宿、そして候補生
「なんでも昨晩猟奇殺人があったらしいぞ」
「男三人が惨殺されたってよ」
「舌を抜かれて死んでたらしいわよ」
「え、俺は全身の肉がそぎ落とされて死んでたって聞いたぞ」
「脳みそだけがなくなってたって噂もあります」
「こわーい。復活祭だって言うのに、衛兵は何をしているのかしら?」
ホテルの食堂では、もっぱら猟奇殺人事件の話題一色だった。
あの後、新品のファッションを見せびらかしたくなって街中を散策していたラヴは、そろそろ宿を取らないといけないことを思いだした。
チェックインの時間は大丈夫だろうかと思っていたが、魔王国では昼夜問わず受け付けているらしく、普通に窓口は開いていた。
しかし問題が一つ。
空き部屋がないのだ。
さすが規模の大きなお祭。
下の中から上の上まで、ホテルというホテルの全てが満室。
聞くところによると、この三日間周辺は数ヶ月前から予約が埋まっていて、基本的にどこも事前に予約を取らないと受け付けてくれないらしい。
空いているのは下の下のホテル。ホテルと言うよりはベッド貸し出し所とでも言うべき場所で、相部屋は当たり前、酷いところは集合スペースに大量のベッドが置いてあって、そこで寝ろと言われる始末。
年頃の少女には耐えられたものではないし、そもそもセキュリティ上よろしくない。
そこでどうにか出来ないかと聞いてみたところ、キャンセル分なら取れるかもしれないと言われた。
普段は商売敵である別のホテルを案内するというのは御法度だ。
しかしこの三日間においては違う。
何せどこもかしこも満室だ。そこで差が出るとしたらサービスの差だろう。
自分の利益にならずとも、お客様のために部屋を探す。
それがたとえライバル店だとしても、お客様のためなら苦労を厭わない。
そんなサービス精神を見せつけることで、リピーター確保に繋げるのだ。
そして見つけたのが上の上。
この街一番と言える最上級ホテルの最も高い部屋――からはさすがに数段落ちるものの、それでも結構なお値段だ。
そこにキャンセルが出たと聞き、ラヴは一も二もなく部屋を取った。
その後朝まで散策して日の出が始まる前にゆとりを持ってホテルに戻る。
そして寝る前の朝食。
ビュッフェ形式で各自料理を取りに行き、好きな量だけ食べられる一般的な形式だ。
主食はもちろんパン? いいや、肉である。
ローストビーフ、チキン、ステーキ、唐揚げなどなど。様々な料理がトレイの上に山盛りで盛られていた。
――何だか周囲の目が痛いけど……。
「いただきます」
肉を頬張り、今度は肉を頬張り、次に肉を頬張る。
うまいうまいと実に美味しそうに頬張る彼女を見ていると、マナーを問いただす気持ちも失せてしまう。
ラヴはラヴで十数日ぶりの文明的な食事だ。周りのことなんて気にする余裕もなく、今はただハムスターの如く口いっぱいに突っ込むだけだ。
贅沢を言うのであれば、もっと焼き加減をレア寄りにして欲しかったが、この際文句は言うまい。
美味しければ何でも良い。その一心で頬張り続けた。
食事が済んで歯を磨き、シワにならないようにお洋服はハンガーに掛けて、寝間着がないので全裸で床へ入る。
受付時、夜行性か昼行性か聞かれて夜行性と答えたせいだろうか。
ベッドには光を遮断する天幕が幾重にも張り巡らされ、まるで繭のような形状をしたベッドは実に心地よく、その中にいればお日様の光は一切届かないようになっていた。
そこで一息つくこと約半日。
街は夕焼けに包まれ紅く染まった頃合いで、ラヴは眠りから目覚めた。
「……ねむ」
意識がもうろうとする中、貰いたてのお洋服に袖を通し、靴を――
「靴……靴……買ってないじゃん」
今日の目標は決まった。
ラヴは目的達成のための第一歩として食堂へ向かうのだった。
ラヴが美味しく肉を独占していると、何やらエントランスの方が騒がしい。
何人か野次馬が向かうくらいには何かがあったようで、ラヴもトレイを片手に野次へと加わった。
人の間から覗いて見えたのは、大層な鎧を着てチェックインをしている一団。
何やら肩にはイラストが描かれていて、どこかは知らないが、それが所属を表すエンブレムだと言うことは分かった。
「お兄さん、あの『格好いい兵隊さん』たちって有名人なの?」
一団の耳に入るようにわざと「格好いい」と言う部分を強調した。
すると目論見通り、何人かは興味がないふりをしているが笑みを零している。
「え? あぁ、あの方々は魔王軍の士官様たちさ。ほら、あのエンブレム。あれは魔王様から直々に与えられた特別な人たちである証拠なんだ」
「へー、魔王軍、凄いなぁ、憧れるなぁ。私でも魔王軍には入れるかな?」
「軍に入るだけなら健康な人はほとんど入れるが、士官になるには軍学校を出る必要があるぞ」
近くで寛いでいた一人がラヴの問いに答える。
他の人たちは皆鎧を着ているが、このどこにでもいそうなおじさんだけはやけに身軽だったため同じ一団とは思わなかった。
「軍学校?」
「あぁ。強いだけならそこらの兵隊で十分だ。私らはそいつらを上手く使ってやるのが仕事ってことだ」
「ふうん。じゃあ何で現地調査に来てるんですか?」
一瞬、その場は静寂が支配した。
子どもの無邪気な問いかけは、時に大人の急所を突く。
しかし、ことラヴの問いに至っては分かっていてそれを聞いた。
今まで笑みを浮かべて聞いていた一団の顔がひきつっている。
一発触発。先の反応を見るに、彼らの自信の拠り所は自分がエリートであるというところにあるのだろう。次にラヴが不用意な発言をしたのなら、もしかしたら彼らは剣を抜くかもしれない。
「あっはっはっは。いやはや、こりゃあ一本取られた」
「?」
「た、隊長!」
高らかに笑う人は、実は部隊の隊長だったらしい。
一番偉い人が一番普通の格好をしているというのは如何なものか。
改めて見ると本当に「どこにでもいそうなおじさん」といった言葉がしっくりくる。恐らく次街中で彼と遭遇しても気付かないだろう。ある意味平均的すぎて怖いくらいだ。
「いやぁ悪いね。あいつらは士官と言ってもまだまだひよっこ候補生なんだよ」
「それで研修もかねて現地調査と言うわけですか」
「理解が早い。そういうことだ。……ただし」
へらへらと笑っていた隊長の目つきが急に鋭くなり、まるで今までとは別人がいるかのような雰囲気でラヴに語りかけた。
「こいつらは今でこそ新米だが、嬢ちゃんが軍へ入る頃には先輩――いや、上司になっているだろうよ。もし本当に軍に入りたいのなら、口の効き方には注意した方が良いぞ」
ぞくりと背筋に嫌な空気が走る。
ラヴは努めて表情を崩さず、余裕を見せつけるようにひらりと優雅に礼をした。
「不躾な問いをしてしまい大変申し訳ございませんでした。何卒お許しくださいませ」
母によく連れられて行った社交パーティーで身につけた技だ。ぶっちゃけ全体重が片方の足に行くので何回もやると片足だけ疲れて嫌なのだが、なるほどこう言うときのための技だったのか。
「……君、貴族の出か?」
「いえ、庶民の出です」
「にしては教養があるな。商人の家か?」
「わかりません」
物心ついたときから独りだった。
家は湖の麓にあり、そこから拠点を転々として時には男の施しを受けてその日の凌ぎを稼いでいた。文字や礼儀は恩師から教えてもらったものであり、その先生も今はこの世にいない。
「だから軍に入ってはやく安定した収入を得たいんです」
「そ、そうか」
予想以上に重い話を告げられて、隊の一同は皆顔がひきつる。
年端もゆかぬ少女が抱えて良いような問題ではないだろう。特に最近まではここら一帯も平和だったせいで、逆に傭兵崩れが盗賊に身を窶していたと聞く。そんな奴らが狙うのはハイリスク・ハイリターンの貴族ではなく、ローリスク・ローリターンの商人や町人だ。
商人が一人狙われたところで領主は動かない。
さすがにお抱えともなれば話は別だが、そんなことでいちいち領主の私兵や軍を動かしていたらいくら予算があっても足りやしない。
「そんなことが……」
「ラヴちゃん今までだいへんだだねぇ!」
そういった事情が分かる彼らは、きっとそう言うことなんだろうと納得してしまう。
しかしラヴにとってはそれは好都合だ。別に嘘は言っていないが常に誤魔化し続けるというのも神経を使う。勝手に勘違いしてくれた方が楽なのだ。
「隊長、何とかなりませんかね?」
「お前ら……」
「人助けも我等魔王軍の仕事でしょう」
隊長が呆れて頭をガシガシと掻き上げる。
「あーもう面倒くさい。嬢ちゃん、ちょっと部屋まで来て貰うぞ。もしかしたら軍学校にも入れるかもな」
「え、ほんと?」
棚からぼた餅。
願ってもない展開に、ラヴの機嫌は最高潮に達していた。