夜、そして休憩
警鐘が鳴り止まない南方戦線。
遠くで煙が立ち上り、民の悲鳴や断末魔がそこかしこから聞こえてくる。
「神よ……どうかお助けください……」
北部にある大聖堂。
その周辺には高級住宅街と言われ、地方から来た貴族や上級将官が住まう場所だ。当然衛兵たちもそのエリア一帯の警備に力を入れており、さらに聖なる結界で魔物の進入を妨げていた。
高級住宅街に結界を置いたのか、それとも結界が置かれた場所の地価が上がったのか、今となっては知る由もないが、少なくともその結界の力が本物であることはこの騒動で実証された。
「■■■――!!!」
「ヒィッ!」
目には見えない透明な壁。
一歩外に出れば魔物が蔓延るこの状況でも、唯一ここだけは不可侵の聖域となっていた。
そんな安全なエリアには結界を守るためにも教会本部、大聖堂が設置されている。
そして今、その教会は数多の貴族や富豪が我先にと詰め寄っていた。
「勇者様は! 聖女様はおらんのか!」
「いくら献金したと思ってるんだ!」
「も、申し訳ございません! 使徒様がおられる城と連絡が取れず……」
一度魔人との戦闘が始まれば、たとえ後方に配置されようとも命の危険が付き纏う。
故に出陣が決まった領地の代表者や戦地へ商材を運ぶ商人は傭兵や冒険者と呼ばれる魔物特化型の傭兵を雇うことになるのだが、一部の富豪たちは教会に献金することで勇者や聖女を雇うことができる。
一般の傭兵とは比べものにならない額ではあるが、それに見合う安全性と神の使徒を侍らせるコネと財力があるというステータスが得られるのだ。
「謝罪なんぞ聞き飽きた! 未曽有の事態だというのに何故教会は動かないんだ!」
「そっ、それが! 先程から城が濃霧で覆われており、おそらく使徒様はそこに捕らわれているのかと……」
勇者や聖女は対魔人戦闘における切り札だ。
故に彼らのご機嫌取りは戦略上必須のことであり、勇者や聖女が戦線に到着したら連日パーティーを開いて歓迎する。
昨夜も城では盛大なパーティーが開かれて、教会関係者のほとんどがその催し物に参加していた。
「皆様! ご安心ください! この勇者ブルースと聖女レベッカがついています!」
しかしそんなパーティーに参加しなかった者たちも一部いる。
まだ勇者になりたてで、まだ社会の闇を知らない純真無垢な少年少女。
目の前の賄賂には目もくれず、ただひたすらに人類の平和を願う、昨今の教会の中では希有な存在だった。
「お前ら新人じゃ相手にならん!」
「そうだ! たった二人で何ができる!」
皆を元気づけようとするも、彼らには実績がなかった。
彼らはここで留守番をし、無事冬の間この結界で守られた安全な土地を守りきることが任務だった。
本来ならばこれが初実績となるはずだったのだ。
失敗しようがない任務で少しの経験と自信を付けさせる。
そのはずなのに、蓋を開けたら孤立無援の籠城戦。
彼の元気は虚勢に過ぎなかった。
「ブルース。もうやめましょう」
「レベッカ……」
「私たちがいくら頑張っても、先輩方のような信頼を勝ち取ることなんてできないわ」
諭すように言い聞かせる聖女に勇者は何も言い返せなかった。
悔しいが、レベッカの言う通りだ。
彼らが教会に献金し、指名したのはブルースたちではない。
この場を治めるには、少なくとも先輩たちのような力と知恵が必要だった。
「そんなことありませんわ」
「え……?」
チャペルの隅で落ち込む二人に声をかける少女がいた。
「わたくし、お二人が力不足なんて思っていません。だってこんなにも胸を張って皆を守ろうと努力しているんですもの。ね、ワンコ」
「……は、はい。セ……ニャンコ……姉さま」
いつからそこに居たのか、漆黒の少女と純白の少女が仲良く手を繋いで立っていた。
「驚かせちゃったかしら」
「いえ……」
「ごめんなさい。使徒様たちと、一度で良いからお話ししてみたくって」
いたずらが成功したときのようにクスクスと無邪気に笑う漆黒の少女。
彼女はニャンコと呼ばれていた。
身なりからして貴族の令嬢だろう。
物腰は柔らかそうで、どこか品性を感じる佇まい。
今でもずっと妹の手を握っていることから余程妹のことが大切なのだと伺える。
「ご挨拶がまだでしたね。わたくしはベルベット公国のスレイヴ伯爵が嫡女、ニャンコ・スレイヴですわ」
「……次女のワンコ……です」
そして何より、二人は美しかった。
「は、伯爵令嬢様でしたか。僕は勇者ブルースです」
「レベッカです。以後お見知りおきを」
スレイヴ姉妹はつい先日兵士を率いてきた父に付き添う形でここへ来た。
しかしこの土地へ来て数日足らずで前代未聞の非常事態に陥り、半日もの間、不安と恐怖で宿から一歩も出られなかった。
それを憂い、父は二人の気持ちが少しでも晴れたらと想って、憧れの使徒たちがいる教会に連れてきたというわけだ。
「僕たちに? どうして?」
「使徒様は世界を魔人から救ってくださる救世主様だもの」
「そ、そうなのです」
緊張のせいか、ワンコの笑顔がぎこちない。
無理に笑おうとしているというのは素人が見ても良く分かる。
当然だ。
こんな非常事態に悠々とした態度で歓談するなんて普通の人間には難しい。
裏を返せば姉ニャンコは余程肝が据わっているのか、この非常時にも微笑みを崩さない。
民の拠り所となる貴族の風格。
彼女のように恐怖のコントロールができるようになれば、もっと人々から頼られるのだろうか。
「もしや、体調が優れませんか?」
「えっ……? そんなこと……」
膝上で拳を握る勇者。
全て見透かされている。
不安、恐怖、混乱、不信――
考えれば考えるほど、この絶望的な時間がいかに恐ろしいかを理解してしまう。
そんな状況下で、まだ幼い少年少女が平然としていられるはずがなかった。
「しっかりしてください、ブルース!」
「う、うん! 大丈夫だよ! 何も怖くないもん!」
それでも使徒が折れたらここに残っている民の守り手がいなくなる。
虚勢だろうと、空元気だろうと、決して折れてはいけないのだ。
「……昔、亡き母が良くこうしてくれていました」
「あっ……」
二人の手を掴み、胸の前へと引き寄せる。
そして祈るように、額を近付け、二人の腕をそっと抱いた。
その時二人は初めて気が付く。
彼女の手も、震えていたのだ。
「苦しい、怖い、辛い。……それは弱さかもしれません。けれど、その弱さは、身を守るための強さでもあるのです」
泣いても良い。
怖がっても良い。
そんなこと、教会の暮らしでは誰一人言ってくれなかった。
「ニャンコ……様……っ」
「きっと大丈夫。きっと助かる。だからわたくしたちも、諦めないで挑みましょう」
三人で手を握り、その温かみを感じて拠り所とする。
勇者と聖女は、まだ経験が足りなかった。




