1-1:時を操る力
わたしは、みんなから嫌われている。
お父さまからも、屋敷の召使いたちからも。
みんな、わたしをこう呼ぶのだ。
偽聖女――と。
「ルゥ! お前のせいでまた縁談を断られた!」
お父さまはわたしに怒りを向けた。
「この役立たずが!」
そう罵られてもわたしはちっとも傷つかなかった。
役立たずなんて言葉、とっくに言われなれていたから。
「やはりお前は不幸をもたらす偽聖女だ! お前のせいで『大樹』も枯れたんだ!」
お父さまの書斎を後にして、自室へと向かう。
その途中、廊下でメイドとすれ違うも、彼女は目も合わせず不愛想に会釈して去っていった。
背後からひそひそと聞こえてくる。
「ルゥさまの縁談、また破談になったんですって」
「やっぱりね。大樹を枯らした偽聖女なんて誰もお嫁にしたくないわよね」
他のメイドたちがそんなことをささやき合っている。
わざと聞こえるような声で言ったのは明らかだった。
王都から遠く離れた田舎に領土を持つ貧乏貴族ルーグ家。
我が家が上流貴族の仲間入りをするには上流貴族との結婚が手っ取り早い。
お父さまはなんとしてもわたしを玉の輿に乗せようとしている。
けれど、わたしが不吉な『偽聖女』であるのは人々に知れ渡っている。
だから誰も結婚したがらないのだ。
自室で本を読んでいたけれど、それにも飽きて中庭に出る。
昨日、雪が降ったから一面真っ白。
長椅子に薄く積もった雪を払って腰掛ける。
そして見上げる――枯れた大樹を。
冬空を漂う雲を突き抜けんばかりの立派な大樹。しかしその枝には一枚の葉も無く、幹も色あせて灰色になりつつあった。
わたしの前にそびえるこの大樹は千もの年を生きてきたのだという。
万病を癒す霊的な力を宿しているという大樹はルーグ家の象徴でもあり、家の紋章にも描かれている。
そんな大樹を枯らしてしまったのだ――わたしが。
「ごめんね」
大樹の幹に手を触れ、わたしは謝った。
「ルゥさまは悪くありません」
声がして振り返る。
そこには真面目そうな銀髪の青年が立っていた。
「レオン」
その青年――レオンはわたしより一つ年上の17歳で、わたしの専属の執事だ。
「大樹が枯れたのはルゥさまのせいではありません」
レオンが微笑む。
わたしはみんなに嫌われている。
ただし、彼を除いてだ。
「でも、聖女が生まれるって予言されてた日にわたしが生まれて、その日に大樹が枯れたんだよ」
「それは大樹がルゥさまに命をくださったのでしょう」
レオンはいつもわたしに微笑んでくれる。
どんなときでもわたしにやさしくしてくれる。
居心地の悪いルーグ家で、レオンは唯一の心のよりどころだった。
あーあ、結婚するならレオンみたいな人がいいな。
なんて思うことがときどき――いや、しょっちゅうある。
「僕は信じています。ルゥさまが聖女だと」
レオンがわたしの手を取って、少し屈んで目線を合わせそう言った。
こわばっていた心がほぐれていく。
レオンに見つめられていると照れくさくなって、わたしは「てへへ」と笑ってごまかした。
そのとき、レオンがなにかに気づいて「おや」と不思議そうな顔になる。
「ルゥさま」
「どうしたの?」
「イヤリングが片方ありませんが」
「えっ!」
慌てて耳に手をやる。
本当だ。左耳のイヤリングがなくなってる。
どうしよう。お母さんの形見なのに……。
「本日はどこか外出されましたか?」
「えっと、街に本を買いにいったけど」
きっとそのときだ。
もしかしたら屋敷にいるときになくしたのかもしれないが、今のわたしには最悪の事態しか想像できなかった。
「屋敷でイヤリングを拾わなかったかメイドたちに聞いてきます」
「べ、別にいいよ。そんな大事なものでもないし」
ウソをついてしまった。
レオンに迷惑をかけたくないと思っていたからつい。
「ルゥさま」
「な、なに……?」
真剣な目をするレオン。
「それはウソですね」
「えっと」
わたしは口ごもったあと、白状した。
「お母さんの形見」
「ご安心ください。必ず僕が見つけます。だからルゥさま、僕を頼ってください」
「……うん。おねがい、レオン」
「お任せを」
とてもうれしそうにレオンはうなずいた。
レオンならきっと見つけてくれる。
わたしはレオンを信じていた。
空を見上げる。
雪がちらちらと降ってきていた。
その夜。わたしは物音がして目を覚ました。
ふだんならみんなとっくに寝ている真夜中。
にもかかわらず、吹雪が窓を揺さぶる音にまぎれ、廊下を走る音と人の声が聞こえてくる。
ふしぎに思って部屋を出ると、仕事を終えて寝ているはずのメイドや執事たちがそこら中にいて、きょろきょろと周りを見ながら屋敷をうろついていた。
焦ったようすのお父さまもいた。
「ルゥ! お前、レオンさ――レオンを見なかったか!」
「えっ、レオン? レオンなら昼間に会ったけど」
「夜はいなかったのか?」
「そういえば見てない……」
「レオンがいなくなったのだ。屋敷の人間総出でさがしている。お前もさがせ」
どうしてお父さまは必死にレオンをさがしてるんだろう。
お父さまにとっては単なる執事の一人でしかないのに。
でも、レオンがいなくなったなんて……。
わたしは不安になる。
外はすごい吹雪。
さすがにこんな吹雪いている外に出るはずが――。
……。
……いや、もしかするとレオンは外にいる。
いてもたってもいられなくなったわたしは、外套を羽織り、ランタンを片手に持って外に飛び出した。
雪をはらんだ風が吹きすさぶ外を歩く。
片手を前にかざし、吹雪を防いでどうにか前が見えるといった状態。
「レオン! レオン!」
必死に呼ぶわたしの声も吹雪にかき消される。
昼間はあんなに穏やかだったのに。
暗くてよくわからないが、このあたりにレオンはいるはず。
屋敷から街の本屋までの道のりをゆっくりと歩く。
レオンはわたしのなくしたイヤリングをさがしにここまで来たんだ。
「レオン!」
そしてとうとうレオンを見つけた。
彼は道の途中で倒れていて、雪に埋もれかけていた。
レオンを覆う雪を払う。
「レオン! わたし! ルゥだよ!」
「……ルゥさま」
よかった、生きてる。
とりあえず安心した。
わたしはレオンを背負ってどうにかこうにか引きずって屋敷に帰った。
レオンは今、ベッドで眠っている。
呼吸は荒く、雪の中にいたというのに燃えるように体温が熱い。
寒さで熱を出している。
医者を呼ぼうにもこの吹雪では無理だ。
「レオン……」
わたしの声にも彼はもう応じない。
焦りばかりが募る。
神さま、どうかレオンを助けて……。
「ああ、どうすればいいんだ……」
落ち着かないようすで部屋をぐるぐると回るお父さま。
そしてふいに立ち止まると、わたしにどなった。
「ルゥ! レオンさまがこうなったのはお前の責任だぞ!」
「レ、レオン『さま』……?」
「レオンさまはグレイス王家という身分を隠されてルーグ家にいらっしゃるのだ!」
グレイス王家!?
ということは、レオンは王子さまなの!?
グレイス王家といえば確か、王さまが王位継承者を決める前に急逝されて大混乱になってるって聞いてる。
「レオンさまは王位継承候補。ゆえに暗殺から逃れるためにルーグ家に身を隠しているのだ。レオンさまにもしものことがあったらルーグ家はおしまいだ……。なんということだ……」
わたしは驚きのあまりぽかんとしていた。
「ルゥ! やはりお前は災いを呼ぶ存在だ!」
お父さまの罵声なんてちっとも気にならなかった。
レオンが王子さまであることも。
わたしはレオンが元気になるのをただただ願っていた。
「ルゥ、さま」
「レオン!」
「見つけ、ましたよ……」
「うん。ありがとう、レオン」
レオンが眠るベッドのサイドテーブルには片方だけのイヤリングがある。
吹雪の中で倒れていた彼がこれを大事に握っていたのだ。
レオンは約束を守ってくれた。
まだ吹雪が強い中、わたしは中庭に出た。
そして、枯れた大樹の前に立ち、祈った。
「お願い! レオンを助けて!」
万病を癒す力を秘めているという大樹。
それが枯れていても、わたしはすがるしかなかった。
容赦なく吹雪が吹きつけてくる。
髪が激しくはためく。
肩に、背中に雪が積もっていく。
それでもわたしは大樹に願った。
レオンをどうか助けて。
そのときだった――わたしの身体がまばゆく光ったのは。
まぶしい光に目をつむる。
しばらく目を閉じていると、ふいに吹雪の音が消えた。
おそるおそる目を開けると、あれほど激しく荒れ狂っていた吹雪がやんで静寂が訪れていた。
見上げると、夜空を覆っていた分厚い雲が消え失せていて、月が飾られて無数の星がまたたいている。
「大樹が!」
枯れていたはずの大樹に緑の葉が生い茂っていた。
大樹が緑を取り戻した。
まぼろしか、奇跡か。
ひらひらと一枚の葉がわたしの前に落ちてくる。
手のひらに舞い降りたその葉は金色に輝いていた。
――『刻』を操る聖女よ。彼を救いたくば願いなさい。
どこからか声が聞こえる。
誰だっていい。
レオンを救うため、わたし黄金の葉を手で包んで願った。
手の中で光が溢れ、ぬくもりを感じる。
光が収まってから手をひらくと、わたしの手に黄金の葉はなく、代わりに薬包に包まれた金色の粉末があった。
――ルゥ・ルーグ。あなたは聖女の力で私の『刻』を戻しました。そして黄金の葉の『刻』を進め、葉がやがてなるべき姿へと変えたのです。
「大樹がしゃべってるの!?」
――さあ、救いなさい。たいせつな者を。
わたしは大慌てで屋敷の中に戻ると、高熱にあえぐレオンに黄金の粉末を水で飲ませた。
「ルゥ、さま……」
顔色のよくなったレオンがゆっくりとまぶたをあけた。
枯れた大樹がよみがえったウワサはまたたく間に領地に広がった。
一族の象徴の喪失と共に民からの敬意も失われつつあったルーグ家は、今回の件で威厳を取り戻し、諸侯からも一目置かれるようになった。
もう誰もわたしを偽聖女とは呼ばない。
聖女ルゥ・ルーグ。
そうみんなは呼んでくれる。
「ルゥ! お前はルーグ家の誇りだ!」
上機嫌なお父さま。
あれほどわたしを嫌っていたお父さまも、今ではわたしをしきりに人々に自慢する。
「さっそく縁談の話を持ちかけられたぞ。相手は大貴族のロット家だ。日取りは――」
「あ、お父さま。言い忘れてたんだけど」
「なんだ?」
「わたし、この家を出るから」
お父さまは意味がわからないといったふうに「なに?」と首をかしげる。
それからだんだんと焦りの表情に変わっていく。
「ど、どういうことだ……?」
「わたし、王都で暮らすことにしたの。だから誰とも結婚はしないよ」
「ば、ばかを言うな! そんなのこのワシがゆるさんぞ!」
「お父さまに許してもらわなくたっていいもーん」
お父さまは目玉がこぼれ落ちそうなほどまんまに目を見開いて、あごが外れたのかと思うくらい口を開けていた。
「よろしかったのですか? ルゥさま。家を出るなんて」
「いーのいーの。せーせーしたよ。レオンにも見せたかったなあ、お父さまのあの顔。目をまんまるにして、口なんかあんぐりと開けてね。思わず笑っちゃった」
「それは興味ありますね」
わたしとレオンは大樹の前にいる。
大樹は若々しく緑の葉を生い茂らせ、涼しい木陰をつくってくれている。
枝にとまった小鳥たちがかわいい歌をさえずっている。
冬が終わって春も過ぎ、今は夏。
この木陰に頼ることがこれからも増えるだろう。
わたしは袋に入っていた花の種を庭にばらまく。
土に植えられることなく夏になってしまった種たちだ。
聖女の力で種の『刻』を進める。
まかれた種はまたたく間に芽を出し、根を地面に張り、茎をのばして花をさかせた。
中庭は一瞬にして色鮮やかな花畑になった。
仲間が増えて花壇の花たちもうれしそうだ。
「レオンはこれからどうするの? 王子さまだから、いつかお城に帰っちゃうの?」
「そんなさみしいことをおっしゃらないでください」
首を横に振るレオン。
レオンはどうしてわたしをこんなに慕ってくれるのだろう。
きっかけが思い出せない。
何度か本人に質問したことがあるけれど、そのたびにはぐらかされている。「レオンの『刻』を進めておじいちゃんにしちゃうぞー」と冗談めかして脅してもだ。
ひとつだけわかるのは、彼は本心からわたしを信頼してくれているということくらい。
今はそれでじゅうぶんか。
けど、いつか必ず聞かせてもらう。
レオンはうやうやしくわたしにおじぎする。
「ルゥさまのお望みを僕に命じてください。それが僕の望みです」
「……ありがと。レオンはわたしが『偽聖女』だったときからずっと信じてくれてたね」
「僕はルゥさまを決して裏切りません。なにがあろうと」
これからもずっとレオンといっしょにいたい。
だからわたしは彼にこう命じた。
「わたしといっしょに『お店』を開こうよっ」
わたしはルーグ家を出ていく。
でも、一人でじゃない。
最初から決めていたのだ。王都に行くときはレオンを連れていくって。
少し不安だった。
王子さまという身分のレオンはわたしについてきてくれるか。
わたしの想いにレオンは応えてくれた。
夏が終わる前にわたしとレオンはルーグ家を離れ、王都に住み家を移した。
雑踏で賑わう表通りにある小さなお店。
そこがわたしたちの『刻のアトリエ』だ。
「えーっと、パンの材料ってこれでいいのかな」
「万全かと」
テーブルに並んでいるのは小麦粉と砂糖に塩、粉乳といったパンの材料。
「えいっ、『刻』よ進めっ」
わたしが呪文を唱えると強い光が発し、光が収まると小麦粉たちはパンに姿を変えていた。
刻を進ませて、彼らがやがてなるべき姿に変えたのだ。
刻を進める力。
刻を戻す力。
この力を困っている人たちのために使いたい。
そんな願いからできたがこの『刻のアトリエ』だった。
「いーい? レオン。お客さんが来たら笑顔で『ようこそ』だよ」
「承知しております」
「わくわくするね。どんなお客さんが来るんだろ」
そのとき、お店の扉が開いた。
最初のお客さんをわたしたちは笑顔で迎えた。
「『刻のアトリエ』にようこそっ」
~ 【ルゥと刻のアトリエ】 ~