13話 6:30 一口パンケーキと僕
10月17日 18時15分投稿分
寝ている彼女に、チュッとキスをする。別にキスをする時間ではないけれど、解呪は関係なく、愛しいからキスをした。
―― 可愛かった……
4:30。まだ、外は暗い。2月の太陽は遅起きだ。
寒い森の管理小屋。二つあるベッドのうち、片方はシーツがピンと張られたままで朝を迎えた。
―― 幸せだなぁ
彼女が、僕の名前を呼んでくれた。『ルカが好き』と、言ってくれた。たったそれだけで、必死に留めてきた欲が急激に温度を上げて、逃げ場が無くなって、爆ぜた。まるで、暖炉の薪みたい。
僕は、彼女を起こさないように、そっとベッドを抜け出す。彼女が起きた時のために風呂の湯を温めて、次に少し寒い部屋の温度も上げたくて、暖炉に薪を焼べた。
さて、幸せに浸ってばかりではいられない。大変なことになってしまったではないか。
落ち着こう。一つ言えることは、夜月草を採ろうとぬかるみですっころんだときに、リラリーが地面におしりをぶつけた件。痣は出来ていなかった。直接、目視確認したから、間違いない。僕から言えることは、それだけだ。
―― それにしても、どうするか
彼女は貴族令嬢だ。貴族の結婚に処女性が求められるこの国で、今夜の出来事はリラリーの人生を大きく変える。
即ち、僕以外の貴族令息と結婚することは、なかなかに難しい。しかも、彼女と釣り合う家格となると、もはや不可能だ。好都合だ。
暖炉の薪の音を聞きながら、考える。
彼女にルカと呼ばれて、好きだと言葉を貰えて、僕は爆ぜてしまったわけだけど。
でも、僕だって馬鹿ではない。彼女が起きたときに、『あれは媚薬のせいだった。貴方とは良いお友達でいたいの』と言われる可能性を考えた。いや、今さっき、ようやく考えた。よって、今、背筋が凍っている。
凍った背筋が寒いので、そっとベッドに戻る。少し冷えた足先が、彼女に触れないように気を使ったりした。こんな幸せな気遣いを向けることができるなんて。もう、手放せやしない。
彼女の全てを僕のものにしたい。だから、僕の全てを彼女に渡そう。
―― 彼女が起きたら、全部正直に言おう
赤い小瓶を持っていたことがバレた以上、青と緑を持っているのかと問い質されるのも時間の問題だ。
兄が半年間放浪生活を送っているロクデナシ野郎であること。ルーンバルト家の嫡男が僕になったこと。兄との婚約が解消されて、婚約者が僕になったこと。でも、結婚するにはリラリーの同意が必要なこと。彼女が断ったら、リラリーの妹と婚姻を結ぶこと。
でも、僕はリラリーが大好きだから、一生大切にするから、僕と結婚して欲しいということ。
あと、もう一つ。
僕は、惚れ薬なんか一滴も飲んでいないということ。
全部、言おう。吐き出そう。
「ん……朝?」
「起きた? おはよう、リラリー」
いつも教室で『おはよう』と挨拶をすることだけが、僕とリラリーの会話だった。
それが、一つのベッドでおはようと言う日が来るなんて。夢みたいだと思った。夢にしたくない。現実として、この先何年も、こうして『おはよう』と言い合いたい。
リラリーはバッと起き上がった。そして、自分の格好を確認し、「きゃっ」と小さく悲鳴を上げてからシーツで隠した。
満点の反応に、僕はまたもや爆ぜそうになった。落ち着こう。
「あの、私たち、シちゃった?」
リラリーが顔を青ざめて言うものだから、全部言おうと思った僕の勇気が、ちょっと萎む。
「えーっと、リラリーは、どこからどこまで覚えてる?」
僕の問い掛けに、リラリーは「うーん」と思い出すように天井を見ていた。
記憶が少しずつ鮮明になったのだろう、段々と顔が赤くなっていった。初めはピンクだった頬が真っ赤になり、耳まで赤くなって、首筋から手の先まで真っ赤っか。
そして、最後は、それを全部シーツで隠して頭ごとベッドに引っ込んでしまった。
―― かっわいいいーー!!
僕史上で一番、テンションが上がった。今の光景を、僕は一生大切にしようと思った。
「オモイダシマシタ……」
「覚えてないって言われなくて良かったよ。安心した」
「ちょっと待って。ねぇ、貴方、なんで赤い小瓶を持ってたのよ!!」
「あー……あはは?」
「アレルギーの薬なんて嘘つくんじゃなかった! もーー!!」
「そう言えば、なんでアレルギーの薬なんて嘘ついたんだ?」
僕が何の気なしに尋ねると、リラリーは「だって」と口を尖らせた。その唇に、僕は思わずチュッとキスをしてしまった。
「……なに?」
「可愛い口をするから。キスしたくなるでしょ? それで、なんで媚薬のこと嘘ついたの?」
同じシーツにくるまって、キャッキャとこんな会話をしちゃって、楽しくて仕方がない。
「媚薬を作ってるなんて、そういうことに緩い女って思われそうだったからよ」
「なるほど」
確かに。僕はリラリーを知っているから、そんなことは思わないけれど、リラリーは僕を知らないわけだから、そういう心配もするだろう。
いや、違う。どうなのだろうか。リラリーは、僕のことを、本当はどれくらい知っているのだろうか。
夕焼け小焼けの部室では、『あなた、誰?』なんて言っておいて、僕の名前を知っていた。突然、思い出したのか。それとも、元々知っていたのに忘れたフリをしていただけなのか。どういうつもりだったのだろうか。
―― 聞いてみても良いよね
そして、最も重要なことだが、リラリーは僕を好きだと言ってくれた。いつから好きだったのか。僕と結婚をしてくれるのか。聞いてみたい。
そして、またルカと呼ばれたい。何回でも呼ばれたい。真夜中ではなく、ベッドの上でもなく、朝日を浴びた彼女にルカと呼ばれたい。
「あのさ、リラ……」
「はぁ、こんなことになっちゃって、ルカ様になんて説明したら良いのかしら」
―― わぁ! ルカ様って言った! 覚えてるんだ、やっぱり!!
彼女が震わせた空気で伝わる、僕の名前。嬉しくて、僕は顔に熱が集まる。こんなことで赤くなるなんて、とっても格好が悪いから下を向いて隠した。
それにしても、僕に何か説明することがあるのだろうか。
「なんでも話は聞くけど、何を説明したいの?」
「処女じゃなくなった件についてよ。婚約は解消かしら……というか、貰い手ゼロ?」
「?? ごめん、話が見えない。婚約者の話?」
「そう。処女じゃないことなんて、ルカ様にはすぐバレるだろうし」
「?? バレるもなにも……どういう意味?」
「はーぁ、あの若草色は惜しいけど、ルカ様との婚約は解消するしかないわね」
「……若草色?」
なんか、嫌な感じがした。心臓の奥が沸々と音を立てた。逃げ場のない黒い空気が肺から飛び出そうだった。これ以上、聞いてしまったら、戻れなくなりそうな。そんな予感がした。
でも、口は勝手に若草色のことを聞いていた。口の端が、少し震えた。
「なんで……若草色が出てくるの?」
「あぁ、ごめんなさい。私の婚約者はね、若草色の髪をしているの。ルカ・ルーンバルトって言うのよ」
暖炉から、バチッと音がした。
心が、焦げ付いた。
「すっごく綺麗な若草色の髪でね。あの髪を見ると、いつも心が沸き立つのよね。夢中になっちゃう。そうそう、あのね、」
「ねぇ、リラリー。お腹は減っている? 朝食にしようか」
「え? あ、そうね。少し早いけど、もう明るくなってきたし。サンドイッチだっけ?」
「うん。あと、一口パンケーキがあるよ」
「パンケーキ?」
「ハチミツみたいな、甘いシロップをかけて食べるんだ」
「ふーん? 新商品?」
「そんなとこ。すっごく美味しいよ」
「コーヒーに合いそうね」
「お風呂に入っておいで。その間に用意しておくから。食べたら、すぐに森を出よう」
「そうね」
リラリーと食べる一口パンケーキは、とても美味しかった。彼女がパクパク食べる姿を見ながら、僕もそれをゴクリと飲み込んだ。
朝日が登る、6:30。
空っぽの青い小瓶は、森の中に捨てた。
残り、24時間。




