出発、そして接触
朝日の洗礼を浴びせられてから十日ほど過ぎた。
そんなに過ごせばこの世界、そして自分の身体というものを少しは理解できた。
「夜……ふ、あ、あぁぁぁ……ねむ……」
まず忌々しい太陽の光。
それはこの身体を貫き、地獄のような苦痛を与える。
しかしどうやらそれはラヴだけに起こる現象のようで、普通の動物はあの光を浴びても何ともならないらしい。
この世界の原生生物だから耐性があるのだろうか。よくあんな熱に耐えられるものだ。
「またウサギだ。こっちおいで」
見えなくても何となく分かる。
目を閉じていてもうっすらと視界の輪郭が感じられるのだ。真夜中なのに自由に動けるのはそのおかげで、この世界の動植物は仄かに発光しているようだった。
次に動物たちはラヴと目を合わせると、何でも言うことを聞いてくれる。実にメルヘンチックな世界だ。
この十日間で会った動物はウサギとシカとイノシシだ。どれも一度目を合わせると大人しく言うことを聞くようになるが、命令するまでは普通の動物と同様、逃げたり攻撃したりしてくる。
目が合ったかどうかを判断するのはとても簡単。
何となく、繋がったという感触が伝わってくるし、相手の目が赤くなっていれば通じ合った証拠である。それ以降はたとえ殺そうとしても一切抵抗されず、仲間としてずっと一緒にいてくれる。
しかし太陽の光を浴びると元に戻ってしまうようで、地下に隠すならともかく、地上にいてはせいぜい半日だけの友だちでしかないようだ。
「あは」
「ギュッ――」
次に食事。
この世界の動物は生で食べても大丈夫なようで、寄生虫の心配もいらないらしい。
どうして分かったかというと、自分が未だに倒れていないからだ。
それに、とにかく美味しい。
肉は皮ごと食べても全然イケるし、内蔵だって臭みがない。それに、滴る血はまるで取れたてのフルーツジュースのように濃厚で、甘く、食欲が刺激される。
一度頑張って火をおこそうとしたのだが、枯れ葉もなく枯れ木もない、拍車をかけての素人技術では煙一つ立ちやしなかった。
尤も、生前からステーキはレアを良く好み、出せるところならブルーやブルーレアを頼んでいたので然したる問題は無い。
むしろ今まで食べられなかった生肉が食べられるようになって嬉しいまである。
「あーんっ……じゅるっ……じゅっ……はぁ……じゅるるるっ……あはっ」
そしてこの世界の動物には即効性の癒やし効果があるのか、ご飯を食べるとたとえ身体が炭化していようとたちまち元通りの姿に回復する。
確かにこれほどの生命力を持っているのなら、あの太陽に灼かれようとなんともないだろう。
羨ましさと、そこまでして日中外に出たいかと言う呆れが混ざり、その結論に辿り着いたときには不思議と笑いがこみ上げてきたものだ。
最後に、この世の動植物はめっぽう脆い。
その生命力と引き換えなのかは知らないが、女の子の出せる力でいとも容易く壊れてしまう。
初日にラヴが人一人入れる穴を作れたのもそれが理由だ。道具を使うならまだしも、普通なら年端もいかぬ少女が数時間で、しかも素手で穴を掘りきれるわけがない。
「んっ……あっ……ふっ」
食事を終えて口を拭うと湖へ入って水浴びをする。
最初こそ水の冷たさに驚いていたものの、今ではその冷たさが心地好いとさえ感じる。
それに湖に入っていると何だか身体がぽかぽかしてくる。
腹の内が疼き、喉が渇き、肉を食べたくなるのだ。
生前もお肉は嫌いじゃなかったが、この世界の肉が美味しすぎるせいか、この世界に来てからは肉ばかりを食べている。
逆に野菜は苦みや渋みが強くて食べられたものではない。ヨモギを見つけて食べてみたら臭くて臭くて吐いてしまった。それから数時間は舌がピリピリするし、実はヨモギのようでヨモギではない毒草だったのかもしれない。
あの時は口にしてもう二度と食べませんと神に誓ったほどだ。
「ふぅ、さっぱり」
身体に付いた汚れを落とし、相変わらず見窄らしい服を着て旅支度を調える。
そう。ラヴは今日この日を以て湖の塒を卒業するのだ。
別に大した理由は無い。
ただこの生活に飽きただけだ。
確かにここにずっと留まれば美味しいご飯に囲まれて平和に過ごせるかもしれない。
けれどそれでは退屈なのだ。退屈は人を殺す。退屈に慣れてしまっては、それは死人同然だ。
しかしラヴはただ闇雲に森へ入るわけではない。
それは昨日の夜。東の空が夕暮れになっても明るいままだった。さらには自然界で発生しないような赤、青、緑、黄と言ったカラフルな色で雲が彩られていた。
そこでラヴはピンと来た。
きっとそこには街がある。夜になっても消えなかった光は、先日の夜から今日もまだ光り続けている。
これは好機だと踏んだラヴは、集められるだけ食糧を調達し、今日ついに決行しようと覚悟を決める。
「ご飯良し、お風呂良し、その他良し」
身なりは最悪だが、この際贅沢は言わない。
きっと何とかなるだろう。そんな根拠のない自信が今のラヴにはあった。
森に入ってしばらくすると、すぐに普段の散歩範囲から外れる。
十日と言っても所詮は夜しか行動できない身。しかも手厳しい門限まであるとなると、出歩ける範囲は当然限定される。
しかし今日は思い切ってその範囲外へ出る。そう決めたのだ。
空を見上げ、時には木に登り方角を確かめ、再びその方向へと直進する。
それを何回繰り返しただろうか。
街の光が一層強くなる頃に、明らかに獣道ではない、人が通るための道に出る。
その道は緩いカーブを描き、どうやら街へと続いているようだった。
天界から見たとおり、この世界にも城を築く技術があるのは分かっていたが、森を切り開く技術があるとは思わなかった。
現にこの街道は森と森を二分しており、長くどこまでも続くような街道には雑草一つ生えていない。
それは交通量が多いのか、それとも雑草を長期間駆除できる薬品を作る技術があるのか。
どちらにせよこの先の街には大いに期待ができる。
「……あれは」
街に向かって街道を歩いていると、後ろから馬車が一台迫ってきた。
車自体は何の変哲も無い普通の馬車だ。
ラヴからしたら現代では中々お目にかかれないものだが、今はそれよりも目を引くものがある。
ガタガタと音を鳴らし、人の歩行速度より少し早い程度で進む馬車だが、その馬には肉がなく、白骨がまるで生きているかのように車を引いている。
「ひえー」
つい驚嘆の声が漏れてしまう。
白骨馬が引く馬車は身なりの良い御者が平然と乗っているが、この世界では白骨馬がデフォルトなのだろうか。
そもそもなんで白骨化してから労働に従事させるのだ。生きている内でも良いではないか。
しかしこれもいわば白馬と言って良いだろう。
ラヴも年頃の少女。昔は白馬の王子様に憧れていたこともあり、私の王子様は殺したらどんな顔で死ぬんだろうと恋心を抱いていたときもあった。
「ヒヒィーン!」
「おっと」
馬と目を合わせてこちらへ来るように促す。
何と半日友だちは生物以外にも有効みたいだ。
かっぽかっぽと音を鳴らしてラヴに近付いた白馬は、そのままラヴの長い髪を口に咥えてかぽかぽ音を鳴らす。
「こら! 止しなさい! どうどう!」
興奮気味の白馬を鎮めながら、燕尾服の老紳士が御者台から降りて手綱を握る。
「少しお話ししましょう」
「……あぁ、いいとも。しかしなんだ。普段はこんなことしない大人しい子なんだが、すまないね」
「いえ、私、ちょっと動物に懐かれやすいみたいで」
「そう言えば、君は前からそうだった気がするよ」
――ん?
何か違和感を感じるが、今はそれよりもやるべきことがある。
きっとこの馬はラヴが命令するまでずっとこのままだろう。
しかしこれはチャンスだ。第一接触者が人当たりの良い紳士というのは幸先が良い。
この世界について詳しく聞きたいし、街の明かりについても聞きたかった。
『おい! いつまで止まっている! 早く動かんか!』
しかしその夢は叶わず、車内にいる主に急かされた御者は申し訳ございませんと一言謝り再び御者台へ戻る。
「あの、私も連れて行ってくれませんか?」
「それは……」
ラヴは賭に出ることにした。
態度こそ変わってはいないものの、御者の目もよく見ると瞳孔あたりが淡く紅く光っている。
それはつまり動物だけではなく人にも半日友だちが有効であると言う証拠だ。
「何をしているんだ!」
「だ、旦那様」
ラヴはこの機会を待っていた。
ここぞとばかりに扉に目をやり、開口一番に旦那様とやらの目を見る。
それに気付いた旦那様とやらはラヴの目を見――
「乗せてって」
「……あぁ、君か。良いよ。一緒に街まで行こうじゃないか」
「ありがとう。ではお言葉に甘えて」
そうしてラヴは促されるまま馬車へと乗り込んだ。