16話 9:30 結婚を承諾された僕
―― いつからだ? いつ、なぜ、飲んだ?
僕は、ずっと考えを巡らせていた。
訝しがる兄を道端に置き去りにして、僕とリラリーは王立学園に戻ってきた。
一応、制服はあるものの、校則はゆるゆるだ。私服登校をしたところで、罰則などあるわけもない。私服の僕たち二人に、物申す守衛など居もしないのだ。
サラリと門をくぐり抜け、僕たちは荷物を持って、真っ直ぐ西棟に向かった。
西棟は良い。一応、部室が並んではいるものの、ここは貴族の紳士淑女が通う王立学園。部活なんて殆どない。よって、部室はほぼ使われていない。
生徒も教師も寄り付かない西棟の、三階の一番端。そこにポツンとある薬草学研究部。そのドアにカチャリと鍵をかけてしまえば、誰も来ない密室の完成だ。
「リラリー、一つ君に聞きたいことがある」
「私も、貴方に聞きたいことだらけよ」
リラリーが不満そうに僕を睨んだ。『婚約者の弟だと、黙っていたのね?』という睨みだ。リラリーに睨まれると、僕はただのポンコツに成り下がる。嫌われたくないからだ。
「リラリー、ごめんよ。本当にごめん。僕が悪かったよ」
「貴方、ルーンバルト家の次男ってことよね?」
「そういうことになるね」
すると、リラリーが「はーーぁ」と大きくため息をした。
「私も、ごめんなさい。まさか隣の席に、将来の義弟がいるとはね。私の『人嫌い』も、いい加減どうにかしないと」
そこまで言って、リラリーは「あ……」と言った。
「じゃあ、私って婚約者の弟と関係を持った女ってこと?」
リラリーの顔が青ざめた。
「違うよ、リラリー」
「違わないわ。そういうことになるでしょ? これじゃあ、ルーンバルト家に顔向けできない。貴方とも結婚できないじゃない……なんで黙ってたのよ……ヒドいわ」
「え?」
思わず、浮かれた『え?』を炸裂させてしまった。
「不謹慎ね、何浮かれた声出してるの?」
「だって、リラリー、僕と結婚するつもりだったってこと?」
「あ、……えーっと、貴方さえよければ、と言おうと思っていたわ」
「(よっしゃぁぁぁああ!!)」
大きな声を出すのは御行儀が悪いからね。僕は無言で、大きくガッツポーズをしていた。
「リラリー、僕のことを好きになってくれたの!?」
「あー……、ごめんなさい。それは違うわ。相変わらず、どうにも男として見られないのよね」
「(グッサァァァアア!!)」
「全然、ドキドキしないし。壊滅的にタイプじゃないんだと思う。瞳は良いと思うんだけど、髪色が良くないのかしら、うーん」
「……(死)」
僕は壊滅した。
―― 髪色って何だよ! そんなに若草色がいいものかね、甚だ疑問だよ!! それなら僕だって、頭に草でも生やせば、少しは君のタイプに近付くのか? あぁ? 貴族の矜持を丸ごと捨てて、草生やすぞ!?
疾風に頸草を知る。言おうとしてやめた。
どうか僕を笑ってくれ。致すことまで致しても、男に見てもらえない男が、僕だ。これ以上、何を見せれば男として見て貰えるのか。草の根分けても『男』が見つからない。
僕の憂いが醸し出ていたのだろう。リラリーは、僕の手をきゅっと可愛らしく握って、「でもね、」と続きを話してくれた。
「人としては好きなの」
「……僕のこと?」
「うん。こんなに心を許せる人は、たぶん一生現れないと思う。一緒にいて、すごく心地が良くて。不思議なくらいなの」
―― 僕のこと、そんなふうに思ってくれていたのか
すごく、すごく嬉しかった。好きとか恋とか、そういうものではなく、もっと深いところで彼女との繋がりが出来ている気がした。
「だからね、貴方の気持ちに返せるかは分からないけど、友情結婚というのかしら。そういう結婚で良ければ……」
「良い! 良いに決まってるよ! リラリー、愛してる。僕が毎日愛を注ぐから。毎日毎日、ずっと注ぎ続けるから。そしたら、死ぬまでの間には、きっと君の愛情の器も満杯にしてみせるよ」
「……重いわね」
「え、じゃあ軽めに言うね。……リラリー、割と好きな方だよ。僕は余所見しながら思い出したときに君に愛を囁くから、軽く受け取って貰ってかまわないよ」
「ふふっ、無理に軽くしなくても大丈夫よ」
リラリーが笑ってくれた。それだけで、僕は有頂天になっちゃって、これから始まる彼女との恋愛物語に思いを馳せた。元婚約者の弟と友情結婚をするというセンシティブな状態から、溺愛に溺愛を重ねて相思相愛。ラストエピソード一直線だ。もうこのまま終わりでも問題ないだろう。
「でも、問題よね。婚約者の弟と二股かけた女だもの。貴方と結婚なんて無理よ」
「急に現実に引き戻すよね」
幸せ一直線だった僕は、リラリーに現実に引き戻された。
「リラリー。これは、本当に申し訳ないと思っているんだけどね?」
「うん、なに?」
「君と兄の婚約は一昨日の時点で、解消されているんだ」
「え!? 聞いてない! どういうこと?」
「順を追って説明しよう」
僕はリラリーの手を引いて、部室にしてはやたら豪華なソファに座らせた。貴族が集う王立学園の部室だ。部室といえども調度品は一級品である。
僕もリラリーの隣に座り、彼女の手をぎゅっと握りながら説明をした。彼女に触れていたかったのは、僕が不安だからだ。背筋は凍りっぱなしだ。
「まず、兄がここ半年間、騎士団に出勤していないことは、知っている?」
リラリーは、首を横に振った。
「知らないわ。そうだったのね……」
「そう、兄はロクデナシの放蕩者に成り下がったんだよ」
「なるほど、分かるわ」
理解が早いな。兄から醸し出る何かを感じ取ったのだろう。
「そうなると、ルーンバルト家の嫡男としては難しいだろう」
「廃嫡。そして、繰り上げ合格、貴方が嫡男になったということ?」
「言い方、気をつけようね。そう、一昨日からね。それで、リラリーと兄の婚約は即日解消」
「だから、二股女ではないってこと?」
「うん。そして、もう少し言えば、今日からリラリーの婚約者は、僕ということになっている」
「はぁ!?!」
鬼の形相とも言える顔で、リラリーは僕を睨んだ。こんなリラリーも可愛くはあるものの、嫌われたく無い僕は言い訳に必死だった。
「聞いて。騙したわけではないんだ」
黙ってることは、たくさんあるけどね!
「僕の父親であるルーンバルト家当主は、リラリーの妹と僕を婚姻させようとしていた」
「まぁ、順当にいけばそうなるわよね」
「そこで、僕は、ゴネた」
「ご、ごねた?」
頭に浮かぶ、父親との六時間に及ぶ激論。僕は嘗めた辛酸の味を思い出した。苦渋だ。
「次男と言えども、ルーンバルト家の厳たる貴族教育を過重な程に受けてきたからね。あんなにゴネたのは、人生で初めてだったよ」
「そ、そう……何をゴネたの?」
「リラリーと結婚できないのなら、跡継ぎにはならないと。兄と二人で放蕩ブラザーズになる、と」
リラリーが、息を飲んだ。
「それは、相当ゴネたわね」
「あぁ、頑張った。で、出された条件が、『リラリーが結婚に乗り気なら良しとする』だったわけ」
「だから、私には黙っていた?」
「先に言ったらフェアじゃない」
フェアじゃないことばかりしてるけどね!
「それに、単純に伝えたかったんだ。婚約者として、ではなく。三年間、君の隣で毎日ドキドキしていた男が、『ずっと好きだった』と初恋の女の子に言いたかった。何のしがらみもなく、素直に告白したかった。そして、振られた」
沈黙。
「えっと、なんかごめんね?」
「リラリー、ここは謝るところじゃない。謝られると、余計抉られるってもんだよ。ははは」
「ふふふ」
気まずそうなリラリーが可愛くて、僕は軽くキスをした。結婚を承諾してもらったんだ、時間なんて関係なくキスをしても良いはずだ。
「『あなた、誰?』と断られたときは、どん底まで沈んだけどね。でも、今は友情結婚でも、僕との結婚を望んでくれている。僕は、とっても幸せだよ」
ただ、一点を除いて。
「リラリー、だからこそ聞いておきたい」
「なに?」
「君は、緑色の小瓶――失恋薬を飲んだよね?」
「え……?」
残り、?時間。




