6回目 21:15 恋の始まりを話す僕
10月15日 15:35投稿分
時は、三年ほど前に遡る。僕が、入学した日のことだ。
春というには、少し肌寒かった。首元までネクタイを締めるのに、丁度良い気温だ。
王都の貴族令息令嬢が通う、由緒が有り余っている王立学園。
そこには、やたら大きくて威勢のある門と、その向こう側に威厳の塊みたいな校舎がそびえ立つ。
そこに威風堂々と入り込めば、悠々自適な教室たちが並んでいて、こんなに教えを乞う部屋が必要なのかと、まず第一に考えさせられる。
僕の教室は、東棟、一階、一番端。
真新しい制服に身を包み、期待を織り交ぜて教室に入る。自由を謳歌する、最後の三年間だ。不安よりも、楽しむぞという気合いの方が大きかった。
国には、『騎士の家系』がたくさんある。何せ、騎士がたくさんいるのだから。その騎士たちにも家族あり、子供がいる。その子供が、たまたま僕と同じ年であったなら、何人か顔見知りはいるものだ。
彼らと適当に挨拶をして、指定された席に座ると、隣の女の子と目が合った。
―― なんかモサモサしてる
金色の髪が、ぐっちゃぐっちゃだった。寝癖だらけの鳥の巣みたいな。所謂、瓶底よりも分厚いんじゃないかという眼鏡をかけて、猫背気味に縮こまっていた彼女。その手には、これまた分厚い本が抱えられていた。
「……『薬草学、~レア材料を制する者は薬を制す~』?」
僕がタイトルを小声で読み上げると、女の子はギロリと睨んで、本のタイトルが見えないように手で隠した。プライバシーの侵害だ。
「あ、ごめんね? 隣の席だから挨拶を、と思って」
「それは、御挨拶ね」
ツッケンドン。なかなかに良い音色で響く太鼓だなー、と思った。
「君、薬草学が好きなの?」
「(ツーン)」
「頭痛に効く薬草って、どんなのがある?」
「はぁ?(ケーン)」
「母親が頭痛持ちで、困ってて。医者に行ったり色々試してるんだけど、なかなか良くはならなくて」
彼女は僕の方を向いて、「体型は?」と言った。その彼女の真っ直ぐな視線に、『ドン』と何かが押された気がした。ツッケンドン、と太鼓が鳴った。
「母親? 痩せてるよ」
「色白?」
「割と白い」
「運動は?」
「してない。すぐに息が上がるから、やりたがらない」
「血の巡りが悪そうね」
「貧血ってこと? 貧血用の薬は処方されてる。少しは良くなるけど、完全には治まらない」
彼女は鞄から、これまた分厚い本を取り出して、バララララ……と、本を捲り出した。
「これ、効くかもしれない。気管支を広げる薬草」
その細腕のどこに、そんな分厚い本を持ち歩く腕力があるのかな、なんて考えていた僕に、彼女は本を突きつけた。
「……どこにでも生えていそうな草だね」
「見分け方は、ここに記載があるわ」
「ふむ」
僕が本を受け取って読み始めたところで、教師が入って来た。
「ごめん、貸して。後で返す」
そう言って、その日の適当なオリエンテーションは、薬草学の本を読んで有意義に終わった。さすが紳士淑女の卵たちが集う王立学園だ。本を読むに相応しい静さであった。
「ちょっと、そこの名無しの貴方」
「……」
「隣の、名無しの貴方さん?」
「ハッ! 僕?」
「そうよ。オリエンテーション終わったわよ。本を返して欲しいんだけど」
「あぁ、ごめんね。思いの外、とても面白くて」
僕が薬草学の本を読みふけっている姿に、彼女は「ふぅん?」と少し興味を持ったようだった。
「時間ある? 少しだけ、質問してもいいかな?」
僕が、そう言うと、彼女の瞳がきらきらと輝いた。
「薬草のことなら、どうぞ」
―― 綺麗な瞳だな
トントントンと、心臓が動いた。
質問を許可された僕は、色々な薬草の話を聞いた。
母親の頭痛もそうだが、例えば、訓練中に怪我をしたときに効きそうな薬草や、訓練疲れで朝がツラいときに使えそうな眠気覚ましの薬草、目が悪くなっても視力が回復する薬草、といったものは実用的で興味を惹かれた。
他にも、背中が痒いときに効く薬草や、笑いが止まらないときに効く薬草、寝癖がつかなくなる薬草とか、割とどうでも良い薬草たちが並んでいる。
何だかとても可笑しくて、モサモサな彼女との会話が弾んだ。気付けば、胸も弾んでいた。
そうして、外は夕焼け小焼け。
「うわ、ごめん。え、もう夕焼け?」
「ランチを食べ損ねたわね」
「ごめん。楽しくて、つい」
「いえ、なかなかに面白い時間だったわ」
そう言いながら、彼女は鞄の中から小瓶を取り出した。
「なに?」
「お腹が減っていても、お腹が鳴らなくなる薬。これを飲んでいたから、別に平気よ(ドヤァ)」
モサモサの金髪を夕焼けに染めた瓶底眼鏡の女の子が、得意気にそう言った。その瞬間。
『ぐ~~~~~~』
「良い音でお腹鳴ってるけど、平気?」
「くっ……!」
「(ずっきゅーーーん!!)」
悔しそうに口の端を歪ませた彼女に、僕の胸が鳴った。
―― あ、この子、尋常ではなく可愛い
変な恋の始まりだってことは、自覚している。ツッケンドンと太鼓が鳴って、お腹が鳴って、胸が鳴って、運命の鐘の音が鳴ったとか、本当に笑える。
「くっ……ふはっ! あはは!! ちょっと、面白すぎるよ、タイミング良すぎ」
「効き目が切れただけよ」
「くっくっ、そういう事にしておこうか。……ねぇ、名前を教えて?」
「……リラリー」
ぶっきらぼうに口を尖らせて答える、その口先に。いつかキスをしてやるぞと、僕は思ったりした。天使みたいに可愛いリラリーに、恋をしたから。初恋だった。
その日の夜は、なかなか寝付けなかった。
明日も話し掛ける理由が欲しくて借りた本で、『恋煩いで眠れないときに効く薬草』を調べたりした。余計に眠れなくて、翌日が楽しみで仕方がなかった。
僕は次男で、当時は跡取りでもなかったから、割と自由恋愛が認められていた。勿論、家柄の調査は必要だけれど、王立学園に通うような貴族のご令嬢であれば、父親だって文句はあるまい。
上手く運べば、モサモサ頭のリラリーをお嫁さんにできたりするのかなぁ、なーんて考えたりしていた。この日の夜は、とても楽しかったのをよく覚えている。
ーーーーーー
【現在・南の森にて】
人生で一番楽しかった夜の思い出を、人生で二番目に楽しい今夜に語ることが出来て、僕は割と嬉しかった。
振られているという事実がなければ、きっと一番と二番は逆転していた。
「というわけで、僕は君に恋をしたというわけ。少しは僕のこと、思い出してくれた?」
僕が意地悪に言うと、彼女はキョドキョドしていた。あからさまにキョドキョド、そわそわしていた。
「あー……なんか、そんなこともあったあった。ナツカシー」
―― うわぁ、これ、完全に忘れられてるやつじゃん。死ねる……
僕の美しい初恋の思い出が、痛ましい初恋の思い出に変化してしまった。こんな可哀想な人間、いる?
「リラリー、さすがに酷くないか? そりゃあ、その日以降は、あんまり話すことはなかったけどさ。初日は、ランチを忘れるほどに途切れない会話を楽しんでいたと思うんだけど、僕たち」
「うん、覚えてる覚えてるー。ナツカシー!」
―― ぐはっ!! つらっ!!
僕は、地面に転がっていた石ころを能面顔で蹴り飛ばした。石には申し訳ないけど、石じゃないものを蹴り飛ばしたら大問題だ。
石は黙ってコロコロと転がってくれた。まるで、彼女の手のひらで転がされている僕みたいじゃないか。……何かいい奴に思えてきたから、その石は拾って、小瓶が入っているポケットとは別のポケットに入れた。お土産に、家に持って帰るんだ……。
「ウフフ、ナツカシー。でも、三年間も私のことを好きだったのに、何で今日まで黙ってたの?」
「あー……勇気がなくて?」
「ふーん?」
リラリーには、勇気が出ないことなんて一つもないのだろう。いつだって、勇気がリンリンガールだ。彼女は、不思議そうに首を傾げていた。
「リラリー、到着だ。あれが南の大木だよ」
「うわぁ、大きい」
「夜月草を探す前に、キスの時間だね」
「もう!?」
「話ながらだったから、ゆっくりしすぎたみたいだ。もう21:15だよ」
「時が経つのが早いわね……」
そう言って、リラリーは背伸びをして、チュッとキスをしてくれた。触れるだけのキスには変わりないけれど、二時間前のキスよりも、少し長かったような気がした。
「リラリー。僕、とてもドキドキしている。好きだよ」
「効果がありそうで安心したわ」
「クールでドライなところも、大好きだ」
「キモチワルッ」
そう。当然ながら、その疑問が出てくるだろう。
こんなにも大好きなのに、なぜ、三年間も恋心を伝えずに放置していたのか。それには、とても浅い理由がある。
それは、次の日のことだった。入学の翌日だ。
いよいよ今日から、本格的に学園生活が始まるということで、教師が「自己紹介を」と促したのだ。それで、僕の恋は行き止まりになった。
モサモサ頭の瓶底眼鏡姿で、彼女はスッと立って、少し猫背気味の背筋を伸ばして、淑女の礼で自己紹介をした。
「リラリー・リリットです。宜しくお願い致します」
―― リリット……?
座っていた椅子が、急に無くなって、突き落とされたかと思った。こんなに絶望的な自己紹介を聞くことは、もう二度とないと思う。
彼女は、リリット家のご令嬢だった。勿論、家名は知っていた。リラリーの顔は見たことがなかったし、ファーストネームも聞いたことはなかったけれど、家名は何度も聞いていた。何度も何度も、聞いたことがあった。
兄の、婚約者だった。
残り、18回。