2回目 17:30 その隣に座る僕
10月14日 19:20投稿分
「さて、じゃあ帰ろうか」
「帰る? どこに?」
「勿論、リラリーの家か僕の家の、どちらか一方に」
「げ」
カエルみたいな低い声。その一文字で、僕の心を壊していくリラリー。いっそ愛しい。
「ははは……。とりあえず、帰り支度をしないとね。鞄は?」
「あ、教室だわ」
「奇遇だね、僕もだ。行こうか」
僕が部室のドアを開けてあげると、リラリーは礼も言わずにスタスタと部室を出る。可愛い。
「部室に鍵かけるから、そこどいてくれる?」
「はいはい」
偉そうだなと思うかもしれないが、彼女のこういうところが、僕は大好きだったりする。うん、堪らない。
王立学園の西棟には部室が並んでいるが、ほぼ使われていない。閑散としていて、四六時中人気がないのが、この西棟なのだ。
その西棟から教室までは、少し遠い。中庭を突っ切るのが近道だけど、あまりその近道を通る生徒はいない。水捌けが悪いせいで、ぬかるみがあるからだ。
でも、リラリーは、いつも足早に中庭を歩く。そんなリラリーを、僕は校舎からよく眺めていた。
―― こんな風に隣を歩くのは初めてだなぁ
チラリと横を見ると、リラリーは真っ直ぐ前を向いて歩いていた。
ふわふわサラサラの柔らかい金色の髪に、くりくりの丸い瞳。天使みたいな可愛らしい出で立ち。溜め息が零れるほどの、その可愛い容姿と相反する、媚びない態度。夢を壊すほどに雑で、無頓着な彼女。その雑さが、どうにも僕の心をくすぐり続ける。
「ところで、名無しの貴方、学年は?」
「急に現実に引き戻すよね」
名無しの貴方、だってさ。隣を歩いているという夢のようなシチュエーションを容赦なく叩き割って闊歩する。リラリーは、夢を壊すのが本当に上手い。
「リラリーと同じ学年だよ」
「ふーん? そう、じゃあ東棟の三階ね」
そう言って、トコトコと階段を登る。勿論、僕は外側を通って、内側の手すりに近いところをリラリーに譲る。階段を登るたびに揺れる金色の髪が、可愛い。
「じゃあ、鞄を持って廊下に集合ね」
「了解」
東棟三階、三学年の廊下。そこで、リラリーはそう言った。何の疑いもせずにスタスタと教室に入っていくものだから、僕は心底ガッカリしながら同じく教室に入る。
僕の気配に気付いた彼女は、バッと勢いよく振り返った。
「なんで付いて……はっ! 貴方……やっぱりストーカーね!?」
「そんなわけないだろう」
「付いてこないで。生徒会に通報するわよ?」
「同じクラスなんだけど」
「え!?!」
リラリーが、めちゃくちゃ驚いていた。傷つく。
「……あ~、言われてみれば、いたわね。うんうん」
全力で『いたっけ?』っていう顔をしながら、そんなことを言われても。泣きたい。
「でも、人数が多いもの。席が遠いと知らない人もいるわよねぇ」
リラリーは、苦笑いで一番後ろの窓際の席に座って、帰り支度をし始めた。
ガタッ。
僕は、その隣に座ってやった。
「貴方、やはりストーカーね!?」
「隣の席だよ」
「嘘」
「本当。三年間、隣だった」
「こわ……」
怖いのはこっちだよ。
「リラリーって、顔も頭も成績も良いけど、物忘れだけじゃなく、忘れ物も多いよね」
「そうだったかしら?」
「教科書を忘れたとき、いつも見せてくれていたのは、だーれだ?」
「そうそう、隣の人だったかも」
「それが、僕」
リラリーは、青い顔をした。
「もしかして、私に教科書を見せたいが為に、隣の席に!?」
「そんなわけないだろう」
「こわ……ストーカー、こわ……生徒会に通報案件ね」
リラリーの中で、僕はストーカーになったようだ。この思考回路、癖になる。好きだ。
「まあ、どうでもいいや。ところで、どっちの家に帰る? リラリーさえ良ければ、僕はウェルカムだよ」
席に座った僕がそう言うと、リラリーは窓に張りつくレベルで僕から距離を取り、「怖っ」とか言っていた。
「リラリーって、顔も頭も成績も良いけど、思い込みも良すぎるよね」
僕の話はリラリーの可愛いお耳には全く入っていないようで、彼女はブツブツと何かを呟いていた。
「このまま24時間……ブツブツ……あと23回……」
「リラリー」
「ブツブツ……貞操の危機……解呪薬……」
「しまったな、ゾーンに入っちゃったか」
リラリーのブツブツタイムが始まってしまったので、僕は仕方なしに明日提出の課題をやり始めた。
思考回路に閉じこもってブツブツ言っている間、彼女は頭の中の迷路を彷徨い中。ゴールをするまで、黙って待つのが、吉。
しばらく待っていると、外はとっぷりと暗くなっていた。まん丸の月が満足そうにぷかりと浮かんでいる。
「お腹すいたなぁ」
課題はすでに終わらせて、手持ち無沙汰になった僕が呟くと、リラリーは「決めたわ!」と突然宣言をし出した。
「あ、やっとブツブツタイム終わった?」
「夜月草を探しにいきましょう」
「夜月草? ……あー、そういうことか」
僕が苦笑いをしていても、リラリーはそんなこと気にしない。彼女お得意のマシンガントークが始まった。
「解呪薬を作るためには、五つの材料が必要。内、四つは既に手中にある。たった一つ、夜月草だけがない。夜月草は、満月の夜にしか生えないわ。採集したら翌日の夜までに薬にしなければ、枯れてしまう。即ち、在庫は持てない。でも、今夜は……ほら見て」
リラリーは、外を指差した。指が綺麗だ。
「なるほど。お誂え向きに、満月だ」
「こんな奇跡、あるかしら。勝ちも同然よ」
「じゃあ、夜月草を採りに森へ行くのかい?」
「そうなるわね。時間が惜しいわ、このまま直接行きましょう」
「僕は慣れてるから別にいいけど……危ないよ? 冬と言えども獣はいるし、寒いし。リラリーは平気?」
「貴方と24時間過ごすより、幾らか安全ね」
「ははは、ヒドいね」
冬の森に負けた。森に嫉妬だ。
「早速行きましょう。森までは馬車で一時間かかるわ」
そこでリラリーは、「馬車を呼ばないと」と、時間を気にするように外を見た。
「それなら、僕の馬車を門のところに待たせてある」
「ホント!? 使える?」
「武器も乗せてあるし、防寒具もある。夕食をどこかで包んで貰えば、そのまま行けるよ」
「武器ぃ!?」
「うん、剣とか」
「まさか、それで私をどうこうしようと!? こわっ、ストーカーこわ!」
夕焼け小焼けの愛の告白から、たった一時間程度。本格的に、ストーカーに仕立て上げられた。仕立て上手だ。
「あのさ、うちは騎士の家系なんだ。だから、常に武器は持っている。学園には武器持ち込み禁止だから、馬車に置いているだけ」
「へぇ、貴方、騎士の家系なの?」
リラリーの顔がパァっと明るくなった。反して、僕の胸はズキンと痛くなる。
―― なんだよ、騎士ってだけで明るい顔しちゃってさ
リラリーには、好きな男がいる。
そいつは騎士だ。だから『騎士』という二文字だけで、彼女の心は浮き足立つのだ。僕の『好き』の二文字には、顔を歪ませるくせに。
リラリーがそいつを見るときの顔を、僕は何度も何度も見てきた。恋をしているという彼女の顔に、いつも胸の奥を焼かれる。本当、嫌になるね。
僕はポケットに入っている、三色の小瓶を思い返した。青は、惚れ薬。緑は、失恋薬。赤は何だろうか。
―― 緑色かなぁ
嫉妬深い僕は、彼女に想い人がいるなんて心底許せない。緑色を使って、とりあえず掃除をするのが先決か。
「……リラリー、時間だよ」
「なんの?」
僕は立ち上がり、まだ座ったままの彼女を見下ろした。月が僕たちを見下ろすように、僕はリラリーを見下ろす。
「二回目のキスをする時間」
リラリーはチラリと時計を見て、舌打ちをした。「ちっ!」と、可愛い音が教室に響く。
―― その舌、可愛がりたいな
さすがの僕も少しくらい意地悪をしたいと思ったけれども、ニコリと笑顔で抑えた。舌打ちリラリーも、尋常ではなく可愛いからね。
「キスをどうぞ?」
「仕方ないわね」
そう言って、リラリーは立ち上がってキスをしてくれた。本当に仕方が無さそうな顔をして。
冬の寒さでかさついた唇が触れた。
―― 唇まで、かさかさだ
二回目のキスは、満月の光でも艶っぽくはならなかった。
残り、22回。