校を卒業して自宅で練習を再開するまで、自宅で弾いていても全く問題にならなかったのだから。階下の家から騒音のクレームが入るなんて、正直言って想定外だった。考えてみれば防音なんて常識なんだけど。非常識なのは我が家なんだけど。ずっと今まで大丈夫だったんだから、これからだってきっと大丈夫だろうと、根拠もなく思い込んでいたんだと思う。私も、両親も。

 私のピアノが騒音問題になってしまったのは、私が大音量でリストやらショパンやらを弾きこなせるようになってから。武蔵川音大附属高校を卒業して、かなりピアノの腕前を上げてからのことだった。

今更これから防音に投資したって、その投資した分を取り返せるのか? 三百万円支払ったって、もとを取れないんじゃないか? と両親が考えてしまうのも分からなくはない。実家のマンションに防音が施されることは、その先もずっとなかった。階下のお宅も子どもがいる家族だった。そこの父親が我が家の玄関先で「出るとこに出たっていいんですよ!」と怒鳴っていた、その怒声はずっと記憶に残っている。

 当時は、母親から階下のお宅の話をとめどなく聞かされたものだった。階下のお子さんの気持ちが落ち込みがちだと電話で言われる、そうなったから急に騒音問題として言い出したんじゃないか? とか、母の愚痴はどろどろと鬱屈していて救いがないと思った。ずっと問題にならずうまくいっていたことが、突如大きな問題になってしまったこと。私の母はその変化に耐えきれなかったんだろうと思う。私も耐え難かったけど、母は現実を受け入れて認めることもできなかった。

 実家でのピアノ練習は、グランドピアノが置いてある有料の音楽スタジオを予約し、電車と徒歩で片道一時間かけて通うしかない。それ一択だった。音高おんこうを卒業してから音大受験の準備期間は、来る日も来る日も音楽スタジオに電話し、グランドピアノが置いてある貴重な一室の空き時間に合わせて通う毎日になっていた。実家にクルマはない。両親は運転できないし、実家のマンションには駐車場がない。昭和に建設されたマンションには、駐車場がないこともあるみたいだ。

 これからは防音アパートに住んで、夜十時半まで思い切り家でピアノを弾けるなんて、それはもう楽しみで楽しみで仕方なかった。できることなら、実家には二度と帰りたくなかった。


 国橋音大の入学式では、キャンパスで咲き乱れる綺麗な桜が出迎えてくれた。そして希望調査票に書いた通り、私の専攻のピアノ担任は今本先生に決まっていた。

 音大における専攻の担任制度は、普通の大学で言えばゼミに近いかもしれない。ただ音大の専攻は入学当初からみっちり始まるし、受講するのに選択の余地はなくて、入学から卒業に至るまで最も重要な科目になっているので、やはりゼミとは違うと思う。

 入学式は誰も知り合いがいなくて寂しかった。国橋音大の附属高校からあがってきたように見える、学生たちのグループが目につく。疎外感が強い。まぁ、私はどこに行ってもこうだから仕方ない。ちょっと校舎内を散歩してみる。学生食堂のすみに色々なサークルの張り紙を見かけたけれど、合唱や吹奏楽など、音楽関係ばかりに見える。課外活動まで音楽をやるのはちょっと抵抗があるけど、みんなそんなに音楽が好きなんだろうか。武蔵川音大のサークルでは演劇など、幅広いジャンルがあったのを高校と合同の文化祭で見ていたけれど、国橋音大には無類の音楽好きが集まっているのだろうか?

 アパートに帰ってきてひと息ついたら、履修する教養科目や選択科目を決めていった。未記入の時間割表を開き、先に必修科目を書いてから、その隙間に書き入れていく。分厚い講義要目をぱらぱらめくってみると、教養科目には文学や発達心理学、芸術などが並んでいる。芸術って何をやるんだろうと思って見たら、絵画の歴史などを学ぶらしい。

 選択科目は「キーボード・ハーモニー」で即興演奏や作曲を学んだり、「総譜奏法」でオーケストラのスコアを読めるようになるために、一般的なト音記号とヘ音記号に留まらずハ音記号を習得するなど、全てが音楽関係だった。知ってはいたけど、音大は音楽を中心にまわっている。何だか圧倒されてしまう。でもシラバスを読むのは面白かった。講義ひとつひとつに先生たちの個性と拘りを感じる。そういえば勉強って楽しいものだったよな、と思った。

 翌週からすぐ申し込んだ時間割通りの講義が始まった。講義はまぁ、そんなに難しくなさそうだった。高校以来で久しぶりの授業に不安もあったけど、ついていくのに問題はなさそう……

 教室を暗くしてスライドにパワーポイントの資料を映す先生もいて、ひたすら黒板に書いていた高校の授業と違いを感じた。大学ってそういうものかもしれない。音楽概論とか西洋音楽史概説とかの必修科目、教養科目で選んだ発達心理学、選択科目の総譜奏法でハ音記号の楽譜を読みながら全席に配置されているエレクトーンで弾いたり。

 そしてレッスン初日がやってきた。

 今本先生とは、その日が初対面になる。大学構内をめぐってレッスン室を探し当て、防音の重いドアを開けた。グランドピアノが二台、横に並んでいる。レッスン室に今本先生の姿は、まだなかった。

 初めて見る先輩が二人いて、グランドピアノの後ろに一つだけ置かれた長机に並んで座っていた。一人は背が高い男の人だった。ジャケットをラフに羽織っていてさり気なくお洒落。長い脚が長机の下に収まらずに投げ出されていて、座っていても長身なのが一目で分かる。百八十センチは優に超えていそうな感じ。顔の彫りが深くて、肌は少し浅黒い。もう一人は綺麗な女の人だった。痩せていて少し小柄で、黒のトレンチコートがよく似合っていて、目が大きくて顔が小さくて、上品な微笑みをたたえた佇まいが美しいひと。

(音大は美貌揃いだよって聞いたことがあるけど、本当なのかもしれない……音高も美人が多かったけど、音大はもっと上をいきそうだな…………)

 先輩たちの容姿端麗ぶりに、何だかくらくらした。

水沢みずさわれいです、よろしくお願いします……」

 見るからに下っ端の私から、立ったままで挨拶した。

「どうも、渡瀬です」

 かっこいい先輩は、長机の前に座ったまま軽く会釈して名乗った。

崎山さきやま美恵みえです。よろしくお願いします」

 佇まいが綺麗な先輩は、声色も落ち着いていて凛々しい。

「はいはい、こんにちは」

 開始時間にちょっと遅れて、今本光映先生がレッスン室に入ってきた。背は高くなくて少し太っていて、眼鏡の奥に小さな目が潜んでいて、真顔なのか笑っているのかよく分からない先生だった。いや、目が小さく見えるのは、眼鏡の度数が強いからかもしれない。眼光は鋭くて強い。朴訥な風貌で物腰柔らかい雰囲気なのに、目だけは鋭く見据えているようなおじさんの先生。

「あ、水沢? よろしくね」

 今本先生は軽く、私に挨拶してくれた。

「渡瀬と崎山はもう知っとるけど、水沢は初めてなんだよな……」

「水沢さんは今本先生、初めてなの?」

 崎山先輩が私に優しく声をかけてくれた。

「はい、お会いするのは今日が初めてで……」

「珍しいねぇ」

 崎山先輩は素直に驚いているみたいだった。やっぱり、何の面識もないのにいきなり今本先生を指名する学生なんて、あまりいないんだろうな。私以外の二人は、今本先生と既に面識があるみたいだ。今本先生がざっくり大まかに二人の先輩を私に紹介してくれた。

 渡瀬紘人先輩は、博士課程の新入生。学部と修士は東京藝術大学出身だと言う。

 ……なんでわざわざ、藝大げいだいから国音くにおんに来るの? と思ってしまった。国音と藝大には、明確なレベル格差がある。普通の大学受験、つまり学部の受験でいうと、藝大の滑り止めに国音を選ぶ人がいるという感覚。

 音大は偏差値で選ぶことができない。一応、国語数学英語の学科試験も受ける必要はあって、偏差値は設定されているものの、学科の試験は簡単すぎる。国語に古文漢文はなくて現代文しか出題されないし、数学と英語も、受験準備はほぼ不要と考えて問題なさそうなレベルを感じた。英語は英検準二級くらいのレベルだったか、もう少し簡単だったかもしれない。国公立の藝大受験はセンター試験もあるようだけど、私大だったらセンター試験も必要ない。国橋音大は私立の大学だから、センター試験とは縁ができずじまいだった。音大にとって学科の偏差値はお飾りでしかないし、音大を選ぶ参考にはならない。音大は基本、勉強で選考されることはない。実技試験のレベルと、ソルフェージュで見られている。受験する音大の進路方針は、受験指導する先生が生徒のレベルを考えて決める。私は初めから藝大を受けたりしなかった。受験指導を受けた岸久保先生から見たら、国橋音大なら受かるし藝大は厳しいのだから、その見立てに従うまでだった。

 国橋音大では、今年度から博士後期課程が新設されたらしい。渡瀬先輩が東京藝術大学でもともと師事していた吉井よしい先生が、博士後期課程の新設にあわせて国橋音大で教え始める。だから渡瀬先輩は吉井先生についてきて、国橋音大の博士後期過程に入学することにしたという。今本先生には二人目の先生として師事するらしい。博士後期課程のピアノ専攻は、二人の先生にピアノを師事する仕組みだということが伝わってきた。副担任みたいな感じだろうか?

 崎山美恵先輩は学部の四年生で、三年まで師事していた先生が退官されたので、四年から今本先生に師事することになったらしい。

「今本クラスでは、学生同士でレッスンを聴き合います。今の自分が勉強していない曲を聴いて学ぶのは、大事なことです」

 今本先生は、明快にくっきりと言葉を噛み締めるように喋る人だった。語尾に意図を含めこむように、きっちりと発音する。

「楽譜を用意して、聴き合うようにしましょう。今自分が勉強している曲だけではなくて、他の曲を学んでいるみんなのレッスンを聴きます」

 門下生でレッスンの度に集まり、お互いのレッスンを聴き合うと言う。

「試験の課題曲だけを勉強しているんじゃ、ダメです。沢山の曲を同時にさらうようにしましょう」

 今本先生は、沢山の楽曲を同時にさらわせる先生なんだ……質より量の考えで教える先生なんだ。ちょっと珍しいタイプの先生だな、沢山の曲を並行して練習しなくちゃいけないのは大変そうだな……と思った。

 日本の音大の特徴かもしれないけど、少数の楽曲を丹念に学んで仕上げの精度を高めて、実技の術科試験で良い成績をおさめることを目標に目指していく先生が多いと思う。試験を含めて学生に演奏の機会が訪れる度に、最高の仕上がりで弾けることを目指していくのが普通だ。ほとんどの先生は術科試験でよい成績をおさめることを目指していく。今本先生は違うんだ、とすぐに分かった。

 私だけが先生も先輩たちにも初対面で、何やら場違いな気もしてきたけれど、まぁ仕方ないし、みんな優しそうだし、何とかなるだろうと思った。

 渡瀬先輩とは挨拶をかわしただけだったけど、アパートに帰ってから何度も思い返した。どんなピアノを弾くんだろう。私のピアノも聴いてもらえるんだ。長机の上に無造作に投げ出されていた、渡瀬先輩の手指を思い出してみる。細く長く息づいているかのように節張って伸びる渡瀬先輩の手指には、ピアニストの風格が宿っているような迫力があった。いつか渡瀬先輩と話してみたいと思った。


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