リンドコリナ、そして郷愁
セカンドが初めて吸血した翌日。
クリュは酷い筋肉痛で一日中寝込んでいた。
いくら体力があるとは言え、普段はまったく使わない筋肉を使うのだ。
しかもその上ラヴが止めてからは吸血こそしなかったものの、どうやらその続きをしていたようだ。
そろそろ日の出だからとラヴが寝た後も、味を占めたセカンドは己が持つ技術全てを駆使してクリュを悦ばせていた。
そうして日が暮れてラヴが起きたときには全身びしょびしょの二人が気絶したように眠っていて、ファーストが不機嫌そうに後始末をしているところだった。
結局クリュが動けないと言うことでその日の出発は見送りとなり、当然ラヴによる手厚い制裁が行われた。
しかも運悪くその日は雨。
ラヴの不機嫌が最高潮に達した日だった。
そうして予定が遅れに遅れ、大幅に予定修正を行った結果、リンドコリナには二泊だけしか滞在できないことになり、すっかり遊ぶ気分でいた第一部隊は肩を落として行軍することになる。
「まぁ、仕方ないかぁ」
「ノースグランデでいくらでも休憩できますわよ」
従軍時代、ノースグランデでは飽きるほど大都市内を調べ回った。
それこそ大通りの有名店舗から裏通りの個人経営店まで。メルラたちと隈無く探し回ったものだ。
「ノースグランデ、ねぇ……」
しかし彼の都市はラヴの趣味といろいろ合わないのだ。
そんなこんなで着いたリンドコリナ。
しかしラヴは宿に着いた足でそのまま外に、一人で都市を出て一人で森の中に走って行く。
グランドステップで痛い目を見たばかりでカティやローラは心配していたが、ノーマンには行き場所を伝えておいたので問題無いだろう。
「えっと、確かこっちに……」
森の中でも歩みを遅らせず、まるで障害物競走のように走っては避け、走っては飛び越えを繰り返していた。
そうして都市の西へ行くこと十数分。
森を抜けるとそこには幻想的な湖があった。
「久しぶりだなぁ」
二年前、ラヴがこの世界に降り立って初めて見た光景。
紅い月が水面に映り、蛍のような小さな光源が無数に群がるその泉。
辺りは森に囲まれて、けれども人工物が一点にだけ寄せられていた。
「うわー、懐かしい」
巨木の下には人一人が入れる程度の穴が一つ。
多少埋もれてしまってはいるものの、ラヴの家はまだ辛うじて使えそうな状態だった。
「……おや」
軽く覗くと中で何かが動く気配が。
縦穴には既に野生動物が住み着いていたようで、ラヴの寝所は取られてしまっていた。
「せいぜい有効活用しておくれ」
ラヴはそう言うと再び湖の畔まで戻っていった。
よくもまああんな場所で寝られたものだ。
もしかしなくともスラムでの生活よりもずっと過酷で汚い生活。
いや、汚さで言ったらスラムの糞尿入り交じった土より自然の泥の方がまだ綺麗かもしれないが。
しかし当時はとにかく生きることに必死だった。
灼熱の熱風。
身を焦がす太陽光。
それらから決死の覚悟で逃れるため、輪廻転生を果たしてから約十日間は人間としての尊厳を捨てて小動物のような生活を送っていたのだ。
「さてと」
もう充分感傷に浸れた。
この世に生まれて今日までまさに激動の日々を送っていたが、そのどれもが日本では味わえない素晴らしい体験だった。
――でもやっぱり。
「日本……」
ノスタルジックな感情がラヴの胸を締め付ける。
この世界もとても楽しいものであるが、それと日本が恋しくないというのは別の話だ。
この世にあって日本にないものが多いように、日本にあってこの世にないものも数え上げたらキリがない。
「国一周に一年費やすとか……」
卒業旅行で一年間遊んでいられると思えばわくわくしなくもないのだが、如何せん二年目となると興味よりも怠さが優ってしまうのだ。
それを考えないようにしていた矢先に日本のことを思い出す綺麗なナイフの話。
普段のラヴなら気に留めなかっただろうが、それを歯切りに日本の思い出を次々思い出していった。
「うーん、たぶん蒸気機関くらいなら作れるだろうけど、需要ないんだよねぇ」
産業的には大きな需要となるだろうが、ラヴ的には需要がない。
何故なら今の身体なら飛んだり走ったりした方が機関車よりも速いからだ。
数十年、数百年後の発展なんてラヴにとってはどうでも良いことだった。
――いっそこのままいなくなっちゃおうか。
二四時間三六五日結界を張り続けていればカティですらラヴの痕跡は辿れないだろう。
文明が未発達なこの世界は一度離ればなれになったら偶然町中で会うというのは滅多にない。
そもそも広範囲を短時間で移動する方法が限られているし、連絡手段も殆どない。そんなこの世界では指名手配されたとしても見つかる確率は低いだろう。
「……なーんてね」
バカな考えを振り解き、ペシペシと自身の頬を叩くラヴ。
できるできないの話ではない。そんなことをすればカティを裏切ることになるし、第一部隊のメンバーもきっと悲しむだろう。
ラヴは皆が大好きだ。
今まで出会ってきた中で、嫌いと言える人物は片手で数えられる程度だろう。
だからこそ、今までのような関係でいたい。
誰も、誰にも取られたくなんてない。
「だっ、誰っ?」
「あはっ――」
綺麗なものは、綺麗なままで。
愛しいものは、愛しいままで。
愛せるときに愛し、完璧な姿を自身の記憶に記録する。
「おいで?」
「あっ……はい……」
真紅に輝くラヴの瞳には、狂気に包まれた深い愛情が宿っていた。




