21話 15:10 初恋は貴方だった
10月19日15時半投稿分
時は三年前に遡る。
私の初恋は、若草色のルグラス・ルーンバルトだと思っていた。
彼との婚約話が浮上したのは、王立学園に入学する一ヶ月前。
「婚約?」
「そう。リラリーも王立学園に入学するだろう? 丁度良いタイミングだから、正式に進めようと思ってね」
「あら、お父様、娘の意志を確認するだなんて、とてもお優しいのね。別に構いませんけど。私の意見なんて反映されないのでしょ? どうぞ勝手に進めてくださいな」
父は、いつもの通り苦笑いをした。
「ははは……、それはそうなんだけどね。でも、良いお話だよ。なんと、お相手はルーンバルト家の嫡男。ルグラス・ルーンバルト郷だよ」
「ふーん?」
「近衛騎士団に入っていて、若草色の髪をしているんだ。若草の貴公子なんて呼ばれてる素敵な紳士で」
「若草色の髪!?! お父様、それは確か?」
「へ? あぁ、とても鮮やかな若草色だとか」
「鮮やかな若草色の髪……ふふっ、それは素晴らしいわね」
「リラリー、気に入ってくれたかい?」
「ええ、とっても」
本当に気に入っていた。だって、レア材料の最高峰とも言える『若草色の髪』の持ち主が婚約者だなんて。幸運を掴んだと思った。
でも、幸運であることと、幸せであることは、別物なのだ。
「ねぇ! 来たわよ、若草色の髪! 何度見てもそそられる~。素敵な色!」
「リラリー様、はしたないですよ」
「婚約者を見るのがはしたないのなら、結婚したら毎日がはしたないわね、ふふん♪」
「リラリー様っ!」
入学までの一ヶ月。暇を持て余していた私は、侍女を引き連れて、毎日のように若草色鑑賞をしていた。見れば見るほど鮮やかな若草色だった。ついつい見入っては、ニマニマしてしまう。
「リラリー様にも、とうとう春がきたんですねぇ」
「春?」
「恋ですよ、恋」
「恋?」
「何をきょとんとなさってるんです? これだけ毎日若草の貴公子を覗き見しておいて、恋を知らないなんてことはないでしょう」
「恋」
―― これが、恋ってやつなのかしら
確かに本で見たことがあるような現象が起きている。寝ても冷めても若草色のことばかり。暇さえあれば若草色。あの若草色を使って、実験がしてみたい。そんなことばかりを考えていた。
「なるほど。これが、恋というやつなのね」
「初恋ですね、ほほほ」
勿論、これは勘違いの恋だった。本物の初恋は、若草の貴公子と名高いルグラス・ルーンバルト……の弟に、一瞬で奪われたのだから。
「仰々しい門ね」
婚約から一ヶ月後。春というには、少し肌寒い。制服にブーツを履くくらいが丁度良い。ふわりとスカートを膨らませて、私はやたら大きくて威勢のある王立学園の門をくぐり抜けた。
「門の次は、威厳の塊みたいな校舎のお出ましね」
ずいぶんと豪勢な校舎に、ため息しか出ない。ここは学び舎なのだから、もっと合理的で簡素な作りにすれば良いのに、と心から思う。
校舎の中に入ってみれば、案の定、何に使うのか分からない教室ばかりが並んでいる。
「こんなに教えを乞う部屋が必要なのかと、まず第一に考えさせられるわね」
悪態をつきつつ向かうは、東棟、一階、一番端。
「一番乗り~♪」
朝早く、誰もいない教室。新鮮な空気が入り込む教室は、なかなかに悪くはない。ここで三年間も過ごすのだから、まあ、それなりに良いとこ探しはしたいところね。
私は指定された席――窓際の一番後ろの席に座って、本を読み始めた。社交嫌いの人嫌い。どうせ顔見知りなんて一人もいないから。
ガヤガヤ、ガヤガヤ、ザワザワ。
そうやってしばらく黙々と本を読んでいると、教室が少しずつ騒がしくなってきた。
―― クラスメートとやらが集まったみたいね
そう思って、顔を上げると、隣の男の子と目が合った。
―― 綺麗な瞳
隣の席の男の子は、勿忘草色――吹き抜ける空色よりも美しい瞳だった。正直、見入ってしまった。
「……『薬草学、~レア材料を制する者は薬を制す~』?」
瞳ばかりを気にしている私とは違って、男の子は、どうやら私の本が気になる様子。小声でタイトルを読み上げてきた。不躾な男だなと思った。
―― なによ。変な本を読んでいる変な女がいる、とでも?
私の視線に気付いたのだろう。男の子は、ちょっと気まずい顔をして、それでもニコッと笑った。人懐っこい笑顔だった。
「あ、ごめんね? 隣の席だから挨拶を、と思って」
「それは、御挨拶ね」
隣の席だからって、なれ合う気はない私。安心安全の通常運転だ。挨拶も程々に、すぐに本に視線を戻した。それでも男の子は、私の態度もお構いなしに、私に構ってきた。
「君、薬草学が好きなの?」
―― だったら何よ。放っておいてよね
「頭痛に効く薬草って、どんなのがある?」
「はぁ?」
具体的に、薬草のことを質問されたのは初めてだった。訝しがる私を気にせず、男の子は話を続けた。
「母親が頭痛持ちで、困ってて。医者に行ったり色々試してるんだけど、なかなか良くはならなくて」
―― 頭痛……それは、ツラいわよね
「体型は?」
自分の薬草知識が役立つならば、と思って、少し話を聞いてみる。私から質問を返されるとは思っていなかったのだろう。男の子は一瞬驚いたような顔をして、それから好奇心とでも言うように勿忘草色の瞳をキラキラ輝かせた。
「母親? 痩せてるよ」
「色白?」
「割と白い」
「運動は?」
「していない。すぐに息が上がるから、やりたがらない」
「血の巡りが悪そうね」
「貧血ってこと? 貧血用の薬は処方されている。少しは良くなるけど、完全には治まらない」
―― 息が上がるということは、肺か気管支が弱い? 僅かに喘息の傾向があるならば、十分量の酸素が行き渡らず、頭痛がする場合もあるかも
私は鞄から別の本を取り出して、男の子の目前に突きつけた。
「これ、効くかもしれない。気管支を広げる薬草」
「……どこにでも生えていそうな草だね」
「見分け方は、ここに記載があるわ」
「ふむ」
男の子は、面倒がるわけでもなく、引くわけでなく、素直に本を手に取って読み出した。これも初めての反応だった。
大抵の人は、ここで『あ~……薬草とかよくわからないから』と濁して去る。それでも良いと思って、本を突き出したのに、それをちゃんと読んでくれている。
少しだけ、胸が躍った。
そこで教師が教室に入ってきた。本を返してと言おうとしたら、その前に、彼は「ごめん、貸して。後で返す」と言ってきた。
オリエンテーション中、チラチラと彼の様子を見ていると、教師の話は全く聞かずに本を読みふけっていた。
何度も何度も読んでいる私のマイブックだ。チラッと見ただけで、彼がどのページを読んでいるか分かってしまう。
『52ページの露草のところね、ウィットに富んだ薬草で面白いわよね』とか『あら、その82ページの薬草が気になるのかしら。家にあるわよ』とか、心の中だけで彼と会話をした。結構楽しかった。
気付けば、私も教師の話は聞いていなかった。
でも、さすがの私も、オリエンテーションが終わってまで読みふけっているとは思わなかった。少し呆れて「隣の方?」と話し掛けるも、全く聞いていない様子に、『私もこんな感じなのかしら』と少し反省をしたりする。
「ちょっと、そこの名無しの貴方」
「……」
「隣の、名無しの貴方さん?」
「ハッ! 僕?」
「そうよ。オリエンテーション終わったわよ。本を返して欲しいんだけど」
「あぁ、ごめんね。思いの外、とても面白くて」
「ふぅん?」
―― わかるぅーー!! 面白いわよね! わかる、わかるわ!!
テンションは、尋常ではなく上がっていた。
「時間ある? 少しだけ、質問してもいいかな?」
彼からの、こんな提案。思ってもみない展開に、心臓がトントントンと動いた。
―― し、質問!? うっそ、そんなの初めて! う、嬉しい! 話したい。いっぱい薬草のこと話したい
それでも、私だって一応淑女よ。モサモサの髪をモサリと耳にかけ直し、「薬草のことなら、どうぞ」と落ち着いて答えた。
「じゃあ、まずは、この薬草なんだけど……」
こうして、初対面の彼との薬草談義に花が咲いたのだ。
彼の質問は、それはもう面白かった。『それ私も思ってたー!』という共感できちゃう部分から、『そんな活用方法は考えたことなかった!』という気付きが盛り沢山。
笑いが止まらないときに効く薬草のページに差し掛かったところで、私が『実際に試したことがあるのよね』と、そのときの話をしたら興味津々。ニヤニヤ顔で笑われて、ちょっと馬鹿にされたような気がしたけれど、その気安さが嬉しかった。
会話が弾んで、気付けば胸も弾んでいた。
そうして、外は夕焼け小焼け。
「うわ、ごめん。え、もう夕焼け?」
―― 時間が経つのが、早い
「ランチを食べ損ねたわね」
「ごめん。楽しくて、つい」
「いえ、なかなかに(ものすっっごく)面白い時間だったわ」
―― あ、そうだ。せっかくだから、本物の薬を見せてあげようかしら。さっき、こっそり飲んでいた薬。ふふっ、きっと食いつくわ♪
私は、鞄の中から小瓶を取り出した。彼は小瓶を見て、首を傾げた。
「なに?」
「お腹が減っていても、お腹が鳴らなくなる薬。これを飲んでいたから、別に平気よ(ドヤァ)」
『ぐ~~~~~~』
ドヤ顔を嘲笑うようにお腹の音が鳴り響いた。夕焼け小焼けの教室。誰もいない静まり返った校舎。お腹の音が、ものすっっっごぉおおく、良く響いた。
「良い音でお腹鳴ってるけど、平気?」
「くっ……!」
―― なんでここで鳴るのよぉおおお! もー!! 格好悪いー!
もう、恥ずかしくて恥ずかしくて、気の利かないお腹をバシバシ叩いて鳴り止ませた。
「くっ……ふはっ! あはは!! ちょっと、面白すぎるよ、タイミング良すぎ」
その笑顔を見た瞬間、すぐに分かった。
―― あ、ダメ。もう落ちてる
胸がキュンと鳴った。恋に落ちていた。
誰かに教えて貰ったわけじゃない。本で少し読んだことがあるだけだ。でも、すぐに分かった。これが恋に落ちると言うことだと。
自覚してしまったら、もう早かった。ドキドキと鳴る胸の音が煩くて、お腹の音なんか気にならなくなっていた。
「ねぇ、名前を教えて?」
「……リラリー」
家名を言わなかったのは、勿論、リラリーって呼んで欲しかったから。『ファーストネームで呼んでいいわよ』と暗に許したのだ。
恋する女は、誰だって強欲になるものでしょ?
その日は、薬草学の本を貸して、門まで一緒に帰った。やたら威勢のある門も、威厳の塊みたいな校舎も、悪くはないかもって思えるくらいに楽しかった。
どうかしら。これが浮気になると思う? 答えはノー。ならないわ。
恋と結婚は別物だ。だから、婚約者以外の男性に恋をしたからと言って浮気になるわけでもないし、悲観的になることはない。
どうせ誰に恋をしたところで叶わない。最終的には、私は若草色の彼と結婚をする。そう決まっている。まあ、婚約者に恋を出来たなら勝ち組ね。
だから、卒業するまでの三年間、この恋を精一杯楽しもうと思った。楽しめると思っていた。
―― もっと仲良くなりたい。彼を知りたい
まだ恋を知ったばかりだったから。
失恋薬を飲むまで、残り三年。




