17話 10:30 青い光の射す二文字を見た僕
「私が、失恋薬を……?」
「覚えていない? そうとしか思えない」
リラリーは、可愛い瞳を右に左に動かして、記憶を漁っているようだった。
「分からない。覚えていないわ」
「失恋薬を作ったのは、自分が飲むためだったんじゃないか?」
「分からない……」
「惚れ薬は、兄に好きになってもらうため。媚薬は、兄と既成事実を作るため。失恋薬は、兄と……」
そこまで言って、ハッと気付いた。
失恋薬を飲む前のリラリーは、兄との婚約が解消されることを知っていたのではないか。婚約が解消されることを知ってしまい、どうにも成就しない兄への想いに見切りを付けるために、失恋薬を飲んだ。
辻褄が合うこの思考に、僕の胸は嫉妬で焦げ付きそうになった。
―― 失恋薬を飲みたくなるほどに、恋い焦がれていたってことか
「ダメだわ。思い出せない。何も、覚えていないわ」
「……そもそもに、失恋薬の効果で記憶がなくなるなんてことがあるのか?」
これは、疑問だった。失恋薬の効果は『相手を想う気持ちを無くすこと』だと思っていたからだ。
リラリーはスッと立ち上がって、本棚の前に立った。そして、たくさんある本の中から迷わずに、一冊の本を取り出した。
「失恋薬にも様々な種類があるの。簡単なものだと、これ」
リラリーが指差した箇所には『相手にドキドキしなくなる薬』と書かれていた。
「でも、こういう簡単なものって、効果も簡単だから。前にも言ったけど、薬は『元々の感情』をねじ曲げるだけなの。根底にある、恋愛感情は無くせない」
「ドキドキしなくなるだけでは、不十分ってこと?」
リラリーは、少し遠い目をして、本の先にある乱雑なテーブルを眺めていた。
「不十分よ。ドキドキしなくても、目で追ってしまったり、何となく気になったり、他の女の子と一緒にいるところを見たら嫉妬してしまったり。そういうのがあるでしょう?」
まるで、恋を知っているような口振りだった。
「だから、私が研究していたものは、これ」
今度は、リラリーの研究ノートをパラパラと捲り、スッと指を差した。
「好きな人の記憶を無くす、薬?」
「そう。丸ごと、全部をなくす薬よ。ドキドキもしないし、全く興味がなくなるの。周辺の記憶もぼんやりとしてしまうから、使うときには要注意ね」
「ものすごいことを考えるね、ははは」
「でも、すっっごく難しくて。今ある材料ではなかなか作れなかったの。それで……そうだわ! なんで忘れていたのかしら。それで、半年前に……」
そこでリラリーは、目を見開いて「あっ」と一言呟いて固まった。
「リラリー? 何かあった?」
「全然、何も。ぴゅ~ぴ~♪」
驚くほど、嘘も口笛も下手くそだ。調子外れの愛しい口笛をもっと聞いておきたかったが、そうも言っていられない。
リラリーは下手くそな口笛を吹きながら、不自然な程にいそいそと研究ノートを閉じ始めた。勿論、僕は「ピューーー!」と強めの口笛を吹いて、それを止めた。
「リラリー?」
「ところで、話は変わるんだけど、貴方のお兄様が騎士団に出勤せずに放蕩者になったのって、いつだったかしら?」
「ところで、話は変わらないけど、半年前だよ」
「なるほど~、一年前ね」
「半年」
「一年」
譲らないリラリーも可愛くはあるけれど、それはまた今度堪能することにして。僕は彼女の手からスルリと研究ノートを奪った。
「あ!! ちょっと!!」
「見せてね」
ひらりとソファから立ち上がり、部屋中を逃げ回りながら研究ノートを見る。部室にしては、やたら広い部屋だ。追いかけっこには丁度良い。
追いかけてくるリラリーが可愛くて、そっちに目を奪われそうになるが、どうにか研究ノートに集中する。
「ふむふむ、希少材料が必要と……」
「ちょっと!! 返してよー!」
「希少材料は、『薬草学、~レア材料を制する者は薬を制す~』の108ページ参照……ふむふむ」
僕は追いかけてくるリラリーをヒラリとかわしながら、本棚から瞬時に本を抜き取った。
この本は、僕とリラリーの出会いの本だからね。入学の日、彼女の手にあった本だ。記憶に残る背表紙に、一発で見つけることが出来た。
「あぁ、ちょっと、やめてよぉ!!」
「やめないよ。何か隠してるでしょ?」
「ダメダメ、見ないで!」
見ないでと、言われて男は、見たくなる。字余り。
「108ページ、と」
リラリーは何度も何度も、そのページを見ていたのだろう。そのページには跡が付いていて、パッと開くことができた。そこには、衝撃的な内容が書かれていた。
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【レア材料No.10 若草色の髪】
希少度:SSR
現存する材料の中で、唯一、薬草ではない材料がこの『若草色の髪』である。くすんだ若草色では効果は薄い。色鮮やかな若草色のみが、このレア材料と認められる。
これは薬草ではないものの、その効果は薬草以上。煮出したダシは、以下の薬を作るのに最適である。
薬の例
・好きな相手を丸ごと忘れることが出来る、強力な失恋薬
・他の異性を寄せ付つけない、強力な独占薬
・どんなにモテない人でもモテるようになる、強力な誘惑薬
・『ピーー』をしないと解呪不可、強力な媚薬
・一目見たら骨の髄まで惚れ込んでしまう、強力な惚れ薬
などなど。
(以下、10ページに渡って学術的な効果や理論の記載あり。省略)
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「はぁあ!? 若草色の髪がレア材料ぉおお!?!」
思ってもみない展開に、僕は驚きすぎて吐くかと思った。
「リリリリリラリー、まさか、君……」
「……てへ♪」
こんな可愛い『てへ』があるだろうか。
「半年前に、兄に若草色の髪を貰ったってこと?」
「……うーん、そうだったかなぁ。記憶が定かではないっていうかぁ」
「そこで、若草色の髪がレア材料だって、兄に伝えたってこと!?」
「そういうことに、なるのかなぁ?」
「だから、兄は、ちゃらんぽらんのロクデナシ放蕩者になったということ!?」
「因果関係があるかは、定かではないけどねぇ」
「だから、髪がどんどん短くなっていたのか! うわ、辻褄ピッタリだな!」
あの兄のことだ。自分の髪にそんな価値があると知ってしまったのだから、どれくらいの値がつくか試したくなったのだろう。
試してみたら、きっと目玉が飛び出て、騎士職や跡取りというシガラミから飛び出したくなるほどの大金を手にしたのだろう。
だから、この半年間、羽振りが良い割には家に寄り付かず、どこで何をしているか分からない状態だったのか。会う度に、あの長い若草色の髪が短くなっていたのは、高値で売り払っていたからだ。
近衛騎士なんて、元々やりたくもない職に身を捧げるのではなく、闇系薬草屋に髪を捧げて自由気ままに生きる道を選んだというわけだ。まさに、生業は草の種。
―― あのクソ兄貴っ!!!
僕は、目眩がした。なんか色々と脱力してしまい、ふらふらと歩いてソファにドサッと身を預けた。本はページを開いたまま、隣に寄り添っていた。
―― まぁ、兄さんが放蕩者にならなければ、リラリーとの結婚の機会は巡って来なかったわけだから、いいのかな……
ははは、と乾いた笑いが出た。
―― 待てよ。リラリーが、兄を熱っぽい瞳で見ていたのって、もしかして若草色の髪だったから?
一つの可能性に、勢いよくバッと身体を起こした。薬草マニアの彼女のことだ。桁違いのレア材料である若草色の虜になっていたとしても、当然の帰結。
リラリー本人に聞いてみようかとも思ったが、失恋薬の効果から察するに、出てくる言葉に信憑性があるとは思えなかった。
―― 純粋な恋じゃなかったとしたら? だとしたら、リラリーは何を……誰を忘れたくて失恋薬を飲んだ? 材料としての若草色に、そこまで入れ込んでいたってこと? 忘れたいほどに?
「そんな馬鹿な」
ついうっかりと声に出して悪態をついてしまった。
「ねぇ、大丈夫?」
だんまりで思考を巡らせていた僕を、リラリーが覗き込む。可愛いリラリーの瞳が心配そうに揺れていた。
「あぁ、ごめんね。大丈夫。リラリー、おいたが過ぎるけど、そんな君も大好きだよ」
「本当にごめんなさい。こんなことになるなんて」
「本を正せば、兄に根付いたロクデナシ魂が、兄を放蕩者にさせたんだ。リラリーのせいじゃない」
「……結婚はやめる?」
「するよ。絶対に結婚したい。でも、これを知ったら父親がカンカンに怒るだろうからね。若草色のことは、僕たちだけの秘密にしておこう?」
僕は、イタズラに笑って、本を閉じようとした。すると、そこでチカッと本が光った。乱雑に置かれている実験テーブルの上の青色の小瓶に、日の光が入り込み、それが集光して本を明るく射していた。
その青い光が射した文字を、僕は吸い込まれるように見た。
―― ルカ……?
若草色の髪のページの一番上。彼女の美しい文字で『ルカ』と書いてあった。
―― なぜ、ここに僕の名前が?
パラパラと他のページを捲る。きっと大切な本なのだろう。他には一つも書き込みなんてなくて、綺麗に使われていた。
書いてあったのは、たった一つ僕の名前だけ。最近書いたものじゃない。ずっと前、半年よりも前。もしかしたら一年以上前に書かれたものだろう。インクが掠れていた。
その文字をそっとなぞる。リラリーは、どんな気持ちで、僕の名前を書いたのか。なぜ、こんなところに書いたのか。
「ルグラス・ルーンバルト」
僕は、リラリーを射抜くように見ながら、その名前を告げた。リラリーは、首を傾げて「なに?」と聞き返してきた。
「ルグラス。誰の名前か覚えている?」
「ルグラス……聞いたことがある。ん? グラス……草。あ、そうよ! 婚約者の名前! 貴方のお兄様。若草色の髪に草なんて、センスある名前だなぁって思ったの」
「センスが良いかは疑問だけど、覚えているんだね?」
「うん。……あら? じゃあ、ルカって何だったのかしら。ちょうど、貴方が持ってる本の若草色のページ。そこにね、『ルカ』って書いてあったのを昨日見たの。それで婚約者の名前は、ルカだと思ったんだけど」
―― 僕のことは、全然思い出さない
昨日とは正反対。思い出されないことに、忘れられていることに、胸が躍るときが来るとは。
「……ねぇ、リラリー。君が失恋薬を飲んだのはいつ?」
「ぇえ? 分からないわ。だって、飲んだかどうかも分からないんだもの」
「実験ノートとかないの? 記録くらい取っているだろう」
僕がそういうと、リラリーは「たしかに」と言って、また本棚に向かった。たくさんあるノートたち、その一番端、たぶん一番新しいノートを手に取った。
「えーっと、薬が完成したのは……六日前ね。あ、そうだわ。そうだった、半年前に材料を手にして、半年間もかかったのよ」
「そこらへんの記憶すらあやふやになるなんて、ちょっと怖い薬だね」
「そうかもね」
「……そんな薬を、昨日、僕に渡したわけだ?」
「(ギクッ)」
「まぁいいや。それで、飲んだのは?」
「分からない。記録は六日前の16:30に『やっと完成!』で途絶えている」
―― 六日前なら、解呪薬で解呪可能
強力な失恋薬に、夜月草の解呪薬が効くのかは分からない。でも、やってみる価値はあるだろう。
僕は、悩んでいた。
このまま、彼女と友情結婚をするも良い。それでも幸せな人生を送れる自信がある。
もっと言えば、リラリーには、既に惚れ薬を飲ませてある。もし、彼女が僕を好きではないのなら、翌朝6:30に惚れ薬が効いたリラリーに惚れて貰うのも良いだろう。惚れ薬結婚となるが、彼女には結婚を承諾してもらっているわけだから、そこまで罪悪感もなく幸せな人生を歩めそうだ。
でも、それらの道を選んだら、一つだけ心残りになることが出来てしまった。
この本の、若草色よりも上に書いてある『ルカ』の文字。青く光り輝いた、この二文字。
僕は、これに賭けたいと思った。
彼女が忘れたいほどに恋い焦がれたのは、兄なのか。それとも、僕なのか。
そのどちらなのかを、僕は確かめたくなっていた。
「リラリー。キスがしたい」
「時間? いいけど」
そう言って、リラリーは目を瞑った。僕は目を瞑らずに、そのキス顔を見ながら、彼女の唇を舐めた。
「ひゃ!!」
驚いて開いた口に、思いっきりねじ込んでやった。彼女の舌を絡め取るように、記憶を呼び起こすように。
「ん……」
「リラリー、愛してる」
「ちょっと……ん、……」
―― 忘れないで、僕のこと。思い出して
「ん……はぁ、なにするのよっ」
「リラリー。解呪薬を作ろう」
「解呪薬?」
六日前の16:30には失恋薬は完成していた。六日前に、もし飲んでいたのなら。今日で一週間。今日の16:30を過ぎれば解呪は不可能となる。
「急いで、時間がない」
―― 残り、6時間




