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王子の選択

時間は遡る。

まだ魔女が生まれる前の貴族令嬢であった頃の話である。

医学が発達していない小さな王国では病に罹れば回復までに時間がかかる。貴族は大金を対価に他国から優秀な医師を雇えるがお金のない者達はそうはいかない。

王都は王国で二番に他国からの来訪者が多く、王国民にとっては未知の病が持ち込まれやすい場所である。王族、貴族とはいえ天寿を全うできないことも血を絶やさないため子供は多く持つことが慣習となっている。

王太子が発表される日は王都では盛大な祭りが催され、他国からもたくさんの観光客が訪れ人で溢れていた。

容姿端麗な王子と婚約者のフィーレ侯爵令嬢が大勢の人の前で正々堂々とした挨拶をし、花と酒とお菓子を振舞った。

多くの者が明るい未来を思い描き、酒に酔いしれ夜を明かした日、近くに闇が迫っていることに気づいている者は一握りだった。


「コホ、コホ」

「風邪かい?」

「夜通し騒いだせいかねえ…」


王都で盛大な祭りが催され、明るい空気が流れてた翌日空咳をする人が時々みられた。熱はなく、体のだるさもない。休むほどつらい症状はないため、気に留めることはなかった。

それが王都に、王国に暗い闇を招くなど誰も想像をしていなかった。


***


空咳がなくなり、しばらくして何かを絡んだ咳が出た。

一人の少年は口を押えていた手にべとりとした感覚に首を傾げた。

母親はわが子の口元、手にびっしりとついた血を見て真っ青になった。


「お母さん?」


母親を心配した少年が笑おうとすると体から力が抜けた。

そして少年は自分の意思で動くことはできなくなった。

家族は神に祈りを捧げ、目を覚まさなくなった少年の未来が明るいものになるように願うしかできない。

次々と突然血を吐き、倒れる者、未知の病に暗い空気に襲われていた。

そんな時に治癒魔法が使える少女が見つかり国の暗くなった空気は払拭された。


「聖女様のおかげだ!!」

「神は我らを見捨てなかった」


民に感謝され、愛らしく笑う少女を王子は静かに見つめていた。

少女が現れてから、病に犯された人々の顔色は明らかに良くなっていた。少女に治療を受けようと受けなくても。治癒魔法の使い手の愛らしい少女の存在は民の心を明るくしていた。


「父上が望んでいるとはいえ…」


王子は賑わう民達を見つめながら、誤った真実を信じさせるように脚本を綴った父への不満をため息と共に飲み込んだ。


世間では王都の病を沈静化させたのは治癒魔法が使える少女のおかげと、囁かれていたが真実は違う。

王子の婚約者であるフィーレ侯爵令嬢シルフィーラが育てていた臭い匂いの薬草を使い王子が薬を作り食事に混ぜて民に振る舞ったからである。

王子より五歳年下の婚約者シルフィーラ。

老若男女問わず魅了する美しい顔立ちのフィーレ侯爵、しなやかで美しいプロポーションを持つフィーレ侯爵夫人、両親の魅力を譲り受けたシルフィーラは大人びた美少女である。

幼い頃に王子の婚約者に選ばれていなければ数多の男を虜にしただろうシルフィーラの魅力は外見だけでない。

魔法使いが少ない王国で、魔力を持って生まれただけでなく、才能にも恵まれている。

特にシルフィーラは薬草学に優れ、植物を育てるのが誰よりも得意だった。

もちろんシルフィーラよりも厳しい教育を受けている王子もシルフィーラと同等の知識は持っている。だが王子はシルフィーラほどうまく植物を育てられない。そしてシルフィーラの育てた植物が生み出す種は丈夫で育ちやすいため研究者達に大人気と知るのは一部の者だけである。

王都に蔓延した病の沈静化に必要な薬草は育てるのは難しい。なにより鼻を刺激する匂いを持つので育てている者がほとんどいない。昔は森に生えていたが匂いが臭く、獣が嫌うため狩りの妨げになる草は人の手により除草されてしまっていたため、今では稀少なものとなっており市場に流通することはない。

薬草栽培が趣味なシルフィーラの広大で種類豊富な薬草園は世界中の薬草が栽培されている。王子はシルフィーラの薬草園で育てられた草を譲り受けた。


「扱いを間違えれば毒になります。危険なものは流通させないほうがいいでしょう」


求められた薬草は貴重なものとシルフィーラは知っていたが王子から対価をとるつもりはなかった。

フィーレ侯爵令嬢として王家が動くなら従う。シルフィーラとしても婚約者の真剣な頼みを無下にはしない。

シルフィーラの育てた大事な薬草を王子は無駄にはしないとも信じていた。堂々とした態度で民の憂いが払われるように策を披露するのを眺めるのもシルフィーラの楽しみだった。

王子の策が成功し、美しく微笑むシルフィーラは現実の厳しさをまだ知らなかった。

胸にわだかまりを抱えながら動いた王子も同じである。









王子がシルフィーラよりも優遇している少女を最初に見つけたのは教会である。教会は聖女としての待遇を望んだが王家は拒んだ。聖女は建国神話に出てくる神からの使い。時に王よりも発言力がある聖女なんて存在を王家は必要としていない。

だから王家は少女を教会から引き離し王家側につけようと企んだ。


「愚策としか思えません」

「魔法は心のもちようで変わるだろう?」

「俺ではなくシルフィーラのほうが適任です」

「女同士の友情で出せる力はたかがしれている。命を削るほどの原動力は愛でしか出せん」


王子は王命で少女と親交を深めるためにシルフィーラと距離を置いた。

シルフィーラは何も説明されていないのに王子が少女と親しくしている姿を受け入れている。王子がシルフィーラをエスコートする夜会をすっぽかしても、文句のひとつも言わない。そんな年下の美しい婚約者は王子のいない夜会では輝かしさを増していた。

自分と踊る時より楽しそうにのびのびとステップを踏み、他の男に王子の知らない魅力的な笑みを浮かべながら踊る姿に王子の心に棘を落とした。

王子は常にシルフィーラより優位な立ち位置にいるつもりだったのに、もしかしたら違うのかもしれないと初めて疑念を抱いてしまった。思い返せばシルフィーラは王子の欲しいものを与えてくれない。

シルフィーラは王子を蔑ろにしないが、王子よりも特別なものがあるのは明らかだった。


「美しい!!素晴らしい技術ですわ」


フィーレ侯爵家専属デザイナーの新作ドレスに合わせて作られた色鮮やかなネックレスの試作品。侯爵令嬢の持ち物としては安価だが、夜会につけても決して見劣りしないように作られた新作のネックレス。下位貴族でも手が出せる価格でも、社交界の花になる可能性をひめたものを作り上げた職人にシルフィーラはうっとりとした顔で称賛を贈っている。シルフィーラに王子が贈り物をしてもあのような顔は向けられない。


「殿下よりもシルフィーのほうがセンスがありますから。シルフィーは装飾品は売るほど持ってますし」


シルフィーラは社交界で気に入りの職人の作品を宣伝している。流行は王族ではなくフィーレ侯爵家が作っているというのは王国の常識である。

他の女を大事にしても態度が変わらず、王子の心を抉っているのに気づかない思い通りに動いてくれないシルフィーラよりも、わかりやすく思い通りに動く少女ララを掌の上で踊らせるのが愉快になってきた。

シルフィーラと向き合うのをやめた王子は自分の背中を静かに見つめる視線に気づくことはなかった。


「おいで」

「お兄様?」

「シルフィーは天才だ。よく見つけたな」


王子とララの寄り添う姿を見ていたシルフィーラを兄のペテルが優しく抱きしめ、頭を撫でた。シルフィーラは兄の胸に頭を預け、兄の囁きに耳を傾ける。シルフィーラの見つけた金の卵を孵化させる兄のヒントにシルフィーラの関心が王子達から逸れていく。

目先の利益を選び、道を踏み外そうとしている王子。ペテルにとって王子の破滅は構わないが、最愛の妹を蔑ろにしているのは許せない。自分の傷に疎い妹の心の傷が深くならないように祈りながら目を輝かせているシルフィーラに優しく微笑んだ。



***


王子とララの仲はどんどん深まっていく。

ララは礼儀作法を身につけていないため王子が公式行事にパートナーとして伴うことはない。だが王宮で自由に過ごすことは許されていた。

花街で頂点を目指せそうなプロポーションを持ち、美しい顔立ちのシルフィーラ。反してララは凹凸のない体に愛らしい顔立ち。成長したシルフィーラに劣っていると思っている愛らしい顔立ちの王妃はララに親近感を抱いていた。隠しているが幼女趣味を持つ王も仔犬のように駆け回り愛らしいララを愛でている。能力のない平民を国王夫妻が贔屓することはない。ただララは珍しい治癒魔法の使い手。王家のために飼い慣らしながら、愛でるには十分な存在だった。


「殿下はまたララ様と一緒ですのねぇ…」

「最近はフィーレ様のお姿が見えませんわ」

「聖女様と殿下はいずれは。シルフィーラ様はどう思われますかねぇ」


王子はララとの噂がどんどん広まるっていることに気づいていたが、シルフィーラとの不仲説が噂になっているのに気づかない。



「ご存知ないのですか?シルフィーラ様が臥せっておられるそうですよ」

「え!?」

「それが…」


王子は令嬢達の噂話に驚き立ち止まった。


「殿下?」


シルフィーラからもフィーレ侯爵家からもそんな報せは受けていない。

王子にとってララを愛でるのは楽しいが、シルフィーラの見舞いのほうが優先順位は高い。シルフィーラを蔑ろにするつもりはない。王子がシルフィーラと距離を置いてもララと恋仲になろうとも全く気にされていない事実に必死に目を背けていることを絶対に認めたくないと思いながら。


「ここで、部屋までは自分で戻ってくれ」


王子はエスコートしていたララの手を解き、足早にフィーレ侯爵家を目指した。

王子が先触れも出さずに体調を崩したシルフィーラの見舞いに訪れると案内されたのは客室だった。

フィーレ侯爵夫妻と嫡男のペテルが礼をして迎えた。


「王族の素質って血だけですかねぇ。まぁ元友人として助言してあげますよ。シルフィーは殿下を愛していました」

「シルフィーが俺を!?」


先触れのない無礼を咎めるペテルの言葉より、最後の言葉に固まった。

王子は今も昔もシルフィーラを好ましいと思っている。

ペテルは王子が妹に恋していると誰よりも早く気付いていた。王子がシルフィーラへの気遣いがうまいのは関心を持ってシルフィーラを見ていたから。

王子の失態を無邪気に笑い、得意気な顔をしてシルフィーラがフォローする姿は愛らしい。他の者がやれば不機嫌になることもシルフィーラなら全て可愛らしいとペテルと同じように思っているのに王子には初恋の自覚がなかった。

王子の初恋に気付いているのはシルフィーラ以外のフィーレ侯爵家の者達だけ。

無意識に嬉しそうに笑う王子にペテルはニコリと微笑み返した。

王子は友人の笑みに無性に嫌な予感に襲われた。


「シルフィーは強い子なので、何があってもどこに行っても一人で生きれます」

「一人だと!?」

「ええ。シルフィーが殿下を選ぶことはない。俺も人の心を利用するような信用できない男に大事な妹は渡せない」

「シルフィーが俺を、あ、愛してるなら」

「殿下、言葉の解釈はきちんとしてください。愛していた。過去形ですよ。シルフィーは大事にしていた宝箱に鍵をかけました。シルフィーの殿下への想いは箱の中におさまりきらないからといつも蓋を開けていた箱のね。恋心は箱に閉まって決して開かないように鍵をかけた。鍵を暖炉に投げる潔さはなかなか思い切りがいいだろう?」


妹が王子への恋心を捨てたことを笑顔で話す兄。なぜか胸が痛む王子は首を横に振った。


「戯言を。シルフィーが俺を愛してるなんて騙されるものか!!俺を愛しているのか?と聞けばきょとんとした顔で理解不能と首を傾げるシルフィーに狼狽える俺を嘲笑う気だろうが」

「そんな光景は見飽きています。面白みのカケラもない」


フィーレ侯爵家では愛娘のいない場で単純な王子をからかって遊ぶのはいつものこと。初恋の自覚はないのにシルフィーラに男としてアピールしてもスルーされ、笑顔の裏で落ち込んでいる王子の様子は日常茶飯事である。

シルフィーラは王子の前では必要以上に話さない。でも王子に嘘はつかないので、王子が素直に問いかければ正直に答える。ペテルはヘタレに妹を任せるつもりはないので王子に教えるつもりはない。

また王子のアピールはシスコンの自覚があるペテルが妹を慈しんでいる仕草に比べれば些細なもの。ペテルがシルフィーラを慈しむのは身内の前でだけなので、王子がその事実に気付くことはない。そしてペテルがシスコンと知るのもペテルの信頼する者だけである。


「実はシルフィーに縁談の申し入れもありますのよ」

「俺と婚約しているのに、シルフィーが受け入れるはずがない」

「自意識過剰ですこと」


フィーレ侯爵夫人が王子の断言に朗らかに微笑むも瞳は笑っていなかった。

大事にするから婚約させろという王家は約束を守らなかった。努力家で向上心の塊、才色兼備に成長した侯爵令嬢は王家が操り人形にするには相応しくない。王と王子は気付かないが、王妃は美しく聡明で魅力的なプロポーションのシルフィーラを妬んでいることにも気付いていた。


「うちは王家とつながりがなくなっても特に困りません。シルフィーはフィーレにとって利と理を損なわない落としどころさえ見つけれくれれば構わないと言っています。私も娘にとって誠実な男に娘は任せたい。しがらみゆえに、避けられないこともあるでしょう。ですが今回のことは私達はどう考えてもどうにもならなかったことには思えないのですよ」


フィーレ侯爵家の祖先は商人。商人から成り上がり、侯爵まで登り詰めた。貴族との付き合いもうまいため、成り上がりでも疎まれることは侯爵家にしては少ない。王国の流行を作るのはフィーレ侯爵家。フィーレは職人を育て、ときに一族から芸術家を輩出することもある。

他国との取引もあり情報と資産は王国一。

小麦が凶作に襲われても、小麦の生産のみに力を注いでいないフィーレ侯爵領だけは影響をほとんど受けなかった。


「ララさんは悪い人ではありません。ただうちの気質に向きません。審査眼を持たない者をフィーレ一族に迎えるなんてできません。脅されても」

「爵位を剥奪されても自活できるように教育してあります。うちは侯爵位なんて失っても困りません。人望と情報、今は金の卵もある。いくらでも高みを目指せます」

「治癒魔法よりも薬のほうが長期的な利益を生みます。それに魔法だって常に使えるわけじゃない。そんな博打を仕掛けるほどうちは困ってないんで」


歴代のフィーレ侯爵の中には自己顕示欲が強く地位を大事にする侯爵もいた。当代侯爵は義務を重んじるが、自己顕示欲はない。しがらみだらけの侯爵位などさっさと返上してもいいと思っているが、領民や部下に止められる。情にあついため、信頼を裏切れずに侯爵としての義務を果たしているだけである。

利己的で妹至上主義のペテルと好奇心と向上心の塊のシルフィーラの活躍でフィーレ侯爵領は歴代でも屈指の資産を生み出し、フィーレの全盛期を突き進んでいるが。

厳格に見えて実は寛大で包容力のある父とお金の気配に敏感な母が子供達を全面的に支援しているためと気付いているのはフィーレに心酔している者達だけである。


「そんなことより、俺は見舞いに来たんだが」

「面会謝絶中です。シルフィーの希望ですのでお引き取り下さい」

「希望だと!?」

「命に別状はありませんが本調子ではありません。シルフィーが殿下とはお会いできないと拒んでますのよ」

「拒む!?」


シルフィーラはやりたいことがあり、社交を控えていた。幼い頃にシルフィーラが両親から贈られた庭園に籠っている時は家族以外には会わない。シルフィーラへの来客はペテルが対応し、楽しそうな妹の邪魔をすることは絶対に許さなかった。

傷心の王子を追い返したペテルはシルフィーラの所に向かった。葉を持ちながら満足げに微笑むシルフィーラにペテルは声を掛けた。


「調子はどうだ?」

「成功しました。この葉の香りは虫達、特に小麦を好む虫は好みません。襲われた畑はもとに戻りませんが新たに埋める畑は守られます。とはいえ私が育てたものの効果は信じられないでしょう。食用には向きませんので、利益を上げるには花の色をさらに鮮やかにするほうがよろしいかしら」


シルフィーラは火や水を生み出したり、風を操るなどの高等な魔法は使えない。

だが植物の生育をコントロールするのは得意だった。知識を持つだけでなく観察力に優れているため魔法を使わずとも、庭師に負けないほどの腕っぷしである。植物の成長を助ける魔法は珍しいものではない。ただ貴族は自ら植物を育てることはほとんどないので、重宝されず利用価値のない魔法とされている。実は命に干渉するので極めようとするほどコントロールが難しい魔法と知られていない。


「魔法を使いすぎるなよ」

「成長を速めることにしか使いません。被害が拡大する前に領内に育てて参りますので、引き続き面会謝絶でお願いします」

「実りの森が不作に襲われれば動物や虫が山から降りてくる。動物は対処できても虫は無理だ。数が多すぎる…」

「ええ。妃殿下に申し上げましたが、戯言と片付けられてしまいました。殿下にお伝えするのは禁じられましたが、お伝えしたところで無駄でしょう?災害の復興もままならないのに、さらに悲劇が待ち受けてるなんて信じたくないのは仕方のないこと」

「お前なら説得できるだろう?」

「殿下は私に監視をつけています。撒いているので常にではありませんが…。護衛ではなく、監視をつけるようになったお気持ちを察すれば…。物語のように素敵ではありませんか?何をおいても守りたく大切にしたい存在、愛する者に出会えるなんて。私は殿下を愛してましたが、お兄様達以上ではありません。私は殿下のために家族やフィーレを捨てられません。真実の愛との差は歴然ですわ」


兄の言葉にゆっくりと首を横に振ったシルフィーラ。

王子に捨てられたと思い込み傷ついたのに、真実の愛とは美しいものと本気で称賛しているシルフィーラ。王子の心が離れ、距離を置かれた先に待っているものにシルフィーラは気付いてからは折り合いのつけ方を探した。物語にある王子様とヒロインとのハッピーエンドの前に婚約者との婚約破棄がある。婚約破棄は物語の世界ではクライマックス。

でも現実では終わりではなく、再出発となるようにシルフィーラは前を向く。ひび割れ、砕かれた心でも、拾い集め抱き締め、頭を撫でてくれる兄がいる。

王子とうまくいかなくなっても慰めもないが叱ることもなく、今まで通り自由にできるようにサポートしてくれる両親がいる。

努力は報われ、利益を生むと何度も何度も教えてくれる家臣もいる。シルフィーラの人生に無駄はないと教えてくれる掛け替えのない存在達。

シルフィーラの宝は一つなくなった。

だから残った宝を大事にする。シルフィーラの宝が大事にするものはシルフィーラにとって尊いもの。だから家族が大事にするフィーレを守るために最善を尽くす。

その最善がシルフィーラの世界を壊すきっかけになるとはシルフィーラは知りたくなかった。


***


シルフィーラの予想通り王国は虫に襲われた。

作物は食い荒らされ、病が蔓延した。

事前に対策をしていたフィーレ侯爵領だけが無事だった。

王家は国民の怒りの矛先が自分達ではなくフィーレ侯爵家に向くように謀をした。

王子が両親の思惑に気づいた時には取り返しのつかない段階まできていた。


「フィーレ侯爵家の寄付のおかげで窮地は免れました」

「民を導くのは王家。王家より支持されるのが王家の血も公爵家の血も持たない一族など許されないこと。たとえ人より秀でていも分をわきまえるのが務めでなくって?それにフィーレ領だけ被害を受けていないなんておかしいでしょう?」

「母上!?」

「フィーレは王家の命を蔑ろにしています」

「孤児を養女として迎える必要がフィーレにはありません。ララの教育が母上の手に余るからとフィーレに押し付けようとするのはあんまりだと」

「まぁ!?誤解ですわ。いずれ王族に迎え入れられる聖女ですよ?」

「シルフィーラがいるのに必要ないでしょう」


ララという切り札を手に入れてから王妃は変わった。

病の流行も飢饉もシルフィーラは予測して王妃に話をしていた。

でもシルフィーラの案を王妃は本気にしなかった。

シルフィーラの話を戯言として片づけ、憶測で民を不安にさせるものではないと嗜めた。王妃教育の内容は他言無用。

王妃は王妃教育という切り札でシルフィーラを黙らせるのは得意だったが、シルフィーラの策を横取りできるほど優れていなかった。

王妃は自分の過ちが愛する王と王子に知られることがないようにシルフィーラを排除したかった。ララという存在だけで敬られる切り札を手に入れたからシルフィーラの排除を躊躇う理由はないと微笑みながら。


「フィーレ侯爵家がなくなれば、すべて王室のものになります。国庫も潤うでしょうし、悪を断罪して王家は民意を取り戻すでしょう?すべて解決しますもの。王子がシルフィーラを好んでいるなら妾として飼いならせばよろしいでしょう?地位も力もなくなったシルフィーラの心は折れて壊れてしまうでしょうが」


シルフィーラの排除を認めないフィーレ侯爵家を消してしまえば王家にとってはいいことばかり。そしてフィーレ侯爵家に成り代わりたいほかの貴族達も同じ。冤罪と知っていてても、病と飢饉で窮地に陥っていたため善良な領主達も国からの援助を手に入れるために王家の横暴に目を瞑った。

絆や恩より大事なものがあると知っているフィーレ侯爵家は周囲を恨むことはない。自分達も守りたいもののために最善を選ぶ準備をはじめた。


「悲しむだろう。けど信じているよ。乗り越えて、幸せを掴んでくれると」

「貴方は逃げればいいのに」

「可愛い妹のためなら安いものだ」


その選択が最愛を絶望に落とすとは誰も予測していなかった。

そして王国一影響力のある一族の滅亡とともにさらなる悲劇が始まった。


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