第一話 百花繚乱
この物語はフィクションであり、登場する人物•地名•団体は実在のものとは関係ありません。
大好物の現代ダンジョンものを書いてみました。お楽しみいただければ幸いです。
世界中にダンジョンが発生した時、十五歳以上の人は老若男女問わず全員が一つずつスキルを得た。その後十五歳の誕生日に全ての人にスキルが一つずつもたらされた。この先天性スキルをギフトと呼ぶようになった。
ギフトは戦闘に役立つものもあればそうでないものもある。【剣術】【弓術】【疾走】【頑健】【裁縫】【料理】など色々だ。
ダンジョン内での危険性は政府、地方自治体、マスコミ等で大きく取り上げられたが、全ての人がスキルを得ている中でダンジョンに入らないという選択肢はなかったのだろう。多数の熱い要望に応える形でダンジョンが出来て二年後、民間人へと門戸を開いた。
当然、ダンジョン探索者になるための資格試験も行われたが、危惧された通り多数の死傷者が出た。ギフトによる差別も社会問題として取り上げられるようになった。
これを受け、ダンジョン探索者を育成するために国立ダンジョン高校が全国に四校(札幌、東京、京都、福岡)、国立ダンジョン探索者専門学校が全国に三校(仙台、名古屋、広島)開校された。
急ピッチで開校された七校では、既にダンジョンに入り攻略をしていた自衛隊の隊員が講師となり、ダンジョン法に関する座学、スキルの習熟やパーティーでの戦闘、低ランクダンジョンでの実践授業等を経てダンジョン探索者を育てていった。
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僕は十五歳の誕生日に四字熟語ユニークギフトの【点滴穿石】を授かった。
ダンジョンが一般解放された当時、四字熟語のギフトを持っている者は数えるほどしかいなかったが、その一人一人が優秀な探索者へと育って行った。それ以来四字熟語ユニークギフトと呼ばれるようになった。
僕は【点滴穿石】の意味を調べて、これは強いギフトではないだろうと思っていた。しかし、優柔不断な性格のためか、周りの勧めにより国立京都ダンジョン高校に進学してしまった。これが間違いだったと気付くのにそう時間はかからなかったが、七年間僕は苦しみ続けた。
国立京都ダンジョン高校に入学すると、同級生に僕を入れて五人も四字熟語ユニークギフト持ちがいた。
「今まで数人しかいないのに、同じ学校の同じ学年に五人も集まるなんて偶然ではなく必然だわ」
【才色兼備】のユニークギフトを持つ天沢和泉がそう言ったのが始まりだったと記憶している。
「じゃあ五人でパーティを組むか」
【風林火山】のユニークギフト持ちの奈倉正輝のこの一言で決まってしまった。
僕は断ることが出来ず流されるままパーティに入った。
リーダーは【風林火山】の奈倉正輝、サブリーダーに【才色兼備】の天沢和泉、その他に【疾風迅雷】の真中悠希、【百発百中】の紅心春そして【点滴穿石】の僕こと龍泉麟瞳の五人パーティ《百花繚乱》が誕生した。
僕以外の四人の四字熟語って意味が分かりやすいよね。【点滴穿石】の意味、誰もわかってなかったよね。後で文句を言われても困るんですけど。
【風林火山】の正輝と【才色兼備】の和泉はオールラウンダーで色々なことに才能を発揮する。【百発百中】の心春は後衛で正確に弓を射る。【疾風迅雷】の悠希はその速さで魔物を圧倒する。
じゃあ僕は何をすればいいんだよ。【点滴穿石】って水滴でも長く落ち続ければ石に穴を開けることができる。小さな努力でも積み重ねれば大きなことを成し遂げる力になるって意味だよ。何年水が落ちればいいんだよ。すぐに結果が出るわけないじゃん。
マッピングもしたし、荷物持ちもした。事前準備は僕が全部したよね。食料の買い出し、武具のメンテナンス、魔物の特徴やダンジョン内での罠の位置の確認等やってたよね。
ダンジョンに入ってない時も、皆が休んでいる時に毎日体力作りしてたし、低、中ランクダンジョンで戦闘の練習もした。何もしてないことはないんだよ。
卒業しても五人パーティは変わらず活動した。文句はいっぱい言われたけどね。お金も皆の半分しか貰えなかったけどね。
そして、結成八年目の七月《百花繚乱》はAランクダンジョンに初めて挑戦し失敗した。全員が無事だったことが不幸中の幸いだった。