11月9日 凪
凪。私は、この名前は、とても気に入っていた。この凪という名前の由来は、「周囲を凪のように落ち着けて優しい人にしてほしい」という意味があるとか。今となっては、この由来と程遠い人生―になってしまったが、この名前をつけてくれた両親には感謝していた。当時は、お父さんが、「凪」を「薙」と別の漢字で表現ていたが、それを見たお母さんが字を変えたことがこの名前の誕生由来だったとか。
私の家は、3人家族。お母さんは、教育熱心で礼儀作法にとても厳しい昔の人だ。私が幼い頃は、塾に家庭教師に、遊んでいる暇は、ほとんどなかった。だから、小学校までは、友だちと遊ぶ機会もほとんどなく、周りからは勉強が好きというイメージしか持たれなかった。
しかし、そんな自分が嫌で、中学校2年の時、一度だけ家出をしたことがあった。家出先は、中学校の時の友だちだった淮南高校の小山波だった。あの時は、小山にとてもお世話になったし、とても迷惑をかけたと今でも思っていた。当時、最後はお母さんが小山の家まで迎えに来てくれたが、もっと強く言えばよかったかな。今では、そう思うようになっていた。
小山は、小、中学校が同じで、私のことを一番よく理解してくれている人だった。彼女とは、高校生になってから、だんだん会わなくなってしまったけど、唯一と言っていいくらいの友だちだろう。
一方、お父さんは、私にとても優しく仏のような人だ。平日は、ほとんど仕事で、休日は、いつもゴルフをしていたのだ。私は、家からでられない時、いつも父とチャットでやりとりするのが唯一の楽しみだあり、生きている希望を感じられた。お父さんは、私に起こったことは一度もなく、常に優しく接してくれた。
そんなお父さんとの思い出は、高校1年生の時に行った関西旅行だ。普通、女子高生なんかが、お父さんと旅行に行くだけでも嫌だと思うのだけど、私は全くそんな風に思ったことがなかった。関西までは、車で約6時間ほどかかる。その道中の時も、最近、どんなことがあったのかなどお父さんのエピソードを聞いていたのを覚えていた。少しずつ、学校に行けなくなっても、私を怒ったり注意したりすることなんてない。そんなお父さんが、わたしはずっと好きだった。
少し頭痛がおさまりそうだったので、ベットから起き上がり、近くにあったペットボトルを手にとった。ペットボトルを口につけると、とても喉が潤った気分になり、私は、再び、目を閉じることにした。