4回目 19:25 薬草談義に花を咲かせる僕
10月15日 午前1時10分 投稿分
Aの弁当には青色の包装紙、Bの弁当には緑色の包装紙がかかっていた。
「リラリーは、魚と肉、どっちがいい?」
「お肉」
「じゃあ、Aのお弁当をどうぞ」
「……どーも」
「肉食のリラリーも可愛いね」
「ストーカーさんは、キモチワルイわね」
「辛辣」
僕たちは、馬車の中で向かい合わせに座っていた。ディナータイムだ。
そりゃ、僕だって彼女をエスコートしながらレストランの個室で、ゆっくりとディナータイムを過ごしたい。途切れない会話を楽しみながら、ね。
でも、運の悪いことに、彼女は僕のことをストーカーさんと呼んでいるし、僕がオーナーのお店で『ストーカーさん』と呼ぶ彼女と、面と向かってにこやかにディナーを食べる度胸はなかった。
あと、普通にリラリーに断られた。
「ところで、惚れ薬のことで幾つか気になることがあるんだけど、聞いても良い?」
僕が弁当Bの魚と向き合いながら、魚越しに見えるリラリーに尋ねてみると、彼女は幾らか楽しそうに「いいわよ」と言った。
彼女は、薬草学が好きなのだ。まさかこんな物騒な薬を作っているとは知らなかったが、彼女が薬草に造詣が深く、薬草のことになると意気揚々と話し出すことは知っていた。
だからね。ゆっくりとディナーを堪能するのは無理でも、途切れない会話なら叶う。
「僕は惚れ薬を飲んだわけだけど、失恋薬を飲めば解呪にならないのかな?」
「ならないわ。薬は、『元々の感情』をねじ曲げるだけだから」
「詳しく」
僕が身を乗り出すと、リラリーも身を乗り出して話をし始めた。
「例えば、この状態で失恋薬を飲んだなら、私への恋心がねじ曲げられて、恋を失うだけ。24時間後に誰かを好きになる未来は変わらない」
「なるほど」
ナスとトマトのチーズ焼きを食べようと、ビヨーンと伸びたチーズをフォークの先で巻き取りつつ、僕は思考を巡らせていた。
「じゃあ、次の質問」
「なかなかに面白い時間ね、どうぞ」
「例えば、このまま解呪が出来なかったとして、初めて見る女性がリラリーだったら、どうなる? 君に惚れる?」
「『元々の感情』をねじ曲げるのが薬の効能だから、私に惚れることはないわ」
「というと?」
彼女は、窓の外にある満月を見ながら、少し切ない薬の効能を教えてくれた。
「惚れ薬で誰かに惚れようが、失恋薬で私を諦めようが、心の奥底では好きなままなのよ、ずっと。恋をしている相手に、新しく恋は出来ないでしょう?」
「惚れた相手に、惚れ薬で恋はできない……もう、好きだから」
「そうね」
馬車が、寒々しい風を切っていく。
「ということは、惚れ薬で好きになった相手には、『元々の感情』がないから失恋薬も効かない。そして、失恋薬で諦めた相手のことを、惚れ薬でもう一度好きになることはない」
「そうなるわね」
「解呪薬を飲むしかないというわけか」
厄介なことだ、と思った。
「ところで、解呪薬は、惚れ薬と失恋薬で同じものなのかな?」
「どういう意味?」
「(あまりにも部室が汚かったから、)僕が飲んだものが、本当に惚れ薬なのか不安になってきて」
「間違いないと思うけど。質問に答えると、解呪薬はどちらも共通よ」
僕は、ホッと胸をなで下ろした。
「『解呪』というと一対一対応みたいに聞こえるけど、要するにねじ曲げた感情を元に戻す薬ってことなのよ」
「へぇ、面白いね。ということは、もし二種類の薬を飲んだとして、失恋薬で諦めた恋と、惚れ薬で得た恋。解呪薬を飲むと、どちらも同時に解呪されちゃうのか」
「そうなのよ。だから、順番が重要。ストーカーさんの場合は、まずは解呪薬で惚れ薬をリセットする。そして、失恋薬を飲んで、私への恋心を廃棄してもらうことになるわ」
「ははは、なるほど」
えげつないリラリーに、胸がズタズタにされる。いっそ清々しい。
「次の質問。解呪薬が効くまでの所要時間はどれくらい? 24時間以上かかるのかな?」
「安心して。解呪薬は速効性があるの。飲んですぐ効果が出るわ。逆に、持続性はないから解呪薬を飲んだ後、すぐに惚れ薬を飲んだのなら、また解呪が必要になるから気をつけて」
「ははは、気をつけるよ。……今更だけど、失恋薬や惚れ薬は、速効性がないんだよね?」
僕は自分の心臓付近をトントンと叩いた。速効性があったなら、次に会う女性と一方的に永遠を誓うことになる。……ずっと森で暮らそうかな。
「ええ、失恋薬や惚れ薬は、飲んだ後、24時間後に効果を発揮するわ」
「ふむ」
「それに対して、解呪薬はとても強いの。なにせ、摂取後24時間以上経っていても、解呪できるくらいだから」
「え! じゃあ、仮に明日までに解呪ができなくても、解呪薬さえ手に入れば何とかなるってこと?」
「惚れ薬を飲んだ後、一週間程度ならね」
「なんだ、思っていたよりも余裕だね」
彼女は金色の髪を揺らして、軽く首を振った。
「そうとも言えないわ。解呪薬の消費期限は一週間程度。そして、夜月草が生えるのは?」
「あー……ひと月に一回だけ」
「そう。だから、実質、ひと月に7日間だけしか解呪薬には出会えない。ストーカーさんは、とても幸運ということね」
不幸のベースにある幸運に、どこまで喜んで良いものか。
「じゃあ、次の質問。失恋薬の場合でも、『裏技的な24時間連続キス』の解呪方法は有効?」
「有効よ」
「ふーん? 原理が気になるなぁ」
僕がポツリとそう言うと、リラリーは瞳をきらきらと輝かせた。大層可愛い、天使のマシンガントークの始まりだ。
「ストーカーさん、なかなか見所があるわ。理由は簡単。キスをすることで、胸のドキドキが生じるでしょう? 24時間、定期的にドキドキが起こるとね、ねじ曲げるべき『元々の感情』が強すぎて、薬ではねじ曲げ切れなくなるのよ。そして、効かなかった薬は、24時間で体外に排出される。解呪薬に必要な夜月草も、『元々の感情』の安定性を爆発的に高めるものなの」
―― ということは、キス以上のことでも、効果はあるんだね。むしろ、効果抜群なんだね
と、言おうとしたけど、止めておいた。一時間に一回、計二十四回は、さすがに僕だってキツい。
「それにしても、リラリーが部室で薬の開発をしているとは驚いたな」
「くれぐれも、騎士団には」
「言わないよ、約束する」
僕は、敢えて騎士の敬礼で答えた。代々騎士の家系である僕が、騎士の名にかけて騎士団に秘匿するのだ。覚悟はあるよ、という意味を伝えたかった。
リラリーは幾らか信じてくれたようで、こくりと軽く頷いた。
「ねぇ、リラリー。あの部室で、どんな薬を作っていたの?」
「色々よ」
「青は惚れ薬、緑が失恋薬……あと、赤もあったっけ?」
「赤? ……あぁ、あれは、私の食べ物アレルギーの薬ね」
「間違えて食べてしまったとき用、ということ?」
「そう。時々あるのよね」
「なるほどね」
―― なんだ、赤は使えない薬ってことか
僕は少しだけ落胆しつつ、ポケットの中にある『青』と『緑』をどう使うか考え始めた。
リラリーの想い人は、僕の兄だ。
兄は元々王城で騎士をしていたが、半年前に突然出勤するのを止めた。
父の跡を継ぐのが嫌になったようで、この半年間、家族会議を重ねた結果、昨日から跡取りは僕ということになっている。体面もあり、跡取りが僕であるということは、まだ公にしていないが、兄も僕も既に了承している。
若草色の髪色が似合う、ケセラセラの自由奔放な放蕩者。この半年間、兄は殆ど家にはいない。鞄一つでどこかにフラッと消えてしまい、しばらく見ないなと思ったら、思い出したように帰ってきて、またいなくなる。
兄の剣術は美しかった。背中まであった若草色の綺麗な髪を一つに結って、美しく剣を振るう姿。若草の貴公子とか何とか呼ばれていた。
その姿は、もう見られない。帰ってくる度に髪は短くなっていき、今では結ぶ必要もなくなった。
兄が、どこで何をしているのか。父も僕も把握していない。全く謎な兄だ。
でも、たぶん、リラリーは兄のそういうところが好きなんだろうな。二人は少し空気感が似ているから。だから、僕は兄を嫌いになりきれない。むしろ、人間としては結構好きだ。
でも、そんな放蕩者だから、リラリーとどうこうなる未来は有り得ない。そもそもに、兄はリラリーに好かれていることを知らない。
天使のように可愛いリラリーに、あんなに熱っぽい瞳を向けられているというのに、それに全く気付かないなんて。本当に、苦しいほどに、呆れる。
―― 緑色を飲ませてリラリーを解放してあげるか、青色を飲ませて僕がリラリーを縛り付けるか
どちらが、彼女のためになるのか。
「……そう言えば、リラリーは何で薬を作ろうと思ったの?」
「え?」
「失恋薬や惚れ薬が、必要だったってこと?」
僕の問いかけに、リラリーはきょとんとした。
「何でだったかしら……? キッカケは忘れたけど、でも、精神に働きかける薬の製造は、薬草学好きなら誰もがチャレンジしたくなると思うわ。登竜門みたいなものね」
「そして、騎士団の門をくぐるというわけか。減らないはずだ」
「門はくぐらず、かいくぐるのよ」
「悪いリラリーも、可愛いね」
そんなことを話ながら食事をしていると、馬車が止まった。灯ったロウソクが静かに揺れて、暗く寒い外を照らした。
「南の森についたね」
「降りる準備をしないと」
「リラリー、その前に。時間だよ」
19:25。リラリーは時計を確認して、残ったプリン――最後の一口をパクッと食べた。
そして、そのまま迷いもなく、チュッとキスをしてくれた。プリンの味はしないけれど、カラメルの香りが漂ってきた。ほろっと涙が出そうな苦さだ。
「四回目のキス、ありがとう。大好きだよ」
ドキドキする。夜月草なんて、必要ないよ。
残り、20回。