15話 8:30 兄の弟の僕
10月17日 23時25分投稿
僕の父親が、『リラリーが結婚を承諾すれば、婚姻を認める』と条件を出したのは、他でもない。リラリーが、兄――ルグラス・ルーンバルトに恋慕を抱いていると、父が理解しているからだ。
要するに、僕が断られると高を括っているということだ。まぁ、実際断られたわけだけど……クソ親父め。
何が言いたいかと言えば、リラリーと殆ど顔を合わせない父がそう思うくらいに、リラリーが兄を見るときの目には熱が灯っていた、ということだ。
だから、彼女から出た言葉に、僕はひどく驚いたのだ。兄への感情が『恋とは言えない』、そんなことがあるだろうか。
―― 何かがおかしい。リラリーから、兄に対する熱が全く感じられない
単純に兄に冷めたのだろうか。相手は生粋のロクデナシだ、その可能性もあるだろう。それとも、兄に向ける彼女の熱は、僕や父の勘違いだったのだろうか。
僕たちは、初めにルナ・レストランに行って、ニヤニヤ顔のスタッフに大量の食事を包んでもらった。今日のランチ、ディナー、そして、翌日の朝食分まで。日持ちするメニューを用意しておいて良かった。
そして、馴染みの服屋に赴き、無理を言って開店前に開けてもらい、服を購入。店内で着替えて、やっと落ち着いた。土埃だらけの制服じゃあ、格好が付かないからね。
勿論、未開封の緑色の小瓶は右ポケットに、森で拾った石は左ポケットに、大事にしまっておいた。
「リラリー……すっっごく似合っているよ。そういうワンピース姿はあまり見たことがないな。すごく良いね、可愛い」
「それはどうも」
スンとした真顔で返される。僕に誉められて当然という感じが堪らない。彼女のこういうところが大好きだったりする。
「リラリー……キスしていい?」
「もう時間? いいけど」
「うん、時間だよ」
時計なんか見なかった。店員の目を盗んで、チュッと軽くキスをした。
好きで好きで、仕方がない。どうしてこんなに可愛いのか。頭を抱えたくなるほどに、彼女の全てが僕の琴線に触れる。
正直、僕は浮かれていた。求婚を断られたときはどん底まで落ちたけれど、こんなにリラリーと近付く事が出来て、誰も知らない彼女の姿を僕だけが知っていて、彼女とキスをするのが当たり前になっている。
本当に、浮かれていた。
「それじゃあ、行こうか」
着替えを終えて、僕とリラリーは店の外に出た。すぐに馬車に乗ろうと、ドアを開けたところで僕は固まった。
「よぉ、弟よ~」
馬車には、兄が乗っていた。
「!!? 兄さん!?」
「ふらふら歩いてたら、お前の馬車を見つけたからさー。驚かそうと思って! 驚いたぁ~?」
「驚いたというか、驚いたけど」
僕は、御者席にいた僕の侍従をギロリと睨んだ。すると、彼は御者席で土下座をしていた。全く、不真面目な侍従だ。
「ん? あれ!? リラリー嬢!? え、え、朝帰り? 二人、そういう仲になったの!?」
だがしかし、驚くべきは兄の方だった。そりゃあそうだ、僕の隣にはリラリーがいるのだから。
何を隠そう、僕がリラリーを好きなことは勿論、リラリーと僕が三年間隣の席であったことすら、僕は兄に秘密にしていたのだ。
兄からすれば、自分との婚約が解消された翌々日に、これまで何の関係もなかったはずの弟と、アレな関係になっているという衝撃であった。
僕は、これ幸いと兄を牽制することにした。他の男に取られたら惜しくなったとか、そういう可能性を潰したかった。
「そう。黙っていたけれど、リラリーのことをずっと好きだったんだ。もう、リラリーは僕のだから、兄さんは邪魔しないでよね?」
「それマジ!? そうだったのかよ、なんだよ~。言えよなぁ。いつから?」
「三年前から」
「うっそ、マジ?」
「兄さん、言葉遣いが崩れているよ。本当だよ」
「なんだよ~! 成就おめ!!」
「有り難う」
復縁の可能性はゼロになった。
勿論、リラリーは尋常ではなく可愛くて天使であるからして、兄だってリラリーのことを気に入ってはいた。よく『可愛い婚約者で良かった~』とか言っていた。憎らしい。
でもね、この通り。兄は、欠片ほどもリラリーのことを『好き』ではないのだ。そして、何事に対しても、緩くて軽い。
こういうところだ。貴族らしからぬ垣根の低さが、リラリーとよーく似ている。
普通、別れてすぐの婚約者が他の男と朝帰りをしていたならば、もっと嫌悪感を出すだろう。垣根が低い。
一方、リラリーの垣根の低さが顕著に現れているところをあげれば、勿論、精神に働きかける薬を作っちゃったりするところだ。
本人たちは自覚がないとは思うが、僕からすると、本当によーーく似ている。さぞかし馬が合うことだろう。憎らしい。
さて、とうとうリラリーに、僕が兄の弟、即ち、ルーンバルト家の次男であることがバレてしまったわけだが。もうそろそろ潮時だろうとは思っていたが、バレてしまった。
僕は、淡々としているように見せかけて、リラリーの反応に戦々恐々としている。背筋は既に凍りっぱなしだ。
「リラリー、あのさ……ごめんね」
「こちらは、貴方のお兄様?」
「見ての通り、兄だよ」
僕が、兄弟だと肯定すると、リラリーは淑女の礼でにこやかに挨拶をした。
「お初お目に掛かります。リラリー・リリットと申します。お会い出来た事、光栄に御座います」
僕と兄は目を合わせた。彼女から出てきた『お初お目に掛かります』の文言。これは一体どういうことだろうか。
「えっと、リラリー嬢。僕のことがお分かりではない?」
「!? 大変失礼致しました。以前に、面識が御座いましたでしょうか? 私、人の顔を覚えるのが苦手でして……。深くお詫び申し上げます」
おっと、これは嬉しい……ではなく、大変だ。リラリーが兄のことを認識していない。
三年間隣の席の僕を認識していなかったことよりも、三年以上婚約者をやっていた兄を認識していないことの方が、もっと残酷だ。これは嬉しい……いやいや、大変だ。
さすがの兄も衝撃を受けているようだった。いい気味だ♪
「コホン。リラリー、君の(元)婚約者だよ?」
「へ!?」
リラリーは、まさにぎょっとして、兄をじーっと見た。そこで初めて認識をしたのだろう。ハッとしたように驚いた顔をして「若草色の髪は、どちらへ?」と言った。
「あぁ、随分短くしてしまってね」
兄が帽子を取ると、もうスポーツ刈りと言えるほどの短い髪になっていた。緑色っぽい髪であることは分かるが、鮮やかな若草色であることはイマイチ分からないくらいの短さだ。
「兄さん、さすがに短すぎるよ」
「また伸びるから、いいんだよ。リラリー嬢、思い出してくれた?」
兄がにこやかに言うと、リラリーは「あ~……」と言って、気まずそうに視線を逸らした。
「御髪が随分と短くなっておいででしたので、気付きませんでしたわ、オホホ。お久しぶりで御座います」
彼女の様子を見て、そこでハッとする。
―― 待てよ、おかしい
いい気味だ、なんて言っている場合ではなかった。考えてみればおかしい。やはり、どう考えても変だ。
リラリーの想い人である兄が目の前にいるというのに、平坦な声、全く紅潮しない頬、冷めた瞳。それどころか、兄を兄として認識していない変わり様。
半年前の夜会では、あんなに熱っぽい瞳で兄のことを見ていたというのに。
そこで、僕は初めて思い至った。何故、今までその考えに至らなかったのか。
―― 嘘だろう、そんなことって……
兄の名前と僕の名前を間違えて覚えていたこと。媚薬のせいとは言え、処女を僕に捧げてくれたこと。処女を失って、兄との婚約を解消することになるかもしれないという事態にも関わらず、大してショックを受けていなかったこと。
そして、恋をしたことがないと言い切ったこと。
「リラリー、もしかして……」
きっと、彼女は、すでに飲んでいる。
緑色の小瓶を。
残り、?時間。




