23話 15:25 貴方に可愛いと思われたくて
10月20日 12時30分頃投稿分
私は深く理解していた。
彼の義姉になる未来を変えることは、難しい。
それでも、諦めの悪い私は、何とか彼と仲良くなりたくて、またお喋りをたくさんしたくて、どうすれば良いか考えた。薬草学のこと以外で、こんなに考えたことはなかった。
結局、薬草学を使うことにしたわけだけど。
「ねぇ。男性と仲良くなるためにはどうしたら良いのかしら?」
私は、寝支度をしながら侍女に話を振った。調査だ。
「おやおや、そんなことを言うなんて、(若草の貴公子に)恋ですね~」
「そうね、(ルカに)恋をしているわ……」
「ふふふ! でしたら、流行りものを調べに街に行ってみましょう!」
「街へ?」
「リラリー様、ぜーんぜん外出しないんですもの。きっと、刺激になりますよ。それに、御髪ももう少しお手入れさせて頂けると嬉しいんですけどねぇ」
「髪は関係ないでしょ。でも、街ね……うん、調査は必要だわ。分かったわ、行ってみる」
そうして街で学んだことは。
一つ、身体の関係を持ったら、男は冷める。かと言って、渋るのもダメ。
一つ、外見のクオリティを保たなければ飽きられる。
その二つだった(この話をした瞬間、ルカの顔が硬直していた)。
なんでそんな極端なことを学んじゃったかと言えば、出掛けた先のカフェで、ものすっっごい会話が繰り広げられていたからだ。
これが男女の恋愛事情なのね、と私の耳は大きく膨れ上がっていた。
「だからぁ、身体の関係を持ったら最後」
「嘘! そうなの?」
「そうよ? 男はみーんな、冷めちゃうんだから」
「えーー、なんかヤダぁ」
「だから簡単に身体を許しちゃダメよ?」
「でも、あんまり渋ってシないと、飽きられちゃうでしょ?」
「そこの塩梅は難しいわよね」
―― なるほど、なるほど。塩梅が難しいのね!?
(話している最中、ルカに全否定されて、冷めないということを事細かに説明されたが、当時は)まさか、子作り作業を済ますことによって男性が冷めるとは思わなかった。子孫を増やすという本能と相反する感情なのでは、と疑問に思った。
でも、とても勉強になる。調査の必要性を感じた。
他のテーブルの話を盗み聞いてみると、こちらは美容についての話題であった。
「もう、私の彼ったらぁ、ちょっと太ると文句言うの。スタイルは良くしろって」
「わかるー。髪はサラサラにしておけとか」
「肌はツルツルにしろとか言うよねぇ」
「私なんて、眼鏡やめろって言われるよ?」
「男って、結局髪も肌も手入れされて完璧なものを提供しないと、萎えちゃうんだもん」
「そのための努力を知らないから、簡単に言えるのよ」
「ねー!」
―― そうなのね!? 完璧でなければならないのね!?
そこで、ハタと自分の姿をガラスに映して確認してみる。なんてことかしら。髪はモサモサ、眼鏡は瓶底。肌は手入れなんかしていないし、猫背でスタイルも悪い。
―― も、もしかして、外見に気を使っていなかったから、私と話すのも嫌だったとか……!?
(話をしている最中、ルカは『そんなことは気にしない!』と大きく否定していたから誤解は解けたが、当時は)由々しき事態だと思った。
心の中で、勝手にルカと呼んで親しげにするくらいには、もう彼にどっぷりとハマっていた私だ。外見の問題でお喋りが出来ないのなら、外見を変えるしかない。少しでも可能性があるなら、費やしてみたかった。
―― えーっと、髪をサラサラに。眼鏡はやめて、肌をツルツルに、スタイルは良く……むずかしいっ!
どうすれば良いか分からなかった。でも、幸運なことに、私は出来ないことを叶える魔法を知っていたのだ。
―― 薬草学で、全部解決してみせるわ!
こうして、王立学園には珍しい部活動申請が成され、即日、『薬草学研究部』が立ち上がったというわけ。
まず初めに、私が研究しようと決めた薬は以下。
・どんなに目が悪くても視力が回復する薬
・髪がサラサラになる薬
・寝癖がつかなくなる薬
・肌がツルツルになる薬
・猫背が治って、姿勢が綺麗になる薬
この五つ。もう薬草中毒とも言えるわね。でも、薬草のすごいところは、身体に害がないところ。特に肌や髪質の改善をする薬なんかは、身体にも良かったりする。
「まずは、一番簡単な薬。髪がサラサラになる薬ね」
本当は、自分で森に薬草を採集しに行きたかったけれど、そんなことは出来ない生粋の御令嬢が私。
薬草屋で購入するのをメインにして、リリット家の誰も使っていない花壇を使って、自分で薬草を育てた。令嬢にあるまじき行動だけど、有り難いことに親も許してくれた(さすがにルカも驚いて笑っていた)。
休日に薬草をゲットして、平日の放課後に部室で実験を繰り返す。そうして出来た薬を髪に施し、サラサラになった髪で登校した日。
私は本を読んでいる風を装いつつも、全神経は登校してくるルカに向かっていた。
―― ルカが来た! どう思うかな。また話してくれるようになるかしら
「ぉお、はよう」
いつも通り、ルカがおはようと声をかけてくれる。私も本から視線を彼に移して「おはよう」と返した。
いつもより長く目が合った気がした。でも、それだけだった。彼はパッと目を逸らしてしまい、そのまま授業開始。話してはくれなかった。
―― 髪だけじゃ、だめかぁ……
少し、悲しかった。報われない努力があることを知った。
それならばと、次は眼鏡を取り払うべく研究に勤しんだ。その間に美肌になる薬も併せて研究をし、二ヶ月後には肌はツルツル、眼鏡がなくても良いくらいに視力は回復していた。これ、大儲けできるのでは、と思ったりもした。
そうして迎えた眼鏡ナシの初登校。やっぱり一番乗りで教室にいって、本を読むフリでスタンバイ。
彼が登校してくる気配を感じると、もうドキドキして心臓が破裂するかと思った。
「!? お、おおおはよう」
「おはよう」
彼はいつものように挨拶をして、すぐに視線を逸らしてしまった。これでもダメだったかと思った、そのとき!
「……眼鏡、どうしたの?」
視線は外されたままだったけど、確かに話し掛けてくれた。胸がきゅんと鳴って、上手く息が吸えなかった。
「視力が回復する薬草を試したの」
「そうなんだ」
「ええ」
―― あ、会話が終わっちゃう……
心が萎んでいくのが分かる。やっぱり、髪が変わったって、眼鏡が無くなったって、彼の義姉になるという事実は変わらない。
でも、何も恋人になりたいわけじゃない。そんな多くを望める立場じゃない。だけど、せめて友達みたいになれたら……と、ささやかな願いすらも叶わない。
「か、」
でも、まだ会話は終わっていなかった。彼は確かに『か』と言った。こんなに尊い一文字があるだろうか。『か』の続きが聞きたくて、うっかりと身を乗り出して促してしまう。
「なに? か?」
「か、」
「か?」
「か、可愛い、と思うよ」
ぱぁあああ、と心が輝いたような気がした。
「そう? 薬を作って良かったわ」
「うん」
それだけで会話は終わった。でも、それだけなのに、その日はもう花が咲いたかのように麗らかで、スキップ気分でルンタッタだった。
ランチはいつもより美味しいのに、胸がいっぱいで食べられなくて、いつも足を取られて苛つく中庭のぬかるみも、軽やかに飛び越えられた。
―― ルカが大好きっ! もっと頑張るわ!
恋がこんなに楽しいだなんて。春が来たとはよく言ったものね。暑い夏だって物悲しい秋だって寒い冬だって、春みたいに暖かく軽やかな気持ちにさせるんだもの。
そして、もう一つ。部活を始めて良かったことがあった。それは勿論、ぬかるみを上手に歩けるようになったこと。
それは、ある日のお昼休み。部室のある西棟から教室のある東棟に向かうために、中庭を突っ切っているときのことだった。
中庭はぬかるみがあって、歩きにくい。それでも中庭を通る方が早いからと突っ切ってはいたものの、時折転びそうになる。
やっぱり迂回すべきかしら、と思っていたら、ふと校舎から視線を感じた。チラリと見てみると、ルカが中庭を眺めていた。ドキッとして、その日はそのまま視線を逸らした。
でも、一日だけじゃなかった。次の日も、その次の日も、ルカは中庭を眺めていた。
―― 中庭が好きなのかしら?
何の変哲もない中庭だ。彼の好みはよく分からないけれど、中庭を通るときには、まるで彼の視界に入って見つめられているような気がした。
そして、私は、中庭のぬかるみを諸ともせずに、三年間突っ切ることに決めた。
そうと決めたからには、美しく且つ軽やかに、ぬかるみを歩きたい。それが、由緒正しきご令嬢魂というもの。
即日、リリット家の裏庭にぬかるみを用意してもらい、侍女を引き連れて、ぬかるみを歩く練習をたくさんした(ここでも、ルカは大笑いしていた。恥ずかしい)。
そうして、部活に精を出すこと半年間。一学年の半ば頃には、他の男性に声をかけられるくらいには、垢抜けていたと思う。
それでも、隣の席の彼に声を掛けてもらうことは、殆どなかった。
そこで痺れを切らした私は、とうとう『教科書を忘れるという技』を会得したの。
それは突然のことだった。ある日、前に座る生徒が教科書を忘れた。その忘れ物が、革命的現象を生んだ。
なんと驚き。「隣の方に見せて頂くように」と、教師のそんな簡単な呪文で、前の二人が机をピタリとくっつけて、一冊の教科書を仲良く見始めたのだ。肩を寄せ合って、親密そうに。
『これだぁあああ!』と思った。
彼と隣同士になったのは、こういうことだったのかと、神の采配を瞬時に察した。
翌日、早速決行した。案の定、教師の呪文により、ルカが机を寄せてピタリと近くに来てくれたのだ。驚くほどの近さに、足がガクガクと震えた。大袈裟に思うかもしれない。でも、本当にガクガク震えていた。
―― ち、近い
当然のことながら、授業なんて全く聞いていられなかった。頭もノートも、真っ白だった。
彼が少し動く度に掠れる制服の音、カリカリと何やら(何やらというか、板書を)ノートに書いている音、ページを捲るときに少し近付くことで感じる彼の体温。
認めます。味を占めてしまいました。
それから、毎日必ず、一教科は教科書を忘れるという日課が出来た。そして、殆ど授業は聞かずに、ぼんやりと彼を感じる時間にしていた。
本当、ダメな令嬢でゴメンナサイ。こんな話を聞いて、ルカが幻滅しないか不安です。
おまけ
【上の話を聞いた僕】
―― 嘘だろ……
幻滅どころか、僕はものすごくヘコんでいた。
リラリーが可愛くなっていることには、勿論気付いていた。毎日、見ていないフリをしていたが、実際は穴が空くほどに見ていたからね。髪の毛先を1cm切った日だって、気付いていたくらいだ。
髪がサラサラになって登校してきた日は、そりゃあもう死ぬほどドキドキしたし、その髪を撫でたくなる衝動を抑えるのに必死だった。
ただでさえいつも授業中、チラチラ見ているのに、この日はチラチラ通り越してジーッと見ていた。前を向きつつ、横目でジーッと。そう、紛れもない変質者だ。
眼鏡を外して登校してきた日は、息をするのも忘れるくらいには心臓が跳ね上がった。回らない頭で、どうにかこうにか『可愛いと思う』の一言が言えただけ。
なんて不甲斐ないんだ! 不甲斐さが服を着て歩いているのが、そうさ、あの日の僕だ。
あの日の男子の反応と来たら、今まで変わり者のリリット家御令嬢としか思っていなかった癖に、『可愛い』だのなんだの言い始めやがって。僕なんて、入学の日には、もう可愛いと思っていたさ!! にわかが、散れ!
―― 髪も眼鏡も、まさか僕のためだったなんて……
悔やんでも悔やみきれない。もっとたくさん誉めたかった。綺麗だよ、可愛いよって素直に言っていたら。兄の婚約者だからって遠慮せずに言っていたら、三年間も遠回りせずに仲良くなれたのかもしれない。
そう思ったら、過去の僕を殴り飛ばしたくなった。
ただ……もしも、仲良くなっていたのなら、まあ、たぶん相当外野に好き勝手言われて、浮気だの不貞行為だのスキャンダラスな噂で持ちきりだったことだろうが……それでも、可愛いくらいはもっと言っても良かったはずだ!!
―― もう二度と遠回りはしない
「リラリー、可愛いね」
「はぁ? 話、聞いてる? 今の話のどこに可愛い要素があったのかしら。ノートも取らずに教科書を忘れる令嬢よ? 幻滅しない?」
「幻滅しないよ。かく言う僕も、教科書だけは忘れないように毎日登校していた」
「そうなの?」
「毎時間、教科書を忘れてくれないかなぁって思っていたくらいだよ。机をくっつけるのを楽しみにしていた」
「なにそれ」
恥ずかしいのだろう。少し口を尖らせてそっぽを向くリラリーを見ながら、僕は三年分の『可愛い』を伝えようと「可愛いね、綺麗になったね」と言いまくっていた。言いまくっていたら、割と怒られた。可愛かった。




