14話 7:30 勿忘草の瞳を見る私
10月17日 21時10分投稿
ガラガラ……ガラガラ……。
馬車の音が、車内に響く。
―― 勿忘草みたいな、綺麗な瞳
朝日を浴びた彼の瞳の色は、驚くほど綺麗な水色だった。こんな綺麗な勿忘草色、見たことがない。ついつい見入ってしまって、その視線に気付いた彼と目が合った。
「リラリー? どうかした?」
「ううん、えっと。今日も授業があったなと思って」
「そうだね」
「この後、どうする? 制服は乾いたけど、汚れてるし。帰って着替えるわよね?」
「そうだな……そう言えば、解呪薬は部室で作るのかな?」
「あ、そうね、そのつもりよ」
そのとき、初めて気付いた。解呪薬の事なんて、頭からスッポリと抜けていたことに。
―― そうだったわ。森に行ったのは、解呪薬を作るためだったのよね
もう、数えられないくらいキスをして、キス以上のことまでしてしまった。だから、もう……このまま夕方まで一緒にいても良いかな、なんて思ってしまう。でも、そんなことは言えもしない。
「西棟の部室かぁ。うん、いいかも。それなら、このまま家には帰らずに、服を買って着替えて、食事も買って、部室に籠もろう」
「服を買う? 授業は?」
「欠席する」
「授業を休むの?」
「うん、授業よりも大切なことがあるから」
―― 解呪薬のことよね
好きでもない誰かに惚れてしまうなんて、相当嫌なことなのだろう。恋を知らない私には、よく分からない感情だ。別に、薬で惚れようが自然に惚れようが、大差ないんじゃないかと思ってしまう。
―― でも、自由恋愛が許されるなら、ちゃんと好きになった誰かと結婚したいもんね
ガラガラ……ガラガラ……。
行きの馬車では、あまり聞こえなかった車輪の音が、やたらよく響く。口数が少ない彼に、なんだか少し距離が出来たような気がしてしまう。さっきまであんなに近くにいたのに。
時計を確認する。7:15だ。あと9時間キスをし続ければ、解呪はできる。解呪薬を作ろうが、何だろうが、あと9時間で彼との奇妙な関係は終わる。
解呪をせずに、もしこのまま彼が誰かに惚れてしまったのなら。解呪をしても、誰かに恋をしたり、誰かと結婚をしたのなら。真夜中に焼き付いた彼の熱を、あんな風に愛しそうに見つめて優しく触れる手を、他の誰かにも渡すのだろうか。
―― もやもやする。でも、じゃあこれは恋なの? 彼のことが好き?
答えはノー。彼のことは、人間としては好きだけど、異性としては好きじゃない。やっぱり男として見られない。
もやもやは、恋というより、ただの嫉妬心だ。同性同士でもある『親友が他の子と仲良くしていると嫉妬する』みたいなやつだと思う。
―― いっそのこと、惚れ薬を飲みたい
惚れ薬を飲んで、彼を好きになれたなら、どんなに良いだろうか。こんなに一緒にいて心地良い人は、会ったことがない。人嫌いの私にとって、ここまで心を許せる人は早々いない。
恋人という感覚ではなく、生まれたときから一緒にいる姉弟とか、家族みたいな。そんな感覚だ。
―― でも、熱烈な愛で結ばれた夫婦だって、いつかは家族愛に変わるわよね
恋じゃなくても、結婚はできるのでは。聞いてみたい。彼は、そんな結婚は嫌がるかもしれない。嫌なら嫌で諦める。でも、聞いてみたい。それでも良いですか、と。
「ねぇ、私ね、たぶん婚約解消になると思うの」
「……若草色の彼と?」
「うん、だからね、そうしたら……待って。貴方、誰?」
目の前の男は、誰だろうか。思えば、名前も知らない。
王立学園に通っているということは、貴族だろう。でも、家名どころか爵位でさえ分からない。リリット家の長女として、安易に結婚の申し出など出来まい。
立ち振る舞いから、爵位は高そうではあるものの、高ければ良いわけでもない。確認は必要だろう。
「今更の質問、ありがとう。リラリーからは、『ストーカーさん』って呼ばれていたと思うけど」
「ストーカーは卒業よ。本当の名前は? どこのだれさん?」
「……リラリーが思い出してくれないなら、僕は名乗らないよ」
「なんで? 教えてくれてもいいじゃない」
「言いたくない」
彼は、とても意地悪そうな顔でそう言った。なんだかとても冷たい目で、そんな視線を向けられるのは初めてだった。だって、いつだって優しい目をしてくれていたから。
―― あれ、なんか……
気のせいじゃない。距離が、出来ている。
「……私、なんか変だった……?」
「ん? なにが?」
「その、シてるとき、変だったのかなって」
彼は、きょとんとした。
「ままままさか!! 最高だった!!」
そして、前のめりで否定していた。勢いが良すぎて少し驚いた。
「じゃあ、なんで……あ、そういうこと」
「さっきから話が見えないけど、急にどうしたの?」
「男の人は、身体の関係を持つと飽きちゃって冷たくなるって聞いたことがあるわ。そういうことね、これが……なるほど。良い経験をしたわ」
以前、カフェでお喋りをしていた女性たちのことを思い出した。外見の手入れをしないと飽きられるとか、身体の関係を持つと、急に冷たくなったり連絡が取れなくなるとか何とか。
「!? ち、違う! リラリーに飽きるなんて絶対にない!」
「ふーん? まぁどうでもいいけど」
本当に『まぁいいや』と思った私が、そのまま言葉にすると、彼は顔面蒼白とも言えるほどの青さで「待って!」と、少し大きな声を出した。
「リラリー、違うから! 飽きないよ。許されるなら、何回だってシたい! 本当に大好きだよ、ずっと一生。冷めるとかないから、本当に!」
「ん? 何回だってシたい?(冷めた目)」
「違う。ピックアップして欲しいのはそこではなく、一生大好きだというところね」
「そう」
「なんということだろうか……全く響いていない気がする」
「そう?」
「よし、分かった。僕が悪かった。態度を改めます。少し拗ねていただけだから。どうかリラリーのことを愛してるって信じて」
「……なんか、貴方って一生懸命よね」
「そりゃもう、一生懸命になるしかないからね」
「ふーん、恋愛って大変そうね。私、恋とかしたことないから、その感覚がよく分からないわ」
私がぽつりとそう言うと、目の前に座る彼が不思議そうに首を傾げた。
「リラリーだって、恋をしているだろう?」
「私?」
「……若草色の婚約者。そいつに恋をしている」
「恋? 恋とは言えないわね」
私がそう言うと、彼は目を見開いた。
「ちょ、ちょっと待って。好きなんだよね、婚約者のこと。だって、好きだって言っていた……よね」
そんなこと、言ったかしら。覚えていなかった。
「好きか嫌いかなら、好きよ。でも、恋愛という意味なら、別に好きじゃないわ。貴方も貴族なら分かるでしょう。結婚は家同士が基本、恋愛感情がなくても結婚はできるもの」
そう。恋愛感情がなくたって、みんな結婚している。だから、貴方とも友情結婚でも良いんじゃないかなって。
「ねぇ、やっぱり名前教えてよ。家名だけでもいいから、ね?」
「……どういうことだ?」
私の質問には応えず、彼は驚愕とも言える顔で私を見ていた。
そこでハタと気付く。そう言えば、婚約解消するかもしれないと言うのに全く何とも思わない。
あの若草色の髪は素晴らしいとは思うけれど、前はもっと若草色に固執していたような気がする。
あんなに欲しくて欲しくて堪らない、若草色だったのに。
―― なぜかしら
心にぽっかりと穴が空いたみたいだった。寂しいような気もしたけれど、どうでもいいなとも思った。
「あ、キスの時間ね」
時計を見た私が呟くように言うと、彼はハッとしたように驚愕していた顔を元に戻した。
「ふふっ。そんなに驚いて、変なの」
私が軽く笑って言うと、彼は少し顔を赤くして「可愛い」と言ってくれた。彼に恋がしたくなった。恋が出来ない自分がもどかしい。
馬車の揺れるタイミングに合わせて『せーの』で、彼の隣に移動する。当たり前に受け止めてくれる彼の腕が、なんだか少し心地良い。
「わ、危ないよ、リラリー」
「だって、近付かないとキスできないもの」
「……可愛いこと言ってる」
「そう?」
「うん、可愛い。大好きだよ」
ガタガタ……ガタガタ……。
車輪の音が聞こえるくらい、静かに長く、キスをした。
残り、9時間。




