ミートパイ作戦、そして予兆
ラヴは人間が嫌いなんだと思う。
必要以上に人間を痛めつけるラヴのことを、ケイトはそう評価した。
普段の彼女からは考えられない行動に最初は戸惑いもしたものの、ラヴの種族を考えたら当然のことだろう。
――……吸血鬼。
人の血を媒介に生命を吸収し、それを糧に永遠の時を生きる魔人。
元四大種族の中で唯一眷属を創り出す能力を持たず、他の眷属を自らの眷属として作り替える力を持った種族。
その命は尽きることを知らず、少なくとも寿命で亡くなったという事例は残っていない。
また、吸血鬼は神祖イザベラの血が濃ければ濃いほど発現する能力も強力になっていき、それによって吸血鬼社会では魔人種族の中でも類を見ないほどの厳格な序列制度を構築していた。
魔王国に貴族の制度があるのはその名残だという学者もいて、他にも今の社会に多大な影響を与えた種族だ。
しかし今の魔人社会における吸血鬼の位置付けは悲劇の象徴、団結の礎、そして忘れ去られた古の種族だ。
「ラヴ……」
唯一人間に滅ぼされた種族。
神祖イザベラが討たれたことにより一夜にして世界中の吸血鬼が消滅した事件はどんな粗末な歴史書にも記載されている大事件となった。
――自分が最後の生き残りなんて、どんな気持ちか想像もつかない。
苦しいのだろうか。悲しいのだろうか。憎いのだろうか。怒りがこみ上げてくるのだろうか。
ラヴが時折見せる残虐性は、きっと人間がいる限り収まらない。
「人間め……」
「ヒィッ……やめッ――!」
窪みに潜む人間を見つけたそばから狩っていく。
人間の言葉が理解できてしまうのが嫌だ。人間が人語を解すのが腹立たしい。
「だから戦場はイヤなんだ」
人間が存在していること自体、許容できるはずがない。
人間なんて、さっさと滅んでしまえば良い。
ラヴが連れている奴隷――ファーストも、ラヴの奴隷じゃなければ積極的に関わろうとも思わない。
人間の奴隷の分際で、ラヴのことを邪な目で見ているなんて言語道断だ。
しかもラヴにはカティという恋人――にはなっていないが夫婦以上に強い繋がりで結ばれた守護天使がいる。
そんなラヴに発情するなんて、人間社会にはモラルというものがないのだろうか。
「はぁ……」
足下で息絶える人間を見下しながら、魔法で次のターゲットを探るケイト。
ケイトはラヴのような残虐性こそないものの、第一部隊の誰よりも人間を嫌っていた。
◆
戦場から離れノースグランデの一等旅館。
ラヴたちが泊まっている部屋ではファーストとクリュが仲良くお留守番をしていた。
「ことりさん は おおきな くだもの を たべました」
今は読み書きを覚える時間だ。
それは今後魔王軍に入らずとも食い物にされないためとラヴたちが考えた案だった。
「おさかなさんは おおそら を じゆう に およぎます」
「大空ね」
「お、おおぞらを じゆう に およぎます」
魔王国の平民層は読み書きと簡単な四則演算ができるだけで引く手数多だ。それが魔王軍の候補生の元で学んで可愛がられたとなれば大手商会にも入れるだろう。
ラヴたちがいる間は主に単語を覚えて語彙を増やし、セカンドがいるときは世界の知識や一般常識を植え付ける。そしてファーストがいるときはこうして絵本を読んで文字を覚えるのだ。
「うしさん は ちからもち! おおき を ふみつけます」
「大木」
「たいぼく を ふみつけます!」
クリュが勉強を教わり始めてから約二ヶ月。
まったく字が読めない状態からここまで読めるようになったのは偏にクリュの努力の成果だ。
それほどまでに彼女にとってラヴやラヴの友達たちと一緒にいる時間が大切なのだろう。
「ねーねー、ファースト。ラヴさまたちいつ帰ってくるの?」
「んー、何だか忙しそうにしていたし、一週間くらいはかかるかもね」
「一しゅうかん……六日も!?」
「一週間は七日だよ」
スラムで生きてきたクリュにとって日時という概念とはまったく馴染みがなかった。
彼女からしてみれば一日には昼夜があり、暑い季節と寒い季節とある程度の認識だし、今まではそれで何の問題もなかった。
「むつかしい……」
「時間は難しいよね。私も習いたての頃は時計読むのに苦労したよ」
ノースグランデについてからというもの、聖女見習いの頃をよく思い出す。
頭では理解しているのに、心は必死にヒトとしての尊厳が保たれていたあの頃の記憶に縋り付いている。
――もう、あの頃には戻れないのに……。
今はもう、あの頃のように抵抗できない。
絶対的な力を持った主人――ラヴの前でできる抵抗と言ったら少しでも彼女の気を引くために無様な命乞いをして、得られるご褒美を享受するだけだ。
――ご褒美……。
必死に腰を振って誘惑し、そして自ら食べてと首元をさらけ出すのだ。
あとはご主人様の気分次第。運が良ければ極上の快楽が脳からつま先まで突き抜ける。
「んっ……」
それを考えるだけで頭が痺れて身体が火照る。
自分一人では決して届かない快楽に、娯楽を厳しく管理された聖女見習いが敵うはずがなかった。
「ファースト、ぐあいわるい?」
「んっ……だいっ、じょうぶ。ちょっと……お手洗い行ってくるね」
「え……うん、行ってらっしゃい」
普段であればセカンドがこの火照りを鎮めてくれるのだが、不幸なことに彼女は今ヒミツの作戦とやらに駆り出されている。
かと言ってまだ幼いクリュに相手をして貰うわけにも行かず――セカンドなら気にせずクリュを貪るかもしれないが――一人悶々とした気持ちを抱えて旅館のトイレに入っていく。
――静まれ。静まれ……。
水の乱れる音が個室に響き、それがさらにファーストの感覚を刺激する。
たった三日会わなかっただけでこの始末。
既にファーストの身体はラヴに依存しきっていた。
「ご主人しゃまっ……ご主人しゃまっ……そこっ……やぁっ……!」
クリュが一生懸命勉強しているというのに、一人勝手に抜け出してこんなことに現を抜かすなんて。
そんな罪悪感が芽生えるも、それはすぐに扇情的な水音にかき消された。
尻尾のゴツゴツが内部を酷く圧迫し、それがまたラヴの奴隷となるまで知り得なかった快楽となってファーストの思考を点滅させる。
「だめっ……もうっ……いっ――!」
足をピンッと突き立てて、ビクビクと腹部を痙攣させる。
「あっ……あぁっ……そん、なっ……あーっ!」
チョロチョロと流れ出る老廃物。
ファーストはあの日、旧舎裏でラヴに辱めを受けてからというもの一度出したら歯止めが利かなくなっていた。
手で押さえてもいくらでも出てくる生暖かい液体はその臭いだけでファーストの心をかき乱し、過去の思い出を想起させる。
『あはっ、良い子ね。ファースト、本当に良い子』
『おしっこで興奮したの? それとも裸になった時から? とんだ変態ね』
『綺麗なファースト。私のファースト』
「ごしゅっ、じんっ……さまっ……見てっ! 見てっ! みてぇっ!」
何度も、何度も、何度も。
波が押し寄せては消え、消えては再び深い波が身体を襲う。
もう自分ですら何を言っているのか分からなくなったファーストは、ただがむしゃらに脳裏に焼き付いた主人の姿を思い浮かべる。
至上の姿に獲物を見つめる鋭い瞳。
人を人と思っていないような言動は彼女がその場にいなくとも常に恐怖の象徴たり得る爪痕を数多く残してきた。
しかし言い付け通りにしていると、その褒美は天に昇るか如きの快楽だった。
それに抗える者はきっと人間では無いだろう。
ファーストは崩れゆく自己の正当性を強者という言い訳によって保たせていた。
「あっ、ふっ……あっ、んぁっ……くぅ――!!」
昔はこんなに乱れていなかったはずなのに。
原因は分かっている。
脳裏から離れない彼女の幻影は、いつまで経っても快楽に溺れるファーストを離してくれなかった。




