食欲、そして逃走
「ラヴっち振ったってマ!?」
「そ、そうなんですの!?」
案の定というべきか、彼との破局はすぐに学校中に広まった。
一体誰が流しているんだか。
「ね、ねぇ、ラヴ?」
「どうしたの?」
「わたくし、今朝のことがあまり良く思い出せないのですけれど……」
マリーは昨日ラヴの部屋に来て、手紙を渡した。
そしてラヴが手紙を読み、不安にさせてごめんね、これからは親友でいようね、と言って謝って、二人で一緒に寝たらしい。
らしいというのは記憶が曖昧だから。
確かにそんなことを言われた気もするが、記憶に霞がかかったようにおぼろげだった。
「ではどうして、その、お洋服を着ていなかったんですの?」
「シワになっちゃうの嫌だと思って脱いだんだよ。覚えてない?」
うーんと頭を傾けるマリー。
しかし彼女の記憶は霞が掛かったままで、何があったか一向に思い出せない。
確かに手紙を渡した。
呼んで貰った。
抱きしめられた。
親友だよとも言って貰えた、気がする。
そこまでは覚えている。
しかし、そこから何があって服を脱ぐことになり、何があってラヴの部屋にお泊りすることになったのか、未だ謎は解けないものだ。
「親友なんだし、お互いの部屋で裸で寝ることくらい普通でしょ」
「普通、かしら……?」
「持ちつ持たれつって奴だよ。友だちだって一緒に温泉行くでしょ?」
「それは……そうですわね。わたくしが深く考えすぎなのでしょう」
ついに思い出すことを放棄したマリーにラヴはほくそ笑む。
マリーは中々、いや、かなり美味しそうな体つきをしている。もしもあの記憶が蘇り、食べて欲しいとせがまれた曉には抑えられる自信はないのだ。
まったく、ファーストという至高の餌を貰ったとは言え、ヨハネスとの契約は中々に身体に悪い。
このままでは欲求不満で手当たり次第――
「……あれ」
「どうかした?」
そう言えば、ヨハネスは候補生を食べてはいけないとは言っていたが、人間を食べてはいけないとは言っていなかった。
もちろん、魔王国の首都に人間なんて滅多にいない。
そう、奴隷を除いて。
ならば自分で新しい奴隷を買えば良いじゃないか。
ファーストより手頃に食べられて、肉を引きちぎっても問題ない相手を。
何でそんなことに気付かなかったんだ。
ラヴは自らの浅慮に後悔し、後の計画を組み立てる。
「……ラヴ、悪いこと、考えてる」
「そんなことないよ」
「ひひゃいひひゃいー」
ローラの頬をむにむにと摘まみ、その液体の如き瑞々しい肌を堪能する。
嗚呼、この子の肉も美味しそうだ。
これは本格的に拙い。
人を美味しそうか美味しくなさそうかでしか判断できなくなっている。
何とか気分を逸らさないと。
そんなことを考えていると、美味しくなさそうな奴――もといノーマンが教室に入ってきて、さっそく授業を始めていった。
◆
授業が終わり、大事な用事があると言って一人で帰るラヴ。
しかし寮にはよらず、そのまま学校を飛び出して、向かう先はルイスの店。
「おっ、いらっしゃいラヴさん。今日も手伝ってくれるのかい?」
「はい。でもそれとは別件で、食用奴隷を買いたくて」
「食用奴隷ね。何か仕入れたいオーダーあれば聞いておきまっせ」
今は何でも良いから人の肉が食べたい気分だ。
しかし不潔な人間はあまり好まない。それと肉が固い大人よりも今は肉の軟らかい小人を食べたい気分だし、経験済みなんて魔力が混ざって食べられた物ではない。
それらを簡潔に伝えると、結局は人間の、子どもの、未調教の、未経験という結果になった。
「すいやせんねぇ。今ちょっと在庫がなくて、一週間もすれば入ってくると思うんで、取り置きしますが如何しやしょう?」
「……じゃあ、それでお願いします」
結局その日も消化不良で終わってしまった。
あれから何日経っただろう。
何年も経った気がするし、実は数時間しか経っていないかもしれない。
その日は珍しく豪雨が王都を襲い、午前の授業は早めに切り上げられた。
肉、肉、肉、肉。
肉が食べたい。食べたい。食べたい。
「ご、ご主人様……?」
「……なに?」
「い、いえ、体調が優れないようでしたから……」
気付けば、いつの間にか寮に帰っていた。
喪失感と空腹感が頭を支配し、目の前に見えるソレが美味しそうで美味しそうで――
「……ねぇ、ファースト」
「は、はい……」
「肩、出して? 早く」
するりと服が床に落ち、たちまち裸体を晒すファースト。
もはや以前のような反抗的な態度は取っていない。
「ファースト、こっちに」
「……はい、ご、ご主人様」
普段と違うラヴに恐怖を覚えるも、それ以上の恐怖が身体を支配し、ラヴの命令を遂行させる、
ベッドの上に座っているラヴにまたがる形で身体を差し出す。
そして、いつものように自ら肩を主人の口元へ持っていき――
ぶちゅっ――
「……え?」
生理的に受け付けない音が聞こえた。
何かが潰れる音が聞こえた。
何かが噛み千切られる音が聞こえた。
何が起こったのか分からないが、考えるよりも早く、神経は脳に情報を送りつける。
「ギャァァァァー!!!」
「あはっ、あははははははっ!」
なまじ人間が出すような声ではない。
痛い。痛い。肩が。肉が。
肩に何千何万もの針が刺さったかのような痛み。
今まで感じたことのない肉が裂かれ、神経が撫でられる痛み。
自覚すれば自覚するほど、その痛みは増していく。
「あはっ、別に貴女でも良いじゃない。……んーっ、素敵な味。やっぱり貴女は格別よ。ファースト」
「や、やめっ……来ないで!」
「んむっ……」
あまりの恐怖に近くにあった枕を投げつけた。
死ぬ。殺される。
速く逃げないと。今度こそ殺される。
なりふり構っている余裕はない。
今まではただ生かされていただけだ。どんな理由があるかは知らないが、きっともう用済みになったんだ。
涙が溢れる。
それは身体を食い千切られた痛みからか、目の前にいる化物の恐怖からか、それとも捨てられたことによる悲しみからか。
「来ないで!!」
「あはっ」
気付けばファーストは駆けだしていた。
建物から出られないのは知っているのに。ラヴから逃れられないのは知っているのに。
それでも彼女は恐怖のあまり走り出す。
『お口を拭く時間だけ、待ってあげる』
背後からそんな言葉が聞こえてくる。
遊ばれていると分かっていても、今は痛みから逃れるために、ひたすら逃げる。息を潜める。
無限に続く闇が広がっていようと、その先の一筋の光を目指して。




